第12話 『雪の日』

「わおーーん!!」


「こらー! さりー、まてー!」


 グレイシャルとサリーは屋敷全体を使って追いかけっこをしていた。

 ルールとしては相手に触れたら鬼役が交代。


 一階でやったり二階でやったり、たまに色んな部屋に入ったりもしたが、今のところはサリーの圧勝である。

 お互い子供とは言え、狼と人間では速さが違う。


「だめだ……。ぜんぜんおいつけないや……」


 サリーは遠くから「早く追いかけてくれ」と言う様にグレイシャルを見ている。

 アリスの部屋の前で遂にグレイシャルは息を切らし、窓の枠に飛び乗って、背中を窓ガラスに押し付け休むことにした。


 だが、場所が悪かった。

 その場所は数時間前に、カールとグレイシャルがホルムを呼びに行く為に外に出た窓だったのだ。


「えっ?」


 窓に鍵がかけられていなかった為、寄りかかったグレイシャルの体重により開いてしまう。


「あ、え! ちょっと!」


 グレイシャルは無念にも、雪が降り積もる庭へと落ちたのだった。



 ――――



「まったく、二人ともどこ行っちゃたのかしら!」


 広い屋敷の中を一人で歩き、二人を探すリリエル。

 色々な部屋を開けて入ったり、果てには棚や籠の中まで漁る始末。


 フリードベルク家の屋敷はバーレルの街の中ではかなり大きく、カールが直々に設計をしたこともあり、とても複雑な作りになっているのだ。


 ましてや追いかけっこは廊下はだけでなく部屋の中でも行われていたので、もしその部屋を通り過ぎれば簡単に行き違ってしまう。


 なのでリリエルが探しても探しても二人は見つからない。

 終いには疲れて、玄関ホールの階段で座り込んでいた。


「遊んで来いって言われたって、居ないんじゃ遊べないじゃない。もう」


 溜息を付き、膝で頬杖を付いて不貞腐れるリリエル。

 そんなリリエルを密かに見守っていた人物がいた。

 その人物はあたかも偶然出会った風を装い、リリエルに声をかける。


「おや、リリエル様。アリス様の部屋にホルム様と行ったと思っていましたが、こんな所に居るとは。なにかお困りですかな?」


「あっ。えーと……」


 白髪の初老の男。


 リリエルはその男の名前が分からなかった。

 たまにグレイシャルと共に遊んでいたり、サレナと共に仕事をしているのを見たことがあるが、直接喋ったことは無かったのだ。


「失礼、名乗っていませんでしたね。私の名前はイサーク・バーレリア。この屋敷で副執事をしています」


 そういうと男は、イサークは腹に手を当ててお辞儀をする。

 リリエルも反射で立ち上がりペコリとお辞儀をした。


「あ、どーも。リリエル・ガーナって言います」


「これはこれは丁寧にどうも」


 イサークは可愛らしいお辞儀を見て笑みを浮かべる。

 一方リリエルは違和感を感じて怪訝な顔をしていた。


「すみません。あの、バーレリアってサレナさんと同じ名字……?」


 リリエルは首を傾げてイサークに聞く。


「えぇ。サレナは私の兄、ジャイル・バーレリアの娘なんです。なので、私にとっては姪っ子に当たりますね」


「えぇ! サレナさんの叔父さん!? ウソ! 家族でグレイのお家で働いてるんですか?」


「ふふふ。立ち話もなんですし、温かい所で座って話しましょう。今日は冷えますからね」


 そう言うとイサークは階段を降りて歩き出す。

 リリエルも彼に付いて行く事にした。


 向かった先はいつもの応接室。

 窓からは綺麗な中庭が見える……筈だった。

 生憎と今日は、雪で辺り一面が覆われていて何も見えない。


「さあ、どうぞこちらに」


 イサークは椅子を引き、リリエルが座れる様にした。


 感謝の言葉を述べてからリリエルは椅子に座る。


「少々お待ちください、リリエル様」


 そしてイサークは応接室の反対にある厨房に行き、お茶を取って来た。


「寒いのでこちらをどうぞ。ああ、でも火傷にはお気をつけて」


 とても熱いが良い香りがするお茶を手に取り、リリエルは息を吹きかけ、よく冷ましてからそれを飲んだ。


「……美味しい」


「そう言ってもらえると何よりです」


 イサークも自分で淹れたお茶を一口飲み、テーブルにコップを置いた。


「さて、先程の質問でしたな。なぜ家族でフリードベルク家に仕えているのか? と」


「はい。どうしてなんです?」


「元々私はカール様ではなく、カール様の前の領主に執事として仕えていました。しかしある時、竜が来て街で暴れましてね。前の領主は死に、屋敷も街も私の兄も全て無くなってしまいました。そんな時に――」


