第9話 『父の憧れ』
「――ま――い」
微かに聞こえる声。
「グレイ――おきて――い」
どこか暖かさを感じる声だ。
「グレイシャル様、起きて下さい」
「んー……」
グレイシャルが目を開けると、見知った顔の女執事がおでこをくっつけていた。
「されな、さん?」
「やっと起きましたね。グレイシャル様が寝ている間に食器の片付けや灰の始末、その他諸々の雑務は終わらせました」
自分は一体どれほどの時間寝ていたのだろうか。
グレイシャルはサレナに聞く。
「ぼく、どれくらいねてたの?」
サレナは服の首元の紐を緩め、首に下げている懐中時計を取り出した。
「なーに、それ?」
「これは懐中時計と言って時間を見る道具です。これによるとグレイシャル様は、およそ2時間ほど寝ていたことになりますね」
「にじかん?」
「この短い針が二つ進んだので二時間、もしくは長い針が二周したので二時間と考えます」
サレナは時計の針を指差しながら、未だに目覚め切れていないグレイシャルに説明する。
しかし、グレイシャルは聞いているのか聞いていないのか、頭をかくかく上下に揺らしており眠そうだった。
サレナはそれを見て溜息を付く。
「なんにせよ、今日はもう寝ましょう。頑張りましたからね。ですが……。寝る前にお風呂に入りましょう」
「やだ。ねむい」
「嫌じゃありません。行きますよ」
「んー……」
グレイシャルは先程まで寝ていた椅子に再び寝転がる。
しかしサレナはお構いなしにグレイシャルを抱きかかえ、厨房から出て行った。
「ねむい、ねる」
「ダメです」
グレイシャルを抱えて廊下を歩くサレナ。
その足で風呂場に向かうかと思いきや、先に寄る場所がある。
それは階段を上がった先にある部屋。
彼女は扉をノックし、部屋の主に入室の許可を取る。
一体、誰の部屋なのか。
「失礼します、カール様」
そう、それはこの屋敷の主の部屋だ。
「ん? どうしたんだいサレナ。グレイも一緒みたいだけど」
「グレイシャル様がお風呂に入りたがらないので、父親として一言、言って頂きたく伺いました」
「あー……。なるほどね。わかったよ」
カールは席を立ちサレナに近づいた。
そして息子の頭を撫でながら言う。
「こら、グレイ。お風呂に入らないとダメだぞ?」
そう言ってグレイシャルの額を軽く指で小突く。
対してグレイシャルは、 実に眠そうに目を開けながら言った。
「だってねむいもん……」
「眠くても入るんだ。そうじゃないと、サレナが本を読んでくれないぞ?」
「え? されなさん、ほんよんでくれるの?」
「あぁ。今日、お医者さんの帰りに書店に行ってね。お母さんがグレイのために本を買ってくれたんだよ」
お金が無くて後払いにしてもらったことは隠すカール。
サレナもカールに乗って畳み掛ける。
「残念ですグレイシャル様。せっかく面白そうな本だったのですが……。カール様の言う通り、お風呂に入らない悪い子には読んであげられませんね」
本……。
その言葉を聞いたグレイシャルは唸り始めた。
葛藤しているのだ。
眠気に負けてこのまま寝るか、風呂に入ってサレナに本を読んでもらうか。
睡眠欲と知識欲、勝ったのは――
「わかった……ねむいけど、おふろはいる」
グレイシャルはお風呂に入ることに決めた。
「よーし。良い子だ。サレナ、それじゃあ頼むよ」
「承知しました。行きますよ、グレイシャル様」
「うん」
グレイシャルはサレナの腕から出て自分で歩くことにした。
しかし、手だけはサレナと繋いだままにする。
「失礼しました、カール様」
「あぁ。また明日」
カールは笑顔で手を振り、二人に一日の終りの挨拶をして見送った。
パタリ、とドアが音を立てて閉まった直後、カールの笑みは崩れ去る。
「……はあ。仕事、終わらないなあ」
彼は自分の席に積もった書類の山を見て肩を落とし、深い深い溜息を付いた。
