第8話 『ハイタッチ』

 窓の隙間から丁度、もうそろそろ月の頭の部分が見え始めるであろう時間。


「さあさあグレイシャル様。晩ご飯、作りましょうか」


「おー!」


 サレナとグレイシャルは少々長すぎた休憩を終え、いよいよ夕飯を作ろうとしていた。


 ちょいちょい、と手招きでグレイシャルを呼ぶサレナ。

 彼女は昼食を作った時に酒に漬けておいた鹿肉を、グレイシャルに見せる。


 台を移動して鹿肉の入ったボウルを見るグレイシャル。

 彼は鼻を手でつまみながら言った。


「おさけくさっ!」


「さっきも嗅いたでしょうに……。まあそれはいいです。見て下さい。肉の色が少しオレンジ色になったでしょう? これは、肉に酒が染み込んだ証拠です」


「このまま焼いて食べるの?」


「焼いて食べるには少々きつい味がすると思います。いいですか? こういう風に酒を染み込ませた物は大体、煮込み料理にすると美味しいんですよ」


 サレナはそう言うと大きめの鍋を取り出しかまどの上に置く。

 そしてまたまた、誰も見ていないのをいいことに魔術を使った。

 すると鍋の中に並々と水が注がれる。


「まず水を注いだ鍋に酒の染み込んだ肉を入れ、次に野菜を入れます」


 サレナは厨房の隣の部屋、倉庫から野菜を取って来てグレイシャルに言う。


「グレイシャル様、洗っておいて下さい。私は薪を取ってきます」


「はーい」


 サレナは水を軽く張った桶と野菜をグレイシャルに渡し、屋敷の外の倉庫に薪を補充しに行った。


 しかし、一人になったグレイシャルは魔が差す。


 それもそうだろう、子供は一人にするとすぐに危ないことをしようとするものだ。

 例えば刃物を持ち出したり、火を着けたり、魔術を使用したりと。


 手で野菜を洗うのが面倒になったグレイシャルは、サレナが唱えていた水の魔術を唱える。

 彼女には「まだ使えない」と言われていたが、もしかしたら出来るかも知れない。

 前回は出来なかったがだからと言ってそれが、今回も出来ないと言う証拠にはならないのだ。


 何事も挑戦である。


「えーと……いのちのみずよ、このかわきをみたせ……うぉーたー!」


 一言一句違わずサレナが言っていた言葉を唱えると、桶の中の水が少しづつ増えていく。

 しかし、この量では野菜を洗うのに楽が出来ない、もっと必要だった。


 グレイシャルは思いっきり力み、桶の底に両手を入れ唸る。


「んーーー!!」


 すると桶の中で、水は渦を巻きながらその量を一気に増した。

 中に入れてあった野菜に付いていた土は、その流れに飲まれて次第に落ちていく。


「やったー! らくちんだ!」


 グレイシャルは喜んだ。


 しかし、同時に疑問も湧いた。


 前は火属性魔術は使えなかったのに、どうして水属性魔術は使えたのだろうか。

 もしかしたら魔術の才能があるのかも知れないし、もしくはに適正があるのかも知れない、と思い浮かれたがすぐに冷静になる。


「されなさん、つかっちゃだめだっていってたし……。ばれたらたいへんだ!」


 グレイシャルは急いで魔術を使った形跡、つまりは増えすぎた水と桶の渦を消すことにする。

 まずは渦を止める、それは簡単だ。

 腕を入れて逆方向に回すだけで止まった。


 が、問題はこの水の量。

 サレナが入れた元の量よりも三倍近くある。明らかに不自然だ。


「どうしよう……」


 困ったグレイシャルは桶の周りをグルグルと歩き回って考える。

 だが、そんなことをしても当然解決する筈も無く、時間ばかりが過ぎていった。


 そして遂にその時が訪れる。

 ドアが開いたのだ。


 これはつまり、サレナが厨房に帰って来たことを意味する。


「只今戻りましたグレイシャルさ――」


 絶体絶命だった。

 もはや怒られるしか道は無い。


 しかし、幸運にもグレイシャルは悩みのタネであるに救われる。

 そう、渦を止める為に掻き回していた水が桶から溢れ、足元の床を濡らしていたのだ。


 サレナの突然の帰還に驚いたグレイシャルは足を滑らせ、桶を倒しながら転ぶ。

 厨房に鳴り響く大きな二つの音。


 それはグレイシャルが転ぶ音と、桶の水が全部こぼれる音だ。


「――っ! グレイシャル様!」


 転んでしまったグレイシャルに怪我が無いかを確認する為、サレナは彼に走って駆け寄った。


「ぼくはだいじょうぶ……。でも、ごめんなさい」


 グレイシャルは魔術を使ってしまったことを謝る。

 しかし、予想に反してサレナがグレイシャルに怒ることは無かった。


「良いんですよグレイシャル様。野菜はまた洗えばいいですし、お怪我が無いようで何よりです」


 サレナはそもそも、グレイシャルが魔術を使った事を知らなかったのだ。

 