「カール様とアリス様が来たんですよね?」


 知っていることだったのでリリエルは食い気味に話す。


「あぁ、ご存知でしたか。その通りです。その後カール様達が竜を討伐して新しい領主となりました。私は執事として長年前の領主に仕えていましたので、その経験を買われカール様に雇われました。で、話はここからです」


 イサークは手を組み、そこに顎を乗せた。


「当時のサレナは王都から帰って来たばかりで、仕事がまだ見つかっていませんでした。そこで私はカール様に無理を言って、この屋敷で雇ってもらう様に言ったんです。カール様は二つ返事で快諾して下さいました」


「あのぉ……。それだとサレナさんって、まだあんまり使用人としての歴は長くないんですよね? 執事になるの、早すぎませんか?」


 イサークはリリエルの発言を聞いて大笑いをする。

 いきなり老人が笑いだしてびっくりしたリリエルは目を細めた。


「はっはっは。いや、仰る通り。サレナは今年で五年目。通常そんなに早く執事になることはありえません。しかし、カール様がサレナを使用人として雇う時に手違いが起こったのです。王に提出する主従の契約書、その執事の名前の欄にサレナの名を書いてしまったんです」


「間違えたら直せば良いんじゃないですか……?」


「まあ、すぐに気付けばそれで平気なんですがね。気がついた時には王がサインをして返却された後。契約書と違うことをやらせる訳にもいかず、後の祭りというやつです」


「じゃあ、いきなり下っ端から一番上になったってことですか? 大変じゃないですか、それ」


「えぇ。ある日突然サレナは見習いから執事へ。私はサレナの手伝いをする副執事になりました」


 何だか大変だなー、という他人事の目を向けながらリリエルはお茶を啜る。


「いきなり偉くなっちゃったら、周りの人とかに変な噂とか……」


「それはもう大変でした。他の使用人は妬みから毎日嫌がらせをしたりしてました。でも、サレナは頑張り屋ですから。寝る間も惜しんで勉強して、グレイシャル様が産まれる頃には執事として立派に成長しました」


 遠い目をしながらイサークもお茶を啜る。


「まあ。まだ一人では完全に出来ないので私が手伝ったりしますけどね。特に生まれたばかりのグレイシャル様は今よりも元気でしたから。私も『坊ちゃま』と叫びながら追いかけたものです」


「っぷ。なにそれ、おかしい」


 リリエルはグレイシャルの昔の話を聞いて笑う。

 今でも元気なのに、生まれた時はもっと元気だったなんて信じられなかった。


「さて、昔話もこれくらいにして。次は私が質問してもよろしいですかな?」


「えぇ。面白い話を聞かせてくれてありがとうございます。なにが聞きたいですか?」


「ずばり……。何故、先程階段で座っていたのか、です。ホルム様達と、アリス様の部屋に行った筈では?」


 なぜ階段に座っていたのか。

 本当はその答えをこの老人は知っている。

 リリエルはグレイシャル達が見つからず萎えていたのだ。


 だが、あえて知らないフリをする。


 何故ならばその方が、リリエルがイサークに手伝いを求めやすくなるからだ。

 もし初めから全て知っていることを明かしたならば、自分が年下に身体能力で負けているという屈辱を改めて味合わせることになる。


 そうなれば、恥ずかしさのあまりリリエルは泣いてしまうかも知れないと、イサークは考えた。


「実は……。グレイとサリーと遊ぼうと思って追いかけてたんですけど、何処にも居なくて……」


 リリエルは少しだけ俯きうつむ、恥ずかしげにもじもじしながら言った。

 イサークは演技らしく顎に手を添えて「ふむふむ」と大きく頷いている。


「なるほど。でしたら、私も一緒に探しましょうか?」


「え。いいんですか!?」


 顔を上げ、目を輝かせながらイサークを見る。

 今のリリエルにはイサークが救いの手を差し向ける救世主に見えていたに違いない。


「構いませんよ。こう見えても私は、屋敷の中で誰よりもグレイシャル様を追いかけていましたからね。体力に多少の自信、それからグレイシャル様が隠れそうな場所は熟知しています」


