第5話 おばさんは嫌かしら?
本来なら、直ぐにでも作戦を決行したい。作戦と大仰に言うが、要は灯が凛以外と話せる様に彩香が灯と会って、灯と友達になると言う至極単純な作戦である。
出来るのなら、今週末にでも決行したいと思っていたのだが、二週間後にテストがある。
そう学生には、テストと言う名の地獄があるのだ。成績の良い凛にとっては別に問題はないのだが、学年でも下位に位置している彩香にとっては拷問以外の何物でもないのだ。
「りんりん、勉強教えてください」
「あんた、授業ちゃんと聞いてなかったの? 」
「聞いてました。でもサッパリ意味がわからなかったんでふ」
「でふって、相当追い込まれているのね」
「はい。私なりに頑張って授業聞いて、お家でも教科書と睨めっこしたけど、全くわかりませんでした」
もう最後の希望はりんりんだけですと、どうにか赤点回避の手伝いを、補習なんて事になればお母さんに殺されますと、普段は仏の如く優しくて、怒る事はないのだが、約束を破ると鬼に変貌する。その恐ろしさを思い出すだけで、彩香は漏らしてしまいそうだ。
既に軽く漏らしているかもしれない。
目の前で、ガタガタと震えながら、今にも漏らしてしまいそうな程に、彩香は怯えている。
おばさんって、そんなに怖い人だったっけ? 凄く優しくて美人で、料理上手だった筈。何故に未だに再婚しないのか不思議な位に、本当に素敵な女性なのに、娘の彩香には厳しいのかな?
そう言えば、約束破ったらって、彩香はおばさんとどんな約束をしたのだろうか? 気になった凛は彩香に聞いてみた。
未だにガタガタと震えながらも、彩香は母親との約束を教えてくれた。
「家って母子家庭じゃない。正直裕福じゃないし、お母さんの実家はお金持ちだけど、お母さんは頼りたくないみたいで、それなのに私無理言って私立の女子高に通いたいって」
最初は渋っていたが、絶対に留年しない赤点を取らない、補習を受けないなら通わせてあげると言ってくれたのだ。
「だから赤点取れないし、もし取ったら高校辞めないと行けなくなるの。そう言う約束だから」
そんな約束だったなんて、確かに彩香の家が母子家庭なのは知っていたが、無理していたなんて、どうして相談してくれなかったのか? 相談された所で、お金のない高校生に私立の学費なんて援助出来ないけれど、彩香が高校を辞めなくていいように、おばさんに響さんにお願いする事位は、その程度なら私にだって出来る。
「わかった。彩香が赤点取らない様に、今日から私が勉強教える。あと響さんって何時に帰って来る? 」
「ありがとうりんりん! えっとお母さん? 確か19時には帰って来るよ。何で? 」
「今日から、暫く遅くまでお邪魔するから挨拶したいし」
本当は、少し条件を緩めて貰えないか相談してみようと考えたのだ。
「私、お姉ちゃんに連絡入れてくるから、一番苦手な教科の教科書出しておいて」
わかったと言う彩香に待っていてねと言うと、凛は部屋を出て灯に電話を掛ける。
「はい、どうしたの? 凛ちゃん? 」
「今日から、テストまで彩香の家で勉強するから帰り遅くなるから、ご飯遅くなるから先にお風呂入って待ってて」
「う、うん。そうだよね。凛ちゃん高校生だからテストあるもんね。勉強頑張ってね」
本当は、少しでも早く凛の顔が見たいし、凛とお話ししたいのだが、灯はこれ以上凛の邪魔をしたくないと、灯は帰って来たら顔見せてお話ししてくれる? と弱々しく聞くと勿論よと言ってくれたので、灯は電話を切って読みかけの本に視線を戻した。
電話を終えて、彩香の部屋に戻って凛は固まった。テーブルの上には、ほぼ全教科の教科書が、これはどう言う事ですか?
