第八話 ~この街の姿~
「……思ったよりお転婆だったか」
片目の色が赤化するのはリターナーがリミッターを解除した合図だ。
このタイミングで録画が開始されたのでは、緩んだ馬鹿面の莉緒が少女にイタズラをしようとして返り討ちにあったようにしか見えない映像が残ることは必至である。
名残惜しさは感じつつ、莉緒はしゃがんでいた状態から立ち上がり、両手を頭上に上げて彼女に触らない意思を示した。
興奮気味に肩で息をしていた少女はふざけた莉緒の反応を見て我に返ったのか、殺意を霧散させるとしばらくじ~っと眉根を寄せて莉緒を見る。
未遂であったことと素直に降伏したことも幸いしたのだろう。
赤かった瞳の色が緑へと戻る。
「……それでリターナーでもないのに、一体キミはここに何をしに来たんだい?」
「偶然居合わせた。んで、誰もいなくなったから、逃げ遅れた身として、仕方なく状況把握くらいはしとこうかなと」
どう見ても事故には見えない案件に首を突っ込もうとした言い分としてはあまりに怪しい内容だが、意外にも少女はそこを言及することはなく、一階への下り階段を指差した。
「つまりは知り合いというわけでもなく、正義感溢れる野次馬ってことだね? なら立ち去るといい。ボクがいる以上、キミはもうここに用はないだろう?」
至極当然な申し出なわけだが、あいにくと素直に従うわけにもいかない。
莉緒は少女が指差している手を優しく降ろさせる。
「まぁな。けど、もうちょっとだけ君と話がしたいかな」
「この出会いと流れでまさかのナンパかい? 認めたくないけど、こんなちんちくりんを?」
「それほどまでにすっげぇタイプです! ナイス、ちんちくりん‼」
「あぁ、そうだ……開口一番がそれだったね……」
「……けど、そんなタイプの娘を後回しにするからさ。どうしてこの人を間引くのか教えてよ」
若干引いていた少女は莉緒のその言葉を受けて表情を変えた。
警戒を四、戸惑いが六といったところだろうか。
質問の意図がわからないのだろう。偶然居合わせた奴がこんなことを聞いてきているのだから当然といえば当然だ。
「……それを知ってどうするつもりかな?」
「別に何も。君は感情的になりやすいみたいだから、もしもこの人があまりに理不尽な理由で間引かれようとしているなら、君を説得くらいはしようかなって」
「なら、その可能性はないから安心しなよ」
「主観の意見ほど鵜呑みにできないものはないだろ?」
莉緒の態度が正義感のある野次馬ではなく中途半端な偽善者にでも見えたのだろう。
少女は露骨にため息をついた。
だが、莉緒としても嘘は言っていない。実際カッとなってリミッターを外された直後だ。これで仮に「頭を撫でられたんだ」とでも続けられようものなら、さすがに彼女のことを諭す必要がある。
「……簡単に言えば婦女暴行未遂。未遂なのはボクが止めたから」
そんなつもりだったので、言われた言葉にぐうの音も出なくなる。
知らなかったとはいえ、そりゃため息をつきたくもなるだろう。
「あぁ、それは……。えっと、襲われてた人はまだ上の階で震えてるってこと?」
「いや、被害者もボクだ」
「何してんだ早くこのクズ野郎を間引こうぜ‼」
「一気に手のひらを返したな……」
性癖が絡んだ犯罪の再犯率は非常に高い。
イエス、ロリータ! ノータッチ‼ が守れないようなクズ野郎は粛々と召されるべきだ。
というわけで罪を償ってこい!
ただし、あの世でな‼
「というかキミもこいつと同じタイプなんじゃないのかい?」
「合意もなしに少女に触るほど俺は落ちぶれていない!」
「そうかそうか、だが合意があってもダメだということを失念しているぞ」
「くそっ! 生きにくい世の中になったもんだ‼」
別にそれは昔から変わらないと思うぞ、と少女は律儀にツッコミを入れてくれる。
そんなコントのような一悶着の後、二人の間に沈黙が流れた。
あれだけうるさかった莉緒が黙ったことを少女も合意と見たのだろう。改めて床に転がる男へと目を向ける。
すぐにでもとどめの一撃を放つかと思ったが、意外にも少女は静かに男のことを見下ろしていた。
そのまま何をするでもなく、ポツリと一言言葉を漏らす。
「……やらなきゃ、いけないんだな」
これ以上口を出すつもりはなかったが、何かを堪えるかのように眉根を寄せている少女を見ているだけなのも気分が悪い。それがこの街のルールに違反することだと承知の上で、莉緒は少女と男の間に割って入った。
「ここで君が逃げたところで俺は何も言うつもりはない」
「さっきは早く間引けと言ってなかったか?」
「嫌な思いした直後にそれを上塗りするような真似はさせられないでしょ」
「……本当にすぐ手のひらを返す奴だ」
苦笑交じりではあったが、その言葉をどこか嬉しそうに受け止めて、
「ここを見逃せば罰せられるのはボクだ」
細い腕が莉緒の体を押しのけた。
たいして力は入っていなかったが、少女の意思を汲んで莉緒はそのまま少女に道を譲る。
男の傍らに立った少女の拳がゆっくりと握られた。
その拳はかすかに震えていたが、莉緒も今度は止めようとは思わなかった。
これがこの街の正しい姿で、少女の行動は何も間違っていなかったから。
目を背けたい光景ではあったが、その姿から莉緒は目が離せなかった。
だからこそ気付けたのだと思う。
目の前で少女の拳が振り下ろされようとした時だった。
「ごめん」
少女は小さな声で何かを呟いた。
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