第5話 『二人目』

 ある朝、フリードベルク家の食堂にて――


 一家はいつものように家族で朝食を食べていた。

 食事はサレナが用意し、食べ終わったものから順に他の使用人が片付けていく。


「どうしたんだアリス。全然食べてないじゃないか」


 カールはアリスが珍しく料理を残しているのに気付いた。

 いつもはサレナの作る料理を笑顔で頬張っているのだ。

 だが、この日は違う。


「アリス様、体調が優れないのですか?」


「おかーさんへーき?」


 皆口を揃えてアリスを心配する。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ。今日はなんだかお腹が――」


 減っていないだけだから――


 そう言おうとしたが言葉が出なかった。

 代わりにアリスは咄嗟に口を手で抑え、屋敷の外に走り出す。


「お、おい! どうしたんだよアリス!」


 カールもアリスを追い屋敷の外へ、アリスの側に駆け寄る。

 するとアリスは四つん這いになって地面に向かって嘔吐していた。


 そんな母の姿をグレイシャルは窓越しに見ている。

 どうせ外に吐くのなら窓から吐いても一緒なのだが、咄嗟の事で冷静な判断が出来なかったのだろう。


「お、おかあさん!? されなさん、おかあさんが!」


「嘔吐していますね」


 サレナは冷静だった。


「されなさんのりょうり、まずかったのかな!?」


 グレイシャルがそんな失礼なことを言うと、サレナはグレイシャルを軽く引っ叩く。

 痛そうに呻き声をあげるグレイシャル。


 そんな彼に、サレナは溜息を付いてから話し出す。


「私の料理は不味くありませんし、現在バーレルで病が流行ってるなども聞いていません。最近の体調も安定していました。だとすると……。恐らくサレナ様は妊娠されたのでしょう」


 グレイシャルは目を白黒させて聞き返す。


「にんしん? にんしんて、なに? さかな?」


「それはニシンですよ、グレイシャル様」


 彼女は笑いを堪えようとしたが、殺し切れていない笑いは表情から漏れ出ていた。

 なので深呼吸をして呼吸を落ち着かせ、それから話し出す。


「妊娠とは子供をお腹に宿すことです。つまり、フリードベルク家に新しい家族ができるということです。おめでとうございます、グレイシャル様。お兄ちゃんになりますよ」


 サレナがグレイシャルに『妊娠とは何か』を説明している時、窓ガラスの向こうの庭では、カールがアリスの背中をさすって労っていた。


「大丈夫? 一体どうしたんだい?」


「えぅ……。はあ……はあ……。まったく、どうしてわからないのよ」


 えづきながらアリスは、呆れ気味にカールに告げる。


「多分できたのよ、二人目が」



 ――――



 さて、本当に子供が本当にできたのか確かめる為に、カールとアリスは医者の所に向かった。

 そして置いてけぼりを食らったグレイシャルは、屋敷の庭で花を眺めながらサレナと時間を潰している。


「ねえされなさん。いしゃって、なーに?」


 グレイシャルがサレナにこんな事を唐突に聞いたのは、カールとアリスが出かける前に彼に、


「お医者さんの所に行って、赤ちゃん居るか調べてくるね」


 と言ったからである。


「医者とは医学という学問分野を修めた者であり、傷病者の治療などをする者です」


「ちゆじゅつしとちがうの?」


「治癒術師は魔術を使って治療を施し、医者は医術によって治療を施す。魔力を使うか使わないかも大きな違いです」


 手に持っていた本のページを捲りながらサレナは話す。


「また、近年では非常に熱い分野であり、日夜技術の進歩がうんたらかんたら。まあ、要するに勉強さえすれば、テレアス教などの聖職者じゃなくても誰かを治す技術を習得出来るって事です。最近では騎士団や船でも医師を雇って常駐させているらしいですよ」


「へー、そうなんだあ……。でも、なんできょうかいでかしらべられないの? あかちゃんいるの」


 グレイシャルからの質問を受け、サレナは本を閉じてしゃがんだ。

 そして彼の頭を撫でながら言った。


「魔術は外から治すのに対して、医術は中から治すという違いがあるからでしょう。人間の構造をあまり理解しなくてもなんとかなる治癒魔術と違い、医術は人体への理解が必要なので。聖職者には何の病気なのか分からなくても医者には分かるらしいです。恐らくそういう勉強をするからでしょう」


