Ⅳ ◆二千文字の幕間

 箒に乗った魔女がいた。その魔女は様子がおかしかった。岩場に流れる清流の上を低空飛行をしており、箒の上でふらふらしていた。最初ぼくは魔女が眠っているのかと想ったが違った。具合が悪いようだ。

 魔女の身体が箒から落ちかけた。

 崖の上にいるぼくの眼下で魔女は懸命に箒に縋り付いている。

 迷信深い人間は魔女を怖がるが、その時のぼくには「危ない」としか想い浮かばなかった。あの魔女を助けなければ。

 魔女の手は何度も箒から離れていた。箒はそのたびに魔女を支え、魔女も混濁した意識の中でふたたび柄を掴みなおし、蛇行しながらも箒は何とか魔女をはこんでいた。

 時々、魔女の手は胎を抑えていた。

「いたぞ」

 男たちの声がして、崖下に降りていく音が続いた。

「弱ってるぞ。捕まえろ」

 下卑びた声を上げている。山賊が魔女を追いかけているのだ。

「魔女裁判をしてやるぜ」

 ふらついていた箒から魔女がついに落ちた。倒れたまま動かない。岩肌の上に流れる山の湧き水が魔女を濡らしていく。

「魔女は水に弱いんじゃなかったか」

「そりゃ迷信だ。魔女狩りの時に魔女をどうやって捕まえたか知ってるか。魔法使いも魔法が使えなければ怖くねえのさ。杖を取り上げて両手首を縛っちまえば、人間さまのもんなんだ」

 ぼくは武器を持っている。父親から渡された猟銃だ。六歳の時から鳥や獣を撃ってきた。

 膝をつき、斜面に腹ばいになって近くの岩に銃身を固定し、ぼくは狙いを定めた。水に落ちた魔女が盗賊に囲まれている。

「魔女は人間の女よりも愉しめるらしいぜ」

 山賊の手が魔女の外套を掴んだ。山間から鳥が一斉に飛び立った。



 病室から父が出てきた。父は医者だ。邑の医者は患者のいる家に往診するものだが、わが家には病室も備えてある。

「人間とは違い魔女は産み月まで胎が目立たないのだ。流産の危機は去った。安静にして、栄養をとることだ」

 父は本当の父ではない。ぼくは赤子の頃に父に拾われた。

 翌日、ぼくが病室を覗くと魔女の姿は消えていた。明け方に箒が窓辺に迎えに来て、魔女はそれに乗って行ってしまったという。

「あの身体で?」

「遠くには行かないようにと約束させた。赤子の為にならないと説得したのだ。修道院址に居るそうだ」

 父はぼくの肩に手をおいた。魔女がお前にお礼を云っていたよ。


 銃口の狙いを定めたぼくは、集中するあまり、背後から襲い掛かってきた山賊に気づくのが遅れた。

「銃で狙っていやがった」

 見張りの山賊に襟首を掴まれてぼくは谷底に連れて行かれた。

 ひとりの男が魔女の背に馬乗りになり、両手首を縛ろうとしているところだった。魔女の頭巾は後ろに落とされ、血の気のない、しかし痛ましいほどに美しい顔が清流に半分つかっていた。

「連れて帰ってはだかにひん剥いてやる」

 その時、魔女の箒が飛来してきた。箒の柄は槍のように魔女の上に乗っている山賊を突き落とすと、勢いよく回って男たちを蹴散らして遠ざけ、風車のように回転しながら魔女を背後に護ってせせらぎに強い波を立て始めた。

 ぼくから奪った猟銃を山賊が箒に向けて構えた。その山賊の腕にぼくは飛びついた。

「こいつ」

 銃尻で殴られたぼくは水流の中に転がった。岩に肩がぶつかる。その視線の先に魔女がいた。魔女は水の中で眼を開けていた。その手にいつの間にか握られているのは魔法杖だ。

 鳥獣が次に起きたことに恐怖して一斉に立ち去っていくその音を、ぼくは夢のように聴いていた。魔女は半身を起こしたが、苦し気に片手をついて魔法杖を水に取り落としてしまった。山賊が縄を投げ、箒が引きずり倒される。縄を持った男たちが魔女に殺到した。

 魔女の眼が見開いた。

 山を真っ二つに割るような轟音と横殴りの激しい稲光。ぼくは眼を閉じた。

 静寂。

 ふたたび眼を開けた時には谷底が深く陥没して、そこに焼け焦げた山賊の死体が散乱しており、そして魔女は今度こそ意識を失って胎を庇う姿勢で昏倒していた。



 修道院址は、邑が移転した際に取り残された廃墟だ。魔女はその隅で横になっていた。

 父の指示でぼくは魔女に食事を運び、敷布を敷いた。

「魔法使いは何処ですか」

 ぼくは怒っていた。赤子はひとりではできない。父親は何をしているのだ。魔女をこんな目に遭わせて無責任がすぎる。

「胎内の子の父親はどうしたのですか。魔法使いは。ぼくが呼んできましょう」

 魔女がぼくの腕に手をおいた。ぼくは忘れないだろう。ぼくを見詰める魔女はその眸に美しい涙を浮かべていたのだ。

 魔法使いならここにいるわ。

 魔女がぼくに囁いた。あなたがいるわ。

 どうして分かるのだ。やはり魔女には何も隠せないのか。

 魔女の頬を涙が伝い落ちた。

「あなたは、魔法使い」

「ぼくは父上の子です」

 そう応えたぼくの声と膝は震えていた。そうとも。誰よりもぼく自身が分かっているはずだ。水の中に落ちた魔女の魔法杖をぼくの手は掴んでいた。

 あれは、ぼくが起こした雷だ。

 魔女の煌めく眸がぼくにそれを告げている。



》中篇(下)

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