「あの、彩香さん? これはどう言う事なんでしょうか? 何故に全教科の教科書が揃っているのかしら? 」
「えへへ、私って馬鹿だから、だって中学生の勉強すらろくにわからないし」
そうでした。忘れていました。この娘、言いたくはないがかなりの馬鹿だった。
これは毎日帰りが夜中になるのではないかと、凛は腹を括った。
取り敢えずは、数学から教えましょうと凛は頭を切り替えて、容赦なくスパルタで教え始める。例え彩香が泣きべそを掻こうが、トイレに行きたいと言って逃げようとするのも、あっさりと見抜いて、オシッコしたいなら、これにしなさいと空のペットボトルを差し出す始末である。
「そ、そんな羞恥プレイは、いくら私でも無理だし、それとも見たいの? 私の恥ずかしい姿を? 見たいなら我慢してするけど」
「見たい訳ないでしょ? そんな趣味はないわよ! 仕方ないからトイレ行きなさい。ただし扉の前で待ってるから」
「は、はい」
これ以上は無理だよねと、彩香は諦めてトイレに向かうと、宣言通りに凛も着いて来たので、彩香は音聞かないでねと言って、トイレに入って言ったので、だからそんな趣味ないし! と凛は戻ったら覚えておきなさいよと、更にスパルタで行く事を決めたのだった。
「りんりんしゃま、もう勘弁してくらはい。もうこれ以上されたら、私、私逝ってしまいましゅ」
灯が聞いたら、危ない妄想で気絶するんじゃないかと思いながら、凛はそろそろ響さん帰って来る頃ねと、取り敢えず十分休憩の後にリビングに移動して、今度は英語ねと、私は夕食作るからと天使の笑顔で言ったのを見て、彩香は悪魔ですか? 目の前にいる美人さんは、実は悪魔の皮を被っているんですか? と私、全てを奪われると軽く漏らしかけながらも、諦めてリビングへと移動して休憩する。
休憩を終えて、英語の勉強をしているといい匂いがしてくる。
「りんりんって、料理も出来るの? 何でも出来る超人なの? 」
「普通だし、お姉ちゃんのご飯は私が作ってるから、お姉ちゃんってママが作るご飯食べないから、本当に困ったもんだよ」
「そうなんだね。でもおばさんの料理って美味しいよね? 昔おばさんが、私にもお弁当作ってくれて、凄く美味しかった記憶あるんだけど」
「あれでも、一応花嫁修行はきっちりしたみたいだから」
それよりも、ご飯までにその問題終わらせなさいよと、睨まれたので彩香ははいと力無く答えると真剣に問題に取り組み始めた。そんな姿を見て、頑張れ彩香と応援する凛ちゃんだった。
因みに凛は勉強しなくていいの? と思うかもしれないが、凛は実はテスト勉強をした事はない。勉強は授業をちゃんと聞いていれば問題ないと言う強者なのだ。
それで、中学時代は勿論の事、高校に入学してからも、学年でもトップクラスなのだから、本当に恐ろしい女の子である。
「ただいまって、あらいい匂いがするわね。って凛ちゃん居たの? もしかして凛ちゃんが作ってくれたの? 彩香には無理だし、彩香の作る料理って毒物そのものだし」
「ちょ、ちょっとお母さん! それ酷くないかな? ちょっと苦手なだけで」
響と凛は、ちょっとじゃないでしょと二人揃って彩香を見つめる。二人の視線があまりにも痛過ぎて彩香は、でしゃばりましたと素直に謝る。
「お邪魔しています。今日からテストまで二人で勉強するので、遅くまでお邪魔しますけどいいですか? 」
「勿論よ。彩香だけなら赤点と補習は確実だからお願いね凛ちゃん」
「ありがとうございます。それと、後で少しお話しいいですか? 夕食の後に」
「良いわよ。もしかして告白かしら? 」
「疲れてるのにすみません。あと告白じゃないので期待はしないでください」
響は、あら残念と言いながらも凛ちゃんならお付き合いしてもいいのにと、優しくも妖艶な瞳を向けられて凛は、響の視線から目を離せなくて、お手柔らかにお願いしますと、意味のわからない事を言ってしまった。
凛と言う女の子は、焦ると意味のわからない事を言ってしまう女の子だった。
三人で夕食を食べた後は、彩香は部屋に戻って凛に課せられた課題に取り組み、凛は響の部屋で響にお願いをする筈だったのだが、何故私は響さんに抱きしめられているのだろうか? 彩香との約束を少しでいいから緩くしてくれませんか? とお願いしたいのだが、抱きしめられて優しい微笑みを向けられていると、言葉が全く出て来ない。
