第2話 略奪婚作戦

 公爵さま、じゃなかった、伯爵さまが帰ってきて、俺はホッとした。

 アルフレッドも帰ってきたし、テレサは……テレサも、帰ってきたことは帰ってきた。

 テレサもアンズになる、と言うとテレサがひき肉になっちまったようだが、テレサはアンズになるし、きっと母がアンズのジャムを作るだろう。

 

 とにかく、肩の荷が下りた。

 戦争中、こんなに図体がでかいのにどうして戦争に行かないのかと詰められたこともある。

 俺は伯爵がこう言ったと答えた。


「ニルスは体が大きくて力持ちだ。頼りになる。だから、ニルスにウォード荘を守って欲しい」


 そうじゃない。俺は……アルフレッドのように機転が利かない。戦場や都じゃあまり役に立たないんだ。


 俺は一人で耕せるだけ耕し、ファルクマン軍に食糧を送ろうとした。

 森神神殿の修道僧たちの助けなしには、何もできなかっただろう。

 でも、もう、俺一人じゃない。


 一人で植えて、数人で収穫するから、悪い雪解けの時期に家で芽を出させる苗で早く植える、実りの悪い麦も作った。

 伯爵は「早く獲れる麦は、高く売れるし。一番麦が足りないときに出てくるんだから、ありがたいんだぞ」とおっしゃるので、続けないとならないらしい。

 でももう一人じゃない。


 俺は閣下が帰ってきた次の月に、うまいこと水車小屋でアンナと落ち合うことができた。

 アンナは働き者で、栗毛の髪の毛を全部束ねて、水車で麦を挽いていた。


「閣下が帰ってきたんだ」


 アンナは俺を見上げて言った。


「……ようやくなのね」

「……一緒になってくれるかい?」

「もちろんよ」


 俺の麦も挽いて、有頂天でウォード荘へ帰った。伯爵は森にうさぎ狩りに行っていて、帰ってきたときにはすっかり出来上がっていた。

 俺は伯爵とうさぎの皮を剥ぎながら言った。


「……閣下、あの、俺……」

「どうした?」

「一緒になりたい女の子がいるんですが……」

「いいじゃないか」


 伯爵は細い体で俺に肘打ちしながら続けた。


「で、どこの誰だい?」

「アンナって言って、隣のステンスタデンの農奴の娘で、」


 そこで伯爵のよく日焼けした顔が曇った。


「ステンスタデンか。公爵領か……」

「……そうなんですよ」


 伯爵はすっかり酔いが覚めたようで、大きなため息をついた。


「伯爵領ならこのカーリン・ファルクマンが助けになるが、今公爵領じゃどうなってるかな……」


 そして俺の肩をバシンと叩いて続けた。


「ま、私の名前を出してみるがいいさ」


 台所の方に怒鳴った。


「テレサ!今夜はうさぎの丸焼きにしよう!塩を持ってきておくれ」


 俺は自由民だが、アンナは農奴だ。

 自由民の俺が、農奴の娘を娶るためには、その主人から農奴の娘を買い取らねばならない。そうすると、その農奴の娘が俺の農奴になるというわけだ。それから解放できるかどうかを決めることができる。


 アンナの主人のペールは、アンナに言わせるとなかなか手広く商売をしているらしい。自分の土地で作ったもので、酒を作る。そして、自分の土地で作ったものを料理して出す。

 

 俺はステンスタデンの街に、ペールを訪ねた。

 アンナは手広く商売をしていると自慢げに言ったが、行ってみれば、中で料理するのもペールなら、給仕もペールじゃないか。

 店内は十人も客が入れば、肘と肘がくっつくぞ。

 