「じゃあお願いします! 私一人じゃダメみたいなので!」


 イサークは頷き、立ち上がった。


「さて、それではまず厨房から探しますか」


「厨房?」


 リリエルも立ち上がる。


「サリーというわんちゃんが一緒にいるのでしょう? だったら、お腹を減らしてなにか食材を漁っているかも知れませんからね」


 なるほど、リリエルは相槌を打つ。

 二人が厨房に行こうとして廊下に繋がるドアに手をかけた時。


「わおーん! わん! わん!」


 突如、サリーの鳴き声が聞こえて来る。

 リリエルはどこから聞こえてくるのか分からずキョロキョロしていたが、イサークは外から聞こえて来るのが分かり、中庭に繋がるドアを開けた。


 しかし――


「うーん。おかしいですね。確かにこちらから今も聞こえるのですが」


 中庭に繋がるドアを開けると一層サリーの声を大きくなる。しかし、サリーの姿は見えない。

 部屋の中に冷たい空気が流れ込み、リリエルが身震いする。


「こら、サリー! 居るのなら早く出てきなさい! 寒いから!」


 リリエルはサリーを呼ぶ。

 だが、声は聞こえるがやはり姿が見えない。


「あ……。リリエル様。私、サリーちゃんの場所分かってしまいました」


「えっ! どこどこ!」


 イサークは右手の人差し指を上に向ける。


「上……?」


 リリエルが釣られる様に上を見ると、そこには窓から顔を出して吠えているサリーの姿があった。


「ちょっとサリー! どこいるのよ! 早く下に来なさい! あと、グレイも連れて来て!」


 サリーはリリエルへ返事をするため短く一回「わん」と吠える。

 すると、あろうことか積もりに積もった雪の中に飛び込んだ。


 しかし、サリーは頭から雪に飛び込んでしまった為、逆立ちの様な状態で止まってしまっていた。

 尻を左右に揺らしながら「くぅーん」という悲しそうな声を出している。


 あまりに突然のことで二人は硬直したが、リリエルは愛犬ならぬ愛狼あいろうを助ける為に雪を掘り出した。


「冷たっ!」


 手袋も何もしていない手では全く掘れないし冷たい。

 しかしサリーを助けたいという一心でリリエルは唸りながら雪を掘った。


 遅れてイサークが動き出し、お茶を持って来るのに使った大きいお盆がテーブルの上にあったので、手に取った。

 そしてリリエルには小さいお皿を二つ渡す。


「さあ、これで掘りましょう! これならすぐに掘れて、手もあまり冷たくなりませんよ!」


「ありがとうイサークさん!」


 それからはもう、無言で二人は掘り続けた。


 しばらく掘ると中庭の植え込みが見えて来る。

 このまま掘れば下が空洞になり、サリーの体重で小さな崩落が起きて助けられる筈だ。


「待ってなさいサリー! 今助けるから!」


「くぅーん……」


 あとは時間の問題だったが更に掘ると、リリエルとイサークはもっと大変な事態に気がつく。

 植え込みの全体像が見えて来ると、何と、人の衣服らしき物が見えて来たのだった。


 二人は事件かと思い、顔を見つめ合って息を呑む。


「イサークさん……これって……」


「いやいやいや! まさかこの屋敷で殺人事件が……」


 イサークは恐る恐るその衣服を引張る。

 すると、衣服というよりもっぽい物は動き出したのだ。


「ひいいい!」


 リリエルは恐怖で後退り、そのまま転んで尻餅をついた。

 イサークは額に大量の汗をかきながら尚も引き続ける。


「動く死体!? 一体誰がこんなことを……。まさかカール様が……!?」


 様々な可能性が頭の中をよぎるなか、遂にその全貌が露わとなった。


「ぷはぁ! つめたかった! しんじゃうかとおもったよ!」


 なんと、中から出て来たのはグレイシャルだったのだ。

 リリエルとイサークはすぐに駆け寄り理由を聞いた。


「お坊ちゃま! どうしてあんな所に!?」


「そうよ! 探したんだから、バカ!」


「ごめんね。さりーとおいかけっこしてら、まどのかぎがしまってなくて……。おちちゃったんだ」