自分でもわからないけれど、彩香にキスされた時以上に胸がドキドキして、顔が熱ってしまって、何故か身体も熱い。
「それで、お話しって何かしら? やっぱり告白かしら? おばさん女の子大好きだから、告白されたらOK出しちゃうかも、凛ちゃん本当に可愛いし、食べちゃいたい位にね」
「た、たたた食べるって、どう言う意味ですか? ひ、響さん? 女の子好きって、冗談ですよね? 」
「あら、同性愛者は嫌い? 私は根っからの同性愛者よ。本当は結婚なんてしたくなかったけど、両親が頭の固い人でね」
当時彼女がいたのだが、認めてくれる筈もなく無理矢理別れさせられた。お金と言う力で、両親は彼女に二度と響と会わない事を約束させたのだ。
傷心の響に結婚して子供を産めばいいと、勝手に結婚相手も決めてしまった。
「抱かれたくない男に抱かれて、彩香を身籠った。彩香が産まれてきた事が、唯一の救いだったけど、やっぱり好きじゃない男となんて生活出来ないでしょ」
「それで離婚したんですか? 」
「そうよ。大人の世界って醜いわよね。離婚してから恋人を作った事もあったけど、なんて言うか燃えなくてね」
恋愛経験の無い凛には、響の燃えないと言う言葉の意味はわからないが、好きでもない男との結婚と好きでもない男に抱かれる辛さだけは、経験の無い凛にも理解出来る。
「あの、響さん。顔が近いんですけど、く、唇触れそうなんですけど」
「嫌? こんなおばさんの顔なんて近くで見たくない? 」
そんな事はない。子供っぽい彩香とは違って、本当に綺麗な女性で、正直ドキドキしているのだが、このまま流されてはいけない気がする。
響の事は好きだ。勿論彩香の母親としてだが、一人の女性としても、憧れているのも本音だ。
「響さん。私、響さんにお願いがあります。彩香との約束聞きました。もう少しだけ緩めて貰えませんか? 」
「駄目よ。いくら凛ちゃんでも」
「ど、どうしてですか? 彩香は頑張っています。必死に頑張っています。入学試験だって必死に頑張ってクリアしました。それなのに、テストで赤点取ったら退学だなんて」
それじゃあまりにも可哀想じゃないかと、凛は必死に響に訴えるが、響は頑として首を縦には振ってくれない。
「どうしてですか? 彩香が可愛くないんですか? 高校生を女子高生を続けて欲しくないんですか? 」
どうしても首を縦に振らない響に、凛は泣きそうになりながら、彩香と一緒に高校生活を送りたいんですと、だからお願いしますと頭を下げるが、それでも響は駄目よと、あの娘の為にならないからとあの娘には、自分と違って約束を守れる人間になって欲しいのよと、さっきまでとは違って悲しそうな顔を見せる。
「響さん? 自分とは違ってって、どう言う意味ですか? 」
「飲み物取って来るから、一旦あの娘が真面目に勉強してるか見てきてくれる? 」
「は、はい」
嫌とは言わせない雰囲気に、凛は一旦響の部屋を出ると彩香の様子を伺いに行く。
部屋を覗くと、彩香は赤点回避と叫びながら必死に課題に取り組んでいたので、凛は「彩香、あまり根を詰めないでね。まだ時間はあるからね」と声を掛けると「ありがとうりんりん。でも私、赤点取りたくないから、お母さんに悲しい顔をさせたくないからね」と笑顔で言うので、家とは違うなと少し悲しくなりながら、響の部屋に戻って行った。
彩香は勉強してた? と聞かれたので頑張っていましたよと答えると響の隣に座る。
「お話しの続きしよっか、私は彩香には私の様な約束を守れない人間にはなって欲しくないの」
「響さんが、そう言う人だなんて私には思えません」
「それは、凛ちゃんが私の表面しか知らないからよ。私は過去に大切な人との約束を守れなかった。本当に酷い女なのよ」
「それって、さっきの話に出て来た彼女さんですか? 約束ってどんな約束したんですか? 」
「私は、あの娘と何があっても別れないと側に居ると約束したのに、両親がお金を積んで別れさせようとした時も、あの娘は絶対に別れないと言ったのに、私はもういいのと、どうせ幸せになんてなれないと、彼女にお金を貰わせて彼女の前から去ってしまった。そんな最低な女なのよ」
