第二話 ~親しき仲にもキックあり~
「リドールって呼び方差別なの?」
あまりにも理解しがたい言葉に莉緒は絶句した。
もはや若干引いたと言ってもいい。
馬鹿だとは思っていたが、まさかここまで底抜けの馬鹿だとは莉緒も思っていなかった。
「……お前この街に住んでてそれは終わってないか? 実はこの都市を調べているスパイですとか言われても信じちまう程度には世間知らずだと思うんだが?」
「僕がスパイをこなせると思っちゃうとか、お前の中での僕の評価が高くてドン引きなんですけどぉ!」
「だぁもううっさいな! 疑って悪かったよ馬鹿野郎!」
そもそもだ。この実験都市は試生市外部の人間に対するアピールなのだから、スパイなど送る必要もない。情報を秘匿して不信感を抱かれてはこの都市の存在理由が揺らぐからだ。
更に言えば、仮にスパイが必要だとしても、政府組織に潜り込まなくては意味もないだろう。こんな何の変哲もない高校で、朝から女子のスカートについて熱く討論しているような奴がスパイなわけがない。というか、あってほしくない。
話を打ち切る意味合いも込め、莉緒はいまだに床へと座り込んでいる真に手を差し出した。
差し出した手を仲直りの握手とでも思ったのだろう。特に警戒もせず満面の笑顔で真は呑気にその手を握り返していく。
ギュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……‼‼
仲直りの握手には不釣り合いなお手手が軋む音がした。
それとほぼ同時に教室の扉が開き、一人の女子生徒が入ってくる。
「おは~! ってどしたの真、顔がいつにもましてキモイんだけど?」
「うるさい! 今忙しいんだよ‼」
脂汗を流しながら真が反射的に叫んだ。
砕けた挨拶と共にこちらに近付いてきた少女の名は
ポニーテールにしてもなお腰まで届く長い黒髪と、うっすら焼けた肌から感じる快活そうな見た目の通り、男女を気にせず接してくれる明るい少女だ。
性格的に相性も良かったのだろう。莉緒と真に静希の三人は性別の壁を感じさせない悪友のような関係にある。
そんな男女を超えた友情を持つ彼女は、挨拶を無下にされたことに文句を言うこともなく、にっこり笑顔のまま持っていたカバンを乱暴に床へと下ろした。そして、空いていた真の左手をおもむろに掴み、自身の胸の前まで持っていくとまるで祈るかのようにその手を両手で優しく包み込む。
右手に男同士の友情、左手に男女を超えた友情、その中心には真。
端から見れば、さぞ仲睦まじい光景に見えることだろう。
「ずんませんしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! お願いだからはなぢでくだしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼ 僕の両手が潰れちゃうからぁぁぁ⁉」
「莉緒? 真が痛がってるよ、やめてあげたら?」
「俺だけの時は叫んでないんだから痛みの原因はお前だろ」
「んなわけないじゃん。こう見えても缶ジュースのプルタブすら開けられないか弱き乙女ですよ?」
「プルタブは筋力っていうか、もはや相性な気もするけどな。絶対に指では開けさせないって鋼の意思を持つ奴らだっているじゃん」
「あぁ~いるいる! イラついて缶とかよく投げちゃうもん!」
「いや、それは絶対悔い改めたほうがいい」
「なに普通に世間話してんの⁉ これイジメだよイジメ! 助けてリドールさぁぁぁん! イジメの現行犯ですよぉぉぉぉぉぉ‼」
どんなに助けを求めようがこの程度でリターナーが動くはずもない。ましてや助けを求める声を上げてる男はがっつり差別用語を使っているのだから、たとえ真を哀れに思うリターナーがいたとしても助ける気までは起きないだろう。
いまいち止め時がわからず、ひたすらに真の手をギリギリと締め付けていた二人であったが、校内に響くチャイムの音が悪ふざけのタイムリミットを知らせてくる。
よし、ではとどめを刺そう。
静希にアイコンタクトを送って、莉緒が地面に尻もちをついている真の腕を引っ張り上げた。
「そら、真! さっそくさっきの話を実践する時だ!」
「え? 何がぁ……⁉」
尻もちをついていた人間の腕を引いて立たせようとすれば、必然的に足は股割りをするように踏ん張る姿勢となる。
自称か弱き乙女がサッカーのフリーキックよろしく足を大きく振り上げた。
真もそれが何を意味するのかを察したのだろう。その顔は絶望に染まっている。
楠原静希。彼女は喜怒哀楽のコミュニケーションに言葉だけではなく暴力を用いる悪癖を持つ少女だ。
つまりはサッカーボールではない人体についているボールを蹴ることなど、彼女にとっては微塵も躊躇いがない。
「や、やめぇぇ……‼」
情けない命乞いなど聞き入れてもらえるはずもなく、ご褒美を受け止めるように開かれた股間目掛け、情け容赦ない静希の蹴りが一直線にぶち込まれていった。
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