――――
「さあ、お洋服を脱ぎましょうね」
サレナに服を脱がされ、腰にタオルを巻かれるグレイシャル。
脱いだ服は全て籠の中に入れられた。
「では、私も準備しますので少々お待ちを」
そう言うとサレナも服を脱ぎ始める。
グレイシャルの服が入っている籠の、隣の籠に自分の服を入れて丸メガネを外す。
髪の毛も普段は邪魔なので髪留め着けているが、流石に入浴する時は外す様だ。
グレイシャルにしてあげたように自分にもタオルを巻いて二人は浴場へと踏み入れた。
一般的な家にある風呂は、汲んで来た水を金属で出来た箱の様な浴槽の中に入れ、下から火で温めるという方式である。
しかしフリードベルク家は貴族なので、屋敷の外装だけでなく内装も豪華な作りとなっていた。
それは浴場も例外では無い。
フリードベルク家の浴場にはとても大きな浴槽がある。
ただ、この浴槽はただの浴槽ではない。
クロード王国から取り寄せた魔導具なのだ。
魔力を込めればお湯が出て来るという、とても画期的な魔導具である。
無論、バゼラント王国では小さく無害な魔導具ならまだしも、大きな魔導具を輸入する場合は国王セン・ヨルク・バゼラントに許可を取る必要がある。
カールは街に引っ越して来て屋敷を建て替える際に王に許可を取ったのだ。
その他にもカールはアズマの国から、底面に蛙の絵が書かれた木の桶を輸入したり、ノートリア大陸から大きなガラスを輸入したりと細部にまで拘って浴場を作成した。
そして今、
「グレイシャル様、目を瞑っていてください」
「うん」
サレナが桶にお湯を汲んで、グレイシャルの頭にお湯をかける。
続いて身体を布で擦り汚れを落とす。秘部だけは見ないようにするが、一応洗う。
擦り終えたので再びお湯をかける。
「はい、よく我慢できましたね。私も身体を洗うので、先に湯船に浸かって下さい」
「わかった!」
グレイシャルはそう言うと湯船に浸かり、浅い所で座る。
奥は少し深めになっているからだ。
サレナはその間に、グレイシャルにしたことを自分にもする。
頭からお湯を被り、身体を洗い、再度お湯をかけて流す。
そしてサレナも湯船に浸かった。
「「はあ~」」
グレイシャルとサレナは情けない声を出し、顔をほころばせる。
それだけカールが作り上げた浴場はすごいのだ。
「ねえされなさん」
「なんですか?」
「されなさんって、ふだんはわからないけど、むね。おおきいね」
サレナは水属性魔術を無詠唱で行使し、グレイシャルの顔に被せた。
「つめた!」
グレイシャルは冷たさのあまり浴槽の中に数秒間潜り、顔を温めた。
しばらくして浮上して来たグレイシャルを見て、サレナが溜息を付く。
「そういうことは女性にあまり言ってはいけません。私だからこれくらいで済んでいますけど、人によっては全力で殴って来ますからね」
「なんでいっちゃだめなの?」
「そのうちわかりますよ。でも、あえて言うならば……」
サレナは両手を組み、腕を上に伸ばす。
「リリエルちゃんに嫌われないため、ですかね。そういう事言ってるといつか嫌われちゃいますよ?」
「えっ。それはやだな」
「じゃあやめましょう」
「わかった!」
「良い子ですね」
素直で物分りの良い可愛い子。
サレナはそんな事を思いながらグレイシャルの頭を撫でる。
その後、しばらく二人は湯船に浸かりのびのびする事に。
少ししてサレナがチラリと横を見ると、グレイシャルの顔が赤くなって来ていた。
なので彼女は気を利かせて言う。
「そろそろ出ましょうか。あまり長く浸かるのも体に良くないですからね」
そうして二人は手を繋ぎ脱衣所に出た。
サレナはグレイシャルの濡れた身体を拭いてあげ、自分の身体も拭く。
最後に替えの服を着せてあげれば完成だ。
「されなさん、かみのけ。まだぬれてるよ!」
「私は長いですから。仕方ないですよ」
サレナの金髪の髪の毛が水分を含み輝く。
