第22話 優しいお姉ちゃんと泣き虫な妹

週末は、一日中灯と一緒に過ごす。

 灯は、響さんとデートの約束あるなら行ってもいいからねと言ってくれるが、相変わらず響さんはお仕事が忙しいらしく、週末もお仕事をしている様だ。

 無理にデートしてくださいとは、とても言える状況じゃないし、メールの返事をくれるだけで凛は心が温かくなって、何とか自分を保てる気がする。

 

灯と過ごす事は嫌じゃない。こうやって一緒に過ごしていれば、もしかしたら昔のお姉ちゃんに戻ってくれるかもしれないと言う、そんな淡い期待を持てるから、だから全ては無駄ではないと、今は思える。

 そう思える様になったのは、響の一言だった。

 メールではあるが、響は凛ちゃんのしている事は無駄じゃないと、思いはすぐには伝わらないけれど、例え時間が掛かっても、本気の思いならきっとお姉ちゃんに伝わるよと、『本気の思い』と言う一言が凛の胸に突き刺さった。

 凛の胸に失いかけていた情熱が、灯への姉への愛情が戻った瞬間だった。

 今はお姉ちゃんのお人形さんかもしれない。着せ替え人形であり、お姉ちゃんが自由に遊べるお人形さん。

 小さい女の子が、とても可愛がる着せ替え人形と同じなのかもしれないけれど、今はそれでもいいときっとお姉ちゃんは、変わってくれると今は心から信じられるから、だから凛は希望を絶対に捨てないと心に誓った。


「こうしてると、昔を思い出すね。凛ちゃんは、本当に甘えん坊さんで、いっつもお姉ちゃんにくっついていたよね」

 そう言って、優しく微笑む灯の笑顔は、凛が大好きな顔だった。

 両親の言う事ばかりを聞いて、両親の敷いたレールの上を疑問も持たずに歩いているお姉ちゃんを、何てつまらなくて可哀想な女の子と、幼心に思った事もあった。

 けれど、偶に見せてくれる優しい笑顔が大好きで、本当に綺麗だと思っていた事を、凛は思い出した。


幼い時の私は、本当に甘えん坊で自分でも恥ずかしいのだが、とても泣き虫な女の子だった。

 一人で外に遊びに行くのが怖くて、いつもお姉ちゃんの後ろに隠れている様な女の子だった。今では嘘でしょ! と彩香やクラスメートに言われそうだが、本当に内気な女の子で、一人で寝られない。一人でトイレに行けない。一人でお風呂に入れない。一人でご飯を食べられない。一人で幼稚園に通えないなどなど、挙げたら枚挙にいとまがない。

 いつもお姉ちゃんの側にいないと、寂しくて泣き出してしまう程に泣き虫で、弱虫な女の子が凛だった。

 これも嘘付け! と言われてしまいそうだが、当時の私は本当にお姉ちゃんがいないと、何も出来ない女の子で、自分でも悲しくなる位に弱い女の子。守られているのが当たり前の女の子だったのだ。


「あの頃は、本当に泣き虫で甘えん坊だったって、自分でも思うよ。いっつもお姉ちゃんの後ろに隠れていたもんね」

「うん。お姉ちゃんは、それが嬉しかった。お友達のいないお姉ちゃんには、ママやパパの言う事に逆らえないお姉ちゃんには、あの頃から凛ちゃんしかいなかったから」

 両親の言う事を何でも聞くいい子。

 自分の意見を言えない女の子。

 お友達が欲しいのに、お友達になってと言えない女の子。

 いつも一人で悩みを抱えては、凛にバレない様にトイレで泣いていた女の子。

 いつの間にか、凛に依存していた駄目なお姉ちゃん。

 それが灯だった。

 凛が、五歳年下の妹が本当に可愛くて仕方なかった。

 凛が赤ちゃんの時から、オムツを替えたいとママに強請っては、よくオムツを替えて、お着替えをさせて、離乳食を食べさせて、ミルクを飲ませてと本当に楽しくて、幸せで灯はどんどん凛を好きになって、ずっとずっと一緒に居たいと思う様になっていた。

 凛の成長だけが、灯の心の支えになっていた。

 日々成長する凛を見る事が、灯の生きる希望になっていた。

 親の敷いたレールの上を歩かなければ行けなかった。自分が、そのレールからはみ出してしまえば、両親は今度は、凛にレールの上を歩く事を強要する。こんなにも愛くるしい笑顔で、自分に微笑み掛けてくれる凛ちゃんが、あの悪魔共の餌食になってしまう。