 グレイシャルは立ち上がり、身体に付いた雪や葉っぱを振り払う。

 そのままサリーを助けようとまた外に行こうとするが、


「こら、待ちなさい! 怪我してないか見せて!」


「そうですよ! 身体も冷えてるでしょう! お風呂に行きましょう、坊ちゃま!」


 二人に行く手を阻まれてそれどころではなかった。


「いいから! まずはさりーたすけるから! それから!」


 グレイシャルは二人を押しのけて、置いてあったお皿を拾い除雪をする。

 二人は不満そうな顔をしながら渋々と雪かきに付き合った。

 その間もサリーは悲しそうな声で鳴いている。


 そしてしばらく掘ると予想通りサリーが上から落ちて来た。

 サリーは身体をブルブルと振り、身体についた雪を飛ばす。


「さりー、だいじょうぶ? さむくなかった?」


「わん!」


 サリーは尻尾をブンブンと振りながらグレイシャルにすり寄る。


「じゃあグレイ、サリー助けたから約束通り怪我とか無いか見るわよ。服、脱いで」


「えっ、べつにへいき。どこもいたくないよ?」


「いいから脱ぎなさい! イサークさんもグレイ押さえて!」


「はっ! 畏まりました! お坊ちゃま、観念してください!」


「やだー!!」


 グレイシャルは止めろと言わんばかりに抵抗をするが、大の大人に取り押さえられては抵抗も虚しく……。

 リリエルにそのまま服を全部取られてしまいパンツだけにされてしまった。


「ほら、言ったじゃない! 脇腹、切れて血が出てるわよ。枝で切れちゃったのね」


「だいじょうぶだよ、いたくないし……」


「いいから大人しくしてなさい!」


 リリエルはそう言うと両手でグレイの出血部分を覆い、治癒魔術を唱えた。


「テレアスの名のもとに、この者に癒やしを……サーナ」


 五色の光がリリエルの手から発せられる。

 その光はグレイシャルの傷口を包み込み、瞬く間に血を止めて傷を塞いだ。


 それを見てイサークは大層驚いた。


「リリエル様、あなたは治癒魔術を?」


「えぇ、まあ。まだ練習なので、一番難易度の低いのしか使えませんけどね」


 リリエルは他に、グレイシャルの身体に傷がないかを確認しながら返答する。


「その歳で治癒魔術を習得するとは。将来が楽しみですな」


 イサークは治療が終わったのを確認し、グレイシャルを離す。

 グレイシャルはサリーに飛び込み、パンツ一枚でもふもふを堪能する。


 リリエルはサリーの傷を確認し、イサークに対して少し寂しげに笑いながら、


「正直、いまでも限界を感じてるので……。たぶん、これ以上成長しないんじゃないかなあ」


 と言う。

 幼い少女らしからぬ悩みでもあった。


 イサークは皿や雪を片付けながらリリエルを慰める。


「ははは。まだまだですぞ」


「だと良いんですけどねえ~」


 リリエルももふもふに負けて、サリーの背に顔を埋めた。

 そしてふと、隣りに居るグレイシャルを見る。

 すると、グレイシャルが鼻水を垂らしていたのだ。


「ねえ、グレイ。鼻水、垂れてるわよ?」


「え? わあ、ほんとだあ……」


 伸びに伸びた鼻水はなんと、30センチ程の長さだった。

 リリエルは「うえー」と、嫌そうな顔と声をしながらもグレイのおでこを触る。


 どれほどの時間彼が雪の中に埋もれていたのかは分からないが、そう短くは無い筈だ。

 左手で自分のおでこを触り、右手でグレイシャルのおでこを触って体温を測る。


「むむむむ……。あれ?」


 案の定、グレイシャルのおでこはものすごく熱かった。


「ちょっとイサークさん!」


「なんですかな?」


 雪や皿の片付けが未だに終わらないイサークは作業をしながら、振り向かずに返事をする。


「グレイのおでこ、すごい熱い! 熱出してるかも!」


「なんと!?」


 イサークは皿を床に投げ捨ててグレイシャルに駆け寄った。

 当然、皿は割れたが気にしない。

 彼はリリエルと同じ様に自分とグレイシャルの温度を比べる。


