中篇(上)

 本来、俺が逢いたかったのは同じツォレルンでもバルトロメウスの方だ。ベルナルディが云っていたのはそっちだ。

「バルトロメウスは、五つ年上の兄だ」

 若い魔法使いブラシウスは俺がなぜその名を知っているのかと、不思議そうだった。

「五人兄弟の三男だ。俺は四番目。テオ、君は兄上を知っているのか」

 俺はぶるぶる震えていた。ツォレルン家の人間と想わぬところで遭遇したからではない。眼の前にいるブラシウスが、冠もちの箒乗りだと知ったからだ。

 箒乗りにとっての憧れは、箒乗りだ。いろんな競技と大会がある。

 なかでも勝者に『冠』がつく競技は別格だ。さらにその中でも速さを競う『流星』や『彗星』は俺にとって猛烈な憧れだ。

 俺はよくベルナルディの屋敷に招かれて遊びに行ったが、屋敷の図書室には箒競技の専門誌のバックナンバーが沢山あって、食い入るようにして隅々まで読み耽ったものだ。

 そこには様々な競技、ルール、そして有力選手や優勝者の紹介記事が載っていた。

「出走してみたい」

「そのうちね」

 ベルナルディは朗らかに流したが、名の通った競技の大半は貴族階級または騎士階級でないと出場権がない。個人戦の『冠』は特にそうだった。

 それを知って落ち込んでいると、ベルナルディは俺を励ました。失望することはないよテオ。箒競技には昔から熱心な好事家がいるものだ。大きな声では云えないが賭け事もからむ。見込みのある選手ならば後ろ盾がついて、貴族と養子縁組をしてでも競技に出てくる。

「そして『冠』を得ると、その者は一代貴族といって、死ぬまでの間は誰でも貴族になれるんだよ」

「貴族に」

「『冠』の称号を得ることは、魔法使いにとってそれほどの栄誉なことだからだ。格別だよ」

「じゃあ俺にも可能性がある」

「もちろんあるとも」

「俺やるよベルナルディ。今年から出る」

「応援するよ。でも、大人になるまで待ちなさい」

 危険を伴う多くの競技には年齢制限が敷かれていた。特例出場権があっても譜代の貴族限定だった。それでも俺は意気軒高に宣言した。いつか競技に出て冠を取るよ。

 箒を持って走り回っている俺の姿を笑って眺めながら、ベルナルディはどこか寂しそうに声を落とした。

 自ら、その栄冠を捨ててしまう者もいる。



 その『冠』が、俺の眼の前にいる。

 他の魔法使いも集まってきた。彼らに向けてブラシウスは「おいおい」と少し厭そうな顔をした。

「『冠』といっても不戦勝だよ。年齢制限の特例で出走してみたら、優勝候補が二番手とクラッシュして、優勝が転がり込んできたんだ。本当なら三位だ。あまり嬉しくない」

「何を云っているんだブラシウス。有力選手を差し置いて飛び入り参加した最年少の君が終着地点に一番最初に戻って来たんだぞ。たとえ三位でも物凄い記録だ」

 魔法使いたちは尊敬と憧憬の眼差しでブラシウスを中心に取り囲んだ。

 冠。どの競技の冠だ。

 ブラシウスは衆目の熱気の中で俺の眼を見て応えた。

「『流星群』だよ」

 すごい。『流星群』は障害ありの中距離だ。その冠には、技巧と速さが要求される。すごいぞ。

 気が付いたら俺は彼に向かって云っていた。

「ブラシウス。俺と競争してくれないか」

「君と」

 若い貴族たちがどよめいた。ブラシウスは少し考えていた。その眼が光っている。

「さあどうしよう。この周辺の地形が分からないからな。やるなら、競技はガリレオ滑降しか選べないと想うが」

「ああ、やろう」

 たじろぐことなく俺が二つ返事で承知したので、今度はブラシウスの方が愕いて真顔になった。後方では知らない者に説明する為に天井から床へと手を振り降ろしている者がいる。

「君はガリレオ滑降が何かを知っているのかい」

「もちろんだ」

「いいのか。死ぬかも知れないぞ」

「死なないからいいよ」

 笑い声がした。貴族の中でも粗暴な者たちがからかいの声を上げた。

「やってやれよブラシウス」

「要するにその田舎者は、『冠』と競争した事実を土産話にしたいだけなんだろう」

 ガリレオ滑降。箒を立てて、柄と顔を下にして、高所から降下するだけの競技だ。ほとんどの者は恐怖に堪えられず、かなり余裕があるうちに箒を戻して地面との衝突を回避する。やってみると分かるが、ものすごい速度で落ちているので地面がすぐ近くに迫って見えるのだ。

 これを俺は湖を使って繰り返し練習してきた。単純に危険な遊びが楽しかったんだ。慣れてくると崖から落ちたり、空高くに昇ってそこから墜落し、出来るだけ地面ぎりぎりで箒を逃すように修練を積んだ。

