第3話 塩貯蔵庫襲撃作戦

 ウォード荘の麦の最後の収穫が終わった。ビートがまだ残っているが。

 久しぶりに畑仕事をしているが、人殺しもせずにすむし、仲間が殺されるのも見ずにすむ。

 何より、俺が嬉しいのは、伯爵が怪我をしなくてすむことだ。

 戦時中、伯爵が怪我をすれば、聖女さまが手当てをしてくださったものだった。

 その聖女さまも、処刑される前にすり替えて、ウォード荘にいる。

 兄のニルスも農奴のアンナと結婚して、母は俺はまだかと小突き始めた。

 兄貴の結婚までは、戦争が終わったら結婚もいいなあなんてぼんやり思っていたが、アンナを見ていると田舎者の好奇心旺盛さと口の軽さにぶったまげた。

 俺が結婚するなら、もう一人こんなのが増えるということだ。

 無理。

 俺は、自分が結婚には疲れ切ってるということに気づいた。

 

 最近、伯爵さまは、毎日図面と睨めっこだ。


「アルフレッドさあ、」


 なんですかと、聞くと、ストールション伯爵領内の戦友のところを回れと言う。

 何を企んでるのかと不安になる。

 どこかにって、この場合王宮かなと思うのだが、どこかに攻め込むつもりかと身構えたら、伯爵は言った。


「畑の働き手が足りてないんじゃないかと思うんだ。これから子どもが増えるだろ。飢饉が来たら、このままじゃまずいぞ」


 持ってけ、と、ウォード染めの小さい袋をたくさん渡された。中には、ずしっと砂状のものが入っている。


「塩だよ。私からだと。未亡人や、息子を失った家にも回っておくれ」


 そう言えば、しばらく前にヘルシンボリから塩が届いていた。


 俺は荷馬車に塩を乗せて、一番遠いところに行く。そこは、戦死したビョルン公の従者だったニルスがいるはずだ。ニルスは膝を射抜かれ、片足が不自由だ。

 こっちのニルスも結婚して、たくさんの子どもに恵まれている。だが、一番上の子どももまだ小さくて、鍬を持つことすら難しそうだ。

 畑の方も見たが、耕作放棄したところの方が多いありさまだ。

 ニルスは俺を歓迎してくれたが、おそらく塩の方がありがたかっただろう。


「最近どうしてるんだ?」

「足がこれだからな。買ってた牛を潰して、革の手入れして、細工をして売ってる」

「畑の働き手は?」

「足りるもんか」


 男手のないところは、どこもそんな感じだ。

 男手のあるところも、長く耕作放棄されたところを再度開墾するだけの人手が足りない。

 とにかく、人が足りなかった。

 

「ヘルシンボリの戦友たちは、やることがなくて飲んだくれるのになあ」


 俺はため息をついた。

 アンナを連れて帰るときの暴れっぷりを聞けば、戦友たちが鬱憤をため込んでるのがわかる。

 ヘルシンボリ公爵領の方は、大きな川がない沿岸部だから塩を作る。そして、塩を売った金で麦を買う。大きな川がないので、水も足りないし、石が露出しているところが多いので、麦やビートを作るのではなく、羊の放牧のほうが多い。

 塩作りはこの十年間女たちがずいぶん行ってきた。

 羊の放牧に、そもそも人はあまりいらない。


 一方のストールション伯爵領は、川はどのみちヘルシンボリに流れていくので大したものではないが、そもそも森と湖が多いところなので、それなりに水がある。畑に岩も少ない。

 麦やビートを植えるのも、育てるのも、収穫するのも、人手がかかる。

 森は手入れなしに木材を手に入れることはできない。木を切り出すにも、それを運ぶにも、男の手がいる。

 それも、複数。

 ビョルン(*注 Björn=熊)に改名しろと言いたくなるほど、クマみたいにもじゃもじゃなニルスはクマみたいに力が強いし、森神神殿の修道僧たちの手伝いもあったらしいが、それでも足りるわけがない。


