未来の僕と今の僕


 カプセルの中で眠り続ける彼女を見ながら、僕は静かにため息をついた。

 けど、それは諦めでも疲れからでもない。

 僕のため息はまさしく安堵から来るものだった。


「これで彼女は救えるんだね?」


 薄暗い研究室には巨大なモニターが一つある。

 映っているのは僕がいるのと同じ研究室。

 けれど、映し出されているのはカメラを通したリアルタイムの映像でもなければ、過去の録画でもない。

 映っているのは未来。

 今から二十年後の世界だ。


 僕の時代では流行り病が蔓延していた。

 症状が出てから一週間ほどで意識がなくなり、それから一ヶ月以内に七割の人間が死に至る。

 生き残ったとしても植物状態となり、意識が戻った事例はまだ数件しか確認されていない恐ろしい病だ。


 当然治療法など見つかっておらず、病の研究に携わっているというのに、彼女が病にかかり意識を失ってから、僕に出来たことは意識のない彼女を手を握って神に祈ることだけだった。


 そんな僕に救いの手が差し伸べられたのは、彼女の意識がなくなって五日目のことだ。

 覚えのないアドレスからメールが届き、そこには現代の技術を応用してはいるが、見たことのない治療法が記されたファイルが添付されていた。


 普段ならば絶対に開かなかったと思う。

 けれど、件名に書かれた『過去の僕へ』の文字と本文に記された『彼女を助ける方法を伝える。時間がないからすぐに取り掛かってくれ。十日目の朝にもう一度連絡する』の文字は藁にもすがりたかった僕が縋りつくには十分な理由だった。


 職権乱用をしまくり、僕は研究室の一室を彼女のために改造した。

 仲間達もやけに目の色を変えている僕を見て、彼女を助けるために何か最後の手段に出ようとしていると察してくれたのだと思う。

 咎めるどころか、被検体を使用した実験として口裏を合わせてくれたおかげで僕は未来の僕が記した装置を約束の日の前日には組み上げることが出来ていた。


 カプセルの中にいる彼女のことを見る。

 命を繋ぐために栄養だけを送り込んでいる彼女の肉体は一週間前と比べてもやせ細っていた。

 もう少しだけ頑張ってくれ。


 僕はもう一度モニターを見た。


『もちろんだよ。だからこうして僕が連絡をしたんだから』


 モニターに男が映りこんできた。

 お世辞にも小綺麗とは言えないボサボサの髪やひげを蓄えた中年の男。あまり認めたく話ではあったけど、彼が未来の僕らしい。


「それでこの装置は一体どうしたらいい? やろうとしていることがそもそも理解できない。こんなことをすればむしろ彼女は死んでしまうんじゃないのか?」

『そちらの常識ではそうなる』

「……どういう意味かな」

『結論から言おう。僕の助けるという言葉の意味はそのカプセル内にいる彼女を発症前の状態に戻すという意味じゃない』

「…………続けてくれ」

『彼女は新たな生命体として生まれ変わる』


 予想と違った。

 てっきり僕は彼女の意識をデータ化し、バーチャルワールドへと移行でもさせるのだと思っていた。

 やがて実現可能だという意識のフルダイブシステム。詳しい理論までは知らないが、それはつまり肉体を必要としない時代の到来となる。

 未来の僕がいる時代ならば、人間は肉体を捨てて全て電子の世界で生活しているなんて言われても驚かないつもりだった。


 けれど、今の言い方からしてそういうわけではないだろう。

 電子世界へ移動した人間を新たな生命体と呼んでいるとして、その言い方を過去の僕に言ったところで伝わらないのはわかっているはずだ。


 そもそも予想こそしていたが、電子世界への移動も不可能だと思っていた。

 データ化まではいけるかもしれない。

 けれど、一番肝心な受け口である電子の世界がこの時代にはない。


『君の時代には有名なゾンビゲームがあっただろう? ウィルスによって、人間がゾンビになるっていうあれだよ』

「……結論から言うんじゃないのかい? 

