第16話 自由になりたい? それとも……
お姉ちゃんが、部屋から出て来なくなったのは、確か私が十歳になる年だった。
私の前では、明るかった様な気がするが、もうそんな事も覚えていない程に、当時の私はショックを受けた事を覚えている。
部屋から出ない。家族と食事をしない。そして両親とは会話すらしなくなってしまった。
そんな姉を最初は遠目に見ていた。
子供だった私は、お姉ちゃんの事だからすぐに、お腹でも空いたら部屋から出てくるでしょ位にしか考えていなかった。
浅はかだったと、すぐに思い知らされる事になるのだが、当時の私はかなり楽天的に考えていた。
部屋から出なくなって、一週間が経った。
一切顔を見せてない。
食事に関しては、部屋の前に置いておけば多少は食べている様だが、日に日に食べる量が減っているのがわかる。
心配過ぎて、顔を見て安心したいのに、部屋に鍵を掛けて、ノックして凛だけどと声を掛けても、扉を僅かに開けて、ノートに構わないでと一言書いてあるだけで、私の問いかけに一応は応えているんだよね? と幼い私はまだまだ楽天的だった。
とうとう食事にすら手を付けなくなった。
一日や二日位なら死なないとは言え、成長期の大事な時期に食事を摂らないのは、今後の成長に影響を及ぼすと、ママは必死に灯に呼びかけるが反応がない。
扉には鍵が掛けられて、生きているのか死んでいるのかすらわからない状況に、凛は私が何とかするからと、ママは下で待っていてと軽くパニックになっていた一葉を下に行かせる。
(こんな時ですらパパは来ない)
きっとこの時から、私はパパが嫌いだったのだと思う。
「お姉ちゃん、凛だよ。私しかいないから、鍵開けて」
ガチャリと音がしたかと思うと、僅かに扉が開かれたので、凛はサッと入ると鍵を閉める。
「これで、誰も入れない、うぷっ」
強烈な血の匂いに吐き気を催してしまう。
何、もしかして手首でも切った?
不安になった凛が、灯の手首を確認するが傷一つない。
なら何処から?
凛が強烈な血の匂いの場所を探していると、灯の太腿に血の痕が、凛は驚愕した。
生理がきているのに、そのままの状況で血を拭う事も、女の子の部分を清潔にする事すらせずに、パンツは血塗れなのに、何事もないかの様にパソコンのモニターに虚な視線を向けている。
「お姉ちゃん、綺麗にしないと」
何を? 何処を? と言った瞳でこちらを見つめる姉の顔は、既に死人と言ってもいい程に精気を感じない。
私、お湯とタオル持ってくるから! と凛はその場を後にしたが、灯は興味がないのか再びモニターに映るアニメに視線を向けた。
怖い! 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!!
あんなのお姉ちゃんじゃないと、凛は泣きそうになるのを必死に堪えて、タオルと生理用品等を持って再び灯の部屋に入る。
「鍵、閉めて」
感情のこもらない声色で言われて、ごめんねと凛はすぐに鍵を閉めると、綺麗にしようねと灯のパンツを脱がせる。
経血で真っ赤に染まったパンツを見ながら、凛はお姉ちゃん拭いてもいい? といくら姉妹でもそこは見てはいけない気がして、灯に確認を取ると灯は自分で拭くからと凛からタオルを奪っておざなりに拭き始めた。
「ちゃんと綺麗にしないと駄目だよ。お姉ちゃん、病気になるよ」
面倒臭いと言った顔で、灯は一度お湯にタオルをつけてから、再び拭き始めた。
この日から、毎日毎日灯にタオルとお湯を持って行くのが日課になった様な気がする。
毎日拭いていたかはわからないが、取り敢えず生理が来たら、生理用品を渡すとか、本当に何でもする様になった。
そんな生活を二年も続けて、凛も中学生になった。
そろそろ姉の面倒を見るのが、苦痛になり始めていた。
誰にも相談出来ない。
ママは相変わらず泣いてばかりで、パパは愛人の所にばかり行って帰ってすら来ない。
周りのクラスメートは、楽しそうに毎日を過ごしているのに、自分だけは学校が終わると直ぐに家に帰って、引き籠りの姉の世話をする。
そんな私の生活は、普通ではない。
唯一彩香と言う親友が出来た事が救いで、もし彩香に出会っていなかったら、私は壊れていたかもしれない。
「お姉ちゃんただいま」
「凛ちゃん、寂しかった」
はいはいと抱きついてくる灯の頭を撫でながら、凛の頭の中をいけない考えが過ぎる。
(このままいけば、お姉ちゃんを支配出来る? )
そんな考えが頭を過って、凛は何を考えているの私と、自分の考えにドキッとする。
ドキッとするが、自分の言う事なら聞いてくれる姉に、どうせ一生自分が面倒を見るのだから、少し位は姉の心を支配してもいいよね?