 伯爵にそれを伝えると、伯爵は短い金髪を振り乱して言う。


「やっぱりそうだよなあ。どうにかして、ヘルシンボリの戦友たちをこっちに連れてきたい」


 だが、自由民を公爵領から伯爵領に移動させるのは、簡単にはいかない。農奴の売買とは訳が違う。ヘルシンボリ公爵領の中でも、ストールション伯爵領と接しているステンスタデンから、通いで手伝いに来てもらうのが精一杯だった。

 そんなことを言っていたのは、ビートを収穫して砂糖作りを始めた頃だった。


 はじめの砂糖ができた頃、なんとユッカ・ヴィルタネンがストールション伯爵領にやってきたのだ。

 ユッカ・ヴィルタネン。

 黒髪に青い目のヴィルタネン、それは、ノルム王国最後の元帥だ。

 骨が太く、がっしりとした大男なのだが、育ちがいいのだろう。粗野さはない。

 知力・体力すべて合わせて、我らがカーリン・ファルクマンに釣り合うのはヴィルタネンかオリヴァル王くらいかなと俺は思う。

 ノルム王国との和平交渉は、ヴィルタネン元帥と、ラスムス十五世オリヴァルの今際の際に全権委任されたファルクマン元帥との間で行われた。

 

 すっかり農夫のようになった伯爵を見て、ヴィルタネンは大笑いした。


「王太妃陛下に軍務を解かれたと聞いてたから、真っ白になってるのかと思ったら、真っ黒じゃねえか!」


 伯爵も笑った。


「そりゃ、ノルムに食糧をまわしてやらんとならんだろ?私が働かなくてどうする」


 伯爵とヴィルタネンは肩をぶつけ合って挨拶をした。

 ちらりとテレサを見たらしく、ヴィルタネンが怪訝そうな顔をしていたので、俺は慌てて砂糖の味見を勧めた。


「採れたてのビートで作ったほやほやの砂糖です。少しなめてみませんか?」

「うまいぞ」


 ヴィルタネンは砂糖を少しなめて、目をつぶった。


「……脳天にガツンとくるな!」


 伯爵は砂糖の大袋を一袋だけ渡して言った。


「まだ一つしか分けてやれないが、もってきな」


 ヴィルタネンは受け取った。


「帰りかい?」

「いや、一番始めさ。わが友ファルクマンがどうしてるか見ないわけにはいかないからな。うちで熟成したチーズを持ってきた」


 伯爵はチーズを受け取りながら聞いた。


「じゃあ、ヘルシンボリで塩を買うのか」

「そういうことだ」

「この冬分の塩をストールションじゅうに渡して、ヘルシンボリから塩を持ってきてもらったところだからさ。今ある分を半分持っていけよ。麦も少しやるさ。そしたら、金を節約できるだろ」

「恩に着る」


 気持ちの良い風のようにやってきて、気持ち良くヴィルタネンは去って行った。


 そして短い秋が終わり、冬至に向かって日に日に日照時間は短くなる。

 きっと、ヘルシンボリの港は凍りついただろう。

 その頃、夜をかけて、都から使者が来た。


「摂政令により、ノルムへ塩を売ることも無償で渡すことも禁ず」


 伯爵は頭を抱えた。


「あいつ、十分に塩を持って帰れたと思うか?」


 酪農に塩は必須だ。牛に舐めさせることもある。

 チーズやバターにも塩を入れる。

 海が凍ってなかったら、海水を使えないわけではないが、ヘルシンボリですら港は凍りつく。おそらくノルム側でも凍りついているだろう。


 我が国でも、ヘルシンボリ以外の場所では塩はあまり作れない。

 戦争中、ノルムは塩分不足に陥り、海路でサットンから塩を持ち込もうとした。これを我らの海軍が迎撃したこともあった。

 今ノルムはエークルンド側に塩を依存しかけていた。 

 ノルムとサットンは、海路で繋がる。ノルムの港が凍りつき、サットン側は凍らないので犬ぞりを走らせることもできない。


「……確かに、和平条約に塩についての条項はない……」

 

 冬至が過ぎれば、道は凍りつく。

 こうなると、馬車ではなく、そりを使うようになる。


 また、ヴィルタネンが犬ぞりでやってきた。

 今度は、毛皮で丸々としている。


「俺が仕留めた狼の毛皮を持ってきたぞ」


 おう!と伯爵は喜び、二人はさっさと執務室にこもった。

 