「あぁ……。これはいけませんね。リリエル様の言うとおりです。今すぐ温かいお風呂に入って、まずは身体を温めましょう」


 グレイシャルは首を横にブンブンと振って拒否した。


「だいじょぶ! ぼく、ちょうしいい!」


 ズビビと鼻をすすりながらピースサインをする。

 その姿に説得力は無く、再びイサークに拘束されて風呂場に連れて行かれた。



 ――――



「ではリリエル様。グレイシャル様ですが……」


「大丈夫! 私に任せて下さい! しっかり面倒見ますから!」


「……分かりました。それでは、よろしくお願いします」


 イサークはそう言うと脱衣所のドアを締める。


 グレイシャルはイサークに抱えられ脱衣所に放り込まれた。

 そしてリリエルに、グレイシャルの入浴の手伝いを任せることにしたのだ。


 自分の仕事が終わらないので、止む無くリリエルに任せるしか無い。

 勿論、グレイシャルの鼻水で毛が汚れたサリーも一緒にである。


「さあ、お風呂に入るわよ! 脱ぎなさい!」


「はーい」


 リリエルはささっとグレイシャルの服を脱がせ籠に入れる。

 同じ様に自分も脱ぎ隣の籠へ。


「わぁ……」


 初めて入ったフリードベルク家のお風呂。

 教会兼自宅のリリエルの家とは比べ物にならないほど豪華だった。


「グレイ、いつもこんなすごいところでお風呂を?」


「うん。いつもされなさんか、おかあさんとはいってる。たまーに、じいやともはいるよ!」


 爺やとは恐らくイサークのことだろうと、リリエルは勝手に納得する。

 そしてそれは間違っていない。


 しかし、それはそうとなぜ父であるカールとは一緒に入らないのだろう。

 リリエルは不思議に思って聞いた。


「カール様とは?」


「おとうさんはいつもおふろはいるのおそいの。いそがしいんだって」


 寂しそうな顔で下を向くグレイシャル。

 なんだか悪いことを聞いてしまった雰囲気が漂っていた。


 そんな空気を払拭する為に、リリエルは手をパンパンと叩く。


「さ、それじゃあ入りましょ! でも、まずは入る前に二人の体洗っちゃうわね。背中向けて座って」


「はーい」


「わん!」


 グレイシャルとサリーは大人しく従った。

 恐らく体の芯まで冷えてしまったので、一刻も早く体を洗って風呂に浸かりたいからだろう。


 リリエルは桶でお湯を掬いグレイシャルの頭からかける。

 そして布でゴシゴシと身体を擦る。


「ちょっといたい!」


「男の子でしょ。文句言わないの。怪我したら私が治すから我慢しなさい」


 不満そうな声を……。

 否、声にもならない声を延々と出しながら僅かな抵抗をするグレイシャル。


「ハイ終わり!」


 再び頭からお湯をかけて、垢を洗い流す。


「グレイはもうお風呂浸かっていいわよ。次はサリーね、こっちいらっしゃい」


「わん!」


 グレイシャルと位置を入れ替え、リリエルに背中を見せる白い毛並みのわんころ……。

 否、狼であった。


 グレイシャルはぽけ~と風呂に浸かりながら、サリーがゴシゴシ洗われて自分と同じように声にもならない声で鳴いているのを聞いていた。


「はい、サリーも終わり!」


 短く「くぅーん……」と悲しげな声を上げ、サリーは逃げる様に湯船に飛び込んだ。


 リリエルもお風呂に浸かる為、急いで身体と髪を洗った。


 しかし二人とは違い、ゆっくりと静かに湯船に浸かる。

 その姿はさながら女神のようだった。

 子供だからそこまで色っぽくならないものの、あと十五年もすれば男を惑わす破壊的な美貌になるだろう。


 しかし、この大浴場に今いるのは子供達だけだ。

 誰もそんな邪なことは考えない。


 その証拠にグレイシャルは、水を吸っていつもとは違うタイプのもふもふになったサリーを触っていた。

 サリーは手足を伸ばして泳いでも、どこにもぶつからない広さに感動を覚えてはしゃいでいる。


 邪念が入り込む余地など無かった。


 ではリリエルはどうだろうか。

