第25話 さようなら凜ちゃん

私の上に馬乗りになったままお姉ちゃんは、全然動く気配がなかった。

 凜としては、いい加減恥ずかしいし、ずっと乗られていては重いので、そろそろどけて欲しいのだが、どけてと言える雰囲気じゃなかった。

 何かに悩む様な顔をしている灯に、お姉ちゃんどうしたの? と聞く勇気は今の凜にはなかった。


凜ちゃんに馬乗りになったまま、凜ちゃんの裸を見たまま私は、急に動けなくなってしまった。今日こそは、凜ちゃんと一線を超えると、そう決意して凜ちゃんを押し倒してまで、無理矢理洋服と下着を剝ぎ取ってまで、凜ちゃんとしようと思っていたのに、凜ちゃんの本気の涙を見た瞬間、私の身体は金縛りにあったかの様に動かなくなってしまったのだ。

 泣き止んだ凜ちゃんが私の事を心配そうに見つめている。

 自分が何をしていたのか、大切な妹に何をしようとしていたのか、これは夢なのか、それとも現実なのかすらわからない。

 考えれば考える程に、頭が痛くなってくる。

 一体私は何をしたいのだろうか?

 自分の欲望に正直になりたいのか、凜ちゃんを泣かせてまで、自分の欲求を貫き通したいのか、それが本当に自分のやりたい事なのか、それともそれは偽りであって、凜ちゃんに迷惑を掛けないで、生きられる人間になりたいのか?

 外が怖い。

 他人の言動が怖い。

 凜ちゃん以外で、話せるのは彩香ちゃんだけの私が、外の世界に飛び出してやっていけるとは思えない。


いい加減身体が痺れてきたので、凜は恐る恐る灯に降りて欲しいんだけどと声を掛けると、灯は無言で凜の上から降りると、下着も身に着けずにパソコンの前にある座椅子に座る。

 その姿を、身体が痺れて動けない凜は、ベッドに横になったままで見つめながら、お姉ちゃん大丈夫かな? と不安と心配の入り混じった顔で見つめる。

 今の灯の顔には覚えがあった。引き籠もりになる直前にも、今と同じ顔をして悩んでいた。

 当時の凜には、灯が思い詰めていた事に気付けなかった。まだ十歳だった凜には、灯がそこまで思い詰めているなんて思わなかったのだ。

 高校生になった今なら、灯がとても思い詰めている事が理解出来る。だから、凜は痺れがまだ残る身体で、灯の隣に座ると「お姉ちゃん、悩みがあるなら相談して欲しい。私に出来ないなら彩香には相談して」と精一杯の笑顔で言ったのだが、灯は凜の方を振り向く事も、返事をする事もなかった。


灯が凜を襲おうとした日の翌日になっても、灯の様子は変わらなかった。

 心配になった凜は、学校を休んで灯のそばにいる事にした。

 この優しさが、灯を前に進めなくしているのかもしれないと思いながらも、止める事が出来ないのが、凜の意志の弱さを表していた。

「お姉ちゃん、いい加減服着ないと風邪引くよ」

 灯は昨日から下着すら身に着けずに座椅子に座ったままで、夕食も一口も食べていない状態だった。

 いくら温かい時期とは言え、六年間も家から出ていないのだから、普通の人より免疫力が弱っていてもおかしくない。

 凜がパンツを履かせようとしても、灯は微動だにしない。

 仕方なく無理矢理下着を着せて、洋服も着せると用意した朝食を口に運ぶが灯は口を開けようとはしなかった。

その様子に凜は恐怖を覚えた。

 引き籠もりになった時と、状況が似ていると感じたのだ。

 あの時も、灯は何も話さずに、食事も日に日に取らなくなり、仕舞いにはまるで意志を持たない人形の様になってしまったのだ。

 凜は、その不安からか灯の顔を覗き込んで灯の様子を窺う。

 そんな凜に灯は大丈夫だから、学校休ませてごめんねと言うと、また考え込むかの様に、黙ってしまった。

 お姉ちゃんは、お姉ちゃんなりに必死に考えて答えを出そうとしているんだと、凜はご飯はちゃんと食べてねと言うと、灯のベッドに潜り込むと、そのまま眠りに落ちてしまった。

 昨晩は、灯の事が心配であまり眠れなかったのだ。灯の事は心配だが、眠気には勝てなかった。

 彩香には、朝メールで事情は話してある。

 彩香からは、あまり一人で悩まない様にと、週末のお母さんとのデートの為にしっかりと体調を整えなさいと返事が来ていた。

 彩香の優しさに感謝しながら、凜は週末の響とのデートを思って眠りについた。


自分のベッドで、眠りにつく凜を横目に見ながら灯は、一人悩んでいた。

 自分が妹にしようとした事に、自分は何をしたかったのか?

