機械仕掛けの子守歌
錆び付いた関節がギシギシと音を立てた。
人らしからぬ異音を立て、真冬の夕日が差し込む窓際で正座をしているのは、関係としては俺の母親にあたる存在だ。
洗濯物を畳む姿すら見ていられなくて、俺はそいつから畳まれていない衣類をひったくる。
「何もするなって言ったはずだ」
「そうは言っても、これが私の役割ですから」
「いいって言ってるだろ。無理されたほうが困るんだよ」
「……確かに洗濯物を畳んだせいで、ご飯が作れなくなったほうが困るかもしれませんね」
子供の時から変わらない見た目。
初めて会った時は俺よりも歳上に見えたはずなのに、今となっては幼さを感じるのだから時間の流れは残酷だ。
本当の両親のことは記憶にすらない。
俺にとっての親は施設で俺を引き取ると言ってくれた優しい爺さんだけだ。
不満なんて感じていなかった。
むしろ感謝すらしていた。
だけど、それは俺がそう思っていただけで、爺さんから見たら子供の俺が親を欲しているように見えたのかもしれない。
人工知能搭載型アンドロイド──
人手不足が深刻な医療や介護の補助を行うことを目的に作られた人の姿を模倣した機械を、爺さんは俺の母親代わりと言って連れてきた。
正直戸惑いのほうが大きかったのを覚えてる。
親がどういうものかをいまいちわかり切っていない状態で、爺さんを親と思っていた俺からすれば母親という存在はいきなり現れた未知の距離感を持つ家族だった。
「何か食べたいものはありますか? と言っても、買い物もあなたに行ってもらわなければいけないのですから、そのまま外で済ましてしまうほうがあなたも楽でいいのかもしれませんが」
「自炊のほうが安上がりって言ったのはお前だろ」
「それはご主人様が御存命だった時の話です。あなた一人ならば、外食のほうが食事のレパートリーを考えても安上がりになると思いますよ」
「……買い物行ってくる。材料見て適当に作ってくれ」
「わかりました。待ってますね」
財布とエコバッグだけをポケットにねじ込んで家を出る。
こんなやりとりも慣れたものだ。
爺さんが死んだのは今から三年前。
引き取られたときは四歳だった俺も今年で二十二歳になった。
大学までは必ず面倒を見るから安心しろと言っていた爺さんは大学を出るまでの資金としては必要以上の遺産と引き取られてからずっと住み続けていた家を残してくれた。
きっと、iを整備する分も含めて金を残してくれたんだと思う。
けれど、爺さんの残してくれた遺産は俺が大学に通う分以外はほとんど減っていない。
人工知能による自己学習は想定を超えた早さで行われていた。
感情と呼んで差し支えのないものが芽生えるほどに。
人と同じ体を持つからこそ、彼女たちは自分達の立場を向上させようとした。
人手が足りないからと生み出されたiたちが人間と同じ権利を持てるように世論へ主張するようになったのは六年ほど前からだろう。
爺さんもテレビとかでその実情は知っていたはずだけど、病院で寝たきりになってからはiたちの情報を知れなかったに違いない。
自分の世話をする看護士が生身の人間である違和感くらいはあったのかもしれないが、それをわざわざ追及するような人ではなかったから。
簡単に言えば、自我を持ち始めた彼女たちは段々と処分されていった。
処分と言っても壊したわけじゃない。
精密機器の集合体とも言える彼女たちは定期的なメンテナンスが必要不可欠だったが、それを行わなくなった。
不具合、パーツの摩耗、エネルギー切れで動けなくなる。
それが彼女たちの寿命だと。
彼女たちを庇う団体もあったが、自ら人工知能の危険性を示してしまっていた彼女たちを見る世間の目は一気に冷たくなっていった。
前までの彼女たちならば、きっとそれでも問題なかったのだろう。
けれど、感情を持ったことで行動を起こした彼女たちは世間からの迫害に耐えられなかった。
寿命を待たずに自らデータを焼き切り、自害をする個体が次々と現れ、自害をする勇気がない個体は避けようのない死に怯えながら今まで通りの役割を果たすようになった。
今現在稼働しているiがどれだけいるのかはわからない。
けれど、以前は街中でも見かけることがあったiの姿はここ一年くらいで全く見なくなっていた。
俺の家にいるiも例外じゃない。
むしろ、企業じゃなくて個人が所有していたせいで定期メンテナンスもおざなりだったのに、それが打ち切られたんだ。
iが日に日に動けなくなっていくのはパーツの摩耗もそうだが、iを動かすためのエネルギー源である電力は専用の施設でないと充電できない。
少しでも消費を抑えようと外出や家事をやらせないようにしてきたが、あの様子だとそれも限界が近いのだろう。
「寒いな……」
玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジン、肉と種類の違うルーが入ったエコバッグを肩にかけ帰路につく。
