第6話 『初めての料理』
「帰ったぞグレイ!」
カールが大きな声を出して帰宅を告げる。
グレイシャルは食堂から走って玄関まで行き、カールに飛びつき父の帰宅を喜んだ。
「おかえり! おとうさん! おかあさん! どうだった?」
「喜べグレイ……。なんと、グレイはお兄ちゃんになるぞ!」
「よかったわねグレイ。妹が出来たみたいだから、頼り甲斐のあるお兄ちゃんになるのよ」
二人はグレイシャルの頭を撫でる。
グレイシャルが喜んでいると、遅れてサレナがやって来た。
「お帰りなさいませ。まずはおめでとうございます、アリス様。これからは一人では大変なこともあると思うので、何なりとお申し付けください」
「ありがとうサレナ。じゃあ、早速だけどこれ、お願い出来るかしら?」
アリスはサレナに先程買って来た本を手渡した。
「『至高の騎士』……? あぁ、なるほど」
彼女はすぐにそれが何を意味するのか察する。
「じゃあ今夜よろしくね。私よりも読み聞かせ、上手でしょ?」
「えぇ。この三年間で慣れましたから」
サレナはアリスに微笑んだ。
グレイシャルは自分が何だか蚊帳の外に居る様な気がしたし、何よりもアリスがサレナに渡した本が気になった。。
「ねー! それなに! されなさん!」
「今は内緒です」
グレイシャルは彼女の返答を聞いて頬を膨らませる。
「ずるーい!」
「ずるくないですよ。夜になれば分かります。それよりもグレイシャル様、もうお昼です。一緒に、アリス様に料理でも作りませんか?」
「え! グレイ、私にお昼ごはん作ってくれるの!? お母さん嬉しいなあ~」
さっきまでの怒りはどこへやら。
幼いグレイシャルは巧く乗せられてしまった。
「いいよ! つくる! されなさんいこう!」
グイグイとサレナの手を引っ張り厨房の方へ行こうとするグレイシャル。
サレナはカールが見えなくなる前に目配せをした。
恐らく意味は――
「ちゃんと仕事しろよ、って目してたな……。僕、もう怒られたくないなぁ」
「私もよカール。ちゃんとしましょ。でもサレナ、可愛い顔してるのに怒るとすっごく怖いから。もったいないわ」
二人はかつてサレナに激怒された日のことを思い出していた。
あの時も子供が原因で怒られたのだ。
今度はその失敗を活かし怒られないようにするぞと、二人は固く誓いあっていた。
――――
フリードベルク家の厨房にて、女執事と貴族の息子は料理を一緒に作ろうとしていた。
「されなさん! なにつくるの!? おかあさん、なにがすきなの!?」
サレナの一挙手一投足を見逃さぬ様に、グレイシャルはいつにも増して真剣な目をしている。
それを見てサレナは笑ってしまった。
本当にこの子はなんて――
だが、それ以上はいけない。
可愛さに負けてここで構ってしまっては、せっかくグレイシャルを二人から引き離した意味がなくなってしまう。
サレナは深呼吸をして緩んだ顔と気持ちを引き締める。
「妊婦というのは何もしなくても大きく体力を消費します。なので今日は、アリス様の好きな料理であり、尚且つ元気にもなる料理。バーレル名物『鹿の酒焼き』を作っていきます」
「さかやき? さかな?」
「違います。酒焼きです。今日はやけに魚ネタを引っ張りますね」
即答した後、サレナは溜息を付く。
「簡単に言うと酒焼きとは、材料にお酒をかけながら焼き上げる料理です」
「おさけって、たまにおとうさんがのんでるやつ?」
「そうです。今まで子供に、酒を含んだ料理を食べさせるのは如何なものかと思い作っていませんでした。が、あまり強いお酒でなければ、加熱すればアルコールというあまり人体によろしくない物質は飛ぶことを最近知りましたので」
「されなさんものしり! でも、なんでさいきんしったの?」
「簡単です。私がお酒を飲まない、及びあまり使わないので知らなかっただけです」
今日は珍しく上機嫌そうなサレナ。
先程まで顔を真っ赤にしてグレイシャルを怒っていた者と同一人物だとは思えない程に。
「さあ、それでは早速作って行きましょう。まずは材料の準備です」
そう言ってサレナはテーブルの上に材料と道具を持って来て乗せた。
鹿肉・バーレル原産の酒・塩・油・刷毛・包丁・まな板・ボウル・野菜や果物の入った籠・小麦粉の袋・謎の液体の入ったガラスの容器……。
これは明らかに昼ご飯だけの量ではない。
そう思ったグレイシャルはサレナに問う。
「されなさん……。なんか、おおくない?」
「それはそうです。夜の分の仕込みまでしてしまいますから。ちなみに夜は、同じく鹿肉とお酒を使った料理ですけど少し趣向を変えてみます」
「されなさんはいっぱいかんがえてるなあ。すごいや」
グレイシャルはそれだけ言うと深く考えない様にした。
いずれは出来る様になるかも知れないが、三歳の子供には先の先まで考える力は無い。
「さあ、何はともあれ作って行きましょう。まずは昼食です」
サレナは背が足りないグレイシャルを台に乗せ、料理が出来る高さになる様にする。
そして、まずは桶に入った水の中で手を洗わせる事にした。
「では、次にこれをお持ち下さい。これは包丁。刃物です。食材を切る時に使います。まあ、小さい剣ですね」
そして包丁の持ち方や、空いている手の使い方をグレイシャルに教える。
「次は鹿肉を食べやすい大きさに切って下さい。左手は猫ちゃんの手で押さえて。にゃー、です」
「こう?」
「そうです。お上手ですね」