 本当に妹の凜と関係を持ちたかったのか?

 それとも、自分は大人なのに未だに経験が無い事が恥ずかしいと、そう思って一番そばに居た凜を相手にしようと、そんな身勝手な行動だったのか、考えるけれど答えは出ない。

 自分のそんな無神経さが本当に嫌になってしまう。

 結局は、自分の欲望を凜に妹にぶつけようとしただけだ。

 私は、最低な姉だ。

 考えれば考える程に、深い闇に堕ちて行きそうで、灯は考えるのを止めたいと思ってしまうが、考えなければいけない事は、他にもあった。

 彩香の事だ。

 自分は、彩香ちゃんの事をどう思っているのだろうか?

 彼女の事は好きだ。好きだけれども、その好きがどんな好きなのかがわからない。

 誰かを愛した事なんてなかったから、凜ちゃんの事は大好きだ。

 その大好きは、愛してるはきっと妹としての家族としての大好きで愛してるだと思っている(はっきりと答えを出せない)けれど、彩香に対しての好きの答えは見付からない。

 私は彩香ちゃんを愛しているのか? それとも、自分に優しくしてくれる存在だから、彼女の事が好きなのか、考えても考えても答えは出ないから、灯はもう疲れてしまって、自分世界に引き籠もってしまいたいと考えていた。

 何も考えなくていい世界に……

 それが一番よ。だって、貴女はか弱い女の子なんだから。

 そう言って、私をまたあの世界に引き込もうとする悪魔の声。

 そんなのは、絶対に駄目よ! そんなの凜ちゃんも彩香ちゃんも悲しむのよ!

 そう言って、私を現実の世界に留めようとする天使の声。

 正直、どっちでも良かった。

 もう疲れていたから、ただ楽になりたかった。


楽になりたくて、そのまま寝てしまおうと灯は座椅子の背もたれを倒すと横になった。あの時から、部屋から出なくなったあの日から、灯は嫌な事から逃げ出す女の子になっていた。

 引き籠もる前の灯なら、嫌な事からは歯を食いしばってでも立ち向かう女の子だった。妹にそんな頑張るお姉ちゃんの背中を見せたいと、必死に頑張って、妹の凜に頑張る姿を見せる女の子だったのに、引き籠もって世の中との交流を遮断してからは、嫌な事からは、目を背けるとすぐに逃げ出してしまうそんな心の弱い女の子に変貌してしまった。

 目を閉じて、現実の世界から、悩まなければいけない世界から意識を遮断すると、このまま楽しい事だけを考えられる世界なら、目を覚ましたら、そんな素敵な御伽噺の様な、小さな子供が考える様な世界になっていたのなら、どんなにか幸せかなと考えながら、灯は意識を遮断して自分の世界に没入した。


目を覚ましたら、そこは嫌な事等何一つない世界に……なんてなっていなかった。

 凜ちゃんが心配そうに、私の事を覗き込んでいた。

 そんな妹の不安そうな瞳を見るのは、正直辛い。だから、灯は心にも無い事を口にした。

「もう、もう私の世話なんてしないでいいよ。ご飯もお風呂も」

 目を覚ました灯から、予想だにしていなかった言葉が飛び出して、凜はすぐには反応出来なかった。

「お姉ちゃん? 今、何て言ったの? 」

 聞き間違いじゃなかったら、今『もうお世話しないでいいよ』と言った? 聞き間違いであって欲しいと言う願いから、凜は灯に聞き返していた。

「もう私のお世話しなくていいって、そう言ったの」

 灯は、無表情のままで、嫌だけどご飯はママのを食べるし、お風呂も一人で入るしと、凜を突き放す言葉を投げ掛けた。

 嘘……だよね?

 今まで、自分がいないと何も何一つ出来なかったお姉ちゃんが、混乱する頭で凜は必死に考える。

 自分が、灯とのエッチを拒否したから?

 何か落ち度があったの?

 どうして? どうして? ねえどうして、そんな酷い事を言うの?

