第36話『或る夏の日』

 夏合宿当日。私の記憶……、未来の記憶と変わらず、緑川先生が運転するワゴン車で民宿へ移動。水辺さんは無駄にテンション高いし、御國さんは無駄にお菓子を食べているのも変わらない。

 賑やかな車内は少し狭い。私の記憶より、ちょっと荷物が増えているような……?気のせいじゃないと思う。まぁ、私も少し荷物を増やしているんだけどさ。


 途中、コンビニで休憩したりしながらも渋滞にはハマらず、スムーズに移動できたのも記憶通り。目的地の民宿も、私にとっては毎度お馴染みのヤツだった。

 何か懐かしいな……。前回の高校生活では、それほどポジティブに考えられなかったけど、寂れた感じと古びた感じ、和室の中に漂う畳の匂いなんかも、凄く馴染みのある、気分が落ち着く環境に思える……。

 他の人は初めてここに来たんだから、部屋の中をあれこれ見て回り、何か無駄にはしゃいでいる。メンドクサイけど、ある程度は付き合ってあげなきゃいけない。私は既に、この部屋のことを熟知しているんだけど、ちゃんと部員同士で交流しておかなくちゃ。

 私の記憶では、部屋に荷物を置いてネット環境や電源を確認したら、水辺さんが唐突に脱衣して海水浴へ……という流れだったはずなんだけど、みんな普通にPCを起動してイキナリ真面目モードに入っている。何で!?海水浴やるんじゃなかったの!?

「あの……、みんな海へ行かないんですか……?」

 呆気に取られてしまった。私の記憶では水辺さんも御國さんも、海だ海だと小学生みたいにはしゃいでいたのに。一体どういうことなの!?

「あれ?海江さん、海に行きたかったの?そんなに焦らなくても、海は逃げないよ」

 一番はしゃいでいたはずの水辺さんは、落ち着き払ってそう言った。イヤ、あんたが一番海だ海だって言ってたんでしょ!?

「海江さ〜ん、まだ合宿初日だよ〜?お楽しみは〜、またあとでね〜♪」

 御國さんまで無駄に落ち着いている……。何なの、これは……?私が記憶しているのと全然違う展開なんだけど……?



 遠くから虚しく、蝉の鳴き声が聞こえる。こんな雑音も真夏だから当然だけど。

 みんなの反応に少し困惑しちゃったけど、プログラミングの勉強会をやるっていうのなら別に構わない。わざわざみんなのやる気を削ぐ必要も無いし。

 前回の記憶と比較して、既に部員のプログラミングスキルもレベルアップしている。無駄にウダウダ言われる前に、積極的にコーチしてあげた方が効率良いし。水辺さんも御國さんも、多田さんだって、夏休みの時点で結構スキルアップしている。

 伽羅さんは特異点とも呼べるレベルの人だから、私なんかが教えられることは何も無いんだけど、とりあえず友好的に接するよう配慮。たまにチクっと来る皮肉を言われたことはあるけど許容範囲。

 部員同士の雑談中、さり気なく進路の話を振ってみたら、MITへ留学するのではなく東大に行くんだとかで一安心。伽羅さんほどの優秀な人材が海外へ流出するのを防ぐことができた。味方にできれば、かなりの戦力アップになる。

 現時点ではまだ誰にもクラッキングのノウハウとか教えていないけど、今の調子で育成を続ければ、AI研メンバーだけでもそれなりに戦うことはできるはず。来年以降は新入部員も来るし、更に戦力を増強することができる。

 仕事関係の人脈を利用することも考えたけど、それほど密にコミュニケーション取ってる人はいないから、信頼性に欠ける。

 スキル的には良さげに思える人でも、直接会う機会が少ないし、メールのやり取りがメインだから相手の人格までは分からない。不確定要素が多くて運命共同体にするにはリスクがある。

 その点、AI研の部員なら既にどういう人物か把握しているし、多少はリスクを軽減できる。新たな人材発掘に労力を費やすのがメンドクサイってのもあるんだけどさ。


 とりあえず、前回の失敗を繰り返さないよう、充分備えておかなくちゃいけない。みんなには内緒でダイアナの改修作業と並行して、新しい攻撃ツールの開発、アマテラスに関する新情報がないかを常にチェックし続けている。

 ただ……、どういう訳だか、まだ日本政府が量子コンピューターと最新AIを導入するって話は出ていない。私が記憶している未来より、開発が遅れている……?まぁ、ありえなくはないんだけど……。

 私の父親は、やっぱアマテラスの開発に関わっているんだと思う。そうでなければ、父親が生存していても何も影響しないはずだし。

 それにしても、何もプレスリリースが出ていないのが気になる……。時期的に、ハードウェアの方は既に完成しているはず。アマテラスを中心とした行政管理システムについても、ビルドはとっくに終わっていなければおかしい。

 何らかの仕様変更が入ったから、それに対応する修正作業で進捗が止まっている可能性もある……かなぁ?うん、無くはない。それが何なのか分からないと、こちらも手の打ちようが無い。

 私が失敗した未来でアマテラスは『全ての可能性を検証した』なんて言っていた。そんなの人間には不可能。少しでもリスクを減らせる選択をしなければいけないんだけど、何が正解なのかは分からない。

 数学みたいに最適解を見出せる話じゃない。ロジックも分からない。無限に分岐するかもしれない未来の可能性を全て考えるなんて、とてもじゃないけど私には処理できない。無理ゲー過ぎる。微分積分どころの話じゃない。

 人間である私にできることは、せいぜい負荷を分散させてリスク軽減を図る程度。神様じゃないんだから。

 神様かぁ……。少なくとも、未来で対決した行政管理システムのアマテラスは神様じゃない。演算能力については神レベルと言っていいけど、私たち人間を守護してくれる存在じゃなかった。

 私は神様なんて信じない。信仰なんて無駄でしかない。現実世界は何もかも、必ずかいが存在する。どんなに複雑な事象であっても、ロジックが分かれば答えに辿り着くことができる。

 ただ……、私がこうして過去に戻ったことについて、何故、何がどうなって過去に戻ったのかは分からない。

 答えの分からない現実が存在するという違和感。それでも、夢じゃないことだけは実感している。現実として、私は高校一年生に戻ったのだから。

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