第2話 凛の悩み

このままでは、お姉ちゃんは元のお姉ちゃんには戻ってはくれない。

 六年前にお姉ちゃんに何があったのかを私は知らない。当時十歳の幼い女の子だった私にはお姉ちゃんが急に部屋から出なくなってしまった。急にパパやママと話さなくなってしまった。

 お姉ちゃんは、私にだけは何でも話してくれるのに、引き籠りになった理由だけは絶対に話してはくれない。楽しく話していても、引き籠りになった理由を問うと途端に口を硬く噤んでしまう。

 それ程までに話したくないのなら、仕方ないと私は聞く事を辞めた。誰にだって話したくない事はあるし、いくら姉妹でも秘密の一つや二つ位はあって当然である。

 私にだってお姉ちゃんに言えない事はあると思う。多分あると……ありませんでした。

 そう言えば私って、お姉ちゃんに何でも話していた様な気がする。

 今更ながらに、凛は自分が灯に何でも話していた事を思い出した。

「よくよく考えると、私ってかなりのシスコンだったのよね」

「どうしたのりんりん? 教室で悶えて」

「悶えてないし、私にだって悩み位あるし、それといい加減りんりんは辞めてくれない」

 お姉ちゃんの事で悩む私に声を掛けてきたのは、中学時代からの親友である三倉彩香みくらあやかである。マイペースで、明るくて優しくて可愛らしい女の子。スタイルは残念で、胸はぺったんこでチビなのだが、兎に角可愛らしい女の子で、クラスでも人気のある女の子である。

「悩み事なら、この彩香さんが聞くよ」

 正直彩香に相談してもいいとは思うけど、家庭の恥と言うか、流石に今更お姉ちゃんが六年も引き籠りだとは言えない。

 彩香には、お姉ちゃんがいる事は言ってあるが、お姉ちゃんの事はいつも濁して、真実は伝えられていない。

 さすがに六年も自宅警備員をしていますとは、駄目ニートですとは言えない。

「彩香に相談する程の事じゃないから」

 ありがとうとお礼だけ言うと、彩香はりんりんもしかして、またおっぱい大きくなったの? ととんでもない事を言うので、流石にそんなに成長しませんよと、胸を張って立派な胸を強調すると、ぺったんこの彩香は、ぐぬぬぬと言いながら胸を揉み始めたので、こんな所で胸を揉むんじゃないと、いくら女子高でも駄目よと嗜めると、りんりんは立派でいいよねと、今度拝ませてねと言うので、今度ねと言って考え事に戻る。

「えへへ、りんりんのおっぱい」

 目の前でらだらしなく涎を垂らしている彩香を無視して灯の事を考える。


授業中も灯の事を考えていたので、授業は全く聞いていなかった。成績は、それなりなので、一回位授業を聞いていなくても問題はない。

 一応中学時代から優秀な部類だった。成績がイマイチの彩香が何故凛と同じ学校にいるのか、一応は進学校である。

 答えは簡単である。りんりんと同じ女子高に行きたいと彩香が言うので、最初は絶対に無理でしょと突き放したのだが、彩香が絶対に行くのーーーーーーーー! と泣き出したので仕方なく彩香の勉強を見てあげる事にしたのだ。

 凛のスパルタ指導のお陰でギリギリ合格出来たのだ。

(そう言えばお姉ちゃんって、私なんかより遥かに頭良かったよね)

 成績は常に学年トップだった灯は、県内屈指の進学校に、推薦入学出来るレベルだった。そんな灯に対する両親の期待は、凛が想像する以上に高かった筈だ。

(もしかして、その事で悩んでしまったのかな? )

 

灯は、とても真面目な女の子だった。両親の期待に応えようと、自分を犠牲にして必死に勉強に取り組んでいた。本当に自分を犠牲にして、青春なんてものは灯にはなかった。友達も作らずに、ただただテストで満点を取る事だけに、趣味も持たずに毎日毎日勉強勉強で、気晴らしと言えば、五歳年下の凛の遊び相手をする事だけで、漫画もゲームもアニメすら観なかった。普通の女の子がする事なんて、何一つしてこなかった。

 そんな姉を、凛は可哀想だとお姉ちゃんは、どうしてゲームしないのかな?

 どうしてお友達を家に連れて来ないのかな?

 どうして私と遊んでくれる時ですら、そんなに悲しそうな顔をしているの?

 両親の期待を一身に背負って日々頑張るお姉ちゃんと、そんなお姉ちゃんを横目に自由奔放に生きて来た私。

 お姉ちゃんが、本当はどんな気持ちで日々を過ごしていたのか、どんな気持ちで私を見ていたのか、どんな気持ちで私と遊んでくれていたのか、まだ幼い子供だった私には、お姉ちゃんの気持ちなんて全くわからずに、ただ日々を過ごしていた。

 きっとそんな私に罰が当たったのだ。

 十五歳の中学三年生になったお姉ちゃんは、ある日部屋から出て来なくなった。

 カーテンの閉め切った部屋で、独り言を言っていた。学校にも当然行かなくなり、両親とも口を聞かなくなった。

 唯一の救いは、私の問いかけには反応してくれたが、完全に以前のお姉ちゃんとは別人になってしまった。

 虚な瞳で、部屋の一点を見つめて薄ら笑いを浮かべて、私が部屋を訪ねても、薄ら笑いを浮かべたままこちらを一瞬見たかと思うと、また部屋の一点を見つめて独り言を言い出す始末。

