Ⅳ 中篇(下)

 

 シェラ・マドレ卿の馬車に乗せられて空を飛んでいる間、俺は精一杯弁明に努めた。分家の日陰者の卿は辺境に引っ込んでいる印象があったから、魔都で逢うとは想わなかった。卿は魔都で開催中の美術展を観に行った帰りだったそうだ。面倒なところにばかり現れるなこの人は。しかも浮気でも何でもないのに、シーナに知られてはいけないという焦りは本物なのだから、俺も大変だよ。

「エリーゼ・ルサージュとは友だちなんだ。卿」

 卓上に出てきた水を俺はがぶ飲みした。美男のシェラ・マドレ卿は杖を手の中で回しながら俺を睨んでいた。

「たまたま知り合って、遊びに誘われただけなんです」

「年上のヘタイラと懇意とは。手が早いではないか新子爵」

「だから違います」

「まあお前くらいの歳ならば愛想なしで手を焼く魔女よりは、気安くて笑顔のよい魔女のほうに惹かれるのは当然のことだが」

 なに通人みたいなこと云ってんだよ。否定してる俺のはなし聴いてる?

 ありがたいことに卿はそこで話題を変えてくれた。これ倖いと、俺はルクレツィアさんが見つかった顛末をシェラ・マドレ卿に語った。

「それで今日の午後から、ブラシウスと一緒にルクレツィアさんが身を隠していた邑に行ってみるつもりです」

「何をしに」

「ブラシウスの興味はアロイスです。ろくに箒にも触れたこともない少年があんな大航海を果たしてのけるなんて、普通の魔法使いではないでしょう」

「初飛行だからといって覚束ないと決まったわけではないが、確かに信じがたい。近所を一周するのとはわけが違う」

「そうなんです。卿」

「アロイス少年について、ヘタイラ・ルクレツィアは何と云っているのだ」

「人間の医者が育てた棄子だと」

「おかしいではないか」

 空中馬車は雲の中に入った。窓の外が真っ白だ。箒に乗れない魔法使いシェラ・マドレ卿は杖を握りながら考えを巡らせていた。

「順番に整理するのだ。ルクレツィアはなぜ、その北の最果てといってもいい寒村に行ったのだ」

「誰にも妊娠がばれたくなかったからでは」

「それは何故だ。恋人である子爵の子ではないということか」

「まだそこまでは」

「何故、その邑なのだ。出奔しようとする時も女ならば、縁のある土地や、心に留まったことのある地名を頼りにするものだ。ましてや子を産むつもりでいるならば通常は僻地や遠出を避ける」

 杖頭を撫ぜながらシェラ・マドレ卿は考え込んでいた。

「何のあてもなしに妊婦がそのような遠方に行き、偶然、素質ある魔法使いの少年と邂逅したというのか。考えにくいことだ」

 それはそうなのだ。ベルナルディの敷いた探索網からも洩れてしまうほどの縁もゆかりもない北の地にルクレツィアさんはいた。

「つまりだ。最初からアスパシアはその少年が居ることが分かっていてその邑を目指していたと考える方が妥当ではないか」

 アスパシアとは、ディオティマと並んで、ヘタイラの別称だ。

「わたしならば、そこには何か隠された縁故があると考えるが」

 やはりそうなのか。

 俺は打ち明けようかどうか迷った。もし、アロイスがマキシムと似ていると告げたら、そこからシェラ・マドレ卿がどんな推理を始めるのか知りたい気がした。でも俺は出来なかった。

 水晶珠の中の冬の雨。雨に濡れた花冠。

 どうしたらいいの。マキシム。

 もしあれがルクレツィアさんならば、よほどの深く、苦しい過去がルクレツィアさんにはあるような気がしたからだ。

 アルバトロス、やめて。

 マキシム、助けて

 だから俺はエリーゼに訊ねたのと同じことを、卿に訊くだけにとどめた。

 空中馬車は山脈を超えている。もうすぐ俺の家だ。

「アルバトロス」

 その名を聴くと、シェラ・マドレ卿はいつも気障ったらしくしているその顔つきを変えた。そして眼を炯々と光らせ、杖を強く握りしめた。



 シェラ・マドレ卿に送られて邑の家に帰った。

 馬車から降りて別れの挨拶を云う前にシェラ・マドレ卿は馬車を出発させていた。そういうところは本当にあっさりしている。

 家に入るとティアティアーナ伯爵未亡人が侍女を引き連れて来ていた。俺はご婦人に対するお辞儀をした。

「ご機嫌よう。伯爵未亡人」

「子爵らしくおなりですね。テオ」

 魔都にちょっと長くいると、あちらの作法が身についてしまう。ブラシウスのお母さんのジュヌビエーブさんなんかは「気楽にしてね、テオ」と気さくだが、あちらの方がよほど珍しいからな。