鹿肉を切り終わったグレイシャルは、サレナの指示で鹿肉を左と右に分けた。
しかし当然、これだけでは終わらない。
料理は忙しいのだ。
「次は切った鹿肉に塩を振ります。もちろん全部に振ります。見ていて下さい」
サレナが肉に塩を振る姿をジーッと見ているグレイシャル。
「私ではなく、肉と塩の振り方を見て下さい」
「はーい」
グレイシャルはやる気があるのか無いのか分からない返事をした。
しかしまあ、三歳ならこんなもんだろうとサレナは納得する。
そんなこんなで、まな板の左側に分けた鹿肉に塩を振り終える。
「塩を振り終えたら少しだけこの肉は寝かせます。その間に塩を振っていない右側の肉をボウルの中に入れて下さい」
グレイシャルは言われた通り、ボウルの中にまな板の右側の肉を入れる。
サレナはと言うと、その間に新品の酒のボトルを開けた。
「のむの?」
「飲みません。
開けたボトルの中身を豪快にボウルに入れる。
サレナがおかしくなったのだと思い、グレイシャルは大慌てで叫ぶ。
「え!? なにしてるの!? おにく、しずんじゃった!」
「良いんですよこれで。これが夜の仕込みです。このまま6時間ほど放置します」
そう言うとサレナはボウルに蓋をした。
「さあ、今のうちにサラダを作りましょう。サラダは野菜をちぎってドレッシングをかけるだけなので、ドレッシングの準備をしていれば簡単です」
「てぬき!」
グレイシャルはサレナに指を向ける。
「美味しいなら……。マルです」
サレナは両手で大きな丸を作った。
二人はしばらく笑い合っていたが、料理をサボる訳にも行かないのですぐに再開する。
「次、レタスとトマトを水で洗います」
サレナは空の桶を手に持ち、そして床に置いた。
「みずないよ?」
「えぇ。汲んで来ても良いのですが、ここには私とグレイシャル様しか居ないので、ちょっとズルをします」
一体何をするのだろうか。
不思議に思ってグレイシャルが見ていると、サレナは右手を桶の中に入れて底を触って呟いた。
「命の水よ、この渇きを満たせ……ウォーター」
すると、瞬く間に桶の中は綺麗な水で満たされる。
「わあ! されなさん、これって!」
「えぇ。水属性魔術です。ちなみに私は初級の魔術しか使えないので、今使ったのもこの前使った火属性魔術も初級です。さあ、洗いますか」
それから二人は野菜を黙々と洗った。
「よし、洗えましたね。そしたら次はトマトを切ります。私がやるので、グレイシャル様はレタスを一口大にちぎって下さい」
「わかった!」
サレナがトマトを薄く綺麗に円形に切る。
その間にグレイシャルはレタスを手でちぎる。
大きかったり小さかったりはするが、サレナは「これくらいなら」と許可を出した。
「出来ましたね。それではこれらをお皿に盛ります。レタスを下の方に敷き詰め、トマトは円を描く様に盛り付けます」
「できたね! これでおわり?」
「いえいえ、最後にこちらのドレッシングをかけます」
サレナはグレイシャルに謎の液体、もといガラスの容器に入ったドレッシングを見せた後、ぐるりと一周それをサラダにかけた。
「わあ! そんなにかけるの!? 」
「はい。これは私が考案したレモンドレッシングです。サレナ流フリードベルクドレッシング。よかったら味見してみます?」
グレイシャルが頷いたのでサレナはドレッシングの容器を傾け、少量を味見用の小皿に注ぐ。
そしてそれを彼に手渡した。
「いただきます」
恐る恐る口に運ぶグレイシャル。
「――!」
ドレッシングを飲んで彼は目を見開いた。
それ程までに衝撃的な味だったのだ。
『たかがドレッシング』と侮ったのがグレイシャルの敗因である。
「おいしい……! これ、なに!?」
「レモンをベースにオリーブオイルと塩を混ぜて作った物です。美味しいでしょう? あとで作り方、教えますよ」
サレナは腰に手を当てて自慢気に笑った。
「すごい! あとでおしえて! つぎはなにするの!? はやくはやく!」
完全に胃袋を掴まれたグレイシャル。
無論、今までもサレナの料理は何度も食べた事があった。
だが、実際に作っているのを見た後に食べるのと、何も見ずに食べるのでは、味への理解や調理した
そして次はいよいよ肉を焼く。
「次はフライパンに油を入れます。そして先程塩を振った鹿肉を中に入れ火を付けます」
再びサレナは魔術を行使する。
「火よ、我が手に宿れ……ファイア」
厨房に二人しか居ないのを良い事に、サレナは魔術を使い放題だ。
「空のボウルに残った酒を入れ、刷毛をその中にくぐらせます。そうすると刷毛が酒を吸い込むので、これで鹿肉に酒を塗りたくりながらこんがり焼いていきます」
説明通りサレナは、酒を染み込ませた刷毛で肉を触りながら焼いていく。
厨房には次第に良い匂いが立ち込めていった。
「わあ……! いいにおい!」
「コツとしては、両面にしっかり刷毛で酒を塗りながら焼くことです。いつか使うことがあるかも知れないので、覚えておくと良いかも知れません」
焼けた肉をフライパンから取り出し、皿に盛り付けて端に切ったオレンジを乗せ、肉の上にハーブをひとつまみ。
「これにて完成です。グレイシャル様、台車に乗せて運びますので手伝って頂けますか?」
「うん!」
グレイシャルとサレナは台車に作った料理と、朝に他の使用人が作ったパンの残りを乗せた。
カール・アリス・グレイシャルの計四つ。
……四つ?
