第27話 愛情と憎悪
診察の結果は異常なしだが、軽い熱中症を起こしていると言われた。
パトカーの中では、携帯端末のGPSを使ってきたこと、ホテルの前まできたが、プライバシーの問題もあってホテル側から客人の勝手に話すことができないと言われたこと、警察に通報して中へ通してもらえたことを聞いた。
「ご家族のことをこう言っちゃなんだけど、蓮が中学生の頃に何度もお母さんにお会いしてるから、家族関係はある程度理解してるつもり。極力二人で会うのは避けてほしいと思ってたんだ。目が見えなくなるストレスの原因の一つだと考えていたから」
「母と僕を引き剥がすように促してくれたのも薫さんですし……あのとき本当に感謝して、家でぼろぼろ泣いたんです」
「そうなの?」
「あのままでいると、人生すら駄目になるって思ってましたから」
診察を終えた後はパトカーでそのまま警察署へ向かった。
薫はロビーで待ち、蓮はひとりで初めて事情聴取を受けた。
昔からヒステリックなところがあることや、目の病気で入院していたことなどを家族構成含めて細かく説明をする。
「さっきの男性はご家族?」
「はい。同性してる恋人です」
「ああ、そうなの。じゃあ実家に戻らなくても大丈夫な感じ?」
「そうですね。住む家は京都にありますから」
さらっと流された。悪い特別に思われず、これは蓮にとって有り難かった。
「君の住んでる家はお母さん知ってる?」
「知らないと思います。祖父母も話してないはずです」
「首はどう?」
「なんともなかったですが、熱中症だって言われました」
薫から買ってもらったペットボトルを掲げる。ちまちま飲んでいたら、半分ほどなくなっている。気づかないうちによほど喉が渇いていたようだ。
「母は逮捕されるんでしょうか」
「監禁は非親告罪だからね。君が被害届を出さなくても、事件を調べてこちらで対処することになる」
「母は精神的に病んでいるところがあって、病院へも通ってたんです。息子として甘い考えかもしれませんが……」
「言いたいことは判るよ。そこら辺も踏まえて動くから心配しなくていい」
眩いほど放っていたオレンジ色の光は隠れ、外は街灯のみがアスファルトを照らしている。
帰りの車内は静かな空気が流れていた。蓮が疲れ果てて寝てしまったからだ。
起こされて目を開けると「ゆっくり休んで下さい」という警察官の言葉が胸に染みた。
「ご飯食べられそう?」
「お腹は空いてます。昼から何も食べてなくて」
「じゃあすぐに温めるよ。シャワー浴びておいで」
長い長い一日だった。頭から温めのお湯をかけると、次々に映像が流れていく。
母の狂気を自分と心の最奥まで見透かしてホテルまで追ってきた彼。自分よりも薫が母のことをよく理解していた。複雑だが、身内よりも第三者が見える目を持っていることだってある。
風呂場から出ると、シチューの良い香りが漂っている。家庭菜園で育てた野菜がたっぷりと入ったシチューだ。
「いろいろと迷惑かけてごめんなさい」
食べる前に、蓮は頭を下げた。
「薫さんは僕のお母さんを知ってるからこそ、今日会うことは言えなかったです。……薫さんにそんな顔させたくなかった」
薫の胸はほっとする。暖かくて幸せしかくれない、大きな胸。
「俺の気持ちは、蓮が無事でよかった、これだけだよ。今はいろいろ混乱してると思う。俺に謝る必要もない。蓮はこれからどうしたい?」
「お母さんといちからやり直すのは不可能だと思います。血の繋がりがあっても、心が繋がってるわけじゃない。でも……犯罪者にはしたくないです」
「子供としてはそうだよね」
「今までの人生での悲しみはあっても、心から嫌いになれないんです」
「それはそうだよ。そういう気持ちはあって当然だ」
気持ちを丸ごと受け止めてくれ、少し心が軽くなった気がした。
あれから母は釈放された。息子を監禁した理由は「息子を目の前にするといてもたってもいられなくなり、わけが判らなくなる」らしい。
家での生活を実家に聞くと、いたって普通らしく、暴れたりすることもないと言っていた。蓮には愛情と憎しみの両方を兼ね備えた憎悪に見えた。
いずればれるだろう問題がもう一つある。それは薫のことだ。
女性と結婚して子供を作り孫も医者に……というのが母の考えだ。断然が好きなど絶対に言えないと京都での生活を親に伝えずにここへ来たが、秘密にしているとかえって拗れる。
季節は巡り、夏に入った。長期の休みもあと数日で訪れる。
風鈴は運んできた夏を音で知らせた。赤紫蘇の香りが縁側まで届き、収穫の時期だと庭へ出た。ついでにいつでも採れる唐辛子ももいだ。
台所で赤紫蘇のジュースを作っていると、匂いに誘われて薫が部屋から出てきた。
「夏休みなんだけど、一週間くらい家空けてもいいかな」
「お仕事ですか?」
「仕事ではないんだけど……ちょっと用事」
「学校休みになるんで、任せて下さい。気をつけてお出かけしてきて下さいね」
「いや、蓮も一緒に」
「え」
「東京へ行こう。おばあちゃんに会いたくない?」
「会いたいです!」
「卒業に近くなると忙しくなるからね。里帰りしよう」
赤紫蘇のエキスを瓶に入れて、レモンを絞る。あとは冷やせば出来上がりだ。
「僕らで育てた野菜、お土産に持っていきません? おばあちゃんも野菜作ってますけど、味の判る人だからぜひ食べてほしいなあ」
「それいいね。でも可愛くてたまらない孫の作ったものだから、何食べても美味しいって言うと思うよ」
薫は肩を小刻みに震わせて笑っている。確かにあの二人ならば目尻に皺を作って美味しい美味しいと食べそうだ。
薫はすぐにチケットを取り、蓮は期待に胸を膨らませた。
少し様子がおかしいと感じたのは、薫は電車の中で食事をあまり取らなかった。本人は緊張していると苦笑いを浮かべている。
家の前に行くと、祖母が庭で菜園の手入れをしていた。
「まあ、まあ……よく帰ってきたねえ」
「おばあちゃん、ただいま。腰は大丈夫? 痛くない?」
「大丈夫大丈夫。薫さん、暑い中来てくれてありがとう」
「こちらこそご招待ありがとうございます。こちらお土産です」
薫はさっそく土産を手渡す。新聞紙に包まれた野菜と、京都駅で買ってきた名菓だ。
「嬉しいわ。甘いものはおじいちゃんが大好きなの。緑茶でも淹れましょうか」
「ねえ、おばあちゃん。僕ら庭で野菜作ってるんだ。キュウリとミニトマトなんだけど、食べてみてよ」
「はいはい。キュウリは浅漬けにして、ミニトマトはサラダに入れましょうかね。他には何を作ってるの?」
「赤紫蘇はジュースにして、あとは唐辛子と小松菜。難しいけど、次はイチゴにも挑戦するつもり」
「甘いものは鳥が大好きだからね。頑張ってごらん」
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