第61話 普通の二十代らしく

 私は、彼について考えるのを、やめることにした。

 記録媒体のネックレスをしまい込み、普通の二十四歳らしくなるよう、同年齢の友人を作り、その暮らしを模倣した。

 平日はそれなりに働いて、夜は早めに帰り流行りを調査する。休日は人と出かけて話題の料理やファッションに触れる。異性との付き合いもそれなりに、飲み会で話したり、嫌悪感がなければデートしてみたり。

 それらをやってみて思ったのは、やはり私という人間はかなり異質であるということだった。

 仕事なら、話す目的も話題もはっきりしている。しかし雑談はそうではない。次に何の話題が来るのか読めないし、笑うタイミングも重要だ。

 人と笑う場所が違う私は、周囲が笑い出す空気を察知して笑みを作るようにしていた。それはひどく神経のいる作業だった。

 けれど優は、そんな私の生活を見て、明らかに安堵したようだった。


 反復の訓練で、人と同じような振舞いが出来るようになって、三年後。

 大きな国際学会の発表が上手くいった後、優がお祝いだと言って高級レストランに連れていってくれた。

 優と話すのはいつも楽だし、美味しい食事にありつけるとあってふたつ返事でオーケーした。三ツ星ホテルでの食事は、二十七歳の娘にとっては親孝行の一貫にも思えた。


「ルイ、発表お疲れ様」

「ありがとう。優もお疲れ様でした」


 スパークリングワインで乾杯して、私たちは和やかに会話した。

 財団に再就職してからは別に暮らしているが、月に何度かは職場やプライベートで近況を話していたので、話す話題は直近の学会の内容になった。

 優は、脳移植後の私を隠すため財団の所長職を降り、しばらく個人でレンタルラボを利用して研究していたが、私が復職すると同時に財団に戻った。今は、財団の副所長に着いている。


「遺伝子治療は格段に進んだな。ドラッグデリバリー技術が目覚ましいし、安全性も高くなった」

「ええ。M遺伝子の変異に直接アプローチするのが、ようやく叶いそう」


 X因子ミミックはそれなりに有効性を示したが、マーメイド・ジーンの根本治療は、研究が進むほどに一筋縄では行かないことが明らかになっていた。

 M蛋白の機能制御をしているX因子はサブタイプが五つあるし、X因子を制御する、さらに上流の因子も見つかった。マーメイド・ジーンは、三十六箇所の遺伝子変異であることが分かったのだ。

 一部ならともかく、それらを同時にブロックする薬剤はまだ作れていない。

 私が目指しているのは、全ての遺伝子を不可逆的に改変する治療法だった。


「根本治療が、夢物語ではなくなってきたな」


 優が感慨深く呟いた。

 亡くなった妻子のことを、優は最近になって初めて私に話してくれた。

 きっともう、それを話しても、私が揺らがないと確信したのだろう。

 六年もの間、眠り続ける私を守ってくれた優と私の関係は、もはや肉親よりも近かった。私の家族は優だと、何のためらいもなく人に言えるようになっていた。

 時間の力は、大きい。

 彼のことも、きっと時間が忘れさせてくれるだろう。


「来年に治験を始める予定で組んでいるから、また資料を持って報告に行くね」

「ああ」


 ひととおり仕事の話をしてから、やや酔いの回った優が、不意に話題を変えた。


「ところで、ルイ。つかぬことを聞くが」

「? うん」

「その……言いたくなかったら答えなくてもいいんだが」


 優がここまで言いにくそうなのは珍しかった。彼が話し出すのをじっくり待っていると、優はグラスの中身をぐいっと飲み干してから言った。


「今、交際している人はいるか?」


 私は顔をしかめた。父親には言われたくないことだった。

 優は軽く手を振って、慌てて続ける。


「違うんだ、口を出すつもりはない。ただ、知り合いの息子が、ルイを紹介して欲しいと言ってきてな。ルイにそのつもりがないならもちろん断るが、理由がないと断りにくくて、一応聞いただけだ」


 優は早口で続ける。


「ルイはまだ若いし、こういうのは本人に任せているって一度は断ったんだ。でも相手が、フリーならせめて会うだけでもと言い出してきて、少々困っている」


 優が困るということは、それなりの相手なのだろう。


「知り合いの息子って?」

「……嶋本製薬の社長の息子だ」


 業務提携先の、日本で一番大きな製薬会社だ。なるほど、と頷く。


「面識はないわ」


 親を通して、断るハードルを上げに来ているのだろう。私が暇潰しのように出かける相手とは一線を画したい、という意思を感じる。


「優は、私に結婚してほしいの?」


 こんな話を持ち出す真意を聞くと、優はゆっくり姿勢を正してから、大真面目に答えた。


「すぐでなくても、いずれは。ルイをとびきり大切にしてくれる人でないとダメだが」


 優は五十五になった。そろそろ、私の行く末が心配になってきたのかもしれない。

 さんざん心配をかけてきた義父が少しでも安心するなら、多少面倒でも、人と会うくらいはなんでもなかった。


「会うだけなら、いいよ」


 切り出しておきながら了承されるとは思っていなかったようで、優は「えっ?」とレストランの場にそぐわない大きな声を出した。



 製薬会社の御曹司と会う約束の日。

 約束の時間の直前まで、私は職場のトラブルを解消するために奔走していた。試薬やサンプルを入れているスーパーフリーザーの調子が悪く、急いで業者を呼んで修理を依頼したのだ。

