四次元のベレッタ

@saye

The Junk Food Junky

とんかつてりたまセットと白い女

 引間ひきま りょう


「とんかつてりたまセット」

 俺は横柄な態度で言った。

「セットメニューは何にいたしますか?」

 つり目のDカップ女店員が軽蔑の眼差しで俺を見て尋ねる。

「シャカポテとダイエットコーラ」

「それに単品でオニオンポテトとチーズバーガー」

 またそれかと嫌悪するような表情の店員。

 派遣会社のバイト用にしている紺色のカーゴパンツは穴が空いていて、白いTシャツに馬鹿みたいにデカデカと入ったオレンジ色のNIKEのロゴプリントは少しヒビが入って剥げかけている。

 それにボロボロになった黒いポーターのバッグを斜めがけにしたみすぼらしい格好の俺を一瞥もせずに店員は言った。

「次のお客様どうぞ〜」

 ムシャクシャしたまま俺は空いた四人掛けの席にどかっと座る。

 くすんだクリーム色のソファ席は少しべたついているが俺は気にしない。

 そしてメイプル色の合板のテーブルに赤いトレーに乗ったハンバーガー達を滑らせる。

 窓側から西陽が差し込んで体の半分を焼いている。

 その日は太陽が久しぶりにその仕事を思い出したかのような真夏日だった。もう秋の終わりだっていうのに外を見やるとアスファルトには軽く蜃気楼が揺らめいているのが見える。

 ショートヘアから少し伸びたようなだらしない髪型に朝必死で撫でつけた癖毛がまた立ちあがって、それが反対側からそよいでくるクーラーの風になびいている。

 さあ準備を始めよう。

 まずとんかつてりたまバーガーの包み紙を開けて中身を分解して行く。

 何をやってるんだとチラッとみるサラリーマン風の男、俺はそいつを見返す。

 男はさっと目をそらす。

 次はチーズバーガーだ、バラバラにしたチーズバーガーのパティとチーズをバラバラにしたトンカツの上に載せる。

 そしてぼろいポーターのカバンからマイタバスコを取り出してハンの内側にかけてたっぷりと染み込ませる。

 いつも持ち歩いているマキルへニーのスコーピオンソースだ。普通のタバスコの10倍の辛さのやつだ。

 その上にシャカポテの粉をかけてそこにもタバスコを染み込ませたら、再度ハンバーガーを組み立てる。

 さあ準備が整った『とんかつチーズ激辛涼スペシャル』の完成だ

 俺はそれにかぶりつく。

 辛えええええええええええええええええええええええええええ!

 舌が痺れて、後頭部まで刺激が突き抜ける。

 毛穴という毛穴から汗が出て顔全体が汗ばむ。

 その辛さに化学調味料のくどい旨みが絡まってトンカツの油がジュワッと広がった。


 最高だ!


 そしてそれをキンキンに冷えたダイエットコーラで流し込む。

 刺激の後に、また刺激、そして最後まで刺激だ。

 たまらない!これだよこれ!

 そうして次のオニオンリングシャカポテスペシャルを作ろうとして残ったシャカポテパウダーに手をつけようとした瞬間、白い影が視界を横ぎる。

 正面に誰か座りやがった!

 信じられねえ!何も言わずに相席しやがった!

 しかもこの光景を見た上で!俺と同じテーブルに!

 店はガラガラってほどではないが、まだカウンター席も空いているし、あっちで一人で座っているインド旅行帰りみたいな服を来た女の向かいの席だって空いているし、

 あそこの靴を脱いでソファに足を投げだしてるバーコードヘアーのおっさんの前の席だって俺の向かいよりはマシだろう?