グレイシャルはしばらくその綺麗さに見惚れていた。
彼がボーッとしていると、突然脱衣所のドアが開けられ人が入って来る。
「お風呂お風呂~っと。あれ、サレナとグレイ、今上がったところ?」
入ってきたのはアリスだ。
「えぇ、今上がった所です。すぐにどきますね」
「いいのよゆっくりで。あ、この後グレイに……」
「はい。読み聞かせ、ですよね。承知しています」
「うん! いつもありがとね!」
アリスはサレナと会話をした後グレイシャルに向き直り言う。
「グレイ、お風呂気持ち良かった?」
「うん! されなさんのおかげ! でも、されなさんまだぬれてるの!」
「濡れてる? 何が?」
アリスはサレナの方を再度向き直り、グレイシャルが何を言おうとしていたのかを理解する。
「あぁ。なるほどね~」
アリスは着替えを置き、両手を自由にしてからサレナに話しかける。
「こらサレナ。いつもお風呂上がりは私に言いなさいって言ってたでしょ? 髪は女の命何だから」
「しかし、アリス様のお手を煩わせる訳には――」
「いいから! はい、そこに座る!」
アリスはサレナを半ば強制的に椅子に座らせ、サレナの頭に両手をかざす。
するとサレナの髪の毛が、風が吹いているかの如く揺れ始めた。
否、実際に
だが、風とはいっても窓の隙間から吹いている様なものでは無い。
「ほら、こうすればすぐに乾くのよ?」
アリスが魔術を使い、両手から温風を出していたのだ。
「ですがアリス様、魔術はこの国では……」
「何言ってるの? あなただって隠れて使ってるから同じでしょ」
サレナは驚き、何故アリスがそのことを知っているのかを聞いた。
「私は魔術師よ? それくらい分かって当然なんだから」
答えになっていないが、サレナはあまり深く聞かないことにした。
要するに「誰にも言わないでおくから、あなたも誰にも言わないでね」ということだろう。
「おかあさん! それ、どうやるの? あったかいの!」
しかしグレイシャルにはそんなことなど関係ない。
良くも悪くも『法律など知った事か!』というスタンスなのだ。
幼いので仕方無い。
「内緒よ。グレイにはまだ早いわ。でも、いつか別の国に行った時に教えてあげるわね」
「わかった! やくそくだよ!」
「えぇ! お母さんとのやーくそく!」
サレナはそんな二人の会話を聞きながら、自分の行動が筒抜けになっていたことを反省し、そして溜息を付いた。
――――
髪を乾かして貰った後、サレナはグレイシャルを連れて自室に戻る。
アリスから渡された本を自分の部屋に取りに行ったのだ。
本を取り、本日最後の仕事が始まる。
「『しこうのきし』……? なにそれ!」
「グレイシャル様のお部屋に着いてから読みます。さあ、もう少しの辛抱です。行きましょう」
サレナはグレイシャルと手を繋ぎ、グレイシャルの部屋に向かう。
途中先程のアリスとの会話についてグレイシャルが尋ねた。
「そういえば、おかあさんにばれてたね」
「えぇ。バレていました。気を遣うはずが逆に気を遣われていたとは。情けない限りです」
「きにしない、きにしない!」
グレイシャルにさえ励まされる始末。
溜息ではなく涙が出そうだった。
そうこうしているうちに二人はグレイシャルの部屋に到着する。
ドアを開けランタンに火を灯し、グレイシャルには布団の中に入るように指示を出す。
早く本を読んで欲しいグレイシャルは素直に従った。
準備が出来たのを確認してサレナはグレイシャルのベッドの腰掛け、本を開き読み始める。
「『至高の騎士。今より900年ほど昔のライン歴15年、ネクロライト王国に一人の子供が産まれた。彼の者の名はハイデ・クライト。産まれてまもなく親に捨てられ、盗賊団に拾われて育った』」
「ねえ」
「なんですか」
開幕グレイシャルがいきなり話しかける。
「らいんれきって、なに?」
