前篇(下)

 

 街の仕立て屋に通う羽目になったのは、師匠の命令だ。師匠のお供で魔法使いたちの集う魔都に行くことになったからだ。十六歳になった魔法使いはそこに行くのだそうだ。ただし貴族の子弟限定。

 師匠の執事のホルストさんに頼めば全て整えて手配してくれるそうだが、師匠いわく、

「人間の商店にはなるべくお金を落とさなければならない」

 とのことだった。

 魔法使いは人間と共存している。俺は、人間に頼まれたら気楽に屋根の穴を塞ぐし、天窓や雨樋から枯れ葉を取り除いたり、忘れ物を箒で運ぶこともする。かといって人間が全面的に魔法使いを頼ることはない。

 たまたま人間が困っているところに箒を担いだ俺が通りかかれば、

「すまないけど、ちょっと頼まれてくれるかい」

「お安い御用さ」

 樹の上に引っかかった洗濯物なんかを取ってやるくらいだ。その場に俺がいなければ人間たちは俺を頼らない。俺たちも人間の仕事を取り上げることはしない。邑人がシーナに薬草の調合を頼みに来ることもあるが、それですら医者が不在の時に限られた。

 人間たちは基本的には魔法使いを懼れている。露骨に嫌う老人もいる。魔法使いはいざとなれば彼らの家や畠を一瞬で更地に変えて、家畜を全滅させる力を持つからだ。

 その一方で人間は、平生の俺たちが人間に対してとくに何もしないこともよく理解していた。魔法使いは人間に干渉もしなかったし、大きな変化ももたらさない。そこは積極的に人間に害を加える小鬼や低霊とは違う。

 魔女狩り旋風が吹き荒れた時代でも、人間と友好関係を築いていた魔法使いは、「少しの間、隠れていなさい」と人間が逃がしてくれたそうだ。

 師匠は、俺とシーナを何かと遣いに出しては、邑や街で買い物をさせていた。きちんと代金を支払えば、人間は、魔法使いを人間界の規律に従う存在として許容するからだ。

「こんにちは」

「やあ、テオ」

「こういうのが欲しいんだけど」

 街の仕立て屋に行くと、そこの主人に見本を見せた。

「仏蘭西式の正装だね。もちろん縫えるとも」

 王宮の裁縫師だったこともある仕立て屋の主人の声が弾んでいた。

「テオも、もうそんな年になったのか」

「魔都の座標は変わらないけれど、今回は仏蘭西で開催なんだってさ。意味分からないよね」

「魔法使いは十六歳になると魔都に行くんだよ。貴族の子しか行けないはずなのにマキシムさんが連れて行ってくれるとは、お前は幸運な子だ」

「布地はこちらでお願いします」

「うわっ。ホルストさん」

 いつの間にか師匠の執事のホルストさんが大きな鏡の前に立っていた。仕立て屋に現われたホルストさんは抱えていた布束を取り出して店主の前に広げた。ホルストさんも魔法使いなのだ。店主の眼がかがやいた。

「実に素晴らしい」

「余った布につきましてはこちらの店にお納め下さって結構です。それと、テオフラストゥスさま」

「……」

 あ、俺のことか。

「何でしょう」

「その他の装飾類につきましてはこちらにてご用意いたしますのでご心配なく。では」

 現れた時と同じようにホルストさんの姿は仕立て屋から消えた。魔法使いを見慣れている店主は愕きもしなかった。「さっそく採寸をしよう。腕が鳴るよテオ」布束を次から次へと広げて店主は狂喜していた。

「テオはまだ背が伸びそうだから少しゆとりをもって作ったほうがいいと想ったが、これだけたっぷりあれば二着作ってもまだ余る。最高級の布地で仕立てが出来るなんて嬉しくてならないよ。男子の正装のアビ・ア・ラ・フランセーズは、コートとウエストコートとブリーチズで構成されていてね、そうだな、まず一着目は若々しくこちらの青銀色で統一してみようと想うんだ。そこへ刺繍を外注しよう。この裾周りと釦のあたりに控えめに仕込みたい。何と云ってもまだお前は若いから、奇を衒うよりは上質さを前に出した方がいい」

 師匠も同じことを云っていた。流行を追うよりは、正統派のものを最高級の生地で作るほうがいいのだそうだ。

 採寸、型紙、裁断、仮縫、本縫、刺繍、仕上げ。出来上がるまでにはこんなにも工程があった。そういえばシーナもドレスを誂える為にティアティアーナ伯爵未亡人に連れられて何度か家を留守にしてたっけ。

 それで俺は、そのアビ・ア・ラ・フランセーズとやらを仮縫いする為に街を訪れ、「よお、テオ」勝手にくっついて来た友だちと共に、あの日の試着室に暑苦しく詰め込まれていたというわけだ。