悲しそうに辛そうに話す響に、凛は何も言えない。何て言葉を掛けていいのか、恋愛経験のない凛には、誰かを好きになった事すらない凛には、響の悲しみも彼女さんだった女性の悲しみと絶望感も理解なんて出来なかった。
「自分が約束も守れない最低な人間なのに、娘には約束を守りなさいなんて、どの口が言ってるのかって話しだけど、彩香には誰かを悲しませる人間にはなって欲しくないのよ」
私って最低な母親だよねと、あまりにも悲しげに言う響の姿が儚げで、消えてしまいそうで凛は響の手を握ると「そんな顔しないでください」私は響さんを信じてますから、私は響さんが好きですからと、恋愛経験のない女の子なら勘違いしてしまいそうな事を言ってしまう。
響には、凛が元気を出してくださいと言っているのだとわかっていたので、ありがとう凛ちゃん、私も凛ちゃんみたいな女の子大好きよと、ぐいっと顔を近づけて来たので、凛は顔が近いですって! と再び顔を真っ赤にして、灯ばりに俯いてしまう。
「凛ちゃんみたいな女の子本当に好きよ。おばさんが、もう少し若かったら付き合いたい位に」
「年齢って重要なんですか? 」
「凛ちゃん? 」
「恋愛経験も初恋すら経験してない私が言うのもあれですけど、人を好きになるのに年齢って重要なのかなって」
「重要じゃないけど、世間の目とかあるから付き合ってる人は、多分周りにバレない様にしてると思うけど」
「何か面倒な世の中ですね」
歳の差カップルとか、同性愛とか、そんなくだらない事で気を使わないといけない世の中なんて、何て悲しいのだろう。幾ら歳の差があっても本人同士が好きなのだから、幾ら同性愛だとしても、本人同士が愛し合っているのだから、他人がどうこう言う権利なんてないのに、本当に嫌な世の中だなと凛は思ってしまう。
灯はお姉ちゃんは、きっと女の子が好きだ。百合が好きと言う理由だけじゃなくて、この六年間必死に世話をしてきたのだから、凛にはわかるのだ。男の子のキャラクターには全く興味を持たないのに、女の子のキャラクターには、目を輝かせるし雑誌に載ってる女の子の裸を嬉しそうに見ていた。
ああお姉ちゃんは、同性愛者なのだと、でも嫌な気はしないし、お姉ちゃんが女の子が好きな同性愛者でも、私はお姉ちゃんが大好きだ。
幾ら恋愛経験がない凛でも、同性愛が茨の道である事位はわかる。それでも私はお姉ちゃんが女の子と付き合いたいと言うのなら、全力で応援したいと思っている。
「響さん。きっと……私の憶測ですけど、その彼女さんは裏切られたなんて思っていないと思いますよ。好きだったから、だからこそ身を引いたんだと思います。お金なんて関係なしに、そんな気がします。だから、もう自分を責める必要なんてないし、もう自分を許していい気がします」
生意気言ってごめんなさいと、凛は申し訳なさそうに俯く。そんな凛に、響はありがとうと本当に優しくていい娘だから、おばさん本気になっても知らないよと、凛を見つめるので、その瞳に耐えられなくなった凛は、本気になったら告白してくださいと、その時に考えますと答える。
今は彩香の勉強とお姉ちゃんの事で、恋愛なんて考える余裕ありませんからと、俯きながら答える。
「お姉ちゃんの事? 何か悩んでるの? 」
話すか迷ったが、凛は全てを話す事にして、テストが終わったら彩香に会って貰う事も、彩香に灯のお友達になって貰う事も全てを話して、だから今はまだ恋愛は難しいですと、ハッキリと答えた。
「そうだったの。頑張りなさい。大好きなお姉ちゃんの為に、悩んだらいつでも相談してね。それともこんなおばさんは嫌かしら? 」
「そんな事ありません! 私、響さん好きですから、その恋愛とかじゃないと思いますけど」
「今はそれでいいわ。でも楽しみにしてるから、凛ちゃんが私に興味を持つのを」
余りにも妖艶な瞳と声色に、凛は何も言えずにただ頷く事しか出来なかった。
自分の母親が、自分の親友を困らせているとは思わない彩香は、早く帰って来て勉強教えてよーと泣きながら凛を待っていた。
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