 アルフォンシーナは悲鳴を上げていたが、師匠はべつに止めたりはしなかった。何度も何度も、高速で湖に頭から突っ込んでも諦めず、やがては水面に触れる直前に箒の尾を回して身体を傾けるようになった俺の様子を見て何か想うことでもあったんだろう。失敗して箒が真っ二つに折れても、マキシムは怒りもせずに新しい箒をくれるだけだった。

「そういうことなら」

 ブラシウスは頷いた。

「やろう」


 

 それから安全網をつけるかつけないかで、半時間ほど激論になった。俺とブラシウスは要らないと云ったのだが、慎重派が「でも、もし何かあれば俺たちまで怒られるよ」と物言いをつけたのだ。失敗すれば確実に死ぬ。

「下で円陣を組んで安全網を張ることにしよう」

「そんなの、詰まらない」

 俺とブラシウスは二人同時に声を上げて抗った。スリルを楽しんでいるのに、そこに安全網なんか付けたら興醒めじゃないか。

 妥協案として、箒は俺たちの自前の箒を使うこと、水面ぴったりに安全網を張っておくことが取り決められた。

 他にも、箒の先が水につくのは可か不可か、地面に対して箒の傾きは何度まで許容するか等、細かいことを云い出す者が出る度に議論が再燃した。

「助走台がないのは滑降競技とは云えない。中止すべきだ」

「体重差と身長差はどうする」

「落っこちるだけなんだから、何でもいいじゃないか」

 しびれを切らした俺とブラシウスは文句を云いながら、地上を飛び立ち、箒で上昇した。

 出発地点は白銀の塔の突端だ。紫水晶の塔は高すぎるし、あまり高すぎても意味がない。下調べをしに周囲に飛んでいった魔法使いがほどよい高さの塔を近くに見つけてきたので、それに決まった。下から見上げると首が痛くなるほどで、加速度がつく高さがあり、お誂え向きなことに真下が公園の中の大きな池なのだ。

 魔都が下界に広がっている。

 空の上に昇った俺は風の流れに箒を漂わせながら考えていた。降り方は定型にするか、それとも難易度のより高い、錐もみ下降にするか。それとも。

「後ろ向き」

「それは禁止だ。立会人として禁じる。危険すぎる」

 巻き毛の立会人は魔法杖をつかい、虹色の横線を空中に引いた。風が止んだ。

「どちらから先に行く」

「どっちでもいいよ」

 ブラシウスは箒を立てて、柄の先端を虹に揃えて静止すると、「では、お先に」立会人の銀笛の合図で頭から飛び込むようにして飛び出して行った。

 並んで一緒に落ちてもいいのだが、競技用の場所ではないので安全を考慮して一人ずつということになったのだ。

 豆粒ほどの大きさに見える真下の池の周囲で若い魔法使いたちが喝采している。ブラシウス、ブラシウス。

 鏡を使って中継地点の魔法使いたちがじぐざぐに映像を送り出し、塔の壁面に再生したものを映し出した。定型で落ちたブラシウスの箒は池に触れる直前に傾き、一本の青い風紋を描きながら、さあっと横滑りして水鳥のように舞い上がっていた。基本がいちばん美しいというそのお手本のような滑降だ。

 決めた、錐もみで降りよう。

 俺は逆立ちするように箒をひっくり返して先端を虹の線に合わせた。錐もみで降りて、背面からの着水で決まりだ。

「途中に『浮き』をつけておいたから、それが見えたら箒を起こせよ」

 立会人の巻き毛が横を向いたまま箒に乗ってぼそぼそと云っていた。下から鏡でちかちかと準備完了の合図が送られる。太陽が出た。逆立ちした眼線の先にある池が頭の上で照り映えている。

「君はもう十分闘った」

 巻き毛が銀笛を鳴らした。

 虹を超えた。俺の箒は風圧を裂くように回転をかけながら大空から真っ直ぐに落ちて行った。幻の歓声すら聴いた。まさか、地上にはもう誰も待っていないなんて想わなかったよ。




「……俺の雄姿を、誰も見ていないのか」

「それがそうなんだ」

「本当にすまないと想っている」

 若い魔法使いたちは項垂れて、上目遣いに俺の顔色を窺っていた。

 事はこうだ。

 紫水晶の塔の会議室にいた大人の魔法使いたちが休憩をとるために露台に移動して葉巻を吸って寛いでいると、視界に見える塔の間を箒に乗ったブラシウスが落ちていった。

「何をやっているのだ」

「もしやガリレオ滑降では。けしからん」

 それで、池の下に集まって空を仰いでいた若者たちは駈けつけた衛兵の姿を見るなり、叱られるとばかりに逃げ出してしまったのだ。

 特にブラシウスは別室に呼び出され、父親のツォレルン領主クラウディウスから絞られたらしい。『冠』が一般の魔法使い相手に勝負などしてはならん、試合にならないし、危険すぎる。というわけだ。