 アルフォンシーナを嫁がせようと想う。テオも賛成して欲しい。

 このままこの家にあの子が居るよりは安心だ。

 

 師匠の言葉は、愛のことばに聴こえた。




 風が哭いている。雲を突き抜けてきたせいで俺の身体は少し湿っている。

 師匠と俺は、外套の裾をはためかせながら定規で線を引くように上空を箒で飛んでいた。

 私見だが、箒には、やはり魔女が似合うと想う。魔女があれを使って飛び廻るさまは小鳥が遊んでいるような趣きがあるが、俺たち男が箒に乗って飛ばすと、獲物を狙って空を滑空する猛禽類のようにしか見えないんだよな。見た眼は優美な師匠からして、少し本気で飛ばせば、近くにいる者の膚から血が噴き出すと云われるほどに速い。

 魔女か魔法使いかの違いは地上から見上げても、だいたい分かる。同じように直進していたとしても魔法使いは力強く飛んでおり、魔女の箒は凧のように風の中にふうわりと浮いて見えるのだ。

 師匠が片手で合図を送って来た。降下する。白い花びらをめくるようにして雲が薄くなり、下界が見えてきた。立派な水晶の塔が幾つも並んでいて、放射状に運河が走り、鐘の音がたくさん聴こえる。それだけでも人間世界の都会とは全く違う。

 あちこちの雲の下から同じように箒に乗った魔法使いたちが現れた。一斉に一点目掛けて高度を下げている。塔の中でもひと際目立つ、紫水晶の色をしたきらきらした高い塔に吸い寄せられるようにして魔法使いたちは集まっていく。

 紫水晶の塔の壁面には離発着用の突き出しが平たい貝殻のように螺旋状についていた。内側から発光しているから夜間にはもっと目立つのだろう。師匠は上から二つ目の貝殻に降り立った。かなり高い場所だ。俺も師匠に続いた。

 師匠が箒で降り立つとすぐに、沢山の鐘の音がゴーンゴーンと塔を包んで荘厳な音で鳴りだした。他の者が到着しても鳴らないから、きっと選帝侯が着いた時にだけ鳴るのだ。

 従僕が俺の手から箒をあずかる。手入れをして帰る時に戻してくれるそうだ。塔があまりにも高いこともあり、まだ空の中にいるような夢見心地だった。

「行ってらっしゃい」

 今朝、シーナに見送られて家を出る時に、敷石の前に黒い羽根を散らして一羽の鴉が死んでいた。

「吉兆よ」

 師匠が二階から降りてくる前にシーナは鴉の死骸を片付けた。

 マキシムが俺を見ている。俺がぼんやりしたまま師匠を見詰め返すと、俺を安心させるように師匠は微笑んだ。

 マキシムは俺に促した。

「テオはこれから昼食だ。行きなさい」

「師匠は」

「帰る日にまた逢える」

 お仕着せを着た召使が出てくると、俺とマキシムを別々にして、師匠は何処かへ行ってしまった。

 太陽が光の柱を雲の間から地上に落としている。上空から塔を目指して降りてくるたくさんの魔法使いたちは光の柱をすり抜けて、次々と塔に辿り着いた。俺は集まってくるその姿に眼を遣った。

 クラウディウスの息子、ツォレルン家のバルトロメウスとやらも、この中にいるのだろう。


 

 仕立て屋が渾身の技を凝らした例の正装と、マキシムの実家から届けられた装飾具や靴を手伝ってもらいながら身に着けた。どんな格好かというと、ベルサイユ宮殿でお辞儀してそうなやつだよ。

 次に俺が案内されて入った室には、俺と同じくらいの歳の若い魔法使いがたくさんいた。百名ばかり。

 誰もが押し黙って、広間の壁際にずらりと並んで突っ立っている。彼らは無言のまま室に入って来た俺を見た。

 着こなし慣れた様子のアビ・ア・ラ・フランセーズの群れ。全員、貴族の子だ。俺はマキシムの恩恵でここに来れたが、棄子すてごの俺は本来は近くにも寄れなかったはずだ。

 扉の前にいつまでも立っているわけにもいかない。

 正面の円卓には円錐のかたちになるように金色の小皿がいっぱい浮いている。皿にはお菓子や軽食が載っていた。食事をとるのは隣りの部屋で、ここは控の間なのだ。

 手持無沙汰のまま、俺は真っ直ぐ歩いて行って、皿から適当に菓子を摘まむと口に入れた。

 壁際にいる若い魔法使いたちは無言でそんな俺をじっと見ていた。俺が菓子を手にすると、肩をふるわせて微かに笑った者もいた。そんなに無作法なことだったのか。食べてはいけない物なら置いとくなよ。

 音を立てないようにもぐもぐしながら、俺も仕方なく、空いている壁際を見つけて壁に背をつけて立った。帰りたい。

 やがてまた若い魔法使いが召使に案内されてやって来た。

「こちらでお待ち下さい」

 扉が閉まる。

 新入りは室内の方々から突き刺さる無言の視線を受けてしばらく立っていたが、やがて眼の前の円錐に歩み寄ると、ためらいがちに菓子を手に取った。

 そういうことか!