「お姉ちゃん、今日は暑いから汗掻いたんじゃない? ちょんとお着替えした? 」
「し、してないよ。お部屋の中涼しいし」
「そっか、でも私汗掻いたからお風呂一緒に入らない? 」
はぅあ! と変な奇声をあげる灯を見ながら、本当に百合脳なんだからと、妹の裸を想像していやらしい妄想でもしてるのかしら? とこの時の凛は大分心が擦り減って荒んでいた。
は、恥ずかしいから見ないでと言う灯に姉妹で何を言ってるの? と凛は灯の身体を洗いながら本当に困った姉だと、でも私が支配していると悦に浸りながら、このままの時間が続けばいいと、ずっと灯を支配したいと、くすりと微笑む。
「凛ちゃんは、今もお姉ちゃんを支配したいと思ってる? 」
ふいに響に聞かれて、凛はわからないですと自由になりたいと思っているのに、心のどこかでこのまま支配していたいと思う気持ちもありますと、正直に答える。
「でも、彩香と仲良くなって恋人になってくれたら嬉しいです。彩香のファーストキスは私ですけど」
と寝ている時に彩香に唇を奪われた事を、それを許した事を告白する。
「あの娘、私の凛ちゃんの唇を私より先に奪うなんて、帰ったら折檻ね! 」
話が思い切り脱線しそうだったので、許してあげてくださいねと言うと、凛は再び話を始めた。
お姉ちゃんは、私の作ったご飯しか食べない。私の言う事なら何でも聞いてくれる。お姉ちゃんには私しかいないから、私が必要だから、だからお姉ちゃんの心を支配してもいいよね?
そんな事は許されない!
いくら姉妹でも、いくら面倒を見ているからと言って、灯だって一人の女の子であり、一人の人間なんだからと、相反する心に凛は悩みながらも「お姉ちゃん、今日何食べたい? 帰ったら作るからね」と笑顔を見せると学校に向かう。
教室に入ると、彩香が泣きそうな顔をしている。そんな彩香を、クラスメートがテスト位で泣かないのと慰めている。
教室に響くクラスメートの声が、正直ウザい。今は静かな場所で、一人で色々と考えたいのだが、凛は努めて明るくおはようと言うと、彩香の頭を撫でながら、頑張れ馬鹿娘の彩香ちゃんと言うと自分の席に座る。
りんりんの意地悪〜と悲痛な彩香の嘆きを無視して、凛は窓の外を眺めながら、私どうしたんだろう? とどうして支配したいなんて、そんな恐ろしい事を考えてしまったんだろう? と一人ぼんやりと窓の外を眺めている凛を、彩香とクラスメートが心配そうに見つめていた。
「りんりん、あの日かな? 」
「そんなんで、あんな顔するか? 」
「まだきてない、彩香には関係ない話だよね」
「その内来るから! 」
そんな彩香とクラスメートの会話も、凛の耳には届いてはいなかった。
休日は憂鬱でしかない。
偶には彩香と遊ぶが、殆どは灯の世話で休日が終わる。
華の女子中学生が、一日中引き籠っている姉の世話をしているのだから、何が楽しいんですか? って聞かれてしまっても仕方ない状況だ。
「このゲーム、とっても絵が綺麗で可愛いんだよ」
「良かったね」
最近の灯は、楽しみを見つけた様だ。その事は嬉しいのだが、これが引き籠りを辞める第一歩にでもなってくれたらと凛は思ったのだが、それは大きな間違いだった。
エロゲーに嵌った灯は、全く部屋から出ようとはしないし、以前より酷くなっている様に見える。窓にはベニヤ板を貼ってしまうし、トイレとお風呂以外は部屋から出ない有り様である。
「お姉ちゃん、中学生の妹がいるのにエッチなゲームとか有り得ないし」
「それもそうだね。ごめんね。アニメ観る? 」
「そっちの方がいい」