 箒に回転をかけて螺旋状に垂直下降していった俺は、落下している途中で巻き毛の立会人がつけた風船の『浮き』を目視したが、もちろん無視して池に向かって飛び込んでいった。地表に近づくと空気が重くなる。一瞬だがそこを捉えるのが目安だ。積み重ねた勘だけがそれを掴める。

 渦を巻きながらうまく着水をかわして背面飛行で横滑り。そこからの立て直しで池の縁に帰還を果たし、上々の滑降だったと想う。でも池の周囲にはもう誰もいなかったんだ。

「申し訳ない、テオ」

「でも凄かったぞ。『冠』を向こうに回してたいした勇気だ」

「あれは実に凄かった。見てないけど。お前は凄いやつだよテオ」

 もういいよ。

  唯一の救いは、上で見ていた巻き毛の立会人が昂奮気味に俺の落下の様子を語ってくれたことだ。

 両者のどちらがより水面に近かったかの判断は出来なかったが、錐もみ回転をかけながら落ちた俺は、『冠』と互角の勝負をしたかのように扱われて一躍、名声が上がった。



 大勢の魔法使いを収容しているはずなのに、紫水晶の塔は静寂そのものだった。幾つかの空間を繋いでいるらしく、たとえすぐ隣りの室に千人の魔法使いがいたとしても廊下には何も聴こえない。

 列柱の建ち並ぶ長い廊下の隅で俺は待っていた。こういう時には師匠か、保護者代理としてベルナルディを呼んで来たほうがいいのだろうか。頼もうにも彼らが何処にいるのか分からない。誰かに訊こうにも、召使も誰も通らない。

 大聖堂のような天井が繋がる長い廊下。見つめる先の扉はまだ閉まっている。

 ベルナルディの領地にいつものように俺だけが泊りがけで遊びに行っていた時のことだ。

 大邸宅の図書室にある箒競技の専門雑誌は、ある年からぱたりと購買が終わっていた。お屋敷を探検していた俺は、倉庫みたいな古塔の書物庫でその先に発刊された号を偶然見つけた。

 こまかな埃が舞う塔の中で俺は床に座り込んでいた。

 表紙に載っていたのは、若い頃のマキシムだった。雑誌には飾り文字の大きな見出しが躍っている。『鮮血のマキシム。特別出場枠で冠を得る』『切り裂き魔マキシム。天馬杯を制す』『新旧一騎打ち。最年少のマキシム三冠なるか』

 今よりも線の細い少年の頃のマキシムが大人たちに並んでいる。冠を頭に載せて、観客からの万雷の拍手を受けている。

 俺は胸が苦しくなってきて、あまりよく読めなかった。そこにいるマキシムは俺の知っている師匠ではなく、時々みせる、硝子のような凍った眼をした知らない男の若き頃の姿だった。

 俺は二度とその書庫には入らなかった。深く知ってはいけないような気がした。本当ならば狂喜乱舞していいほど誇らしいはずなのに、そこに隠れているものに近寄ってはならない気がした。

 写真のマキシムはぞっとするほど暗い眼をしていた。笑顔もなければ、勝者の誇りも歓喜もなかった。手を振って観客に応えている二位と三位を従えて、水晶製の表彰台のいちばん高い処に立つ少年は、まるで処刑を待つ罪人のようだった。だらりと落とした片手に無造作に持っている表彰綬も、獲得した七つの冠を讃える天上の音色も、その両眼はまるで見ていなかった。



 扉がようやく開いた。出てきたブラシウスは廊下にいる俺を見て愕いた顔をした。

「テオ。そこで何をしているんだ」

「長い時間、今日のことで叱られているみたいだからさ」

 ブラシウスに向かって俺は肩をすくめた。

「俺だって同罪だ。入っていったものかどうか迷ってたんだ」

「父上は厳しい人だが、説教はすぐに終わったよ。別の話をしていた」

 そうか。なんだ。それなら良かった。

 行こうとすると、ブラシウスは長い廊下を走って追いかけてきて俺の肩に腕を回した。

「君の勝ちだ。テオ」

「決着はついてないだろ」

 腹へった。そろそろ夕食だ。豪華料理も続くと飽きるな。二泊三日の旅だから明日には邑に帰ってシーナに逢える。晩鐘が聴こえてきた。塔の窓の外が小舟のような夕陽を浮かべて黄金色に暮れている。

「俺の時には安全網があった。お前の時にはなかった。錐もみ回転をしたのもお前だけだ」

「池の周りからみんなが消えていることは終わるまで気づいてなかったよ。安全網があるものだと想って俺も落ちたんだ。引き分けだよ」

 俺とブラシウスは肩を組みながら、食堂へ向かった。



》幕間(skip可)

》中篇(下)

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