◆二千文字の幕間
彼は、辺境で
永いあいだ行方不明だった友人のマキシム。その一報は、共通の学友からわたしの許にもたらされた。
わたしは領主ベルナルディ。地方屋敷に招かれた学友がそこで耳にした噂を知るなり、わたしはすぐに現地に向かった。
最後の消息は北欧だった。
彼から送られてきた絵葉書を唯一の手掛かりにして、北欧までわたしは彼を探しに行っている。
『元気だ。心配はいらない』
失踪者が送りつけてくる定型文。おそらくこの葉書を出した土地にマキシムはもういない。それでも探しに行かずにはいられなかった。
古い漁村。色の薄い太陽。冬季には氷を浮かべた波が寄せてくる陰気な浜辺。
「ああ、いたとも。若い魔法使いはあの家にいた」
漆喰の剥げた小さな平屋にマキシムは独りで暮らしていたというのだ。そこから見えるものといえば海に向かって続く寂しげな枯草と、天地を分ける水平線、それに、三世紀頃のものとおぼしき廃墟だけだ。
邑人たちは城と呼んでいたがそれは防塁で、かつては灯台の役割も果たしていたのだろう。その物見塔はすでに半壊し、石垣が辺りに散らばるままに苔むしていた。
「あまり姿を見かけなかったがな」
「暴風雨の日を選んで海の上を飛んでたよ。雷雨を斬るようにして、雲と海原のあいだを彼は箒で翔けていた」
冬の長い北方の猟師たちは伝統的に編み物が得意だ。細く紡いだ羊毛で編み出される凝った模様。
荒れた手で編み棒を操りながら猟師たちは教えてくれた。
時々、小さな魔女を連れていたよ。
教えられた辺境に行き、万年雪の山脈を抜けて上空を飛ぶと、庭に出ていたマキシムはすぐにわたしに気が付いてくれた。学友の云うとおりマキシムの近くには子どもがいて、りんごの樹の下で糸車を回している。
邑外れで待っていると、やがて彼が箒に乗って渓谷に現れた。
箒から降り立つ彼を出迎えて、笑顔でまず訊いた。
「隠し子か」
無視された。あいかわらず冗談が通じない。
真の友には年月の隔たりはない。昨日まで寮で一緒にいたかのようにわたしたちは顔を合わせることが出来た。
「元気で良かった。それだけを確認しに来た」
事情を聴こうとは想わなかった。学生時代と同じようにわたしは彼の頭を抱えて肩を抱き、再会を歓んだ。
「逢えて嬉しいよマキシム」
マキシムは、横を見ていた。
そちらを見ると樹木の日蔭に隠れるようにして小さな魔女がいる。「アルフォンシーナ」彼は魔女の名を呼んだ。
「彼は友人だ。ベルナルディ」
庭で糸を紡いでいた少女だ。わたしは軽く手をふり、小さな魔女に挨拶をおくった。
「はじめまして」
魔女の多くは美形だ。可愛いのから妖艶なのまで色々いるが、総じて容姿がいい。まだ子どものその魔女もお人形のような顔をしていた。
「マキシムが心配になって様子を見に来たの」
少女はこちらを一瞥すると、踵を返した。
「帰ります」
粗末な身なりだった。小さな魔女は子ども用の箒に乗ると木漏れ日を縫う蝶のようにすぐに木立の奥に消えてしまった。
彼の養い子は、もう一人いるはずだ。
「男の子にも逢わせてくれ」
「この時間なら、人間の子どもと川で遊んでいる。名はテオ」
「テオ」
「テオフラストゥス」
わたしは彼の顔を眺めた。マキシムがその名を口にするとは。
裸体のままで寝台に横になっていたわたしの恋人の魔女は、しどけなく細首を傾けた。
「教育係。それなら、伯爵未亡人はどうかしら」
わたしは彼の名を出さずに、棄子のことを恋人に相談していたのだ。
「早い方がいいわ。淑女の教育を始めるには遅いくらいよ」
召使が室の扉を叩く。
「朝食をお持ちいたしました」
朝食といっても、もう昼だ。夜食を摂ったからそんなに空腹ではない。
「君、食べる?」
「紅茶だけ頂くわ」
起き上がった恋人の肩にわたしは羽織をかけてやった。
「子どもたちへの援助だけでも彼が受け入れてくれると良いのだが」
二人とも完全なる棄子であって、年齢以外に分かることは、ほぼないのだそうだ。
魔女はわたしの差し出した茶器を受け取り、熱い紅茶に口をつけた。
「本気で隠遁するつもりなら、棄子を拾ったりはしないわ。その方なりに子どもたちの将来を案じているはずよ」
小さな魔女。
あの箒はもう小さかった。成長期の魔法使いは身体に合わせて箒を乗り換える。手始めに新しい箒を二人の子どもたちに贈ってやろう。
「ベルナルディ」
表玄関で手袋をはめ終わった恋人は、わたしの顎に片手を添えて接吻してきた。召使の差し出した箒を片手に持ち、魔女はわたしの耳に囁いた。
「見つかって良かったわね。ご友人の七剣星」
魔女には敵わないのだ。
「ルクレツィア」
「素敵な夜だったわ。またね」
魔女の残り香。わたしの贈った外套を羽織った恋人は、朝露を飛ばして離陸すると箒で帰っていった。
さて、少女はともかく、少年の方ならわたしにも分かることが沢山ある。
わたしが子どもの頃に愛好した図鑑や帆船の模型にテオは興味を持つだろうか?
》中篇(下)
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