第28話 愛の意味はそれぞれ異なる

 祖母のお茶と一緒に京都の土産を食べ、あれこれ生活を聞かれた。主にご飯と勉強の心配をされたが、薫がいるから心配ないと恋人への信頼は絶大だった。

 祖父が帰ってきて、力いっぱい抱きしめられると頬すりをされた。受けとめきれるか心配になるほど、祖父の愛も偉大だ。

 夕食後に縁側へ出ると、風呂から上がったばかりの薫が隣に座る。

「これ、どうぞだって」

「ラムネだ。懐かしい」

「俺も飲んでた。童心に帰った気分になるよ」

「駄菓子屋で買うと結構高級品じゃありません? 僕、甘酸っぱいイカのお菓子好きでした」

「あれなら俺も食べたことあるよ。炭酸ジュースがすすむよね」

 生まれた年は違えど、駄菓子の話題は共通だ。

「蓮」

 祖母がこちらへやってきた。

「どうしたの?」

「これ、蓮に」

 手紙だ。表には「蓮へ」と書かれている。

 裏側を見ると「母より」と添えられていて、指先に力がこもり封筒に皺が寄った。

「母さんと会ったの?」

「会ったよ。それでしこたま叱った。蓮から絶縁言い渡されても受け入れろってね」

 祖母の眉間には皺が寄っている。笑い皺しかない祖母なので珍しい。

「じいちゃんもこれでもかってくらい怒ったよ」

「そうなんだ……」

 身近で怒ってくれる人がいるだけで、こうも心が軽くなるのはなぜだろうか。残った傷は消えないが、二人の愛情は傷薬よりも効果がある。

「それでもね、母さんは謝りたいんだって、会うことは許されないから、それなら手紙を書きなさいって」

「うん」

「ばあちゃんが渡しとくって言ったけど、破り捨てられたって当然だって伝えたよ。それだけのことをしたんだから」

 祖母の怒りは心の静けさを保つのに必要だ。ただ手紙が投函されているだけであれば、破り捨てていた可能性がある。

「とりあえず受け取る。でも、今は読めない」

「ああ、それは蓮の自由だよ」

 手紙を受け取った後も、しばらく畑と月を見ていた。

 薫が部屋に戻ろうと促すので、ようやく重い腰を上げる。

 寝支度を整えていると、薫は自分の布団を素通しして蓮の布団を掴んだ。

 当たり前のように布団に潜り込んでくるので、蓮は手を伸ばして隣の枕をひっつかんだ。

「どんな内容だと思います?」

「蓮への愛。ただし、謝罪はなしで」

「謝罪はなし?」

「自分の育て方が間違っていたなんて思いたくないだろうしね。蓮の母親も今までの子育てしてきた人生なんだったのかってなる。それに蓮に対してもとても失礼な話だ。ふたつも大学に通えるほどこんなに立派になったのに」

 薫の吐息が頬をかすめた。歯磨き粉のミントの香りがする。

「ただの予想ね。実際は違うのかもしれないし」

「僕よりも薫さんの方が母のことよく判ってますから」

 尻を撫でてくる手はいやらしいものではなく、子供をあやす手そのものだ。手が可愛い、可愛いと訴えている。

 なんとか愛情を返したくて、キスをしようと顔を近づける。すると鼻を噛まれてしまった。

「悪戯っ子」

「大人も悪戯したくなるもんなの。代わりに俺の鼻、噛む? それとも別のところ舐める?」

「舐める」

「ええ…………」

「ちょっと、そっちが言ってきたのになんでひいてるんですか」

 するすると下へ下へいき、薫のパジャマに手をかけた。

 熱い熱い体液を想像するだけで、喉の奥が疼く。

 上からティッシュの箱が差し出されたので、受け取った。

 体液が絡め合う行為は真の強い繋がりをよりいっそう感じる。独特の苦みも愛おしくて、何度も先端に口づけをした。

 ティッシュで柔くなったものを拭いていると、頭から光が射し込んだ。

「そういう意味でティッシュ渡したんじゃないんだけど」

「ん? えっ」

「……いや、ありがとう。こっちおいで」

 枕に寝かせられると、今度はパジャマを脱がせられる側だ。

 蓮はされるよりする側を好んだ。咥えられるのはどうも気恥ずかしさがある。

 ティッシュを布団の中に入れるが、薫が言っていた「そういう意味」がようやく判った。




 かけ離れた世界であっても、近くて遠くて手が届かないものだった。

 久しぶりに実家へ帰ってきたためか、中学の頃の夢を見た。入院をしていてほとんど学校にも行かず、友達らしい友達もできなかった。だが、記憶に残っていた人は何人かいた。

 今日は薫とは別行動だ。薫はマサに会いにいき、蓮はひとりで地元散策である。たった数年であっても、新しくできた建物やなくなったものもある。不変ではいられない。それがとても寂しい。

 ふと気になったのは、地元でも有名なラーメン屋だ。元クラスメイトの両親が営業していて、いつも大行列を作っていた。懐かしい夢を見たせいか、好奇心が勝ってしまった。

 だが元クラスメイトとは仲がよくはない。いわゆるクラスのガキ大将のようなタイプで、おとなしい蓮には縁がなかった。

「……………………」

 辺りを見回すと、風景は変わっているが場所は間違いない。なのに、目の前には中華屋が建っていた。

 ちょうどゴミ捨てに出てきた人に尋ねてみた。

「すみません、前にラーメン屋が建っていたと思うんですが、いつから中華屋さんになったんですか?」

「何年だったかねえ……。うちの店は三年くらいだよ」

 少なくとも、三年前にはラーメン屋はなくなっている。

 対して仲良くもなかった同級生だが、彼を考えると足下がふらつき、目の前が真っ黒になった。

「ああ、そうだ。確か移転したとか聞いた気がする」

「移転? どちらですか?」

「三つ駅の先だよ」

 詳しくは彼も判らないらしく、お礼を言ってひとまず駅へ向かう。

 移転であれば、誰かに聞けば名前は判るはずだ。

 蓮はひとまず交番へ寄り、前の店の名を告げた。

 ところが、警察官は首を傾げるばかりだった。地図を広げても、何も載っていない。

「ラーメン屋自体、入れ替わりが激しいからねえ。どうして探してるの?」

「元クラスメイトの家なんです。夢に出てきて、気になっちゃって」

「ああ、それで」

 よく考えれば、夢に出てきた程度でなぜラーメン屋を探さなければならないのだ。しかも対してよくもなかった相手だ。

 蓮は諦めてデパートにでも行こうと決めた。

 足を踏み入れようとしたとき、向こうから大柄な男性が走ってくる。走り方といい、見覚えのある感覚がよぎり、蓮は男の顔を見た。だが帽子マスクを身につけ、はっきりと顔は判らない。手には不釣り合いの小さなバックを持っている。

 すれ違う瞬間、目が合った。足がすくむような、ラーメン屋がなくなったと知ったときの感覚に似ていた。どうにもならなくて喉が渇いて焼ける感覚。

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