第29話 負けない心

これから、一体どうなってしまうのかと言う不安が頭を過ってしまう。

 大好きな妹の豹変に、正直恐怖しか覚えない。

 どうしてこんな事になってしまったのか?

 その理由は私だと言う事をわかってはいるのに、正直認めたくない。

 認めれば、私は凜ちゃんに負けてしまった事になる。

 別に勝負事ではないのだから、拘る必要はないのかもしれないが、今回だけは凜ちゃんに屈する訳にはいかなかった。

 灯が今回だけは、凜に支配される訳にはいかない理由は明白だった。

 彩香と言う心から愛する恋人が出来たから、自分が凜に屈してしまったら、彩香を泣かせる事になってしまう。

 それだけは、絶対に嫌だ!

 しかし、現状どうする事も出来ない。

 手足は拘束されている。

 部屋の鍵も内側だけだったのが、どうやら外側にも鍵を付けてしまった様だ。

 灯がその事に気付いたのは、凜に拘束された翌日だった。

 

凜が豹変した当日は、凜に初めて暴力を振るわれて、そのショックから、何も考える事が出来なかった。

 ショックでへたり込んでいる内に、手足は拘束されて自由を失っていた。

 自由を失って、初めて気付いた。

 いや、きっと気付いていて見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。

 凜ちゃんが、少しずつおかしくなっている事に、少しずつ自分を見る瞳が変わっていっている事に、私はずっと前に気付いて、そして見ない振りを決め込んでしまった。

 こうなったのは、自業自得なのだ。

 だから、これからは凜ちゃんの為に生きればいいと、そう考えそうになってしまった。

 灯さん、大好きです。

 彩香ちゃんの声が心に響いた。

 灯さん、彩香ちゃんの声が頭の中に木霊して凜ちゃんに屈してしまおうとする心を、弱い心を打ち砕いた。

(あんた変わったじゃん。昔のあんたなら間違いなく凜ちゃんに屈して、凜ちゃんに支配されてればいいって、楽な道を選んだのに)

 確かにそうだ。彩香ちゃんに出会う前の私なら、間違いなく凜ちゃんに支配される道を選んでいた。

 その方が楽だから、何も考えなくていいから、惰眠を貪って、エロゲーをして、大好きな百合漫画を読む。そんな一日を過ごして、後は凜ちゃんがしたい事をさせてあげる。

 そうすれば、この場所は私だけの居城は守れる。

 正直外に出たいとは思わない。

 彩香ちゃんも、焦る必要はないと言ってくれた。

 だから、暫らくは私の部屋でのデート。

 それでもいいと言ってくれた、こんな自分を愛してくれた彩香ちゃんに悲しい顔はさせたくはない。

 もう彼女を泣かせたくなんてない。

 その気持ちが灯の弱い心を、吹けば簡単に消し飛んでしまいそうな心を支えていた。

 

しかし現状凜ちゃんに拘束されて身動き出来ない状態に陥ってしまっている。

 しかも凜ちゃんが、トイレに行って来るねと部屋を出たので、これは千載一遇のチャンスと、この隙にママの所に逃げればと考えて、拘束された手足を芋虫の様に動かしながら、何とか扉の前に辿り着いて、扉を開けようとした。

 しかし扉はうんともすんとも言わない。確か押せば開くよねと押してみるが、全く開かない。

 あれ? 引くんだっけと今度は引いてみたが、扉は全く開く気配を見せない。

 どうして開かないの? そんな事を考えていたらタイムオーバーになってしまった。

 扉が開いて、扉の前にいた灯は思い切り頭を打ち付けて、その痛みから悶絶していると、トイレから戻って来た凜があっさりと鍵を閉めて、悶絶している灯をベッドまでずるずると引き摺って行くと、ニヤリと微笑む。

「お姉ちゃんは、一生この部屋から出られないんだよ」

「どうして? 凜ちゃんの言ってる意味がわからないんだけど」

「言葉の通りだよ。部屋の外にも鍵付けたから、鍵は私しか持ってないし、簡単には壊せない様に、頑丈なの選んだんだよ」

 凜は用意周到だった。

 響とのデートの帰りに、ホームセンターに寄って、わざわざ数種類の鍵を買っていたのだ。その中でも一番頑丈な簡単には外せない様な鍵を、灯が眠ってしまった隙に取り付けていた。

 凜は灯を部屋から出す気は全くなかった。

 部屋から出すのは、トイレとお風呂だけ、それも自分が付き添って、当然拘束は外す気なんてさらさらない。

 私、どうなるの? 本当に身も心もぐちゃぐちゃにされてしまうのではと、恐怖で押し潰されてしまいそうになる。

(身体なんて、好きな様にさせればいいじゃない)