『……そうだね。どうも僕は話の最中に余計な話を織り交ぜてしまう。悪癖だね』


 そう言って、彼は画面から消えていく。

 画面外から何かを引き摺る音が聞こえた時、まさしく僕の心境はホラーゲームをやっているようだった。


『さぁ、君が見たがっていたこの時代の彼女だ』


 呼吸をすることすら忘れた。

 画面に映っているのは今と変わらない彼女の姿。

 化け物が出ると信じて疑わなかった僕はその姿に目を奪われる。


『良い反応だ。それと未来の僕をいささか疑い過ぎだよ。君の延長線上が僕だ。彼女を怪物にするわけがないだろう』

「そう、だね」

「さぁ、これでわかっただろう? その装置によって起こる奇跡は君にとっての絶望じゃない。早く起動させよう」

「……わかった」


 そう言って、僕はカプセルの彼女へ向き直って──


 違和感に気付いた。


 モニターをわざと見ないまま、僕は未来の僕に聞く。


「どうしてゾンビの話をしたんだい?」

『ん?』

「君が言ったんじゃないか。ウィルスによって、人がゾンビになるって。その話をする必要はなかったはずだよ。それこそ最初から彼女と話をさせてくれればよかったはずだ。君とこうして会話をするより、そっちのほうがよっぽど僕を納得させられる」

『ここにいる彼女がゾンビだって言いたいのかい?』

「違うよ。君は彼女をゾンビにしたいんじゃないのかって聞いてるんだ」


 明らかに画面の先にいる未来の僕の気配が変わった。


「未来の世界は現実の肉体に縛られないで、電子の世界を主軸にしているものだと思っていた。けど、君は肉体を持っている。同じ研究室にいて、こうやって過去の僕とコンタクトを取れるってことは何かしらの研究機関に今も属しているんだろう? そんな僕がバーチャル世界ではなく現実世界にこだわるとも思えない。つまりはバーチャル世界ではなく、生身の肉体に今の君たちは価値を見出しているってことなんじゃないのかな」

『…………余計なことは考えなくていい。装置を起動してくれ』

「この流行り病がウィルスによるものかも僕たちの時代はわかっていない。けど、君たちの時代は違うはずだ。そこにさっきのゾンビの話。つまりは何かのきっかけを与えることでこの病気はゾンビと比較することになるほどの人間性の喪失を代償として……不死性を得る」

『…………装置を起動するんだ』


 僕は画面に振り返った。

 そして、画面越しに映る彼女へと僕は叫ぶ。


「君が彼女と同一人物だと言うつもりなら、何かを話してみろ‼ 僕に君が彼女だということを思い知らせて見せろ‼」

『彼女はこうしてここにいる! それだけを今は考えるんだ‼』

「それは彼女の意思なのか! 君の身勝手が彼女を縛っているだけじゃないのか!」

『綺麗事を言うな! 彼女のいない世界を君は歩めるのか‼』


 心臓がギュッと握られたような気がした。

 そんなの答えは決まっている。

 それでも君が本当にそれを望んでいるとは思えなかった。


「君だって今を正しいと思えなかったから、彼女を最初画面に映していなかったんじゃないのか? ここで装置を起動したら僕は君になってしまう。ここが君にならない最後の分岐点なんだろ」

『……僕は今の地獄しか知らない。君の選ぶ地獄が僕よりもマシなのか、それは誰にもわからない』

「同じ地獄なら僕は……彼女を安らかに眠らせてあげたい」


 未来の僕は何も言わなかった。

 繋がっていたモニターの電源を切る。


 暗い部屋でカプセルに入った彼女を見ながら、僕の頬を涙が流れ落ちていく。


「……ごめん。でも、ぼくはこれが正しい選択だと思うんだ……!」


 装置を起動させないまま、彼女をカプセルから出して──


 それから数日後、彼女は息を引き取った。



 ※



 旧式端末に送れるよう弄ったファイルに僕は文字を打ち込んでいく。

 すでに肉体を持たない僕にとって、その作業は意識の転写に近かった。

 送り主は過去の僕。

 彼女を失いそうになっていて、なりふり構わず未来を切り開く可能性を持っている僕だ。

 きっと彼は装置を組み上げることだろう。

 僕は彼をきちんと導かなければならない。

 時間の概念すらおぼろではあったけど、ファイルに記載した日時、過去の僕のモニターへと僕は自分の意識を送信した。


 息を飲む過去の僕。

 データの姿となった僕は彼から見ればまさしく未来の姿に他ならないだろう。

 驚く彼と少し話を交わしたい好奇心はあるが、それでもしも余計な話をしてしまって彼が僕を訝しむようなことがあったら全てが台無しになる。

 だから、僕は手短に用件を切り出すことにした。



『さぁ、彼女を助けよう。早く装置を起動させるんだ』

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