 まあいい、今は儀式の最中だ。

 嫌なことがあった時俺はこの儀式をする。そして俺の人生は大体毎日最悪だ。おかげで21歳にして若年者糖尿病だ。

 糖尿病というと、アメリカの太り過ぎて歩けなくなった脂肪の塊みたいな感じをイメージするが、俺の体はそうでなく不健康に痩せていた。

 どうも母方の遺伝でインスリン抵抗性が低いとかなんとかで、カロリーをいくら摂取しても満足感が感じられなかった。いくら食べても栄養素は体のどこかから抜けていってしまうようで満足感が感じられなかった。

 そんな俺を見て同じ大学の渡辺は俺の儀式をジャンクフードジャンキーのトリップだって言っていた。


 そして本日の最悪なイベントは何かっていうと、いつもの派遣先に出社した所で契約終了を言い渡されたってことだ。

 多分昨日のアレのせいだろう。

 俺は大学の学費を支払うために生活の殆どをバイトをして過ごしていた。

 それでも家賃は滞納していたし、奨学金の返済や自分の将来のことを考えるともうジャンクフードを貪り食うしかないって感じだった。


 大学生のバイトといえば、出会いだとか社会経験だとかそういうキラキラしたものを想像していたが、結局そういうアルバイトはことごとく落とされて、俺は誰でも登録できる派遣会社で割と時給の高い倉庫整理やらなんやらといった仕事を選んで毎日入っていた。


 そこに同じ派遣会社から来ていた藤田っていうのが来ていた。

 こいつは見た目30歳くらいの中背の小太りで、金髪にピアスに無精髭。見た目同様勤務態度もすこぶる不真面目なやつだ。

 一ヶ月も務めていれば大体みんな知っていることだが。いつもこいつが倉庫の在庫から何か盗むためだいたい最終確認の時に数が合わなくなる。

 それを調整するために田村主任がダブルチェックしたりで、毎回作業は中断して、毎回無駄な休憩時間が入る、もちろん時給も出ない。俺はいつもこの中途半端な20分のせいで微妙にバスの時間に合わなる。

 その一本を逃すと次のバスまで一時間くらい空いてしまうのだ。


 その日、ロッカーで着替えていると藤田が話しかけてくる。

 俺もそこそこのこの派遣先の常連になりかけていた。

 藤田は倉庫で盗んだ戦利品のポケモンのキーホルダーを俺に見せびらかして自慢げに言う。

「マジちょろいぜここ」

「もうちょっと金になるもんだったらな」

 そう言ってキーホルダーをくるくると指の先に引っ掛けて回すと破けたジーンズのポケットに突っ込んだ。

 まるでルパン三世気取りだ。


 そう思うなら盗むな!金にもならないのに毎回毎回くだらないもの盗みやがって!

 こいつはこの会社の社長の息子ととかそういうのでもないらしい。でもなぜか何をやっても許されるやつっていうのがどの世界にでもいるもので。この職場では藤田がそれだった。

 みんな大体犯人がこいつだとは知っていたが、誰も何も言わない。これは学校で答えがわかりきっているのに、誰も手を上げないから授業が進まないっていう日本人特有のアレなのか?そういう状態なのか?しかし毎回毎回在庫が消える度に、そこにいる全員が疑われるのは気持ち悪い。

 そこで俺の悪い癖というか、変な潔癖症みたいなのが出てしまった。たかが派遣のバイトなんだから無難に合わせとけばいいじゃないかって渡辺だったら言うだろうと思った。

 昔から俺は無視しておけばいいような小さな理不尽に突っかかってしまう。それでうまくいかなくなることが何度もあった。


 それでついに昨日俺は田村主任(多分俺とそう年は変わらないと思う)に藤田の悪事を進言した。

 しかし田村は最初俺を無視した。

 無視ってなんだよ?

 なぜ?

 え?そんなことってある?

 かなり面食らったがそれでも俺が食い下がって説明してた。

 しかし『なんなら藤田さんに在庫管理じゃなくピッキングの作業をやらせたらいいんじゃないですか?』

 と俺が提案したところで田村がキレた。

「お前にそんなこといちいち言われなくてもこっちは考えて采配してんだよ!」

 田村は首を傾けて俺をにらみつけながら言った。

 え?俺がキレられんの?