(そんな事言われても)

(例え身体は凜ちゃんのものになっても、心は彩香のもの。それで、今はいいんじゃないの? 今はね)

 以前とは違う心の声に、正直戸惑いを覚える。

 確か凜ちゃんを奪っちゃえみたいな事言ってなかったっけ? と思いながらも、心の声に感謝する。

 本音を言えば、身体も彩香だけのものがいい。

 今は、それが叶わない状況。下手に凜ちゃんを刺激すれば、本当に何をするかわからない。

 

お姉ちゃん大好きと、もう二度と離さないと灯を頬ずりする凜を横目に、灯はある事件を思い出していた。

 引き籠もる前に観たニュースを、同じ街で起きた立てこもり事件の事を、その事件ではネゴシエーターと呼ばれる交渉人が必死に立てこもり犯に、人質を解放する様に交渉を続けていた。

 当時、そのニュースは全局で流されていて、灯も食事の合間に観ていた。

 立てこもりは一週間続いて、最後は交渉が決裂して人質は全て殺されると言う最悪の結果を迎えてしまった。

 ネゴシエーターの頑張りを、警察が全て台無しにしてしまったのが、最悪の結果を招いたのだと、犯人を刺激しなければ人質が殺される事はなかったと、当時警察を非難するニュースが毎日の様に流されていた事を、灯は思い出していた。

 今は凜ちゃんを下手に刺激しない方がいいと、灯は凜が寝た隙に彩香に、自分は大丈夫だから今は下手に刺激しないでくださいと、響さんやママにも伝えて下さいとメールする。

 返事はすぐに来た。

 内容は、何を言ってるんですか! 自分を犠牲にするんですか! とお怒りMaxだったが、灯は時が来れば解決するから、今は凜ちゃんの好きにさせてあげて、せめてもの償いだから、今は自分に任せて下さいと返信する。

 彩香からは、いい加減にしてください! と自分が犠牲になればいいなんて、そんなの偽善じゃないですかと、そんなのりんりんの為にも、灯さんの為にもならないと返事が来たが、灯が今は任せてと、暫らくは落ち着くまではメール出来ないけど、自分の心は常に彩香ちゃんとあるからねと、返事をするとメールの履歴を全て消して、スマホの電源を切った。

 凜にメールを見られてしまえば、最悪彩香に被害が及ぶ。それだけは、何があっても避けなくてはいけない。

 そんな事を考えた自分がおかしくて、灯は思わず笑みを零してしまう。

 少し前の私なら、他人どころか自分の事すら大切にしていなかったのに、今は自分の事より、彩香が恋人が大切なんだから、恋っていいなと初めて思えた瞬間だった。


最善策がなんなのかなんて、全くわからない。わからないのなら、答えが見つかるか、ママ達が先に答えを見つけて自分を救出してくれるまで待てばいい。

 今の私にならそれが出来る。

 根拠のない自信が灯を奮い立たせていた。

 奮い立たせてくれたのはいいが、正直身体が痛い。

 初めてだった。凜ちゃんが自分に暴力を振るうのは、あまりにもショッキングな出来事に、一瞬何が起きているのか理解するまでに、たっぷり五分は掛かった。

 放心状態の灯に、凜は笑顔で「これからは言う事聞かないと、痛い思いするからね」と、天使の歌声の様な澄んだ声で言ったのが、正直未だに信じられない。

 あの優しかった凜ちゃんが、ここまで変わってしまった原因が知りたかった。

 

