第七話 ~運命の少女との遭遇~


「あ……?」



 落ちてきた男は受け身を取ることもなく、転がり来た勢いのまま床に激突した。

 ぐちゃり……と骨が砕け、肉が潰れる音と共に男を中心に赤い水たまりがじわじわと広がっていく。


 ピクリとも動かない男はすでに事切れているようにも見えたが、必死に庇ったのか唯一損傷のない頭部を動かし、莉緒へと視線を向けた。

 莉緒を見つめる男の口がかすかに動く。



「助…………って……くれ」

「逃げろ静希!」



 男の言葉に気付いた瞬間、莉緒の鋭い声がフロアに響いた。

 静希は最初こそ莉緒の言っている意味が分からなかったようだが、彼が何を見ているのかに気付くと悲鳴を上げた。

 莉緒の声と静希の悲鳴。異常を伝える二人の警報により、辺りにいる人間全員が男の存在に気付く。


 そこからはパニックだった。

 あまりにも悲惨なその姿を見て駆け寄る者など誰もおらず、我先にとビルの出口へと駆け出していく。

 次は自分かもしれないという恐怖心もあったのだろう。ものの数秒で辺りには誰もいなくなっていた。


 この状況で無人になったということは、ここにリターナーは居合わせていなかったということなのだろう。

 外傷の多いあの男を見たら、事故よりも事件の可能性が高いことはすぐにわかる。  

 治安維持の義務があるリターナーがここにいたなら、逃げるなんてことは考えられない。



 ──まだまだ改善の余地ありってのが現状なわけか。



 一人残った莉緒は男のほうへと一歩を踏み出した。

 リターナーとしてこの街で暮らしていない彼にこの場で何かをする義務はない。

 むしろここからすぐに立ち去るのが正しい行動だが、男の最後の言葉を聞いた以上、逃げるというわけにもいかなかった。


 状況がわからないため、一歩一歩を慎重に男へと近付いていく。

 そして、あと数歩で男に到達するところまで来た莉緒の足は不意の声によって、その場で唐突に縫い付けられることになった。



「来なくていいよ、ボクが殺すから」



 可愛らしい声質でありながら凛とした声が聞こえたのは、男が転がり落ちてきた階段の上。

 そこからゆっくりと一人の少女が降りてくる。

 くしゅくしゅと意図的に乱れたグレーのショートカット。白を基調としたワンピース型の制服は中高一貫の女子校のものだ。だが、その制服を纏っていてもなお、小学生と間違われそうな幼い容姿。あどけなさをたっぷりと残しているにも関わらず、年齢不相応に引き締められた真剣な顔は何とも綺麗で可愛らしい。


 この瞬間、莉緒は完全に男のことなど忘却した。

 俗世に降り立つ天使と見まごう少女の姿にくぎ付けになりながら、莉緒の顔が男に近づこうとしていた時より一段階真剣なものになる。



「やばい、かなりタイプ」

「キミも殺さなきゃならない類の危険人物な気がしてきたぞ……」



 自分の容姿がどういうものかはわかっているらしく、思わず声に出てしまった莉緒の性癖を聞いた少女の顔に少し呆れの色が現れた。

 凛としていたさっきと違い、少し見た目相応になったその顔もなんとも愛らしい。

 心的にも物理的にもお近づきになるべく、莉緒は来なくていいという少女の制止を無視することにした。

 一度は止めた足を今度は全く慎重さの欠片もないままに駆け寄っていく。



「来るなと言ったのに」

「思わず足が動いたんだから仕方ないだろ」



 言い訳にすらなっていない莉緒の言葉だが、男の前に来ていた少女は怒ることもなく肩を竦めて見せた。



「そうかい、なら今回はそういうことにしておくよ」

「えっと、君はリターナーなんだよな?」

「そうだよ。というか、キミもそうじゃないのかい?」

「これがびっくりそんな役割は担ってなかったりする」

「……ならなんでキミは首を突っ込もうとしていたんだ。あとわざわざ目線を合わせるのはやめてくれないか?」



 駆け寄った流れで、見た目小学生な少女に合わせてしゃがんでいたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 眉根を寄せて、少女はジロリと莉緒を睨む。

 しかし、不機嫌そうに睨んでくる顔がまた何ともいじらしく、莉緒は柔らかそうな髪に思わず手が伸びかけた。

 刹那──

 


「撫でたら殺す。絶対に殺す」



 全身の毛が逆立った。

 まるで腹を空かせた猛獣に獲物として認識されたような、どんな鈍感でもはっきりと認識できる殺意。

 つい今しがたの不機嫌顔とは比較のしようがない迫力で少女の瞳が莉緒を射抜いていた。


 だが、変化は少女の雰囲気に限った話ではない。

 それはまるで倒れる男を残酷に彩った血の色のようだった。

 左右共に綺麗な緑色だった少女の瞳。


 だが、少女の殺意を体現するように、左の瞳が鮮やかな赤色に染め上げられていた。

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