 どうも大学生の俺が意見したのが気に入らなかったらしい。

 どうやら田村にとってはこの仕事が順調に進むかどうかよりも自分のテリトリーで意見する小賢しい小僧の方が問題だったようだ。

 そして今日、いつも通り出勤した俺に対して 白々しい口調で田村は言った。

「あれ?連絡行ってなかった」


 こいつわざわざ出勤させてからこれかよ…

 奥で荷物を運んでいた藤田と目があった。野郎は何事もないように目を逸らして仕事を続けた。

 元はと言えばお前が悪いんじゃないか?

 わざわざ出勤させてから解雇しやがって!

 この一日分の日給で俺の今月の家賃が払えるかどうかが関わってるっていうのに!

 なんで俺だけなんだといつも思う。

 この件に限ったことじゃない。いつも俺が何か行動するたびにその場にある問題が全部おかしなベクトルで動き出して挙げ句の果て全て俺が悪いことにになるって感じ。

 一体俺が何したっていうんだ?

 いやそりゃ世界規模で見れば俺より大変なやつはいるかもしれないぜ?

 だけど小集団の中で考えるといつも貧乏くじ引くのは俺なんだよな。まるで俺以外のみんなが示し合わせたみたいにさ。

 俺が田村の顔を思い出しながら顔を歪めてオニオンリングフリフリスペシャルを噛みしめていると

「それはそうだろう、お前は罪人なんだから」

 ん?

 そこで俺は初めて顔を上げて正面に座った女を見た。

 すげえ美人だ。

 だがまるで「初めて人間の皮の中に入って試運転して見ました」みたいな動きをしてる。

「当たらずとも遠からず」

 女は唇をほとんど動かさずに喋った。

 思ってたことが口に出ていた?

 いやまさか、俺はてりたまスペシャルを食べてたんだぜ?


 暖色を基調とした80年代風の落ち着いたファミリー向けのデザインの店内に全く似つかわしくないその女の格好は銀色の長い髪に、銀色の瞳孔だった。それに白いシャツ。それに白いネクタイ、その上に白いスーツとスカートのセットアップという出立だ。


 コスプレかと思うような外見だが、なぜか不思議と不自然さを感じさせない。

 顔はハーフっぽいような感じで誰かに似ている。

 何だろう?

 あ!

 あああああああああああああ!

 あれだアレ!

 こないだまでハマってたソシャゲのキャラだ!

 そう、ガブリエル!

 俺の持ってた唯一のレアキャラだ。

 なんだろう見た目とか服装はそっくり同じじゃないんだが、俺のイメージとそっくり符号している。だが別に俺はそこまでこのキャラに思い入れがあるわけでもないのに何でこんな幻覚が見えるんだ?

 幻覚は言った。

「直近の記憶から最も親しみやすそうな人物を合成した。

「幻覚という概念とは大きく異なる。汝の思考の範囲内の創造物ではないし実態もある」

 俺の直近の記憶で最も親しみやすい対象がゲームのキャラクターらしい情報に微かにショックを受けながら俺は考えた。

 今の状況をまとめて正気を保とうとする。

 この状況にふさわしいピッタリした回答を探して色んな考察が頭の中を巡る。

 ドッキリ?なぜ?俺が?いややはり幻覚か?

 1分ほどフリーズして脳内で色んなシミュレーションをした挙句俺の頭ではどうしようもない問題だと判断して行動に移す。こういうのってどこまでリアルに感じられるんだ?

 俺は彼女の方に手を伸ばす。

 女は焦点の合わない目で俺の遙後ろを見ているように見える。そのドサっと粗雑に置かれた人形みたいな座り方とは裏腹に、女に当たった西陽がリアルにその実体を表出させて、その真っ白なセットアップに微かな黄色と青のコントラストをもたらしていた。


 そうして俺の指先が彼女の頬に触れた。

 柔らかい。

 しかしまだわからない俺は彼女の鼻を手で触ってその凹凸を確認する。長いまつ毛に触れて、少しぼったりとした唇に触れてみる。

 少し指先が唇に引っかかってわずかな湿り気を感じる。

 そのまままた手を上に戻そうとした時、ソファ席に足を引っ掛けて伸ばしていた体がバランスを崩した。

 俺は咄嗟にもう一方の手を付いた。残ったオニオンリングが手の中で潰れると同時に女の方に伸ばしていた指がグサリと女の大きな目に入った。

 あ!やべッ痛そう!