凜ちゃんが変わってしまった原因の大半と言うか、九割は私にある気がする。

 引き籠もって自分の世界に閉じこもった私。そんな私を凜ちゃんは、小学生なのに見捨てずに面倒を見てくれた。

 まだ十歳の妹の、青春も楽しみも全てを奪ったのは、間違いなく私だった。

 当時の灯は、凜の全てを知りたがった。全てを管理して、自分の思い通りにしたいと願って、それを実行してしまった。

 十歳の妹を束縛して、言う事を聞かなければ、泣いて無理矢理自分の言う事を聞かせる。

 そんな事を、六年も続けてしまった。

 凜ちゃんの心が歪むのも当然だ。

 この身体に刻まれた痣は、当然の報いだ。

 彼女が望むのであれば、今後も私は殴られてもいい。それで少しでも、凜ちゃんの気が収まるのなら、甘んじて受ける。

 今日までの六年間と言う長い時間私は、愛する妹を束縛して自由を奪ってしまったのだから、自分の心の弱さを言い訳にして、妹に縋りついてしまった。

 その罪は、私が死ぬまで消えない。

 例え凜ちゃんが許してくれたとしても、私の罪は消えない。

 それだけの事をしてしまったのだから、本来ならこのまま凜ちゃんのものになるのが筋なのかもしれない。

 しかし、今の灯にはそうする事が出来なかった。

 彩香と言う最愛の彼女が出来た以上、凜のものになる訳にはいかなかったし、それは灯も望んではいない。

 今は、それを凜に気付かれてはいけない。気付かれれば、彩香に被害が及ぶのは明らかで、灯は今は凜に従順な振りを決める。


楽園だった筈の部屋は、今は私と言う臆病者を閉じ込める監獄へと変わってしまった。

 大好きな百合本はあるし、パソコンだってあるから大好きなエロゲーはきっとやらせてもらえる。そう考えれば、監獄ではないのかもしれないが、凜ちゃんと言う監視が常にいる事を考えればやはり楽園よりは監獄寄りだろう。

 現状ここから逃げ出すのは不可能。

 手足の拘束に加えて、外にまで鍵を付けられてしまっては、灯にどうこう出来るレベルではない。

 今はチャンスが来るのを、時が経つのを気長に待てばいい。今までも、ずっと部屋に籠っていたのだから、それに関しては全く問題はない。

 今までと違う点があるとすれば、心が寂しいと感じてしまう点だろう。

 寂しく感じる理由は、言わなくてもわかっている。

 恋人に連絡が出来ない事。

 これからは、恋人として毎日楽しくメールしたり、電話でお話したり、週末には彩香ちゃんが部屋に来て、お部屋デートをする。

 もう少しで、彩香ちゃんが夏休みに入るから、夏休みの間は、彩香ちゃんに予定がなければ、夏休みの間は二人でお部屋で過ごしたいななんて、そんな事を考えていた。

 その矢先に変貌した凜ちゃんに、部屋に閉じ込められてしまった。

 元々私の世界は、この部屋だけなのだから、問題はないのだが、出来るのならここに彩香が居てくれたらなと思ってしまう。

 彩香ちゃんと凜ちゃんと、そしてお仕事を終えた響さんと、そして、やっと少しだけど話せる様になったママと四人で、楽しくお喋りして、お菓子を食べて、そんな時間を過ごしたかった。

 

こんな状況になってしまったのは、間違いなく自分が悪い。因果応報と言うやつだろう。

 自分だけがこうなったのなら、甘んじて受け入れるが、恋人にママに、恋人の母親に心配を掛けてしまった事だけが、とても心苦しい。

 ベニヤを張り付けた窓を見つめながら、今の自分に何が出来るのか、今の自分は大切な妹に何をしてあげられるのだろうか?

 本当に酷い事をしてしまったと思う。

 何をしたとしても、どんな償いをしたとしても、奪ってしまった六年間は戻らない。

 傷つけてしまった心の傷は、時間が癒してくれるかもしれないけれど、過ぎ去ってしまった時間だけは、どんな事をしても、どんな大金をつぎ込んだとしても、絶対に取り戻せない。

 タイムマシーンがあるのなら、六年前にいや、引き籠もる原因となったあの事が起こる前に戻りたい。

 そもそも、あの事がなければ引き籠もる事はなかった。

 凜ちゃんは、自由に生きれた。

 私が引き籠もってしまったから、会社を継ぐ予定だった私がリタイヤして、後継者の舞台から降りてしまったから、妹の凜ちゃんがその舞台に上がらなくてはいけなくなってしまった。

 今こうなってしまったのも、全ての原因は自分が引き籠もった事にある。

 引き籠もる以外の道はなかったのかと、せめてあの時引き籠もるではなくて、ママに相談するという道を選べていたのならと、そんな意味のない事を考えては溜息を吐く。

 灯は、そんな事を繰り返してしまう。

「お姉ちゃんどうしたの? 溜息なんて吐いて」

 寝ていると思っていた凜ちゃんに、急に声を掛けられてビクッとしてしまう。

「何でもないって言うのは嘘かな」

「どうしたの? もしかして私が叩いた場所が痛むの? 」

 申し訳なさそうに、涙目になる凜ちゃん。

 妹にこんな顔をさせるなんて、お姉ちゃん失格だよねと灯は笑顔で、少し昔を考えていただけだよと、ちょっとノスタルジックな気持ちになったけど、もう大丈夫だよと凜の頭を撫でる。

 灯に撫でられたのが、余程嬉しかったのか凜は、気持ち良さそうな表情で灯に甘えている。

 そんな凜を見ながら、灯はこんな自分には一体何が出来るのだろうかと、どうすれば大切な妹は元の優しい女の子に戻ってくれるのだろうかと、悩まずにはいられなかった。

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