 そんな事は、何があっても回避しなければいけないと、灯は両親の敷いたレールの上を、何の疑問も不満も持っていませんと言った雰囲気で、歩いては両親の期待に応えていった。

 全ては、可愛い妹の為に、愛する妹の為に、自分を犠牲にする事を厭わなかった。

 そんな優しいお姉ちゃんだった。

 勿論そんな事は、全く知らない凛は優しいお姉ちゃんが大好きで、優しいお姉ちゃんに甘える女の子だった。


「お姉ちゃんがいないと、本当に何も出来ない駄目な女の子だったよね」

「今は逆転しちゃったけどね。今のお姉ちゃんは、凛ちゃんが居ないと何も出来ない引き籠りで駄目ニートだから」

「そんな事ない! お姉ちゃんは、世界一優しいお姉ちゃんで、私の大切なお姉ちゃんなんだから」

 世界一優しいお姉ちゃん。私の大切なお姉ちゃん。何て嬉しい言葉を言ってくれるのかと、灯は嬉しくて、凛に抱きついてしまう。

「凛ちゃん、大好きだよ。凛ちゃんだけが、私の全てをわかってくれるから」

「それは違うよ。彩香はお姉ちゃんをわかってくれる女の子。お姉ちゃんを受け入れてくれる女の子だって、私は思うよ」

 彩香ちゃんが?

 こんな駄目ニートを受け入れてくれる?

 本当に?

 彩香の事は好きだ。でも、まだ完全に信じられるかと言うと、答えはNOだ。

 彩香には、申し訳ないが、凛ちゃん以外はまだ完全に信じきれないし、信じられると思えない。

「今は、まだ信じられない。凛ちゃんごめんね。彩香ちゃんの事は好きだよ。でも、今は凛ちゃんが居てくれたらいいから」

「お姉ちゃん。今は無理でも、ゆっくりでいいから彩香を受け入れてあげて、あの娘本当にお姉ちゃんの事を好きなんだから」

 灯はわかったよと言うと、再び昔の話しをし始めた。


小学生になっても、一人で寝られないからと、夜は怖いオバケが来るからと、泣きながら自分の枕を持って来ては、一緒に寝てと言う凛に、勉強をしていた灯は仕方ないなと、勉強を中断しては凛を自分のベッドに寝かせると、凛の隣りに自分も横になって、凛の頭を優しく撫でる。

「凛ちゃんも、もう小学生になんだから一人で寝れる様にならないとね」

「お姉ちゃんと一緒に寝たいの。夜は怖いオバケが出るんだよ」

「誰がそんな事を言っていたの? 」

「学校のお友達が言ってた」

 そう言う事かと、クラスメートの戯れ言を真に受けて信じ切っているなんて、凛ちゃんは本当に可愛いなと、灯は凛を抱きしめながら「お姉ちゃんがいるから、怖いオバケなんて来ないよ」と優しく微笑む。

 凛は、その微笑みが大好きだった。

 翌朝。

「お姉ちゃんごめんなさい」

「いいんだよ。でも、早くおねしょが治るといいね」

 小学生になっても、凛のおねしょは治っていなかった。

「お姉ちゃんのベッド汚してごめんなさい」

 泣きながら謝る凛に、大丈夫だよと着替えようねと言うと、凛をお風呂場に連れて行く。

 灯はおしっこで汚れたパジャマとパンツを脱がせると、泣いている凛を綺麗にする。

「もう泣かないの。お姉ちゃん怒ってないし、でもちゃんとトイレ行きたいって言ってね。起こしてもいいから」

 凛はうんと頷くとお姉ちゃん大好きと、灯に抱きつく。

 凛に抱きつかれて、灯の胸は早鐘を打った様に高鳴ってしまう。

 小学生の妹に抱きつかれて、ドキドキするなんて、小学生の妹の裸を見てドキドキするなんて、私はどうしてしまったの?