子供の頃から作ってくれたシチューが食べたかった。
けど、素直にそれを買うのも何だか気恥ずかしくて、俺は反抗期の子供のようにわざとカレーやハッシュドビーフのルーも一緒に買っていた。
きっとそれでも、あいつはシチューを作ってくれる。
そんな信頼を胸に家のドアを開けた。
「ただいま」
陽もすっかり落ちたというのに部屋の明かりはついていない。
これは俺が普段からお願いしていたことだった。
そんな余計なことで動かなくていいと俺はずっとお願いしていた。
そして、昨日までお願いを聞いてもらえたことは一度もなかった。
明かりのない家で子供を出迎えたくありません。
そんな風に言って、iは頑なに明かりをつけて俺を待っていた。
全身に冷たい予感が走って、俺は持っていたエコバッグをその場に落としながら部屋へと駆け込んでいく。
「i‼」
「……あ、おか、えり、なさい」
聞いたこともない途切れ途切れの喋り方に俺はとうとうこの日が来てしまったんだと理解した。
「すみま、せん。せっ、かく、買い物に行って、くれたのに、無駄に、なってしまいま、したね」
「……本当だよ。俺が料理出来ないの知ってるだろ。あんなに食材買ったってのに意味ないじゃんかよ」
俺が出かけた時と同じ、iは窓際で夜の街灯にうっすら照らされながら正座をしていた。
俺はこれが最後なのだからと、今まで頑なに見せてこなかった俺の本心をiに見せようと思った。
正座をするiの膝の上に俺は頭を乗せて寝転ぶ。
「おや、今日はず、いぶんと、甘えん、坊ですね」
「本当はたまにこうしたかった」
「小、さい頃は、よくしま、したね」
幼く感じるようになったとはいえ、下から見上げるiの顔は俺の記憶と変わらない綺麗な顔だった。
俺の初恋の相手はその時の気持ちを褪せさせることなく俺の傍にずっといた。
気持ちを伝えたいと思ったのは一度や二度じゃない。
それでもiは俺の母親でいようとしていてくれたから、俺は自分の気持ちを言い出せなかった。
言ったら、iの気持ちを裏切る気がしたし、今の関係が親子だから成立しているなら、俺の本心を知ったiが態度を変えてくるかもしれないことが怖かった。
決してなりたい関係じゃないのに、それでも一番近いところにいた最愛の相手に今なら俺はずっと秘めてた気持ちを言っていいのではないかと思ったんだ。
好きだ。
簡潔にそう言ってしまおうと口を開こうとした。
「ね、むれ。ねむ、れ。いとし、い、わがこ、よ」
そんな歌が聞こえてきたせいで、俺は口を噤む。
それは子供の頃によく聞いたiの子守歌。
優しく腹の上を叩きながら、iは目を閉じて静かに歌を歌っている。
まるで昔に戻った気がして、俺も目を閉じた。
意識が遠のいていく。
眠ったら後悔する。
自分でもわかっているはずなのに、俺は眠気に逆らえなかった。
いや、逆らったらダメな気がした。
「わた、しは、ちゃんと、おか、あさん、をやれ、ていましたか?」
すごく遠くでiの声がした。
これだけは返事をしなくてはいけない。
遠のく意識の中で必死に藻掻いて、俺は言いたかった言葉とは違うけど、言わなくてはいけなかった言葉をなんとか口にする。
「当たり前だろ、母さん」
アンドロイドのiは呼吸をしていない。
けど、静かに息を飲んだ気配がして。
あり得るはずがないのに、iが泣きながら微笑みかけてくれた気がした。
「なら、よかった」
俺が目を覚ましたのは日付も変わり、朝日が差し込む早朝になってからだった。
iの膝の上で目を覚ました俺は体を起こす。
俺の顔を覗き込んだ姿勢のまま、iは機能を停止していた。
「結局言えずじまいか」
泣き崩れるくらいする気もしていたけど、俺も大人になっていたらしい。
胸の中に穴が空いた感覚はあるが、目の前の現実を受け止めている自分がちゃんといて、不思議な感覚だ。
「……いや、ある意味は言えたのか」
ずっと認めたくなくて、俺はiを母さんと呼んだことはなかった。
そう呼んでしまったら、俺の望んでいる関係にはもう絶対になれなくなるとわかっていたからだ。
それでも最後に俺の本心よりもそっちの言葉を言えたことが今は嬉しい。
親孝行……と言ってしまったら、また何かもやもやするが、俺は最愛の人を最高の形で見送ることが出来たと思う。
けど、やはりちゃんと俺自身の気持ちにも区切りをつけたくて、俺はiの前に座ると深呼吸をする。
そして、誰の後悔にもならないように精一杯の笑顔で俺は気持ちを伝える。
「ありがとう。大好きだった」
女性として。
母親として。
天国のiに聞かれてもいいように、俺はわざと子供みたいな告白をした。
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