 業者の作業が終わるまで、施設責任者の私が不在にするわけにはいかなかった。

 本当は一旦家に帰って着替えてから向かうつもりだったのだが、作業が終わり、研究所を出たら時間がギリギリだった。

 まあいいか、どうせ一度しか会わない人だ。

 私は開き直って、スラックスにワイシャツという軽装で、待ち合わせした場所に向かった。

 ホテルのラウンジに着くと、優と、見知った嶋本製薬の社長が向かい合って座っているのが見えた。

 もう一人、座っているのが御曹司だろう。私が席に近づくと、優は私の格好を見て、顔を若干ひきつらせた。

 いわゆる見合いに来る服装ではないことは重々承知している。


「職場で急な対応が必要となり、支度をしたら時間に遅れそうでしたので直接伺いました。このような格好で申し訳ありません」


 つらつらと言いながら頭を下げておく。

 近寄ってきた店員にコーヒーを頼んでいると、見合い相手が面白いものを見たように目を細めているのが分かった。

 三十を過ぎたくらいだろうか。柔和な顔立ちにこざっぱりと身なりを整えていて、多くの人が好感を持つと思われるような男性だった。それでいて、隙のない佇まいをしていた。


「ルイ、何かあったのか?」


 優が小声で聞いてきた。機密情報でもないので、私は普通の声で答える。


「スーパーフリーザーの修理に立ち会ってたの。急に故障したから」

「え、サンプルは大丈夫なのか?」

「ちゃんと移動したから問題ないわ。隣の部署からも応援に来てもらって、大急ぎで対応したし」


 私が優と話していると、向かいに座る嶋本社長が、もの言いたげな笑みを浮かべているのに気づいた。

 私はすまなそうな顔を作って、社長が話すよう促した。


「あー、遠瀬ルイさん。以前、導出の打ち合わせでお会いしましたね」


 社長とは、財団で見出だした医薬品の種の開発権利を嶋本製薬に販売する——いわゆる導出の契約を締結する際に、一度会っている。


「その節はお世話になりました」

「こちらは息子の春人です」


 見合い相手が貼り付けたような笑顔を作った。


「初めまして。お忙しいところ、時間を作っていただきありがとうございます」


 嶋本春人は、私の中を探るような目をしていた。品定めするような、観察するような視線だった。

 向こうから私に会いたがったと聞いたが、私に気があるとはとうてい思えない目だった。

 製薬会社の利益になるから私との繋がりが欲しかったのか、生存している「如月型」が物珍しいのか、どちらかに思えた。

 だから、社長と優が席を立ち、ふたりになってすぐに、私は切り出した。


「私には、財団がシーズをどこに導出するかを決める権限はありません。あまりお役に立てないと思います」


 はっきり言うと、嶋本春人は瞬きしてから、苦笑した。


「この場を設けてもらったのは、僕があなた個人に興味があったからですよ。仕事を抜きにしても」


 春人は軽く自己紹介した。嶋本製薬で社長秘書をしながら、開発戦略の方針を決めているのだという。

 会議で私と同席したことはないが、以前から私のことを知っていたそうだ。


「あなたは有名人ですから」


 それは当たり前だった。有名になるためにあらゆることをしてきたのだから。


「その若さで財団の管理職に就任し、遺伝病の治療薬開発に貢献しているだけではなく、研究の傍らで大学に通い四つ目の博士号を取得し、疾患の寄付金を募るPRのためメディアにも出ていますよね。どれも素晴らしい実績です」


 感情の入っていない美辞麗句に、私はうろんげな目を向けた。だから何が言いたいのだろう。

 私の視線を受けた彼は、ふっと微笑んで、声のトーンを変えた。


「……半年前、脳神経学会であなたを見かけました。テレパス・システムの展示をずいぶん長い間見ていました」


 不意打ちに、カチャ、とコーヒーカップを鳴らしてしまった。

 自分の柔らかい場所を暴かれたような気分になった。

 ——あの日、久しぶりにテレパス・システムの基体を目にした。

 忘れたつもりの過去に気持ちが囚われて、その場から動けなくなったのだ。

 テレパス・システムは、嫌でも私に、十五歳の夏を思い出させた。

 木漏れ日の下で寝転んで、何も求められずぬくぬくと過ごした日々。自分をいつも見つめる眼差し、あの人の温もりとにおい、少し掠れた声。そういうものが自分の意思とは関係なく溢れてしまった。

 もう、全て失われたものだ。

 私は冷静になろうと一つ息を吐いて、コーヒーを飲んだ。苦い液体が舌の上を滑る。


「誰もが羨む功績と名声を得ながら、いつもつまらなそうな顔をしているあなたのことを、私は理解しがたいと思っていたんです。

けれどあの日、テレパス・システムを見るあなたの顔を見たら、あなたがどんな人なのか、何を考えているのか、強烈に知りたくなりまして」


 一目惚れという奴ですかね、と春人は晴れやかに笑う。その笑みには何の含みもなかった。


「こんなに他人に興味を持ったのは初めてなんです。だから、今日は会う機会をもらえて嬉しいです」

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