サレナはそれに、溜息を付いてから答えた。
「時の流れを表す物……でしょうか? セスペル・ラインという人物が世界一周を成し遂げた後、世界地図を書き上げ、世界を事実上繋げました。そして彼が死んだ時にライン歴は1年より始まりました。知っているとは思いますが、1年は360日・1日は24時間・1時間は60分・1分は60秒です」
「それはしってるよ!」
「これは失礼しました」
咳払いをしてサレナは続ける。
「『彼が15歳になったのある日。ハイデは盗賊の頭に、コーム教の教皇の家に忍び込んで財宝を盗んで来るように言われた。彼は言われた通り忍び込んだが、そこで教皇の息子に見つかり死ぬ寸前まで痛めつけられ、外に投げ出された』」
「『彼はその後、通りがかった女性に助けられた……』」
「おわり?」
「まだ終わりませんよ。グレイシャル様、今日は『いつもより』は静かですね普段はもっと質問攻めにしてくるのに」
「ねむいから……」
グレイシャルは欠伸をした。
なるほど、と言ってサレナは続ける。
「『数日後のこと。ハイデが街を歩いていると、お頭が女性を無理やり手籠にしようとしている所に出くわした。その女性は、数日前に自分を助けてくれた女性だった』」
「『彼はお頭に女性を離すように言った。逆上したお頭は部下に命じてハイデを痛めつけた。すると彼は刃物で切られ、拳で殴られ、身体はボロボロになった。だが、自分を助けてくれた女性を見捨てたくはなかった』」
物語は少しづつ盛り上がっていく。
それとは逆に、グレイシャルは少しづつだが確実に眠気に負け始めていた。
「『そんなハイデを助けたのは、数日前に彼を死ぬ寸前まで痛めつけた教皇の息子だった。教皇の息子は瞬く間に盗賊を斬り殺した。何故彼がハイデを助けたのか。その女性は、教皇の息子の恋人だったからだ。彼は、恋人を助けてくれたハイデにお礼を言い、女性にハイデを治すように言った』」
「『その後ハイデは自身に身寄りが無いことを教皇の息子に話すと、彼は教皇である父に、ハイデを家族に迎え入れる様に言って説得した。ハイデが出したほんの少しの勇気が、ハイデ自身の運命を大きく変えることになったのだ』」
「『その後ハイデは恩に報いるため必死に教皇と、教皇の息子に剣を習った。時は流れ、多くの功績を重ねたハイデ・クライトはネクロライト王国の騎士団長にまで上り詰めた』」
サレナがちらりとグレイシャルを見ると、既に寝ていた。
「まったく……」
彼女は微笑みながらグレイシャルを撫でる。
そして誰が聞いている訳でも無いのにサレナは朗読を続ける。
「『ある時、バゼラント王国がネクロライト王国に対して、領土を広げる為に二度に渡り侵略戦争を仕掛けた。一度目はライン歴40年。バゼラントは海戦に勝利して上陸するも、陸地でハイデ・クライト率いる薔薇の騎士団と戦い敗北を喫し、撤退した』」
「『翌年、ライン歴42年に二度目の侵攻。再びバゼラントは侵略をしに来る。しかし、今度は海の上でハイデ・クライトが率いる艦隊に敗北を喫したのだ。戦争はネクロライト王国が勝利し、バゼラントは永久不可侵を約束し多額の賠償金を支払った』」
「『そしてハイデ・クライトは、ネクロライト王国を二度に渡り救った英雄として、彼より優秀な騎士は居ないという意味から
まだ本には続きがあったが、サレナは読むのを止めて本を閉じた。
この本の先はまたいずれ、グレイシャルが起きている時にでも読むことにしたのだ。
「カール様も昔は、ハイデ・クライトに憧れて剣を振っていたそうですよ。いつか、グレイシャル様にもそんな人が出来るかも知れませんね」
ベッドから立ち、サレナは本を脇に抱える。
そうして彼女はランタンの灯りを消し、部屋を後にしたのだった。
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