出会い方が違ったなら
二つ下の弟が出来たのは、私が十六歳の誕生日を迎えて一週間が経った時だった。
お母さんが亡くなったのは私がまだ小さい時で、正直ほとんど記憶もない。
けど、お父さんがたまに凄く寂しそうな顔をしていたのを知っていたから、良い人を見つけてくれたのはすごく嬉しかった。
天国のお母さんはちょっと複雑かもしれないけど、それでも写真を眺めながら、無理して笑うお父さんを見るのは子供の時から辛かったから、新しい出会いを選んでくれて少しほっとしたのかもしれない。
そのおかげで私には弟が出来た。
もちろん嫌なわけじゃない。
歳は近くても、新しく出来た弟が私は可愛くて仕方なかった。
けど、思春期真っ只中の男の子はやっぱりそうもいかないみたい。
弟は露骨に私を避けていた。
手を触れることも、同じ食器やコップを使うことも、もちろん私の後にお風呂に入るのも全力拒否!
けど、それでイライラしなかったんだから、私は弟のことをちゃんと弟として見れていたんだと思う。
生意気盛りの弟が私は愛おしかった。
まぁ、そんなこともあってか、最初こそ気を遣い気味だった私もだんだん弟に対して雑になって──ごほん、えっと~家族にしか見せないような素の自分を見せるようになって!
そんな私に弟は更に距離を取るようになっていた。
「……姉ちゃん、帰ってたんだ」
リビングの扉を開けた弟は困った顔で固まった。
共働きの両親に代わって家事を受け持っている私は部活帰りに買い物をして帰ることが多かった。
今の時刻はまだ十五時。
そんな時間にソファに寝転びながらスマホを弄っている私がいるとは思っていなかったのだろう。
「テスト期間だからね」
「そっか……」
「時間あるし、夜ご飯は期待していいよ?」
「テストなんでしょ? 勉強しなよ」
「息抜きしなきゃやんなっちゃうもん!」
こんな会話すら久しぶりだった。
私に声を掛けてくれたことが嬉しくて、テンションの上がった私は子供みたいに足をパタパタさせながら駄々を捏ねてみる。
弟がギョッとして目を逸らしながら、キッチンにいそいそと消えていった。
あれ、なんかまずいことしたかな?
「スカート、危ないよ」
キッチンから聞こえてきたのはそんな指摘。
言われて視線を足に向けて見れば、確かに太腿の際どいところまでスカートが捲れ上がっていた。
「平気だよ。別に誰が見るでもないし」
「……俺がいるじゃん」
「家族だもん。見られても気にしないって」
コップにジュースを濯いで戻ってきた弟は少し怒ったような目で私を見ていた。
あ、やっちゃった……。
こういうのが嫌で避けられているはずなのに、どうしても私は気が抜けているとそういうところに気が回らない。
せっかく話せてたのに部屋に行っちゃうかな。
そう思った私だったけど、弟の手にはコップが二つ握られていた。
一つは私の近くに、もう一つは少し飲んでから弟が自分の近くに。
コップが置かれたソファ前のテーブルを挟んで、弟は私に背を向けるように床に座る。
「俺だって男だよ」
「男だけど、弟だもん。不思議な話だけどさ、まだ期間はそんなでもないのにやっぱり他の男子とは違うんだよね。なんだろ、安心するっていうか、気が抜けちゃうっていうか」
それは本心だった。
だから、ちょっとだけわかって欲しかった。
別に嫌なことをわざとしてるわけじゃない。ただ他の人と違って素の自分が出せちゃうだけなんだよって。
けど、弟は何も言わない。
やっぱり弟にとって私はまだ他人で、そういう部分を見るのは嫌なことでしかないのかな。
そう思うと悲しくなってきて──
「……私のこと、嫌い?」
そんなこと聞くつもりなかったのに、思わず言葉が出てしまった。
ブワッと嫌な汗が浮かんだのがわかる。
だって、嫌われてる自覚はある。
けど、直接嫌いなんて言われる心の準備は出来てない。
緊張で一気に喉が渇いて、私は置いてくれたジュースに口をつけた。
「嫌いじゃない」
だから、そんなことを言われて、私は思わずコップを落としそうになった。
「俺さ、姉ちゃんを知ってたんだ。中学一緒なのは知ってると思うけど、姉ちゃんが在学してるときに俺は姉ちゃんを見たことがあった」
「そう、なんだ」
初めて聞く話だった。
中学校が同じなのはもちろん知ってたけど、私を知ってたなんて話聞いたことがなかった。
でも、それを聞いたら、私を避ける弟の気持ちがわかってしまった。
他人だって意識したことのある相手がいきなり家族になったら、そりゃ初対面の相手より気まずくもなるよ。
しかも相手がだらしなく家にいて、スカートの中身を見られていいとか言ってきたら……うん、引かれて当然だ。
さっきとは違う嫌な汗が出た私に気付かないで、弟は淡々と感情の薄い声で話を続けてくれる。
「家族になった時どうしようって思った。……姉弟になっちゃったって」
「そうだよね! そりゃどうしようってなるよね!」
「だからさ、姉ちゃんを嫌ってるんじゃないんだ。気持ちの整理が出来てないっていうか」
こっちを見ていないからどんな顔をしているのかはわからないけど、弟の声は途方に暮れているようだった。
何て声を掛けていいかわからなくて、私はじっと弟の背中を見てた。
「姉ちゃんはさ、俺のこと……好き?」
やがて聞こえてきたのはちょっと震えた声でそんな質問。
それに関しては迷う必要がなかったので、私は弟に即答する。
「うん。好きだよ」
弟が振り返った。
その顔──ううん、瞳はとても寂しそうで、それでいて今にも涙が溢れそうなくらい繊細に揺れていた。
……綺麗。
不謹慎だけど、その瞳に私は思わず見惚れてしまった。
どんな顔をしちゃったのかな。
私の顔を見て、弟は少しだけ微笑んでくれた。
「俺も好きだよ」
私と同じ言葉。
けど、私よりもその言葉には気持ちがこもっているような気がした。
あまりにも真剣な言葉に私は恥ずかしくなって、目を逸らしてしまう。
「あ、あはは……なんか恥ずかしいね。姉弟で好きとか言うって」
「……姉弟にならなかったら、俺は多分言えなかったけどね」
「え~、なんでよ。姉弟じゃなくても言って、よ……」
自分で口走った言葉に私たちはお互いに目を見開いた。
だって、私は姉弟で好きっていうから恥ずかしいんだと思った。
それなのに姉弟じゃなくても言ってって、それってつまり……。
怖いくらい静かな時間が私たちの間を流れていく。
このままお母さんが帰って来るまで動けないんじゃないか。
そんな気すらしていた。
けど、弟は急に床から立ち上がるとテーブルに置いてあったコップのジュースを一気に飲み干した。
「じゃあ、また言うよ。好きだって」
コトンッとコップがテーブルに戻される。
空になったコップは私が口をつけたほうのコップだった。
「……俺たちは姉弟なんだから」
弟がリビングから出ていく。
一人残された私は少しの間ぼ~っとしてから、テーブルに残されたジュースの入ったコップを手に取った。
「そうだよね。私たちは姉弟だもん」
今までは何も気にならなかったのに、私はコップに口をつけようとして──それが出来なくてまたテーブルに置く。
彼が口をつけたコップの縁を私はゆっくりと指でなぞってみた。
「……好き、だよ」
同じ言葉のはずなのに、その好きはほんの少し前に言った好きとは別の好きになっている気がした。
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