 明らかに水の量は多かったので、部屋に入ったと同時に桶をじっくりと見れば分かっただろう。


 しかし、ひっくり返った桶はその中身を全て床にぶち撒け、広い厨房の隅々に散った。

 こうなれば事情を知らぬ限り、魔術が使われたなどとは誰も思わない。


 グレイシャルはその事に、サレナが『気付いていない』事に遅れて気づいた。

 なので、黙っておくことにしたのだ。


 怒られたくないから。



 ――――



 濡れてしまった服をサレナに手伝ってもらい着替えたグレイシャルは、再び厨房に戻り晩ご飯の準備をしていた。


「されなさん、あらいおわった!」


「ありがとうございます。えぇ、これなら大丈夫ですね」


 野菜の泥の有無をチェックし、テーブルの上のまな板に乗せる。

 その間にサレナはかまどに魔術を使って火を着けた。


「今のうちに野菜を切りましょう」


「はーい!」


 グレイシャルは台に乗り包丁を持つ。

 サレナはボウルに小麦粉と水を入れて捏ねていた。


「されなさん、なにしてるの?」


「パンを作っています。よそ見をしていると手を切っちゃいますよ。集中して下さい」


「はーい」


 グレイシャルはじゃがいも・人参・玉ねぎといった野菜を食べやすいサイズに切って行く。

 サレナは慣れているのか、素早い動きで生地を捏ねる。


「野菜が切れたらまな板を持ってかまどの方に行って、鍋の中に全部入れちゃって下さい」


 サレナはグレイシャルが台から降りたのを確認し、台を後ろ側にあるかまどの方に蹴った。

 振り向いて位置を確認した訳でもないのに、サレナが蹴った台は完璧な位置で止まる。


「わあ……」


 驚くのもそこそこに、グレイシャルは言われた通り野菜を持って行き、包丁でサーっとまな板の上の野菜を全て鍋に入れた。


「いれたよ!」


「どうも。次はそうですね。私と一緒に生地をコネコネしてくれませんか?」


「わかった!」


 サレナは後ろに足を伸ばし、身体を低くして台に触れる。

 そして、またもや台を蹴った。

 蹴った台は、今度はサレナの隣に完璧に止まる。


「それ、どうやるの?」


子供が戦隊モノにハマる様に、サレナのライダーキックの様なモノにグレイシャルは惹かれていた。


です。私も獅子顔マンに教えてもらっただけなので。まあ、もう少し大きくなったら教えますよ」


「おねがいします! ぼくもそれ、かっこいいからやりたい!」


 サレナは笑顔になった。

 褒められて悪い気はしないのだろう。


 カール様はこの蹴りを恐怖していたのに、この子と言ったら――


 ふふ、とサレナは軽く笑った。


 そして二人の間にはしばらく沈黙が流れる。

 厨房には生地を捏ねる音だけがあった。


 しばらくして、沈黙を破ったのはいつも通りグレイシャルだ。


「ねえされなさん。いつもきになってたんだけど、ししがおまん? ってだれ?」


 当然の疑問。


 獣人ということは分かる。

 サレナが王都で昔世話になったということも分かる。

 

 だが、それ以上の情報が無い。

 

 話に出るたびに常々、グレイシャルは誰なのか考えていた。


「獅子顔マンは獅子顔マンです。王都で私がお世話になった獣人です」


「それじゃわからないよー!」


「まあ、そのうち会う機会もあると思いますので。多分、一目見れば『あっ、こいつ獅子顔マンだ』ってなると思いますよ」


 まともに答えてくれないサレナに、グレイシャルはぴょんぴょん飛び跳ねて抗議する。


 だが、そんなこんなしているうちに二人はすべての生地を捏ね終えた。

 なので捏ね終えた生地をパーラーに乗せ、石窯の中に入れる。


 サレナは石窯の下に木を置いて魔術で火をつけ、焦げない様、パンの見張りをする様にグレイシャルに言った。

 

