蘇生
故水小辰
蘇生
蓬莱の秘術、道術の奥義。徐福ですら見つけることのできなかった死人を完璧に蘇らせるということを
「雲悠、友よ――やっと帰ってきてくれた」
薛蒼尽は未だぼんやりしている江雲悠に手を差し伸べた。
「私だ、薛蒼尽だ。思い出せるか? 共に諸国を旅していただろう」
薛蒼尽の言葉に合点が行ったのか、江雲悠がはっと目を見開く。その目は衝撃にわなないて、安堵とも懐かしさともつかない微妙な色をたたえている。
「君……君なのか。蒼尽、本当に」
江雲悠は呆然と呟くと、薛蒼尽の手に目を落とした。まるでその手を取っていいのものか思案しているように小首をかしげている。
「だが、私は……」
「分かっている。だが、友よ、私はそれを取り戻す機会をこの手で作り出せたのだ。このためにできることを全てやって成功させた」
薛蒼尽は立ち尽くしている江雲悠に歩み寄り、その白い左胸にとんと手を置いた。
刹那、いつも穏やかな江雲悠の顔が歪み、彼は即座にその手を払いのける。
「……触らないでくれ」
ややあってから江雲悠は言った。
「誰にも触られたくないのだ。すまない」
「そうか。私の方こそすまなかった」
江雲悠が言うなら仕方がないと、薛蒼尽は宙ぶらりんになっている手を引っ込めた。
「雲悠……私は君に謝らなければならないことがたくさんある。忘れてくれとも赦してくれとも言うつもりはないが、謝らないことには私の気が済まない。だからこうして日夜研究に励み、死者を蘇らせる方法を探し当てたのだ。償いもできないままに別れてしまうなど、私には耐えられなかった」
「そうだろうな」
江雲悠は周囲を見回しながら頷いた。二人のいる薄暗い洞窟は方陣で覆われていた――隅の平たい岩の周囲に大量の呪符や書きつけが散乱し、その傍らにはむしろが敷かれ、反対の隅には石を積んで作った小さなかまどや地べたに火を焚いた跡まで残っている。陣の中央に鎮座するのは作られてから何十年と経っている古い木棺だった。その主は江雲悠の亡骸に他ならない。
江雲悠は修行した道観こそ違うが、薛蒼尽にとって生涯で得た唯一の知己だった。出会いは偶然だったものの意気投合した二人は、ともに諸国を巡って草民を苦しめる悪人や妖魔を絶ってきた。ともすれば一人で突っ走りがちな薛蒼尽に対して江雲悠は人好きのする優男といったところで、事実柔らかな目元と穏やかな口調、静かな性格とが誰からも好かれていた。懐かしい一方で、孤独と執念の年月の中では夢のようにも思えた在りし日々の記憶。かまどで薬を煎じつつ、よすがとなっていた思い出を楽しそうに語る薛蒼尽を、江雲悠は何とも言えない顔でじっと見つめている。
その視線に気づいた薛蒼尽ははたと口をつぐんだ。小鍋をかき混ぜる手は止めず、しかしこみ上げてきた後悔に任せてため息をつく。
「……すまなかった。私としたことが、きっと君にとっては良い思い出ではないだろうに」
「そんなことはない。私も君との旅路は楽しかった」
江雲悠が手を振って答えたが、薛蒼尽は嘲笑のような笑みを浮かべて「そうか」と言っただけだった。
「だが最悪の形で終わった。私が力不足なばかりに、
「だが正気には戻っただろう。私はそれだけで十分だった」
江雲悠が遮るように言う。その柄にもなく強い口調に、薛蒼尽は思わず江雲悠に見入ってしまった。
「蒼尽、昔の話はよそう。皆過ぎたことだし、二度と返ってはこないのだから。それより蒼尽、君はどれだけここにこもっていたのだい?」
江雲悠に問われ、薛蒼尽は初めて研究をしていた年月について考えた――だが、何をしたか、どれだけの失敗を重ねたかは思い出せるのに、具体的に何年経ったかと言われると思い出すことができない。日数を数えるために寝床の横の壁に線を刻んではいたが、線を刻むだけで数えたことは一度もなかった。