 中学生になったばかりの灯には、この感情が良くわからなかった。

 この時から、きっと女の子が好きで、女の子の裸にドキドキして欲情する女の子だったのだと、今ならわかるけど、当時の私は自分がおかしくなったのではと、本気で不安になった事を思い出して、本当に純情だったなと苦笑いしてしまう。

「お姉ちゃんどうしたの? 」

「何でもないって言うか、凛ちゃんのおねしょ中々治らなかったなって」

「そ、それはそうだったけど、今はおねしょなんてしないし、恥ずかしいからやめてよ」

 因みに凛のおねしょが治ったのは、小学三年生の時だった。

「夜中にトイレ行けないって、泣いては漏らしてたしね」

「だぁーーーー! 今はちゃんと行けるし! 」

「お姉ちゃんが連れて行ってあげてるもんね」

 それは、お姉ちゃんの為にしている事で、本気で恥ずかしいし、連れて行って貰わなくても一人で行けますからと、凛は声を大にして言いたいのをグッと飲み込んで「だって甘えん坊だもん」と可愛らしく言う。

「か、か、か、可愛い! もう凛ちゃんは何て可愛いの。もう好きすぎて襲っていい? 」

「それは駄目! もう何度もエッチは駄目って言ってるでしょ! 」

「あぅ〜」

 あぅ〜じゃないからと、凛はどうしてそこまで自分と関係を持つ事に灯が拘るのかわからない。

「なら、新しく買った下着を着けてくれる? 凛ちゃんに似合うかなって、ネットで買ったやつ」

「いいけど、お姉ちゃん、ちゃんと貯金してる? 私との約束だよ。引き籠りになってからした約束覚えてる」

 灯は覚えてるよと、引き出しから封筒を取り出すと、凛に手渡す。

 封筒の中身は現金だ。それも、結構な金額が入っている。

「この六年で貯めたの。凛ちゃんが、いつまでもママは生きてないんだよって、そうなったら困るのはお姉ちゃんだから、ちゃんとお小遣いから貯めてねって言ったから」

「お姉ちゃん偉い。これなら彩香のヒモになる心配はないかな。後はお仕事だね」

 お仕事と言う言葉が胸に突き刺さる。家から出られない自分に何が出来るのだろうか?

「お姉ちゃん、ゆっくりでいいからね。それで、どんな可愛い下着なのか見せてよ」

 うんと言うと、灯はこの前届いた下着を段ボールから出すと、凛に手渡す。灯がネットで頼んだ物は、一葉が受け取って部屋の前に置いておくと言うのがいつもの流れである。


凛は手渡された下着を見て、これを着けるの? とさすがに冷や汗が垂れてくる。

 布の面積が小さい気がするんですけどと、本当に着けるの? と半泣きで明かりを見る。

「大丈夫だよ。乳首も下もちゃんと隠れるから」

 だから着けてお姉ちゃんに見せてねと、灯は早く早くと目をキラキラと輝かせている。

「私、もうお嫁に行けない。こんか恥ずかしい格好なんてして、端ない女の子って響さんに嫌われちゃう」

 半泣き状態の凛に「大丈夫だし、響さんも喜ぶと思うよ。だって可愛いてエロくて、お姉ちゃんじゃなくても欲情するよ」と無責任な事を言う姉に、凛は優しかったお姉ちゃんじゃないと、とうとう泣き出してしまったので、灯はやり過ぎたとこっちのは普通のだから、こっちに着替えてと普通のブラとパンツを手渡す。

 凛は泣きながら着替えると、お姉ちゃんの馬鹿! エッチ! ともう知らないと拗ねてしまった。

「凛ちゃんごめんね。でも、一回でいいからエッチな下着着けてる凛ちゃんを、お姉ちゃん見たかったの」

「エッチとエッチな下着以外なら、お姉ちゃんの言う事聞くから、だからエッチなのは駄目だからね。もし、エッチな下着を強要したり、無理矢理エッチしたら全力で泣くし、お姉ちゃんを嫌いになるから」

「し、しませんから、だから嫌いにならないで、凛ちゃんに嫌われたら自殺します」

 自殺! それはまずいので、凛は嫌いにはならないから安心してと、でも本当にエッチとエッチな下着は禁止しますと言うと、そのままの姿で灯の隣りに座る。


灯は、そんな凛の優しさに感謝しながら、もう少しだけ昔話してもいい? と凛に聞くと凛はいいよとこうやってゆっくり話すの久しぶりだからねと、微笑んでくれた。

 そんな凛の微笑みと優しさが、灯には嬉しかった。

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