 そう思って固まったが女はさっきと何も変わらない様子。

 相変わらず、初めて人間の皮を被ったエイリアンのような姿勢でこちらを見つめていた。目から赤い血が滴っている。

 それにも関わらず瞬き一つしない女。

 無理だ、ギブアップ。完全にわからない、俺の常識の範囲のどれにも今の現象は当てはまらない。俺は自分がそんなにお堅い人間じゃないと思っていたが、そうじゃなかった。

 今起こっている出来事に対して納得のいく解釈がないと受け入れられない。

 そう、事象を事象として受け入れることができないのだ。それが現実に目の前で起こっていたとしても。


 俺の中に答えがないなら仕方ない。聞くしかない。

 少し小声で、独り言ともつかないような話し方で俺はつぶやいた。

「一体俺に何のようだ?」

 それに対して、単純明快な答えが返ってくる。

 女は相変わらずその唇をほとんど動かさずに言った。

「お前にある人物を殺してほしい」

 その言葉とゴトリと置かれたその黒い鉄の塊に俺は絶句した。

 拳銃だ。

「理解しやすいように類似した機能をもつ物質の外観に置き換わっている。」

 女は続けた。


 俺はただぼーっとその黒い塊を見つめていた。それはキャンプファイヤーの夜に闇の中で蠢く炎が発するような、人を魅入らせる何かを発していた。


 しばらく沈黙が続いた後。

「誰を?」

 俺はそう質問した。

 不安を隠そうとして余裕のある態度を装おうと努力したが、発せられた声は僅かに震えていた。

 どこから来るのかわからない自分でも説明できないような奇異な不安と一緒に冷や汗が耳の後ろを伝った。

 これはなんだろう?もしこれが幻覚の類ならばここで出てくる名前は俺が無意識に殺したいと思っている相手かもしれない。

 女の口から自動音声のような音で発せられたその名前に、俺の心はチクリと痛んだ。

「引間 秋平」

 それは俺とは比べものにならないほど優秀な、俺の実の兄の名前だった。


 ガブリエルは続けた。

「この銃で殺人を行っても因果関係に作用しない、つまりお前が捕まることも罪に問われることもない。お前は保身の心配をする必要はない」


 俺がそんなことを考えていると思ったのだろうか?

 いや実際考えたかもしれない。少なくともこういう事態になったら、もし自分がこの女のいう通りに実行して殺人を行ったらどうなるかを想定してみるんじゃないか?

 そんなことをするつもりが毛頭なくても。


 そんなことを考えていると、気がつけば女は消えていて目の前に銃だけが残されていた。


 それに触れた瞬間、その質感は俺の背筋を凍らせた。

 その宇宙の果てから来たような冷たさは一度手にしてしまったら、もう2度と手放すことができないような、何か取り返しのつかないことを受諾してまったような、そんな感覚を俺の体に刻みつけた。




 引間ひきま 秋平しゅうへい



 秋平は恨めしそうに、手に持ったナイフを眺めて思案してた。

「これが銃ならどんなに良かっただろうか」

 そして今から死にゆく男にそっと囁いた。

「大丈夫、すぐに助けがくる。」

 男はキツく絞められた猿轡の間から唸り声を上げる

 それは言葉になっていない。


 秋平は何を言おうとしているのか確かめようともしなかった。

 その代わりに入念に、張り巡らせたワイヤーの強度を調べる。


 そうして手に持ったナイフをその装置の挿入部にそっと差し込むと助けを待っている哀れな男をその場に残して去った。



 引間 涼



 なんだか別の世界に来たように感じる。

 家に帰って玄関のドアを開けると、久しぶりの夏日のために畳の匂いと、前の住人によって染みついたヤニの匂いが鼻をついた。そして部屋に入ってからもしばらくは見慣れた1kの部屋が妙に懐かしく感じられた。

