2章 貿易と海の街シーバ

第7話そこは貿易と海の街1

 貿易と海の街シーバ。


 ここは、ヴィリディアンの中で最も早く朝が訪れる街だ。


 シーバでは、早朝のうちに港から船がいくつも出航する。

 日が昇る前から魚を求め漁に向かう漁船に、島国ユカリノとの貿易のため、朝一番を目指して出港する貿易船。そんな彼らの生活に合わせるべく、漁師や貿易商向けの飲食店は早くから店を開けるためである。


 シーバの海沿いに店を構える小さな建物があった。

 みさきの家と書かれた看板が風に揺れる。

 赤い屋根に、色々な色が混ざってよく分からない色の――今は辛うじて薄茶色をしている壁面が特徴的の飲食店だ。この店も例外ではない。気前よく笑う恰幅のいい男が店の中へと手を振ると、港へ向かって歩き出す。その様を見届けた後、女店主は扉にクローズドの看板を下げた。早朝の営業が終わったのだ。


 街に光が差し込んだ事に気がつき、女は振り返る。水平線から太陽が顔を出した。水面が太陽の光を反射してキラキラと光り輝く。目を開けていられない程の強い光が、目覚めかけていた街全体を照らし出す。


 シーバの街に日が昇った。



 一方その頃。


 みさきのいえ――通称みさきの厨房には、ひとりの少女がいた。少女は自分の身長よりも十センチ大きい食品庫の前に立つと、その脇に刺さっている石――動力源の魔力石の残量を確認する。


 魔力石は様々な機械の動力になる石だ。つまりこの食品庫にとっては命とも呼べる存在である。

 もし魔力石から魔力が尽きてしまえば、食品を冷やせず、食材の鮮度を保つことができなくなってしまう。飲食店にとっては死活問題だ。少女は石に残った魔力量を目視で確認すると、息をついた。


「明日の昼までは持ちそう、か……」


 少女――フィリス・コールズは呟くと、厨房の中をぐるりと見渡す。


 明後日からは忙しくなる。点検に点検を重ね、問題があれば今日中に全て潰しておきたい。


 食品庫の食材の確認、食器やグラスの確認、魔力石のストックの確認、火の元の確認などを次々と済ませる。異常がないことを一通り確認し終え、ひとまず昼からの営業再開に備えた。


 どれも問題はない。

 問題はない……のだが、フィリスはすっきりしないという風に首をひねった。何かがある気がする、と直感が訴えてくるのだ。それと同時に、たちの悪い悪寒が背筋をゾクゾクと這い上がるような感覚。


 ――これは、何かある。


 不快感から、フィリスの眉間に眉が寄る。


「フィリスちゃん、少しいい?」


 すると、厨房の外から柔らかい声が聞こえた。彼女の母親、テレーゼの声だ。


「分かった。すぐ行く」


 フィリスが客席の方へ出ると、こちらはすでに客を迎え入れる準備が整っていた。

 四人がけや二人がけのテーブルも、三十席ある椅子も、窓も、カウンターも、眩しいほどに磨き上げられている。自分の掃除ではここまで綺麗にはならない。

 それも毎日完璧にこなせる母はやはりすごい人だ――母の仕事ぶりに感心した後、フィリスは椅子に腰掛けるテレーゼに声をかけた。


「母さん、どうかした?」

「今日ね、帰ってくるから」


 帰ってくる。たった一言。その言葉で、フィリスはテレーゼの真意を察した。フィリスは途端に肩をすくめ、呆れかえった表情を浮かべる。ため息は出ない。


 フィリスは気づいたのだ。先ほどから感じていたすっきりしない”何か”――準備はきちんとできているのに、まだ足りない気がする”何か”――そして、”たちの悪い悪寒”の正体を。


 自分の頭が重くなっていく事を自覚しながら、フィリスは物々しい態度で告げた。


「今日のは、ちょっと……覚悟が必要かもしれない」

「やっぱり」


 胃痛でも引き起こしたかのようなフィリスの表情と、普段通り変わらず涼しげなテレーゼの声が、客のいない静かなみさき家に通り抜ける。


 フィリスがテレーゼに一言注意を促そうとしたその瞬間。まるで壁を突き破ったような大きな音を立て、店の扉が開いた。

 扉の先には恰幅のいい眼鏡の男。男の背後には布のかかった荷台の積み荷が、入り口から覗くシーバの空を隠していた。


 男はニカッと笑うと、店中に響く大きな声で言った。


「帰ったぞフィリス! お前にお土産だ! ひよこ!」


 フィリスは男にじっとりとした視線を向けると、返事をせずに玄関へ歩いていった。


 眼鏡の男は満面の笑みを浮かべたまま、フィリスに黄色いひよこのぬいぐるみを投げて寄越す。フィリスはそれを黙って受け止める。やたらと瞳がつぶらなぬいぐるみだったが、頬のあたりが薄汚れている。


 ぬいぐるみの様子を簡単に確認した後、フィリスは次の言葉を待った。この男がぬいぐるみごときでこんなに笑顔になるわけがないと分かっていたからだ。


「ふっふっふ……今日はもう一つあるんだ!」


 男は玄関の横にいたそれの腕を引き、己の前に立たせた。


「お前の義妹! 拾ってきた!」


 フィリスの目の前に、彼女の知らない女が立っていた。


 状況が理解できないといった風にきょとんとしている拾い物と、にかにか笑う男を交互に見比べて、フィリスは言葉を失う。視線を落とし、フィリスは両手に力を込めた。ぬいぐるみの腹が不恰好に凹む。


「お? お? 感動してるか? 感動してるのか? そりゃそうだよなあ、父ちゃんいっぱい頑張ったからなぁ! はっはっはっ!」


 一度ため息に似たような息を腹から吐きだした後、フィリスは目一杯息を吸い込む。


 そして、少女の背後に立つ男に向けて言葉を叩き付けた。


「……こんのっ、犯罪者! 誘拐犯ッ!!」

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