 合点がいった。こいつらはみんな、誰もが保護者と離れた不安を抱えて集まっているのだが、控室に入って来る者がみな同じような頼りない顔つきで、まずおもむろに菓子を手にするのを見ているうちにだんだんと面白くなってきて、誰かが控室に入って来る度に同じことを同じようにするのを期待を込めて待ち構えていたのだ。だから笑っていたんだ。俺も今、笑ってるもん。

 それから俺たちは誰かが案内されて来る度に押し黙ったまま出迎え、笑いをかみ殺し、最初こそその様子に不安や不快感を隠さなかった若者も仕組みに気づくと同じように壁際に立ってこの悪趣味な遊びに加わりはじめた。初対面でまだ誰の名も知らないが、俺たちの間には連帯感すら生まれてきた。全員が同じ恥をかいているから陰湿にならないのがいい。

「お仕度が整いました」

 隣室の食堂に導かれた頃には、俺たちは楽しくなっていた。


 

 『魔法使いの歴史』第一部、第二部、第三部。昼食の後には映画を観た。第八部まであった。それなりに俺は興味深かったが寝ているやつもいた。

 名乗ると、誰もが少しふしぎそうな顔をした。育ちがいいので誰一人態度には出さないし、それ以上余計なことを訊いてこないが、一線引かれた感じは否めなかった。

「礼装がよく似合うじゃないかテオ」

 明るい声で俺の名を呼びながら、休憩時間にベルナルディが俺に逢いに来た。師匠の友人は少し喋って行ってしまったが、正体不明のままだった俺の格はそれで少し持ち直したようだった。

 礼儀作法を仕込んでくれたティアティアーナ伯爵未亡人には感謝しなければならない。その後の晩餐会でも俺は困ることはなかったからだ。意地悪な眼で俺の一挙手一投足を注視していた者もいたが、肩をすくめるにとどまった。

 


 朝食が済んだ翌日にはもう、若い魔法使いの誰もが退屈していた。

「ここに箒があればな」

 俺たちの考えることは同じだった。箒があれば柄の先で珠を打ち合う競技も出来るし、塔の外に見学に行くことも、空中競争も出来る。

「やろうぜ」

 ということになった。お育ちが良かろうが俺みたいな野育ちだろうが考えることは大差ない。これだけの人数が揃っていて若い男が室内に閉じ込められたまま何もしない、そんなわけにはいくか。

「我々を退屈にさせている側が悪い。反逆を起こそう」

「保管室を襲撃して箒を奪い返そう」

「自前の箒じゃないと飛べないのか?」

 一人の若者と俺が同時に云った。他の連中は曖昧な顔をした。

「もちろん乗れる。箒に乗るだけならね。でも競技となればいつものようにはいかないよ」

「情けないな」

 俺とそいつはまた同じことを云った。視線が合った。その魔法使いが俺に訊いてきた。

「君は」

「テオ」

 魔法使いは微かに首を傾けた。

「ただのテオだよ」投げやりに俺は応えた。

「ただのテオ」

 一語一語区切って彼は笑い出した。

「皇帝や貴族を輩出した家柄の者しかここにはいないはずだが。それとも使用人控室から間違えて上階に案内されてきたのか」

「知るかよ。俺の師匠が貴族だからじゃないの?」

 急につまらなくなってきた。

「気に入らないのなら出て行くよ」

「まあ、待ちたまえ」

 金銀の糸刺繍に飾られた上着の袖を伸ばして、彼は俺を引き止めた。

「冗談かと想ったんだ。失礼をお詫びしよう。魔族の世襲貴族なんてものは俺だって莫迦らしいと想っているよ。君が誰であろうが構わない。そんなことより箒だ。君はどんな箒でも乗れるのか? つまり君は、『騎手』なのか?」

 俺に訊ねるその両眼には彼の興味と情熱が燃えていた。前のめりになって魔法使いはさらに問い詰めてきた。

「テオといったな。君は箒乗りとして自信があるのか」

「まあ、そこそこ」俺は応えた。

「やれるのか」

「まあね」

「おい、気をつけろ」

 新大陸から来た魔法使いが肩越しに俺に囁いた。

「彼の名を知らないのか。ブラシウス・フォン・ウント・ツー・ツォレルンだ」

 ツォレルン。

 ベルナルディが師匠に語っていた、ツォレルン。

「彼に誘われても絶対に箒に乗るな。ツォレルン家の四男のブラシウス。彼は、『冠』付きのブルームスティック・ライダーだ」

 俺の全身に雷に貫かれるような震えがはしった。



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