「じゃあ、あかちゃんうむのって、きょうかいじゃなくてもいいの?」


「そういう事になりますね。昔から人々は、その地域の聖職者に出産を手伝って貰っていましたが、そのうち病院や診療所での出産に変わるでしょう。現状自宅か教会かしか選択肢が無いので、選択肢が増えるのは良いことですね」


 サレナの解説により医者という存在への疑問が解けたことによって、グレイシャルには新たなる疑問が湧く。


「じゃあ、いままではどうやってあかちゃんできたかしらべてたの!? おくすりといがくのちがいってなに?」


「今までは妊婦が自身の体調の変化を察知して妊娠が発覚していたそうです。まあ、いずれにしてもお腹が大きくなるのでそのうち分かりますけどね。薬と医学の違いは――」


 分からなかった。

 なのでサレナは顎に手を当てて、唸りながら考え込む。

 そしてその末に本を開いて答えた。


「あぁ。医学は人体について、薬学は薬についての専門家って記述がありますね。要するに、魔術師か剣士かみたいな違いです。多分」


「そのほん、なんでものってるね。どこからもってきたの?」


「この前授業をした地下室からです。あそこはカール様のコレクションもあったりしますからね」


「そうなんだ。すごいね! ところで、されなさんはにんしんしたことあるの?」


 サレナは溜息を付きながらグレイシャルを再び軽く叩く。

「いてっ!」とグレイシャルは声を漏らした。


「そういうことは女の人にあまり聞いてはいけませんよ。何故なら、かなり踏み込んだ話で繊細な話題だからです」


「えー……。じゃあ、こどもはどうやってつくるの?」


「それもあまり聞かないほうがいいですよ。ちなみに子供は交尾をするとできます。あと、私は妊娠したことも夫もいません。お付き合いしていた人は居ますが」


「じゃあこうび、したことないの?」


「何をバカな! 私だって性行為くらい……!」


 食い気味なって声を荒らげたサレナだったがすぐに冷静になる。

 あまりの大声だったので、屋敷の他の使用人全員に聞こえて居たのだ。


 彼等からの視線を感じ顔を赤くしたサレナ。

 彼女は「こほん」と咳払いをして、小さな声でグレイシャルに耳打ちした。


「七年前、王都で大学に通っていた時に一人だけお付き合いしていました。獅子顔の獣人です。バーレルに帰る為にやむなく、そして色々あって別れてしまいましたが……」


「へ~そうなんだ!」


「そんなことはいいんです。とにかくお二人はしばらく帰って来ませんから。家の中でお茶でもしていましょう」


 サレナはそう言ってグレイシャルの手を握り屋敷の方へ引っ張って中へと入る。

 ちなみにだが、外は少し冷え込んでいたというのに、サレナの耳はしっかりと赤くなっていた。



 ――――



 カールとアリスはバーレルの街の医者のところに来ていた。

 医者の質問に答えたり、魔導具を使って検査をしたりした結果。


「おめでとうございます、アリス様。妊娠なされたようです。バーレルの街にとって、これほど喜ばしい事はない」


 アリスは顔を両手で覆い泣いていた。

 悲しいからではない。


 新たな生命を宿した事が、心の底から嬉しいかったからだ。


 ずっと欲しかった二人目の子供がこれで産める――


 彼女は「自分も二人姉妹だったから、子供は二人欲しい」とずっとカールに言っていた。


「良かったねアリス。これで家族が増えるよ!」


 カールはアリスの肩を優しく抱く。


「これはクロードで最近開発された魔導具なのですが、それによれば恐らく、生まれて来る子の性別は女性です。今のうちに名前を考えてあげてください」


 そう言って医者は杖の様な形をした小型の魔導具を二人に見せた。


「性別まで分かるなんて、医学も発展したな。いや、魔術か?」


「最近の医学は魔術も取り入れてるんですよ。バゼラントでは魔術はご法度ですが、魔導具には具体的な線引がされていない。いわばというやつですな。魔術の心得がない私でも扱えるこの魔導具は、今後さらなる発展を遂げ多くの人の命を救うでしょう」