 そのジュヌビエーブさんの四男のブラシウスも、俺の後からすぐに家に来た。汽車ではなく今日は直接、箒で飛んできた。

「これは、ティアティアーナ伯爵未亡人。失礼します。今からテオと出かけます。本日はアルフォンシーナ嬢に何の御用で」

「テオさま。ついでに、ブラシウスさま」

 素朴な家具しかない家の中に着飾ったなりで集っている伯爵未亡人とその侍女たちは立ち上がり、俺とブラシウスを取り囲んだ。なに、なに。

「如何されましたか、伯爵未亡人」

「また外出ですか。あなた方はアルフォンシーナさまをまたもやこの家にお独りにするおつもりですか」

「ザヴィエン侯爵がいらっしゃるでしょう」

「領主である侯爵は外出しがちだということはお分かりでしょう。今も留守です」

「水晶の風車」

「あのようなもので悪漢を完全に防ぎ切れるとお想いですか。以前のようなことがまたあったらどうされるおつもりですか」

「それでは」

 辟易して俺は申し出た。

「俺とブラシウスはこれから出かけます。遠方なので夜も戻りません。シーナはそちらのご邸宅に泊めて下さい。ご不都合のようでしたら、シーナには兄の家に行ってもらいます」

「嫌よ」

 侍女の垣根の向こうからシーナが口を出してきた。

「なんでわたしがテオの都合であっちに行ったりこっちに行ったりしなければならないの」

「本当にそうですわ」

 侍女たちも一斉に騒いだ。もう面倒くさい。今すぐ出立してしまおう。

「分かりました。アルフォンシーナも同行させます」

 これなら文句ないだろ。

「時間がないので俺たちはもう行きます。来い、シーナ」

 俺がそう云うのを待っていたとばかりにシーナは箒を掴んだ。



 馬車の中でシェラ・マドレ卿は唸った。

「アルバトロスとは、懐かしい名を聴くものだ」

 歴代の魔法使い、トリスメギストス、パラケルスス、ランツェレット、バルトロマエウス、アンブロシウス。

 卿は数え上げた。

 これらの名は知っているな、テオ。

 俺には恐竜の名にしか想えなかったが、卿が列挙したのは、伝説の『偉大な魔法使い』の名だ。もちろん何人かは俺も知っている。

 シェラ・マドレ卿はさらに説明した。

「偉大な魔法使いとは、突然変異体だ。桁違いの魔力を持っている魔法使いのことだ。偉大な魔法使いは百年に一人しか出現しない。その存在は謎に包まれており、偉業を遺してトリスメギストスらのように名を刻む者もいれば、人知れず隠者となって無銘のまま山奥で暮らす者もいるのだ」

 偉大な魔法使い。卿がこんな話をするからには、『アルバトロス』はその偉大な魔法使いの一人なのかな。そのわりには、俺の命名の由来になったパラケルススのようには、全く知られていないのは何故だろう。

「違う。アルバトロスは偉大な魔法使いではない。断じて」

 シェラ・マドレ卿は強く否定した。

「そのアルバトロスがどうしたのだ、テオ」

「何でもないです。小耳に挟んだだけです卿」

 俺は誤魔化しておいた。

 風の中でシーナがブラシウスと話している。箒に乗って邑から飛び立ったはいいが、アロイスの邑に辿り着く前に、どこかで夜明かしをすることになりそうだ。

「幼い頃のテオときたら本当に魔法使いなのかと想うほど鈍くさくてお調子者だったのよ」

 俺の話か。

「でも最近は少し男らしくなった気がするわ」

「それはそうだよ、男も女も大人になっていくのだから」

 人間界でも精神年齢は女の子の方が高いが、魔女はさらに高く、幼い頃からほぼ大人という感じだ。そんなシーナから見たら俺なんか本当に子どもだったんだろうな。

「シーナ、かたつむりがいるよ。こっちだよ、見てシーナ」

 充分すぎるほどその自覚がある。それよりも、すっかりブラシウスとシーナは打ち解けていて、そちらの方が気になる。

「兄上との縁談は断って欲しいな。アルフォンシーナ」

「ルクレツィアの失踪が間に挟まったことで、そのお話も一旦消えてしまったようよブラシウス」

「問題はティアティアーナ伯爵未亡人だ。そのうち絶対にあの方から縁談話が持ち込まれて来るぞ」

 俺もそう想う。もはや秒読み段階だろう。

 自信家のブラシウスはシーナを揶揄っていた。

「アルフォンシーナはどんな男と結婚したいの」

「あなたには関係のないことです」

「女の子が夢みることは皆おなじだよ。大昔からね」

 シーナはぷいっと顔をそらした。

 太陽の傾きにブラシウスが眼を遣った。

「夜になる」

 山の向こうに太陽が落ちて、空が紫色に暮れ始めた。



 山賊の出るような、野蛮な山岳地帯を抜けなければならなかった。俺とブラシウスはシーナを間に挟んで警戒しながら飛んでいた。シーナの為に速度を落としているとはいえ、実に遠い。険しい山脈を迂回したこともあり、まだ半分しか来ていない。これなら馬車を出してもらった方がよかった。

