第三話 ~縋りつきたい想い~
「で、リドールってどんな差別なの?」
一日の授業を終え、教室にいる生徒が帰り支度をしている中、呑気な顔をしながら真は莉緒の前の席へと腰掛けた。
周りの光景からもわかるだろうが今はもう授業も終わった放課後だ。
にもかかわらず、朝の話題をなぜついさっき話していたかのように真が引きずっているかと言えば、理由はとてもシンプルだ。
静希からのご褒美は真にとって刺激が強過ぎたらしく、あれから放課後まで、真はずっと机で突っ伏したまま死んでいた。
教師陣も最初は真がいつものように馬鹿をやっていると思い説教をしようとしていたが、周りの生徒から「伊崎は楠原さんに股間蹴られて朝からずっとあんなです」と説明を受ければ、やや引きながらも真に触れることなく授業を開始していた。
そして、約七時間に及ぶ沈黙によって、上がった玉もやっと下りて来てくれたのか、いつもの調子を取り戻した真は莉緒へとダル絡みを再開したのだった。
無視をしてもよかったのだが、このまま付きまとわれて、こいつも一緒に帰るなんてことになったらめんどくさい。
一緒に馬鹿をやるのは嫌いじゃないが、たまには距離を置きたい時だってある。
莉緒は鞄にしまっていたノートとペンをため息交じりに取り出して、適当なページを開くと単語を二つ書き込んだ。
「エスケープした人間の呼称が『戻った者』でリターナーだってのはわかってるだろ?」
「うん」
「そんでもってエスケープした人間は人間ではない。命を持った人形だって主張する奴らが呼び始めたのが『戻った物』リドール」
「そんなことになってるの⁉ とんでもねぇ差別じゃん⁉」
「だからそう言ってんだろ!」
どんな認識をしていたのかは知らないが、大袈裟に体をのけ反らせながら、真は残っている生徒のほうをきょろきょろと気にし始めていた。
誰がいつから呼び始めたのかは知らない。
けれど、リドールという呼び方は間違いなく試生市外部で生まれた造語だ。
試生市で個人の尊厳を脅かす差別用語を生んで流布することが、どれだけのリスクを伴うのかはこの街の住人ならば誰だってわかっている。
だが、生まれがどこにせよ、それがいつの間にかこの試生市の中でも、表立ってではないにしろ差別用語として定着しつつあるのは紛れもない事実。
エスケープに賛成はしているが、心のどこかでやはりそれを同じ人間と思えない部分があるということだろうか。
「なぁ真、何でお前はエスケープに賛成したんだ?」
胸に渦巻いたもやもやのせいだろう。口にするつもりはなかったのに、思わず莉緒はそんな疑問を真に投げ掛けてしまった。
「僕? まぁ、単純な理由だよ」
脈絡も何もない唐突な質問だったにもかかわらず、バタバタしていた動きを止め、真の声のトーンが少し落ちる。普段の馬鹿っぽい表情も、どこか真剣なものに変わっていた。
──あぁ、こいつも同じなんだな。
そう莉緒は察してしまった。
単純な理由。多分この試生市に住むと言った人間のほとんどが、真と同じその単純な理由でここにいる。
人為的輪廻転生計画。
非人道的だの狂気の計画だのと騒がれたが、それは見方によっては不老不死を手に入れるようなものだ。
今でこそ老衰にだけ焦点が当てられているが、いずれは年齢に関係なく、エスケープが行われる時代が来ても不思議はない。
それこそ人生のリセットツールにすらなりえるのがこの計画の最果てだ。
ようするに、死にたくないからこの計画に賛成した。
進化と発展の末、機械にこの世の支配者の座を奪われ、絶滅の道を歩み始めたらしい人間に生きている価値など、もはや残っているのかもわからない。
それでも生に縋りつくのが人間だった。生き物の本能だった。
生きる上で避けようのない最大の恐怖をこの計画は打ち破ることが出来る。
あるかもわからない死後の世界や異世界への転生などに賭けなくとも、確実にもう一度人生をやり直すことが出来る。
命の保証が確約される。
そんな死にたくないという単純にして明確な理由から、賛成者は倫理観を蹴ってでもこの街に来た。
「僕はこの計画に萌えを見出だしたんだ」
前言撤回。そんな死にたくないという単純にして明確な理由から、伊崎真を除く賛成者は倫理観を蹴ってでもこの街に来た。
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