 医者は机の上に魔導具を置いて続ける。


「カール様だからこそ言えるのですが、さすがはクロードの技術です。セン王様にもこの魔導具を見てもらえれば、魔術は決して危険なだけでは無いと分かってもらえるのですがね」


「おっと、それ以上はいけないよ。確かに僕はクロード王国で育ったが、今はバゼラントの貴族だ。今のは聞かなかったことにするから今度からは控えるんだよ? 例え僕が相手でもこの国で魔術を肯定するのは賢いとは言えないからね」


 カールは医者を軽く咎めた。

 別に医者が嫌いだとかそういう訳では無い。

 むしろこの街の人々は全員好きだ。


 だからこそ――


「セン王は優しく聡明な王だが、魔術については人が変わったように冷酷になる。下手な事を言えば牢屋にブチ込まれてしまう。だから心の内に秘めておくんだ。僕は所詮子爵。いざってなったら守り切れ無いからね」


「申し訳ありませんカール様。つい熱中してしまい……」


「良いんだ。それよりも今日はありがとう。医学が少しでも広まる様に僕も、微力ながら協力させてもらうよ」


 カールは軽く挨拶をし、アリスを連れて診療所から立ち去った。

 二人は街を歩き屋敷へと向かって帰っている。


「ねえカール、さっきの話だけど。私、セン王様に会った事無いんだけど、どんな人なの?」


「さっきも言った通りセン王はとても偉大な王だよ。賢く温厚な人物だ。バーレルの街への投資を渋ってた伯爵と違って、彼は人の為なら一切惜しまないからね。だが……魔術への憎しみが凄まじい。それは王家の全員がそうだけどね。君が魔術師なのは承知しているけど、君が魔術を使うのは多分許さないと思う」


「そうなの? 私、魔術師なのに許されてるのずっと不思議なのよね」


「まあ、そこはしょうがないよね。誰かが危険な魔道具は解体しないとだし」 


 王の事をしばらく話しながら歩く。

 その時、ふと視界に、書店に並んでいる本が目に入った。


 アリスはカールから離れてその本を手に取る。


「ねえカール。この本……」


 それは、とても懐かしい記憶を二人に思い出させた。


「その本がどうかした――」


 カールはアリスが手に取った本を見て目を見開く。

 本のタイトルは『至高の騎士』と、そう書いてあった。


 この本はとてもとても有名な他国のおとぎ話であり、と言われる者が主人公だ。


「まさかこんな所でこの本を見ることになるとは。いや、そもそもヴァイタリカ王国とバゼラント王国って仲悪いでしょ……」


 アリスはブツブツ独り言を呟いているカールをよそに、パラパラとページを捲る。

 そこには、在りし日のネクロライト王国の英雄である『至高の騎士』の物語が綴られていた。


「ねえカール。これ買いたいんだけど……。グレイにあげたらきっと喜ぶわよ。あの子、英雄譚みたいなの好きだし」


 カールは知っている。

 アリスが物をねだる時は声を高くして上目遣いになるのだ。


 そして、カールはその顔にすこぶる弱かった。


「いいよ! 買おう! これいくらだい!」


 二つ返事で了承し、店主に値段を聞く。


「おぉ、カール様! その本は金貨三枚の3万ゼラです! が、いつも贔屓にしてもらってるんで3万ゼラの半額、1万5千ゼラでいいですよ!」


「おぉ、安いねえ! ありがとう! 」


 カールは服のポケットを漁る。

 そして気づいた。


「……すまん。今、銅貨一枚も持ってなかった」


 三人の間にとても気まずい空気が流れている。

 ちょうどさっき、診療所で金を使い切ったのだ。


 街一番の金持ちで貴族であるカールが、たったの銅貨一枚の手持ちも無いのは、流石に格好が付かない。


「ま、まあ! カール様でしたら後でのお支払いでも結構ですので!」


 こうして、カールは店主の温情に依って本を購入する事に。

 が、アリスの目線がやけに冷たく痛かった。


「いつもはかっこいいのに、今日はダメダメね」


 大きく溜息を付くアリス。

 まるでサレナの癖が移った様だった。


「後でお金払いに行くの面倒だなあ……」


 さっきまで喜びで軽かった足は、気がつけば憂鬱さで重くなっていたのだった。

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