第6話 いざヴェルディグリへ?
メルリアは旅装を調えると、エピナールの宿を後にした。
早朝の日差しが気持ちいい。荷物を詰めたリュックを背負ったまま、体をぐんと伸ばして背伸びを一つ。体の力を抜いた後、リュックを背負い直した。
小鳥のさえずりに、まだ夜の色が残る空。昼間よりも草や土のにおいを強く感じる。どこか神聖な空気を肺いっぱいに取り込み、ゆっくりと吐き出して深呼吸をした。
エピナール村での用事はすべて終わった。次の目的地は王国都市ヴェルディグリだ――メルリアはエピナールへ向かう道を戻っていく。
メルリアは村の外にあまり出たことがない。少し遠回りだが、一時来た道を戻ってから王国都市に向かうのが一番正確だ。下手に裏道や近道をしようとは思えなかった。迷子にならない保証はどこにもないからだ。
早朝、街道を利用する者のほとんどは行商人だ。朝の仕事に間に合うよう、多くが荷台を引きそれぞれの町や村へ進んでいく。
馬車の通りも一番多く、逆に魔術士が一番少ない時間帯でもあった。早朝にはホウキやじゅうたんは空を飛ばない。運び屋の営業は基本的に朝の九時から夜の八時までである。
行き交う人々に挨拶を交わし、メルリアはついに分かれ道に到着する。
先日見たあの看板でヴェルディグリの方角を確認しなくては。
メルリアが看板に視線を向けると、突如地面が揺れた。かと思えば、陶器が割れていくような高い音。ゴロゴロと小さな雪崩が起こったように何かが崩れ去る嫌な音。
そして。
「ぬぅわあああぁああーッ!」
様々な音が響く中、一番の存在感を放つ男の叫び声。
メルリアはその声に驚き、何もしていないというのに変な声を上げそうになった。
短く吸った息が唾液と共に気管に入り、何度か苦しげに咳を繰り返す。
咳が落ち着いた後に音の方へと振り返ると、そこには行商人が最も経験したくない悲惨な光景が広がっていた。
真っ先にメルリアの視界に飛び込んできたのは、車輪が外れた荷台だ。
それは情けなく左に傾いており、周囲に積み荷が散乱していた。
積んであったであろう陶器は真っ二つに割れている。
荷台に載せた布からは、赤いお面や動物の置物、背表紙が上に向いたまま開いている本や、何に使うか分からない謎の白い箱の蓋がずれ、中から瓶が顔を覗かせている。
そして、そんな光景に頭を抱えながら、膝をついている中年の男。
右手の傍には、耳から外れた眼鏡が転がっている。
メルリアは落ちていた本やお面を手に取ると、男に差し出しながら訪ねた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あー……。うん、あんまり大丈夫じゃない」
男は大げさにため息をつくと、地面を探り眼鏡を身に付けた。まばたきを繰り返すと、壊れた荷台に目を向ける。その様に目を細め、再びため息をついた。
「おじさんの荷台、ご覧の通り車輪が外れちゃって大惨事よ。荷台修理しないといかんし、割れた陶器は危ないから破片拾ってまとめなきゃならんし……。うん、何のために早く起きたんだろうねぇオレ……」
途方に暮れたようにがっくりと肩を落とし、昇ったばかりの太陽を見つめ、男は本日何度目か分からないため息をついた。
その後、地べたで膝を抱える。丸まった背中には一抹の寂しさがあった。
「綺麗な夕日だなぁ……」
「ま、まだ朝だと思いますけれど……」
もしかして自分の方が何かを間違えているのだろうか――メルリアが恐る恐る尋ねると、男は豪快に笑って立ち上がった。
「ははは、冗談だよ。さて、やるかぁ」
男は斜めに傾いた荷台の傍らに膝をつく。残っていた荷物を慎重に地面に置くと、赤い工具箱を取り出した。荷台の車輪の修理に取りかかったのだ。
素人には何に使うネジか分からない多種多様なネジを、男は眼前に近づけた後、手っ取り早く選別していく。
真面目に作業する男の背中を見て、メルリアはどこか哀愁を感じずにはいられなかった。先ほどの途方に暮れた様子が、どこか悲壮だったからだ。