 そしてカバンの中から銃を取り出して思案した。兄を殺すというワードには少なからず思い当たるところはあった。兄に対して劣等感を抱いていてそれがコンプレックスになっていると言われると、YESと言わざるおえないからだ。

 だが、だからと言って兄を攻撃しようなんて考えたことは一度もなかった。そんなことをしたところで何の解決にもならないじゃないか?

 だけどもしかしたら深層心理では何か薄暗いものが揺蕩っていて、それが幻覚をもたらしているんじゃないかって考えることもできた。自分がそんな矮小な人間だとは考えたくなかったが、そう考えると言い知れぬ不安が湧き起こってくる。

 それで俺は銃を試したいという衝動に駆られた。つまりこれが幻覚なのかそれ以外の未知の現象なのか確認せずにはいられなくなったんだ。


 本当に因果関係がないならば、この銃で何か、例えばどこかのビルのショーウィンドウを破壊して器物損壊などの事件を起こしたとしても、誰も気に留めないってことになる。

 

 しかし仮にそうならなかったらどうなる?


 俺は可能性をいくつか考えてみる。


 ①上述のように、窓ガラスが割れても誰も気に留めず気が付かない。

(そうするとどうなる?この窓ガラスは未来永劫割れたままってことになるのか?)



 そして

 ②全てが俺の妄想で何も起こらない。この銃もあの女も幻覚で何も物質は壊れない。だからそこにいる誰もがそれに気がつくこともない。

(この場合、俺の完全な妄想であるということだが①とどうやって区別したらいいんだ?)


 最後に

 ③あの女の言っていることが全部出鱈目で、俺は銃刀法違反と器物損壊の現行犯で逮捕される。


 そんなことを考えていたら自分の中の不安が多少和らいできて、代わりに、好奇心が湧いてきた。

 そう、もしこれが本当に因果関係を全く無視して、ものを破壊することができる銃なら、あの女に指示されるままに殺人を犯さなくても、使い道は色々あるだろう。何よりも、もし仮にこの銃がそんなすごい銃だと想像すると、それを手にしている自分が何か特別な存在になったように空想を巡らせることだってできた。来週の月曜日に決行しよう。そう決めた。


ーーーーーーーーーーー


 その日は先日とうってかわって秋らしい天気に戻っていた。雲一つない晴天に涼風が心地よい日だ。涼はグリーンのパーカーの上にモスグリーンのミリタリージャケットを羽織って出陣した。いつも通りの電車、いつも通りのバスを乗り継いで到着だったらいいんだが、そこに行くにはさらにそこから10分ほど歩く必要があった。

 俺の通う有名とは言えないその大学は、随分とアクセスの悪い場所に建っていた。噂では、不正入札と談合で、格安で払い下げられた土地に、文部科学省か何かから天下りした職員が理事になって建てたらしい。

 なぜそんな土地が余ったから建てました。みたいな大学に通っているのかといえば、第一志望の国立大学に落ちて滑り止めで受けていたこの私立大学に行く事になったからに他ならない。

 

 新しい看板に『東風こち文理大学』と書かれている。その東風がどこから取られたのかもわからないし、文系に特化しているわけでも、理系に特化しているわけでもなく、体育大学というわけでもなかった。

 それでも入学した当初は、ここで何か自分の新しい側面を見つけられるかもしれないという淡い希望もあったが、一年通った今、そんな幻想はすっかりなくなっていた。講義は退屈で無意味に感じられた。今はただ体裁のためだけに通っているそんな感じだった。


 なぜこの場所を実験場に選んだのかと言えば、もし想定した最悪のパターン③で銃刀法違反で逮捕される末路を迎えたとしても、サークルの実験の失敗だということにすれば、なんとか言い逃れができると考えたからだ。