 この時になって凜は初めて気付いた。

 灯が凜から離れられなかった様に、凜も灯から離れられなくなっていた事に、凜は知らず知らずの内に、灯に依存して灯がいないと駄目だった事に、灯の『もうお世話しないでいいよ』と言う言葉で、凜はその事に気付かされたのだ。

 凜は泣きながら、灯に自分がエッチを拒否したから、だからなの? としてもいいから、エッチしてもいいから、そんな寂しい言葉を言わないでと、灯に縋りつくが灯は、そんな凜を自分から引き離すと、感情のない声色で残酷な一言を言い放った。

「さようなら凜ちゃん」

 そう言うと、凜を部屋から追い出すと扉を閉めて鍵をかけた。

 扉の向こうから、どうしてお姉ちゃん! どうして、そんな酷い事を言うの! と凜ちゃんの悲痛な叫びが聞こえてくるが、灯は扉を開けて凜ちゃんごめんねと言って思い切り、力一杯凜を抱きしめてあげたい気持ちをグッと抑え込んで、座椅子に戻るとヘッドホンを付けて、パソコンを起動した。

 大好きなゲームの音で、周りの音を自分が居るべき場所じゃない世界の音を完全に遮断すると、これで良かったのだと、これが凜ちゃんの為になると、折角響さんと言う心から愛せる女性と出会えたのだから、その出会いを大切にして欲しい。

 凜ちゃんには、六年もの間迷惑ばかり掛けた。

 凜ちゃんの大切な時間を六年間も奪ってしまった。

 凜ちゃんと離れる事が、罪滅ぼしになるとは思えないけれど、このやり方が最良の方法だとは思わないけれど、今の私にはこの方法しか思いつかなかったから、だからこれでいいのだと、これからはしっかりと彩香ちゃんと向き合おうと、灯はスマホを手に取ると彩香にメールを打った。


彩香はスマホを持ったまま動けなかった。

 初めて灯からメールをくれた事は嬉しかったのだが、それ以上にメールの内容に驚愕して、何と返事を打っていいのかわからなかった。

 凜ちゃんとは決別しました。これからは、しっかりと彩香ちゃんと向き合いたいと思います。今まで、逃げてばかりでごめんなさいと打たれた文面から、目を離せずに彩香は、りんりんとの間に何があったの? と私はどうしたらいいの? と頭が混乱してしまう。

 灯が自分から逃げないで向き合ってくれるのは嬉しい。でも、灯と凜には、今まで通りの仲良し姉妹でいて欲しい。

 自分は、どうすればいいのか、どうすれば二人が元の仲良し姉妹に戻ってくれるのか、一人っ子の彩香には答えは出せなかった。


ママの所に、今日からはママのご飯食べるから、出来たら部屋の前に置いて下さいと言いに行かなくてはと、灯が部屋の扉を開けると、凜が泣きながらまだ部屋の前に居た。

 あれから、数時間経っているのに凜はまだ部屋の前にいたのだ。

 悲壮感漂う凜に、絶望感で生気を失ってしまった妹に、灯は危うく声を掛けそうになったが、凜を一瞥すると声も掛けずに階段を降りて、一葉の部屋に言って要件を伝える。

 突然部屋を訪ねた灯に一葉は驚いていたが、灯はお願いしますとだけ言って、部屋に戻る。

「お姉ちゃんは、私が嫌いになったの? 」

 部屋に入る前に、凜にそう問われたが灯はその事には答えずに「貴女には響さんって恋人がいるんでしょ。響さんとお幸せに」とだけ言って部屋に入ると、再び鍵をかける。

 そんな灯の素っ気ない態度に、もう全ては終わったんだと、やっぱり自分のやり方が間違っていたんだと、凜はふらふらと立ち上がると自室へと帰って行った。


「凜ちゃん、本当にごめんね」

 灯は、泣きながら凜に謝る。

 こんな酷い方法しか取れないお姉ちゃんを許してと、自分でももうどうしていいのかわからなかった。

 このままでは、本当に凜ちゃんを犯してしまいそうで、凜ちゃんを傷つけてしまいそうで、灯はそれだけは嫌だった。

 だから、凜に素っ気ない態度を取る方向を選択したのだ。

 それが、凜を傷つける結果になってしまっても、凜には自分とは違って華やかで明るい未来が、響さんとの素敵な未来が待っているのだから、ずっと迷惑を掛けて、何もお返しなんて出来ないけれど、凜から離れる事が、今の灯に出来るせめてものお返しだった。

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