「あの、飛んでいっちゃった荷物……片付けるの、お手伝いしましょうか?」
「お? いやぁ、悪いねぇ。よろしく~」
メルリアが後ろからそっと声を掛けると、男は遠慮なしにそう答える。荷台から顔すら動かすことなく、男は手をひらひら振って肯定の意を伝えた。
よほど作業に集中しているのだろう。メルリアは遠慮がちに返事をひとつすると、遠くに散乱した荷物を回収へ向かった。
荷台のすぐ脇には、メルリアでも抱えられるほど大きなひよこのぬいぐるみが顔から地面に突っ伏している。
メルリアはそれを拾い上げると、顔についた土を手で軽く払った。ぬいぐるみはつぶらな目をしている。頬あたりにうっすら残る土の汚れは、先ほどの男同様哀愁を感じずにはいられなかった。メルリアはそれを抱きかかえながら周囲を見回した。
そのすぐ傍には、赤い獅子のような手のひらサイズの置物が転がっていた。やたらといかつい表情をしている。メルリアは手元のひよこと地面の獅子を見比べた。同じ人が落としたとはとても思えない。
次に目についたのは、楕円形の赤い置物だ。これまた険しい顔だが、目と思われる部分が片目だけ塗られていない。どの向きが正面だろう、メルリアは首を傾げた。
その左隣には、ひっくり返った木製の置物だ。動物らしきシルエットをしている。手に取ると、見た目以上にずっしりと重い。デコボコに彫られた見た目からは、どこか味を感じる。
でもこれ、なんだろう。メルリアは動物の顔をじっと見る。熊に似ているような気もするが、口の周りに何か大きく細長い物をくわえている。
魚だろうか。けれどここまで大きい魚も珍しいような……?
海のない村に住んでいたメルリアは、魚の知識に疎い。結局答えにたどり着けず、首を傾げて男の荷物の山に置く。
その後も、つばが広い麦製の帽子や、果物が描かれた絵画、黒い色の棒が何本も入った細長い箱などを次々に拾い上げた。男の荷台から飛んでいった物は多い。これを一から回収するのは気が遠くなるだろう、とメルリアは同情した。
すっかり日が昇り、街道に荷台や馬車が徐々に減ってきた頃、男は工具箱の蓋をバチンと閉めた。
「よし、これでなんとかシーバまで持つだろ。ありがとな」
男は様子を見守っていたメルリアに声を掛ける。荷台に下ろした積み荷を積み始めると、メルリアも追うようにそれを手伝っていた。
「何から何まで悪いねー、ありがとさん」
「いえ、そんな……。これだけあったら、運ぶの大変そうですね」
男の三分の一のペースで、メルリアは荷台に積み荷を乗せていく。
先ほどメルリアが拾ってきたひよこのぬいぐるみは、綿が潰れないよう積み荷の一番上に乗っていた。つぶらな瞳が天を仰ぐ。それはどこか晴れやかな表情をしているようにも見えた。
「そうだなぁー。お嬢ちゃん、手伝ってくれる?」
八割方冗談のつもりで男が笑いながら尋ねると、メルリアはやけに神妙な顔で考え込む。男が先ほどシーバと言っていたのを聞き逃さなかった。
メルリアの次の目的地は王国都市ヴェルディグリ。シーバからヴェルディグリへは真っ直ぐ続く道があったはずだ。寄り道にはなるが遠回りにはならない。それに、困っている人は放っておけない性分だった。
メルリアは、序盤の男の落ち込みようが大げさだったことや、今の問いかけが冗談だったことに、一切気づいていない。
メルリアは一つ頷くと、男に向かって真剣な顔で言う。
「ぜひ、お手伝いさせて下さい!」
「お、……」
予想外の返答に男は固まると、数秒考えた後、満面の笑みで言った。
「お、おう! よろしくな!」
恐らく怒られるであろう数時間後の出来事を棚に上げ、男は出発の準備を始める。
当初の目的を逸れ、メルリアも男と共にシーバへ向かうことになった。
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