第8話 そこは貿易と海の街2

 フィリス・コールズの中で、自身の父グレアム・コールズは「なにかとやらかすやつ」という認識だった。



 突然、前触れもなく店の外装を真っ赤に染めてみせたり、リビングにあった椅子と机を取っ払い、東国風の緑色の敷物と低いテーブルだけに変えてみせたり。


 調理器具の棚の中に重くて底の深いオウコウ風の鍋を仕込んだり。


 店の入り口の前に二メートル以上あるドでかい熊のぬいぐるみを勝手に配置したり、フィリスの部屋にあるクッションカバーがすべて食虫植物みたいな奇妙な柄に変わっていたり――と、フィリスが今まで生きてきた十七年間、これらの何十倍以上もの「やらかし」があった。


 グレアムも四十を過ぎたいい大人だ。それらの奇行に最終的にストップをかけるのが彼の妻、テレーゼの役目である。

 そうして叱られ、反省したグレアムは暫く変な行動は起こさない。


 ここまではいいのだ。


 ここまでは。


 一番の問題は、フィリスが忘れた頃にそんな感じが奇行を繰り返されること。


 そして今朝、それはまた起こってしまったのだった。



「――なるほど、そういうこと」

「そうそう、そういうこと」


 グレアムの連れてきた少女からは、彼女が旅をしていることと、祖母と約束した花を探すためだという目的を聞き出し、グレアムからは二人が出会ったいきさつを一通り問い詰めた。


 父の悪びれない様子の語り口を聞きながら、フィリスは盛大にため息をついた後、茶を一気に飲み干した。

 グレアムが帰ってきてから三杯目の茶だ。彼女の味蕾は茶に含まれる甘みを完璧に無視し、苦味だけを拾っていた。茶器を乱暴に置きたくなる衝動を抑え、なるべく音を立てないよう気遣ってテーブルに戻す。


 ふと顔を上げると、テーブルの向こうの茶が一切減っていない。これは向かいに座る客人に淹れた茶だ。


「もしかして、緑茶は苦手だった? あなた……、えっと」


 客人がこぢんまりと椅子に腰掛ける様子は、どこか怯えているような、落ち着かない様子だった。フィリスは苦笑を浮かべて尋ねるが、言葉が途中で詰まってしまう。


 フィリスがグレアムの方へ視線を向けると、グレアムは「ああ」と呟く。


「そーいや、お嬢ちゃんの名前聞いてなかったな。オレも名乗ってなかった」

「は?」


 グレアムが調子よく笑う前に、ギロリ、と本日一切れ味の強いフィリスの睨みが彼に向く。まるで銃器を突きつけられたかのように、グレアムは顔の前で両手を挙げた。


 そんな様子を見て、慌てた彼女は反射的に口を開いた。


「は、はじめまして。メルリア・ベルといいます!」


 険悪な空気をどうにかしようと、無意識に大きい声が出た。メルリアはすぐに頭を深々と下げる。


 コールズ家にとって、やらかした父を問い詰める空気は日常茶飯事である。しかし事情を知らないメルリアには、大層酷い光景だと感じられた。


「先ほどもお話ししましたが、私から声をかけて手伝わせてもらったので……。むしろ、私の方がご迷惑だったんじゃないかと」


 メルリアは周囲の顔色を窺いながら恐る恐る言う。

 消え入るようなメルリアの声を最後に、彼女以外の誰もが口を閉ざした……が、しかし、その沈黙は三秒と続かなかった。


「どうしてあなたが謝るの?」

「私のせいで……、かっ、家庭崩壊……、とか」


 か細い声で視線を泳がせ呟くメルリア。その言葉に、フィリスが吹き出すように笑った。


「まさか! 被害妄想……じゃない、この場合加害妄想か。どっちにしても考えすぎよ。こんなの、喧嘩のうちにも入らない」

「ごめんなさいね、驚かせてしまった?」


 フィリスとテレーゼの明るい顔に、メルリアの肩に無意識に入っていた力がゆっくりと抜けていく。そういうものなのかな、とメルリアが納得しかけた時、彼女の視界の端でうんうんと頷く男がいた。


「ほら見ろ、この子はいい子だろう」

「自分の手柄みたいに言うな」


 テーブル脇に置いてあった濃茶色のトレンチを手に取り、フィリスは父親の頭に向けた。


 その光景にメルリアの肩に再び力が入り、反射的に目をぎゅっと閉じるが、殴られたような鈍い音はしなかった。それもそのはず、フィリスはグレアムの頭の上にトレンチを乗せただけだったからだ。


 メルリアは恐れ気に目を開き、状況を確認してほっと安堵のため息を漏らした。


「……それにしても、あなたには迷惑をかけたわね。シーバにはいつまでいるの?」

「あ、えっと」


 事情を説明しようと息を吸ったメルリアだったが、グレアムの笑い声にそれはかき消される。


 グレアムはおもむろに立ち上がると、メルリアの隣に立つと、彼女の左肩に豪快に手を置いた。あまりの力にメルリアの体が不安定に揺れる。


「フィー、よく聞け」


 物々しく気取った様子でグレアムは口を開く。


「この子がセイアッド灯台祭の救世主だ」

「どういうこと?」


 もしかしてという思考を浮かべつつ、そしてどこか嫌な予感を覚えつつ、フィリスは慎重に尋ねる。


「仮にも父ちゃんはみさき家の店主なので! 探してきました! バイトの子! シーバに来る間約束取り付けといた!」


 本日フィリスが嫌になるほど見た暑苦しいくらいの笑い声に加えて、してやったりといった風の笑顔を向けられる。咄嗟にフィリスはトレンチを手に取った。


「そういうことは早く言え!」


 今度こそ手加減の出来ない一発が、グレアムの背中に突撃した。


 ゴツッ、という鈍い音が響いた。

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