エッチな事には興味を持ち出した年齢だが、恥ずかしさの方が強いし、隣で嬉々としてゲームのキャラクターに話し掛ける姉を見ていたら、本当に頭がおかしくなりそうだ。
寂しそうな顔で、ゲームを終了しようとする灯に、凛は「お姉ちゃんは、そういうの見てするの? 」と聞いてしまった。
「す、すすするって、な、なななな何をかにゃ? 」
思い切り上擦った声で、動揺丸出しで聞く灯に凛は淡々と一人エッチと、事もなげに言った。
今考えたら、大分心がやられていたのだろうと凛は思うが、この時の凛は姉が大人の階段を昇った事が無性に悲しかった。
「し、して……ます」
「そっか、お姉ちゃんももう大人だもんね」
無性に悲しくて、お姉ちゃんはいつまでも純粋な女の子だと思っていたのに、変わってしまった事が悔しかった。
「やっぱり気持ちいいの? 」
「………………はい」
妹に対して何を言ってるの私! と灯は赤面しながら、凛をチラ見すると、凛は興味なさげにアニメまだ? みたいな顔をしていた。
灯が引き籠ってから、もう四年も経った。
経ったのに、灯は変わらずに引き籠っている。
そんな灯を見ていると、イライラしてお腹の奥の方で、黒い何かがグルグルしてしまう。
そんな黒い何かと必死に戦いながら、今日も灯の部屋を訪れては、笑顔を見せて姉の世話をしたり、他愛もない会話をして、休日を過ごす。
「凛ちゃん、宿泊研修は何処に行くの? 」
「行かない。お姉ちゃん、私いないと生活出来ないでしょ」
たったの二泊三日なのだが、別にその程度の日数ならカップ麺でも食べていればいいのだが、この頃には完全に過保護の域に到達していた凛は、一日たりとも灯から離れられなくなっていた。
「行かないと駄目だよ。大切な思い出になるんだよ。お姉ちゃんなら大丈夫だから」
「大丈夫ですか、なら一人でご飯作れますか? お風呂は? お買い物は? 外に出られますか? 」
冷ややかな瞳で、蔑む様な瞳で灯りを見る凛を灯は、怖いとこんなのあの可愛い凛ちゃんじゃないとガタガタと震えながら、大丈夫だもんとネットで買ったお菓子とかあるもんと、まるで小さな子供の様に泣いてしまった。
泣けば何とかなると思っているのかと、凛は「そのお金だって、私のお陰で貰えるんだけどね」と灯を追い詰める。
「わかってるもん。お姉ちゃん、凛ちゃんがいないと生きていけないもん」
もうどうしていいのかわからない灯は、ただごめんねと、お姉ちゃん凛ちゃんいないと生きていけませんと、ただ涙を流しているだけで、そんな灯を見ていると、凛は不思議な高揚感に囚われてしまう。
「そうだよね。お姉ちゃんは、私がいないと駄目なんだよね。そうだよね。お・ね・え・ちゃ・ん」
灯を上から見下ろしながら、気持ちいい! お姉ちゃんを私が支配しているんだと言う優越感と高揚感に、凛は溺れそうになって、何を考えてるの? と正気に戻る。
「はい、その通りです。私は凛ちゃんがいないと生きていけない駄目人間です」
「ち、違うのお姉ちゃん。そんな事思ってないから、宿泊研修は行くから、お姉ちゃんなら大丈夫だよね? 一人で頑張れるよね? お風呂は身体拭けるシートとか用意するから」
ごめんねを繰り返す灯を抱きしめながら、私は一体どうしてしまったの? と悲しい気持ちになって泣きたかった。
「一度休憩していいですか? 」
少し疲れた凛は、響の肩にもたれ掛かる。
そんな凛を響が優しく包み込んでいた。
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