「塩、ね……」

 テレサが呟いた。

「伯爵領からは持っていけないからねえ。ヘルシンボリもねえ……」


 確かに伯爵は王国の規則と摂政令に縛られるが、公爵は縛られない。

 だが、今のヘルシンボリ公爵夫人は、王太妃の末妹だ。


 ウォード荘にある、塩を使った保存食を持たせたヴィルタネンがストールション伯爵領を去った数日後のことだ。

 伯爵は、めずらしく王宮の舞踏会に出席することにした。


「ストールションに引きこもりすぎて、こういう嫌がらせに対する反対意見を言いそびれたじゃないか」


 俺も付いていくのだが、道中伯爵はぶつぶつ言い続ける。


「昔は聖女さまをエスコートしたのに。今はアルフレッド一人かよ……」


 伯爵が珍しく都へ向かう話は、口の軽いアンナによってストールション中に広まっただろう。


 伯爵が都に滞在している間に、なんと伯爵の亡くなった兄、つまりカッレ公の父親に当たるビョルン公に仕えた、足の悪いニルスが都のファルクマン邸にやってきたのである。


「ニルスじゃないか!」


 カッレ公は喜んだ。


「閣下!すっかり立派になられて。伯爵さまは?伯爵さま!」

 

 伯爵領の塩の貯蔵庫、とは言え、ストールションに一つある商店に任せているのだが、そこが破られたのだ。

 カンカンになった店主が雪の上の跡をつけたが、場所はストールション伯爵領の中心にある。犬ぞりの季節になったので、みな、夏の馬車よりも頻繁に犬ぞりを走らせるようになっていた。

 めちゃくちゃになっていて、どれがどれだかわからない。

 ひょっとすると、森の中に入って関所を迂回してどこかに行ったのかもしれない。ひょっとすると、どこかから海に入ったのかもしれない。

 凍てつく海はどこに穴があるのか、氷壁があるのかわからない。

 だが、犬ぞり一機なら渡れるのかもしれない。

 そのまま、ノルムの港に入ったかもしれないし、氷の中に落ちたのかもしれない。


 戦時中、軍も、氷の中に落ちることを恐れて、進軍させることはなかった。

 だから俺は良く知らない。


 ニルスに聞いた伯爵は口をあんぐりさせた。


「私の塩の貯蔵庫が!?」


 伯爵はすぐさまカッレ公とともに摂政への面会を申し込んだ。


「そりゃノルムの連中かもしれませんよ?確かにヴィルタネンが来ましたが、あいつはヘルシンボリで塩の販売を断られたと言って、私に、カッレに対して、ノルムに塩を売ってくれるように口利きを頼んだだけですよ。それで、私は舞踏会を口実に都のカッレに会いに来たんです」


 カッレ公も続ける。


「叔母に頼まれましたが、いくら私が公爵だからといっても、摂政令を無視するわけにはいかないじゃないですか。ですから、ずっとこの摂政令を解除するように申し上げてるんです」


 王太妃ブリュンヒルデは言い返した。


「カーリン=ロッタ。あなたは名将の名を欲しいままにしていたじゃないですか。どうして破られるんです?」


 伯爵は答えた。


「そりゃ、ノルムには私が一番恨まれてるでしょうから、狙われるのかもしれませんけどね、そもそも仕方がないじゃないですか。うちの領内は私みたいな女に、子どもと老人だらけなんですから。ストールション出身者の戦死者が多すぎて、麦を作り、砂糖を作ることすら人手が足りないんですよ」


 ブリュンヒルデとマルクスは、ノルムへの塩販売禁止令を解除することはなかった。だが、元ファルクマン軍にいた軍人の中で、希望する者を伯爵領内に組み入れることを認めないわけにはいかなかった。


 帰る前に、伯爵は最高神神殿へ行って感謝を述べるほど大変機嫌が良かった。

 なんと、テレサとアンナへの土産に、都で布地を買い求めた。


 やっぱり、我らが嘘つきファルクマンだ。

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