第九話 ~では、本題へ~


「あぁ~けど、わざわざ死体を殴る必要はないんじゃないか?」



 今まさに振り下ろされ始めていた腕を莉緒が優しく掴んだ。

 驚き振り返った少女の瞳は莉緒が撫でようとした時と同じように左目だけが赤く染まっている。

 ウィンクのつもりか、片目をパチリと閉じた莉緒は肩を竦めてこう言った。



「そいつの間引きは完了してる。それ以上は必要ない」



 莉緒に向いていた少女の顔が跳ねるように男へと戻された。

 掴んでいた腕を離しても向き直ることなく、少女は低い声で問いかけてくる。



「……いつから?」

「割と最初から。言ったろ? 状況の把握くらいはしようとしたって。死にそうなのを助けるつもりなら、俺ももう少し真面目だったさ」

「………………そう、か」



 それはそれで死者の前で不謹慎だろう。

 そんな言葉が返って来るかと思ったが、少女は大きく息を吸い込むと糸が切れた操り人形のように、グラリと体が背中から倒れていく。

 慌てて莉緒がその体を支えると、倒れ込んできた少女の瞳は再び緑に戻っていた。



「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない。気付いてるなら何故もっと早くに言わなかったんだ?」

「そうプリプリすんなって。……動けそうか?」

「……もうちょっとだけ待ってくれ、色々と気が抜けてしまったんだ」



 莉緒の腕の中でどこか安心したかのように少女が目を閉じる。

 死体があることを除けば、静かな空間で少女が体を任せてくれている図だ。何だか良い感じの雰囲気が二人の間に流れている気がした。


 きっと良識のある主人公達ならば、このまま目を閉じた少女を見て優しく微笑んだり、死体を鋭い目つきで一瞥だけしてみたり、何故かわからないが頭上を見上げたりするのだろう。

 それが様式美というやつだ。


 だが、残念ながらこいつはそうじゃない。

 空気が読めないのではなく、読んだうえで無視出来る男は横に置いておいた話を戻すことにした。

 そんなわけで。



「よし、じゃあ後回しにしてた君について話をしようか!」

「ちょっと待て、ナンパは本気だったのか⁉」



 閉じていた目がカッと見開かれ、穏やかだった少女の顔が怪訝なものに変わる。

 対してキリッとした決め顔になった莉緒は気持ちの悪い微笑みを浮かべながら、少女の耳に顔を近づけた。



「おいおい……ナンパだなんて下世話な言い方だな、ここは運命の出会いって言うところだぜ。子猫ちゃん?」

「キミのキャラがいまいち掴みきれないんだが⁉」



 弱弱しい姿からは想像もつかない力強いパンチが顔面へとめり込んできたが莉緒は屈しない。

 そのまま片手で少女の体を支えつつ、空いた手で顔にめり込む拳を握る。



「やっぱり小さい手だな。すべすべだし、いつまでも触ってたいっていうか握ってたいっていうかさ。こうしてるだけでドキドキするよな」

「手を離せぇぇぇぇぇぇぇぇ! 合意がなきゃ触らないとか言ってただろ! キミは落ちぶれてないんだろ‼」

「とある友人から革新的なリターナーについての考え方を聞いてな。そいつが言うにはリターナーは合法ロリの括りらしいんだ。つまり君は少女であって少女ではないという特殊な立ち位置にいるため、俺のポリシーにおいても特例的な措置を設けてもいいんじゃないかと」

「そんなこと知るかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」



 ブンブンブンブンと手を振って逃げようとするがまったく意味をなさず、よく見たら若干涙目になってきている合法少女(仮)。

 リミッターさえ外さなければリターナーの筋力は普通の人間と変わらない。ましてや相手は莉緒との体格差も大きいちんちくりん少女だ。振りほどかれる心配もなければ、逃がすはずもない。


 しかし、莉緒にとって災難だったのはお天道様がまだ仕事中だったこと。

 そんな中で悪が栄える試しはなかった。

 背後から莉緒はガッシと肩を掴まれる。



「ずいぶん楽しそうねぇ?」

「………………静希さん、どうしてここに?」

「政府に通報した後であんたがいないことに気付いたから探してたの。それでもしかしてと思って戻ってきたら、何だか楽しそうなことしてるあんたがいたわけ」

「……左様でございますか」



 冷静になろう。判断をミスったらそれで終わりだ。

 事実肩に置かれた手には徐々に万力のごとく力が加わりだしている。


 姿を見られた以上、言い訳が通用する可能性は極めて低い。

 かといって、掴まれた手を無理矢理振りほどいて逃走をしたとしても、それは寿命をわずかばかり伸ばすだけ。

 莉緒がこの状況から無事に生き永らえる方法があるとするならば……。



 ──逆ギレとかしてみて勢いで丸め込むしかない‼



「静希は知らないだろうが色々あっ──」

「助けてお姉ちゃん‼」



 助けを求める少女の悲痛な声をきっかけに、人体から発せられるべきではないミシィッという嫌な音が掴まれていた肩から聞こえ、激痛が莉緒の体を駆け巡った。

 その瞬間、莉緒は全てを悟る。

 判断をミスるとかそういう問題ではなかったのだ。

 こうなった時点で結末は一つ。そう、彼の言葉を使うなら、こうなるのが運命だったのだろう。


 莉緒は全てを諦めた顔で、チラリと後ろを振り返ってみる。

 そこに気心の知れた友人などいなかった。

 ただ仇なす全てを屠る鬼神がそこにいた。


 涙目少女を助けるべく、鬼神の拳がぶち込まれ──莉緒の意識はそこで途絶えた。

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