「あぁ。その四つ目は私の分です。今日は一緒に食べようと、カール様に誘われていますので」
「そうなんだ! やった! されなさん、いつもじゅんびしてばっかだから! ちゃんとたべてる?」
「食べてますよ。カール様は気にするなと言っていますが、あまり主人達と同じ所で食べるのはマナーとして……」
「そんなんきにしないで! かぞくだから、いっしょにたべよ!」
ありがとうございます――
そう言うとサレナはグレイシャルの頭を撫でた。
思えば、最近よくグレイシャルの頭を撫でている気がする。
甘やかし過ぎだろうか。
そんな事を考えてグレイシャルの頭を撫でていたが、それは途中で中断させられた。
「あっ! はやくいくよ、されなさん! りょうり、さめちゃう!」
グレイシャルは頭を撫でる手を振り払い、ドアを開けに走った。
「……はい、行きましょう」
二人はグレイシャルが初めて作った料理を台車で運び、食堂へと向かう。
「ついた! されなさん、どうぞ!」
「ありがとうございます」
グレイシャルは台車で運んでいるサレナの為に食堂の扉を開け、そして大きな声で叫んだ。
「おとうさん、おかあさん! ぼくとされなさんがすごいのつくったよ!」
サレナは全員の席に料理とパンを置き、グレイシャルが台車に積んであった水とコップを置く。
全員が席についた所でアリスがサレナに聞く。
「ねえサレナ、これってもしかして……」
「はい。アリス様が大好きな鹿肉の酒焼きです。それとカール様の好きな――」
「サレナ流ドレッシングのサラダか! いいね!」
「ねえ、たべよ! ぼくおなかへった!」
子供は欲望に忠実だ。
しかし、これだけの料理を前に「待て」と言うのも酷な話だろう。
ましてや自分が作った料理ならば、食欲はいつもよりも高まる。
今か今かとナイフとフォークを構えるグレイシャルを見たカールは気を利かせた。
「はは、そんなにおなかが減ったのかいグレイ? お父さんもだ。さあ、みんなで食べよう!」
まずは一口、カールがサラダを食べる。
「……! これ、これだよ! このレモンの酸っぱさが新鮮なレタスに合うんだよね! ついでにトマトの酸味とも合わさって最高だ!」
彼は笑顔でむしゃむしゃサラダを食べた。
今度はアリスが肉を切り分けて口に運ぶ。
「んんん~! やっぱこの料理美味しいわ! お酒と鹿肉の相性が完璧! 今回は何のお酒使ったの?」
サレナも肉を食べながら答える。
「グレイシャル様の事も考え果実酒にしました。確かアズマの国で栽培されている
「あら、だから少し甘いのね。それにしてもアズマの国から輸入するなんてお兄さん気合入ってるわね」
「兄は父によく似てるので、酒の為なら無茶しますから……。それはそうとグレイシャル様、美味しいですか?」
「うん、おいしいよ! よるもいっしょにつくろうね!」
グレイシャルは口元を汚しながらバクバクと食べている。
サレナは溜息を付きながらそんな彼の口を拭う。
「はい、一緒に作りましょう。でも、もう少し綺麗に食べましょうね。爺やが洗濯する時いつも泣いていますよ」
「えぇ!? そうだったんだ……。うん、きれいにたべる」
本当は泣いてなどいないことをグレイシャル以外知っていたが、素直なグレイシャルが可愛く、そして面白いので誰も言わなかった。
「……? みんな、どうしてわらってるの?」
「い、いや。なんでもない。ふふ」
「そうよグレイ。早く食べましょう。は、はは」
笑いを堪えるカールとアリス。
サレナは微笑むだけだったが内心、誰よりも大きな声で笑っていた。
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