 俺はあらためて愕いていた。

 アロイス少年はこの距離をたった独りで、ほぼ初めて箒に乗ったような状態で、誰の案内も付添い人もいないまま魔界まで遠征してのけたのだ。最初のうちは雲の上に昇るだけでも相当な恐怖を覚えるはずだ。

「よく生きて辿り着いたものだ」

 ブラシウスが呆れたように云ったが、それは大袈裟ではない。

 飛行に不慣れな者が長時間ひとりきりで空の空間に浮いていると、たいていの者は墜落死を選ぶのだ。落ちれば、そこには大地か海という受け止める先があるからだ。火事で逃げ場を失くした者が塔から跳び下りることがあるが、あれは火勢に追い詰められたからそうするだけではなく、地面がとても近くにあるように見えてくるのだそうだ。それと同じように生身で大空に浮遊している飛行者も、初心者ならば無性に何かに縋り付きたくなって、不可解な墜死を遂げていく。

 それでなくとも技術の未熟な者が操る箒は簡単に風に流されるのだ。子どもならば猶更のこと、強い風でも吹けばあっという間にひっくり返ってしまい、箒から手が離れて落ちてしまうことだってある。

 アロイスがやったことは、驚異的なのだ。

「ルクレツィアも身重の身でこの航路を独りで飛んだのよ」

 夜の闇から風が吹き付ける。細い月が昇っている。

「魔女は妊娠期間も短いし、人間と違いお胎も産み月になるまでは目立たないけど、体調は悪いはずよ。どうしてそんな無茶をしたのかしら。何処を目指していたのかしら」

 アロイスの話では魔女は相当弱った状態で地上近くをふらついていたそうだ。そんなに具合が悪いのに、こんな遠くまで。

 やはりルクレツィアさんは、この先にアロイスが暮らしている邑があることを知っていて、そこを目指していたのだろうか。

 明確な目的があったのだろうというシェラ・マドレ卿の言葉が実際に飛んでみると重みを増してくる。



 すっかり夜になり、俺たちは一度地上に降りた。仮眠してからまた飛ぶことにしたのだ。この辺りは大国の狭間にあって険しい山々に囲まれている。

「付近に点在している邑の暮らしは中世のままだろうな」

 ブラシウスは魔法杖の先を燐寸のように照らすと、外套の内側から地図を取り出して広げた。

「これから向かう地方には独自の根強い風習や迷信がそのまま残っていることがある。今さらだけど、やはりアルフォンシーナは引き返したほうがいい」

 ブラシウスは魔女狩りを警戒しているのだ。

「北方では魔女狩りは盛んではないわ」

 シーナは怖がってはいなかった。

「北海沿岸では帆船で襲撃しに来た蛮族を魔法使いが追い払って人間から感謝された話もあるくらいよ」

「問題は、この中央山岳地帯だ」

 地図の上には注意を促す印がたくさん散っている。俺たちが今いるこの場所も危険地域の端っこに引っかかっている。

「人間の山賊と、悪い魔法使いの根城が点在している地帯だ。ここを抜けるのは夜明け前にしよう」

「アロイスが父親と暮らす邑は此処ね」

 シーナが地図の上を魔法杖で辿った。

「昔わたしがマキシムと暮らしていた海辺と、そんなに離れてはいないわ。箒ならすぐよ」

「アロイスの父親は諸外国で医術を学び、研鑽を積んだ医者だと云っていた」

「それでアロイスは、どことなく垢ぬけているのか」

「ちゃんと一足先に邑に帰ったかな」

「帰りも独りで」

「箒に乗りたての少年が」

 俺たちは黙り込んだ。

 ブラシウスが適当に結論づけた。

「きっと飛行に対して、特別な才能をもった少年なのだろう」

 そこで俺は、シェラ・マドレ卿に相談したことを二人に打ち明けようとした。魔法界の世事に疎い俺とは違い、侯爵家のブラシウスならばアルバトロスのことも何か知っているかもしれない。だが、出来なかった。

 目配せでシーナが俺たちを黙らせた。その手が箒を掴んでいる。俺たちもすぐにシーナに倣って箒を掴んだ。

 俺は二人に叫んだ。飛び立て!

 遅かった。



》後篇(上)

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