 彼女は6歳。

 6歳と言えば肉体的にも精神的にも急成長が始まる時期だ。


 思春期とは違う意味で、単純な疑問として性への関心が高まる。

 それはリリエルも例外ではない。


 リリエルはグレイシャルの股間を凝視していた。

 自分には付いていないが付いている珍しさ。


 触ってみたいが、触ったら嫌がるだろうか……。


 そこそこの葛藤に悩まされ、湯船に浸かりながら、腕を組んで身体を左右に揺らしていた。


 自由気ままに泳ぐサリー。

 そのサリーを追いかけてもふもふするグレイシャル。

 触るべきか否かを真剣に考えて悩むリリエル。


 三者は思い思いの好きなことをして、入浴の時間を過ごす。


 しかし、それも長くは続かない。

 安らぎの時間に終わりを告げる音は、突然に訪れる。


「グレイシャル様。リリエル様。サリーちゃん。お菓子と温かいお茶を作りました。食堂にて、一緒に如何ですかな?」


 イサークが大浴場の扉をノックする音が聞こえて来る。

 なるほど、だから先程から良い匂いがして来たのか、と三人は合点が行った。


 そしてお菓子と言われれば子供にとっては特効薬の様なもの。

 我先にとお湯から上がり脱衣所へと向かう。

 イサークはというと、プライバシーに配慮してささっと退出していた。


 二人はイサークが用意してくれたタオルで体を拭く。


「こら、サリー! 身体ブンブンして水飛ばさないの!」


 サリーが身体を乾かす為に水を飛ばしたが、毛量の多さからかそれが当たった二人は、せっかく拭いて乾いた身体がまたもやびしょ濡れになってしまった。


「あはは! さりー、ふんすいみたい!」


 その姿はまるでフリードベルク家の階段のにある、獅子の顔をした噴水にそっくりだ。

 唯一違う点は、口から水を吐いているか否かだった。


「そんなこと言ってないでサリー拭くわよ、グレイも手伝いなさい!」


「はーい」


 素直に従って可能な限り水気を拭き取る二人。

 ある程度拭き取れたら、イサークが用意してくれた替えの服に着替えて、走って食堂へと向かう。


 食堂に入ると人数分のコップとお菓子、サリーの場合は乾燥させた肉がテーブルに置いてあった。


「わあー! おいしそう!」


「わん!」


 グレイシャルとサリーは引いてあった席に飛びついた。

 リリエルも後を追う様に小走りで席に着く。


「お待ちしておりました。ささ、冷めぬうちにどうぞ。グレイシャル様のお茶には、体調不調に効くはちみつと薬草を。リリエル様には私と同じ、普通に美味しいお茶を。サリーちゃんには乾燥肉のおやつを――」


「「いただきまーす!」」


「わおーん!」


 二人と一匹は説明が終わる前に食べ始めてしまう。

 思えば今日は、アリスが急に出産をすることになってしまったので、誰一人として夕食を取る時間が無かった。


 必然的に腹も減る。

 普段なら行儀よく食べるリリエルですら、流し込むような勢いで食べている。

 イサークはそんな二人の姿を見てほっこりとした気持ちになり、食事の妨げにならないような小さな声で、


「召し上がれ」


 と呟いた。



――――



「おなかいっぱい~。もうぼく、たべられない」


「私も……」


 グレイシャルとリリエルはテーブルに突っ伏した。

 クッキーはお菓子と言えど元は小麦。

 一つ一つは小さくても、多く食べれば普通にお腹も膨れるのだ。


 イサークは二人の姿を見ながら、満足気に食器を片付けていた。


 サリーはと言うと、二人と違って腹八分目と言ったところなので普通に動ける。

 しかしいつも遊んでくれる二人は見ての通りなので、仕方なく食器の片付けを手伝っていた。


 器用に前足を使って食器を頭に乗せ、厨房の方へと運んで行く。

 サリーは水の張ってある桶の中に食器を入れた。


「ありがとう、お利口さんですね。これで子供だというのだから、バゼラントウルフの成体になったサリーちゃんは、どれほど良い子になってしまうのでしょうか。見てみたいものですねえ」