とはいえ、この洞窟には他に過ぎた年月を知るすべがない。薛蒼尽は仕方なくむしろの方を指さして、あの壁の線の数がそうだと答えた。
江雲悠は薛蒼尽に背を向けると無言のまま岩壁に近付いて、深さも長さも均一な線を一本一本数えていった。その間薛蒼尽には白い背中にこぼれる黒髪と頭頂部で丸く結われた髷しか見えなかったが、衣の揺れから線を数える指がだんだん遅くなっていくのは簡単に見て取れる。振り返った江雲悠は何事もなかったかのような顔で「三十年だ」と答えた。
「大変だっただろう。これほどまでに長い間、たった一人で」
憐みを含んだような口ぶりにはてと思ったものの、薛蒼尽は静かに頷くだけにした。ちょうど手元の鍋が煮立っており、洞窟じゅうに薬の匂いが充満していた。
「だが報われた。今、雲悠が再び目を開けて私を見ていることが私の全てだ」
飲み口の欠けた碗に薬を取り分けて差し出すと、江雲悠は素直に碗を受け取る。薛蒼尽はそれを飲むように言いながら、急に押し寄せた疲労感にこめかみのあたりを押さえた。報われた、と自ら口にしたせいで、三十年間ずっと張り詰めていた緊張が解けたのだろうか。突然体が石のように重く感じられ、薛蒼尽はふらりとその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
江雲悠が心配そうに駆け寄ってくる。差し伸べられた手にすがりつき、薛蒼尽は半ば這うようにして寝床代わりのむしろに横たわった。
「大丈夫……少し休めば良くなる……」
ちゃんと話せているのか自分でも分からないままに呟くと、薛蒼尽は目を閉じた。最後に見えたのは、心配そうな、しかしどこか冷めたところも感じさせる江雲悠の顔だった。
溶け行く意識の中で薛蒼尽は訝しんだ。江雲悠は穏やかだったが、薛蒼尽に対して冷めた目を向けたことはない。もしかすると、まだ目覚めたばかりで意識が完全ではないのかもしれない――起きたらもっとちゃんと具合を調べよう、そう考えるうちに薛蒼尽の意識は闇の中へと溶け合っていった。
江雲悠は眠りに落ちた薛蒼尽から、その後ろの壁へと視線を移した。縦に短く、びっしりと刻まれた線はたしかに三十年分の量があった。問題は、初めのうちは均一な強さで刻まれていたそれが途中から乱れ始め、ついには消えそうな薄さになったきり刻まれなくなっていることだった。この最後の線に至るまでの三十年、ともすればもっと長い時間を彼はこの洞窟で過ごしているはずだ。その可能性は高いと江雲悠は思った――それも、己の命が尽きていたことにも気が付かないほどの時間が。
それに、どんな術を以てしても死者を蘇らせることは不可能だ。死んだ当人の魂魄を呼び戻せたとて、肉体そのものに魂を繋ぎとめる力が残っていないからだ。だが何を思ったのか、薛蒼尽は自身の精気を江雲悠につぎ込むことでそれを克服した。薛蒼尽に触られた瞬間に江雲悠はそれを肌で感じていた。
あのとき、邪祟に取り入られて暴走した薛蒼尽に江雲悠は浄化の札を貼りつけることに成功したが、同時に彼の振り回す剣が己が身を貫いた。江雲悠は薛蒼尽から邪祟を追い出すために全ての力を使い、薛蒼尽は江雲悠が力尽きる直前に正気を取り戻した――しかしその原因、迂闊にも邪祟を呼び起こしてしまったのは江雲悠自身だった。
「蒼尽……」
不甲斐ないのは自分の方だと江雲悠は呟き、静かに肩を震わせた。
むしろに横たわる干からびた死体に涙が落ちて、小さい染みを作っていた。
蘇生 故水小辰 @kotako
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