第六話 ~この街の掟~


 この試生市には警察のような治安維持を目的とした組織が存在していない。

 当然政府による街の管理組織は存在し、通報することで対処に当たる場合もあるが、街の安全のため定期的なパトロールなどを行うことは皆無だ。

 では、街で治安維持のための抑止力となっているものが存在しないのかと言えばそうではない。

 その役割を担っているのは、この街に暮らすリターナー達である。


 普段はリミッターをかけることで生身の人間と変わらない生活を送っているが、それを外すことで、リターナーは数分の間だけ人間離れした超人的な身体能力を手に入れることが出来る。


 幼稚園児が筋肉隆々のマッチョを相手にしても力負けしなくなると言えば、その力の絶大さはわかるだろう。

 年齢を自由に決められ、外見からは生身の人間と見分けのつかないリターナーを街の至るところに溶け込ませ、有事の際には居合わせたリターナーがその対処に当たる。

 それがこの街の平和の土台であり、リターナーの義務の一つだ。

 そして、義務とは別に与えられた責務がある。



 社会不適合者の選定とその排除。

 端的に言えば殺人の許可だ。



 機械が支配しつつある世界の中で、人類にとって人間は最も優先して守らなければならない存在の一つとなった。

 それは肉体的な意味でも精神的な意味でもだ。そのためには統率とは違う意味合いで人間同士が一致団結する必要がある。

 心身ともに健全な人間を増やすことは政府にとっての最重要項目と言えた。


 そのための方法が治安維持活動という名目での間引き。

 罪を犯した人間や他人に害をなす危険人物、他人の心身を極度に脅かす者をその場で殺してしまうというものだった。

 リミッターの解除と同時にリターナーの眼は録画を開始し、リミッター解除中の行動を全て記録する。

 リターナーによる殺人が発生した場合はその記録を確認することで正当性の確認を行い、問題がなければ罪には問われない。

 

 話だけを聞けば、あまりにも異常な取り決めだろう。

 時代が進むにつれ、失われてきた力による支配に近いものがある。

 だが、これはあくまでもこの計画の最序盤で払われる犠牲だった。

 他者を脅かせば、いきなり殺されるかもしれない。

 その意識が全員に植え付けられ、常に見張られているような社会を作ることで、犯罪も迫害も起きない安全で安心した生活を送ることが出来る社会を創造する。


 そうして現世に楽園を創造する。

 これが人為的輪廻転生計画の最終目標だ。

 莉緒は小さく息を吐き出した。



──ま、これが正常な反応なんだろうな。



 静希は憤っていたが、莉緒個人の意見を言うのであれば、別にそれ自体は悪いことではないと彼は思っていた。

 倫理観の話をするならば、エスケープを受け入れた時点でそれを言う資格はないだろうし、見えない抑止力というのは善人が思うよりも効果がある。

 静希の言いたいことも理解はできるが、感情論を抜きにすれば、治安の維持という部分においてこの政策はかなりの期待が出来るのだ。


 だが、それをここで静希に言ったところで意味はない。

 静希がエスケープに対して持っているのはまさしく感情論であり、それは理屈では説得のしようがないからだ。

 だから、茶化すような物言いで莉緒は静希に返答する。



「なんだ、悪いことでもする予定があるのか?」

「そういうんじゃないけど……」

「なら、普通にしてればいいんだよ。いつかは自分もその責任を負う日が来るってのは怖いかもしれないけど、お前がエスケープをする頃にはもう土台は出来上がってて、治安維持活動をするほうが珍しい社会が来てるかもしれないだろ?」

「いや、私が言いたいのはそういう殺したくないとか、死にたくないみたいな簡単な話じゃなくて──」



 ドロッと静希の手にアイスが零れ落ち、静希の意識が慌ててクレープに移る。

 良いタイミングだった。アイスを処理したころには静希もわざわざこんな話を蒸し返そうとは思わないだろう。


 そう、少なくとも今の静希の日常は何も変わらない。

 悪いことをすれば裁かれる。その罪の罰が重くなっただけのこと。

 他人の罪を見て見ぬフリが出来なくなるだけのこと。

 


「生きている意味すらわからなくなった人間が、ただ生きているだけでも意味を持てるんだ。これは正しいことなんだよ……」

 


 まるで言い聞かせるような莉緒の独り言は、誰の耳にも届くことなく、ビルに鳴り響く一六時を告げる時報アナウンスで掻き消された。

 音につられたのか莉緒が周りをキョロキョロと見渡した。


 そこに拡がるのは穏やかな日常。

 質素というか、地味なものであったが、きっとこれを楽園と呼ぶのだろう。

 これが世界のどこでも見られるようになるのならば、この計画は遂行されるべきだと莉緒は思う。


ゴトッ……ン!


 少しだけ感傷的になった莉緒の耳に聞こえてきたのは何か重いものが地面に落ちる鈍い音。

 このフロアに倒れるようなものはなかった。いや、そもそも今の音はもっと高いところから聞こえてきていた。


 莉緒が見たのは何か作業でもしているのか立ち入り禁止の札が置かれた三階へと続く階段。 

 瞬間──それは唐突に日常の中へと放り込まれた。



 三階へと続く階段から転がり落ちて来たのはズタズタになった血まみれの男だった。

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