 食器を桶の中で洗い、洗い終えたものを水切りかごの中に次から次へと入れていく。

 二人の所に戻っても仕方がないので、サリーは仕方なくイサークの作業を眺めていた。


「よし、これで終わりです」


 掛け声を上げて水の入った桶を持ち上げ、厨房にある背の低い窓から、外に向けて桶を傾けた。

 わざわざ外まで行かなくても簡単に水を排出できる様にと、カールが設計したのだ。


 水を汲む時は、屋敷の敷地内には至る所に井戸があるのでそこから。

 こと厨房においては、隣の倉庫に入って向かいに見えるドアを開けると外に繋がっており、その目の前に井戸があるので、すぐに汲むことができる。


 さて、イサークが片付けを終わらせてサリーと食堂に戻るとグレイシャルは寝ていた。

 リリエルは睡魔に負けない様に頑張っているが、もはや時間の問題だろう。


「サリーちゃんは眠くないんですか?」


「わん!」


 構え構え、という風に尻尾を振りながらイサークの周りをグルグル回っている。

 よしよし、と撫でてやると満足げに喉を鳴らした。


 思い出した様にイサークは、壁にかけてある時計を見る。

 時刻は午後10時前。


「もうこんな時間ですか。今日は色々ありましたし、後はカール様達の健闘を祈ってグレイシャル様達は寝るとしましょう。手伝ってくれますかな、サリーちゃん」


「わおーーん!!」


 遠吠えの様ににサリーは吠えた。

 恐らく「任せろ!」と言ったのだろうとイサークは思い頷く。


「私はリリエル様を運びますから、グレイシャル様をサリーちゃんがお願いしますね」


 宣言通りにイサークはリリエルをお姫様抱っこをする。

 サリーは少々強引だが、寝てるグレイシャルを起こさない様に一応気をつけて背中に乗せる。

 準備が出来たのを確認して、イサークはサリーに声をかけた。


「こちらです、サリーちゃん」


 イサークはサリーの前方を歩く。

 向かう先はグレイシャルの部屋だ。

 グレイシャルの部屋は屋敷の二階にあり、アリスの部屋の向かいにある。


 今居る場所は屋敷の一階の左下。

 丁度グレイシャルの部屋の真下だ。

 イサークは一人を抱っこして、サリーは一人を背に乗せて階段を上る。


 そして、そこそこ長い廊下を通ってようやくグレイシャルの部屋に着いた。

 彼は抱っこしたまま、器用に片手でドアを開け部屋に入る。


 誰も居ないので当然灯りはなかったが、月明かりが照らしてくれていたので真っ暗ではなかった。


「さあ、着きましたよ。リリエル様、今からベッドの用意をするのでしばしの間、ご自分で立っていただいても?」


「ふぁーい……」


 うつらうつらとしながら答える。

 その間にイサークは乱れた布団を整え、枕をリリエルの為にもう一つ用意した。


 グレイシャルのベッドは一人用だが、将来も使うことを考えてカールが大きめの物を購入したので、子供二人が一緒に寝るくらいなら余裕がある大きさだ。


 準備が出来たベッドの奥側にまずはグレイシャルを寝かせる。

 手前には、今にも倒れそうなリリエルを誘導して寝かせた。


「ふう。これにてお仕事終了ですな。いやはや、今日は腰に……」


 腰を擦ったり叩いたりしている老人を、サリーは見つめていた。


「おや? なんですかなサリーちゃん」


「わん……」


 わん。

 それだけで分かる筈は無いのだが、今のイサークにはなんとなく分かった。

 恐らく意味は――


「あぁ、なるほど。サリーちゃんも一緒に寝たいんですね」


「わん!」


 正解だった様で、サリーは二人を起こさない程度に大きな声で答える。


 それならばと、イサークはグレイシャルとリリエルを少し両端にずらして真ん中に空間を作った。

 その空間は丁度、サリーが入るには十分な大きさだ。


「これで如何ですかな?」


 サリーはその隙間に飛び込んで丸まった。

 最早答えるまでも無いということだろう。


 最後に二人と一匹が眠るベッドに布団をかけ、イサークは部屋から退出した。


「おやすみなさい。グレイシャル様、リリエル様、サリーちゃん」


 その姿は何処か、主従ではなく孫と祖父に見えた。



※屋敷の間取り図です。


 https://40555.mitemin.net/i700624/

 https://40555.mitemin.net/i700623/



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