 しかしそんな対抗策には意味がないことは俺も内心では気が付いていた。でもそれでもあえてそれをやらなければならなかった。

 結局、問題になって証拠としてこの銃が押収されるような事態にならないと、本当に因果関係の検証にはならないからだ。だからそんな無意味な対抗策はほとんどこの作戦を実行するにあたって自分を安心させるためのまじないに過ぎなかった。

 俺の頭の中ではいつも冷静に判断している少し心の奥の方にいる自分と、それをわかった上で、全て台無しにするように動いてしまう衝動的な性格の自分が同居しているように感じることがたまにあった。今の自分はどっちなんだろうか?


 そして俺は、一番退屈な人気のない講義のタイミングを選んだ。教室はまばらだった。このまだ新しいモダンな校舎の北側は全面ガラス窓になっていた。


 俺は後ろの方の端の窓際の席に座った。

 二つ隣に体格の良い男が座っていた。あとは10人いるだろうか?そんなところ。

 規模としてはちょうどいいように思う。

 俺はカバンからおもむろにその黒い塊を取り出した。それはベレッタの形をしていた。ゲームなんかでよく出てくるやつで、俺でも知っているくらい有名な銃だ。

 それを机の上に置くときゴチっと大きな音がして、エボニー色の合板のテーブルの縁が欠けた。だけど誰も気に留めない。

 そうだ、マクドナルドでもそうだった。テーブルの上に堂々と置かれていても誰も見向きもしなかった。それが因果関係に作用しないってことなのか?それとも…

 俺は堂々と机の上に置いてみた、ベレッタは実際に持つとゴツくて重かったのでその音と振動は二つ隣に座った男まで伝わったはずだ。だがその男は見向きもしない。

 そうすると気持ちが落ち着いてきたのでしばらく銃をいじったり構えてみたりして、反応を見てみた。

 誰一人反応がない。


 俺は何かを悟ったように落ち着いた、そして安全装置を外した。

 そして窓ガラスに銃口を向けると引き金を引いた。


 何かが破裂したような発砲音に耳を劈かれる。

 窓ガラスが割れる音は発砲音にかき消された。

 そして少し遅れて「きゃああああああああああ」という叫び声が響き渡る。


 皆伏せたり中腰になっていて、教室で立っていたのは俺一人だった。

 しっかりと両手で押さえて撃ったのにものすごい反動で肩が痛い。


 冷たい汗がたらりとシャツの下で背中を流れ落ちた。手は汗でぐっしょりと濡れて、銃はその重みで手から滑り落ちそうだった。


 次の瞬間俺の頭は地面に叩きつけられていた。景色がグラグラと揺れている。誰かが俺を殴ったらしい、興奮で痛みは感じなかった。代わりに顔面の半分が麻酔をされたように麻痺している感覚があった。感触を確かめようと頬を撫でようと思ったが、意識に反して腕はぴくりとも動かなかった。それから容赦なく脇腹に一発入った。今度は痛みで息が一瞬止まった。死の恐怖を感じて俺はなんとか言葉を発した


 「…わらとじゃない」

 

 上手く喋れなくてしっかりといい直す。


 「わ…ズぁ・とじゃない」


 男は必死に弁明しようとする俺を容赦無くずるずると引きずって、さらに強固に腕が決まる位置に合わせる。床は一面ガラスの海になっていたからパーカーが捲れて腹にガラス片がジャリジャリと刺さる。俺は思わず裏返った声で悲鳴をあげた。

 それから警察が来るまで、その巨漢の学生はずっと俺の腕を後ろ手に取って押さえつけていた。とっくに無抵抗になっている俺に対して容赦無く体重をかけてくるので、腕がおかしな方向に曲がっている。痛みで無様に泣き喚く俺をみてもその学生は少しも手を緩めることはなかった。

 遠くからサイレンが聞こえてくる。俺は痛みに耐えながらも必死で言い訳を考えていた。

 

 どうやって銃とあの女のことを説明したらいいのか?

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