 幼かった私は、お姉ちゃんの豹変に泣きじゃくったけれど、両親は自分達の期待を裏切ったお姉ちゃんを見放して、今度は私に期待を掛ける様になったので、私は激しく抵抗した。

 そんな私を見て両親は諦めたのか、凛は凛の好きな事してねと言ったので、私はその言葉に怒りを覚えて、どうしてお姉ちゃんにその言葉を言ってあげなかったの!! と初めて本気で両親に怒りをぶつけたのを覚えている。


毎日毎日、私はお姉ちゃんの部屋を訪ねてはお姉ちゃんにその日あった事を話した。最初は殆ど反応がなかったが、少しずつ反応する様になって、会話も出来る様になったが、私が少し不機嫌になるとお姉ちゃんはすぐ泣く様になった。

 元々泣き虫で弱虫なお姉ちゃんだったが、それに輪を掛けて酷くなってしまったが、それでも構わなかった。

 照明すらつけていない部屋に、テレビとパソコンのモニターの明かりのみの部屋に一日中居るお姉ちゃんの事を、幼い私は少し可哀想な女の子と思ってしまっていた。今考えたら、本当に酷い事を考えていたと思うが、当時の私は別人になってしまったお姉ちゃんの事を、少し怖いと思っていたし、軽く嫌いになりかけていた。

 凛ちゃんだけだから、お姉ちゃんを見てくれるのは、誰も私を見てくれない。本当の私を見てくれないの。もう思い出せないけどねと、必死に作ったであろう笑顔で言うお姉ちゃんを見た瞬間に、私は私だけは何があってもお姉ちゃんの味方でいようと、例えお姉ちゃんがずっと家から出られない人間になってしまっても、私が一生面倒を見ると心に決めてからは、今まで通りにお姉ちゃんと接する事が出来る様になった気がする。


クラスメートと、恋愛の話しで盛り上がる彩香を見ながら、私には恋愛なんて無縁よねとつい愚痴りながらも、楽しそうにクラスメートと話しながら、貧乳を揉まれている彩香を見て、少しでも成長するといいね彩香と、ちょっと酷い事も考えていた。


「なんかりんりんがエロい顔してる〜」

「誰がエロい顔してるって〜あんたが胸を揉まれてたから、少しでも成長したらって思っていただけよ!」

「ハグァ! きょ、巨乳の余裕ですか、ああそうですか、どうせ私は貧乳ですよ。貧乳は今売り手市場なんですからね」

 売り手市場って何? 確かにそう言う趣味の人もいるけど、ここ女子高なんですけどと、敢えてそこにはツッコミは入れずに、彩香は成長期だから大丈夫よと軽くあしらってから、自分の胸に目をやると、そこには立派な二つの山が主張していた。

 巨乳の何がいいのか? ただ重いだけだし肩は凝るし、街を歩けばエロ男子の視線がウザいしクラスメートからは揉まれるしで、特にメリットなんてない様に感じるが、どうして胸の大きさを気にするのかねと巨乳の余裕で、窓の外に目をやる。

 既に散ってしまった桜を見つめながら、今年もお姉ちゃんと桜を見れなかったなと、来年は一緒に見れるかな? とそんな期待薄な事を願ってしまう。

 灯の部屋からも綺麗な桜並木を見れるのだが、カーテンを開ける事を、灯は頑なに拒否する。

 陽の光を浴びたら灰になってしまうとか、厨二病全開な事を言っては、絶対にカーテンを開けようとしないし、いつの間にかネットでベニヤ板を購入して、窓を塞いでしまう有様で、さすがの凛も本人がその気になるのを待つしかないと、気長に待つ事にせざるを得なかった。


どうしてそこまで、外部との接触を怖がるのか、どうしてお日様の光を浴びる事を拒絶するのか、いくら妹とは言え、灯の思考を理解する事は不可能であり、その事がとても悲しい。

 お姉ちゃんの事は大好きだ。勿論姉としての大好きなのだが、お姉ちゃんと居られるのなら、お姉ちゃんの為なら恋人なんていらないし、ましてや結婚なんて考えた事もない。

 シスコンと言われるかもしれないが、お姉ちゃんに素敵な人が見つかる可能性がゼロの現状を考えたら、自分が一生お姉ちゃんの面倒を見ればいいと、お姉ちゃんの世話をする事は、全く苦にならないのだがら、このままでもいいとすら思ってしまうし、今のままではいけないと、どこかで一度突き放して、現実をしっかりと見つめて欲しいとも考えてしまう。

 そんな相反する考えの板挟みに、つい溜息を吐いてしまう。そんな凛を彩香が、何か悩みがあるなら聞くよと言った顔で見ているので、何でもないから大丈夫だよと、彩香は本当に優しいなと抱きしめるながら、さすがにお姉ちゃんの事は自分の力で何とかしないといけないよねと、本当は相談したいのに相談出来ない凛がいた。


最愛の妹が、自分の事で頭を抱えているなんて、露と知らずに百合アニメを観て、だらしなく涎を垂らしている灯は、やっぱり自宅警備員って最高だよねと、この生活最高なんて事を考えていた。


 

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