 その間にサレナは、そこそこの時間をかけて煮込み料理の味を調える。


「塩を少々・胡椒も少々。ローズマリーとオレガノを多少入れて臭みも消した。まあ、酒に漬けたし煮込んだし、多分平気でしょう。多分……」


ブツブツと独り言を言いながら味見。


「どれっしんぐは?」


「入れません」


 ふざけているグレイシャルに即答する。


「ところでパンの方はどうですか?」


「んー。たぶんいいかんじ!」


 サレナは溜息を付いた。


「多分ではなくて、匂いで判断してください」


「あついしわからないよー!」


 味の調整を一旦辞め、サレナは石窯に近づいて匂いを嗅ぐ。


「あぁ。もう大丈夫そうですね。出しましょうか。グレイシャル様、空いている籠をテーブルの上に置いて下さい」


「はーい」


 サレナはパーラーを再び手に持ち石窯の中に入れた。

 一つパンを取り出し、目で焼き具合を確認する。


 見た感じ大丈夫そうなので一番手前にあるパンから順に取り出し、グレイシャルがテーブルの上に置いた籠の中へ器用に入れる。


 全て籠に入れた後サレナはグレイシャルに、


「この籠を先に食堂まで先に運んでおいて下さい。あと、カール様とアリス様に食事の時間だと伝えて来てもらえますか?」


 と言った。

 グレイシャルは焼きたてのパンが入った籠を持ち、


「わかった!」


「それから、今言った二つが終わったら戻ってきてくださいね。鹿煮込みスープと水を運びたいので」


「わかった!!」


 と元気良く言って部屋から飛び出して行った。


「よし」


 サレナは料理の最後の仕上げにかかる。

 

 眉間に皺を寄せて集中。

 少し小皿にスープを注いでは、調味料を入れて味の微調整をする。


 それを5分ほど繰り返し、ようやく自分が納得する味に落ち着いた。


「まあ、これなら良いでしょう」


 完成させたところで緊張が解れ頬が緩む。


「されなさん! はこんだしよんできた!」


 それと同時にドアが開きグレイシャルも戻って来た。


「私も丁度作り終えました。じゃあ、早速よそって運びましょう」


「うん!」


 サレナは人数分、鍋からよそって皿にスープを入れ、台車に乗せる。

 グレイシャルも水とコップと食器を乗せた。


「できた! いこう!」


「えぇ。この料理は初めて作ったので、お口に合うといいのですが」


「だいじょうぶ! されなさん、じょうずだから!」


「昼間とは違う事を言いますね……。でも、ありがとうございます。それじゃあ、行きましょうか」


 二人は料理を持って本日二度目のお披露目会、もといお食事披露会へと向かった。



 ――――



「おぉ? なんだか、既に良い匂いがするね」


 食堂に入るとカールが開口一番に声を上げた。


「今回は初めて作った料理なのでお口に合うかどうか……」


「いいのよ。サレナとグレイが一生懸命作ってくれたんだもの。不味くてもちゃんと残さず食べるわ」


「まずくないよ! あんしんして!」


 グレイシャルとサレナは二人と会話しながらテーブルに料理を並べ、そして座る。


「じゃあ、食べようか。昼間もそうだけど今日は本当に食欲がそそられるからね!」


 カールは誰よりも先に食事に手を付けた。

 スプーンで一口掬い、口に運ぶ。


「ん……」


 カールは短く、一言だけそう発した。


「どう……でしょうか? カール様」


「……」


 彼は喋らずに目を閉じ腕を組んだ。

 グレイシャルとサレナには、この時間が永遠の様に感じらる。


 そして10秒ほど経った時、カールがは目を開き言った。


「美味い!!」


 その言葉を聞いてグレイシャルとサレナは、それはそれは嬉しそうにハイタッチをする。

 続けて、アリスが食べた。


 彼女もカールと同じ様な反応を示す。


「ん~! 確かにに美味しいわね。昼間の肉は少し固かったけど、スープにして煮込んだから食べやすくて良いわね! 昼間のやつも、あれはあれで美味しかったけどね!」


 グレイシャルとサレナも二人に続いて食べる。

 食べた感想だが、カールとアリスと全く同じものだった。



――――



 その後グレイシャル達は夕食を食べ終え、カールは後少しだけ仕事をすると言い執務室へ。

 アリスは自分の部屋に戻っていった。


 グレイシャルはというと、サレナの手伝いで一緒に食器や籠を持って厨房に戻って来たが、流石に一日中手伝いをして疲れた。

 その末に眠気を感じて転びそうになってしまっていた。


「むにゅー」


変な声と共に倒れ込むグレイシャル。


「おっと……」


 そんなグレイシャルをサレナが支えた時にはもう、彼は寝ていた。


「ふふ。こういうところはまだまだ子供ですね」


 サレナは椅子をいくつか連結させて、グレイシャルをそこに寝かせる。


「背中が少し痛いかもしれませんが、少し我慢していてくださいね。終わったら起こしますから」


「んー……」


 寝息でグレイシャルは返事をする。

 彼がすやすやなその間に、サレナは食器の片付けや灰の始末をする事にした。

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