 ペールは五十は過ぎているだろう。この年齢なら、戦場には行ってないだろうな。


 俺は血入りソーセージとりんご酒を注文して、客が途切れるのを待った。

 味は悪くない。


「……初めまして」


 ペールは俺を見上げて、挨拶に答えた。


「あの、俺は隣のストールションのウォード荘で、伯爵さまに代々仕えるニルスって言います」


 ペールは無愛想に頷いた。


「伯爵さまがなんか用かい?」

「いや、閣下じゃなくて、用があるのは俺なんです。アンナ、いるじゃないですか」


 ペールは誰のことかわからないらしい。


「……農奴のアンナ」


 ああ、とようやく誰の話をしているかわかったようなので、俺は話を続けた。


「……結婚したいんですが、」


 ペールはぷはっと吹き出した。


「あんたが?あのアンナと?どこの伯爵さまに仕えるんだか知らんが、ここはヘルシンボリ公爵領だぞ。帰った帰った」


 俺は、まだりんご酒が残ってるのに、追い払われた。さっと血入りソーセージだけは確保した。


 血入りソーセージをかじりながら帰ってみると、伯爵は俺のしょんぼりした顔を見て何があったかわかったらしい。

 話すうちに、戦争の英雄に対して失礼なことをする奴だと、怒りと悲しみが押し寄せてきて、ボロボロと涙が出てきた。

 ウォードで青く染めた頭巾を被ったテレサが、やっぱりウォードで染めた布を差し出した。


「失礼ねえ。どうする?また行ってみて頼むの?」


 伯爵はテーブルに頬杖をついたまま、俺の代わりに答えた。


「盗み出したって良いんだが、うーむ。どこにいるかすぐにわかっちまうからなあ」

「ね、これが伯爵領なら、カーリンが奪ったって良いんだっけ?」

「戦争中、働き手を失って、全額納税できてるやつなんかいないじゃないか。未納分として農奴も徴収できる。私は伯爵だから処女権行使したっていいぞ」


 テレサが大変悪い顔をして、伯爵にそれが移った。

「アンナはこっちの水車小屋を使うんでしょ?」

「ステンスタデンでもストールション側ってことだぞ。待ってな。古い記録を調べてやる。伯爵領内に少しでも入ってたら、腕力を使ってでも徴収してやる」


 伯爵とテレサは地図と記録と睨めっこだ。

 俺とアルフレッドは、そういうことは苦手だ。

 だが次の日、伯爵は言った。


「……残念ながら、伯爵領にはかかっちゃいなかったね。どうするかな」


 そして俺を見て、頭をぽりぽり掻きながら言う。


「こっちの水車小屋も使うしなあ。ステンスタデン全体をカッレから買っちまうかな。だが農奴一人のためにステンスタデンはちと高すぎる。ステンスタデンのこっち側だけ買うのもなあ。ちょっくら、ステンスタデン行って様子を見て、ヘルシンボリと相談だ」


 今のヘルシンボリ公爵、つまり伯爵の甥のカッレ・ファルクマン公の結婚がある。伯爵は叔母として参加するのだ。


「昔は、こういうときには、聖女さまをエスコートして行ったんだがねえ……」


 テレサが微笑んだ。


「処刑されちゃったからね」


 伯爵は、ある日一人でステンスタデンに行ったが、帰ってくると悪い顔をしている。


「店に、若い女を出してやがったぞ。アンナって呼ばれてたねえ。味は悪かないな」


 俺はもう一度ステンスタデンのペールの店をのぞいた。

 本当にアンナがいた。右往左往している上に、酒を飲んだ男たちに絡まれることもあって、俺は本当に嫌だった。


「確かに、アンナがいました……しかも、酒を飲んだ男たちに絡まれてて……」


 伯爵は腕組みして、俺の肩を叩いた。


「あのじじい、手元の子ブタが売りどきなことに気づいちまったんだな。あわよくば高く売ろうと、店に子ブタも並べただけさ」


 そして、数日後、アルフレッド一人を連れて、前王にいただいた勲章をじゃらじゃらつけて馬に乗ってヘルシンボリへ行った。

 新公爵が結婚するのは、サットンの王女、つまり伯爵と折り合いの悪い、王太妃の一番下の妹だ。ヘルシンボリの海神神殿で結婚して、都へ行くらしい。


 四日後、伯爵は一人で帰ってきた。

 夜、アルフレッドが帰ってきて、俺は伯爵に呼ばれた。

 だが、言われたことには気が進まない。


「……あんまりじゃないですか?略奪ですか?」

「カッレの許可がある」


 伯爵は、俺にウィンクを飛ばしたのだ。

 俺に飛ばしてどうするんです?


 伯爵も農夫みたいな格好をして、ステンスタデンに行くのだが、伯爵が「三人とも出るのはなあ……」ということで、伯爵が残るのかと思ったら、アルフレッドが残ることになった。


 ステンスタデンには伯爵が先に入った。

 次の鐘で俺がステンスタデンに入る。

 ペールの店の前に至る前に、大騒ぎが聞こえてくる。


 伯爵ときたら、ヘルシンボリでは退役軍人たちのところに顔を出したのだ。

 伯爵を、そして伯爵が、育て、鍛えた兵団の、戦友と言えば聞こえは良い。

 実質は悪名高い、「嘘つきファルクマンと仲間たち」だ。


 伯爵が、ヘルシンボリ公爵位を甥のカッレ・ファルクマンに譲り、軍務を解かれたときに、兵団は公爵に預けたままになっている。

 ストールション伯爵領出身者の中には、戻ってきている者もいるが、ヘルシンボリ公爵領出身者は退役しても公爵領を出ることはできない。

 ヘルシンボリ公爵領で必ずしも耕すべき土地があるとは限らず、他の仕事があるとも限らない。

 そして、不満があるのは俺だって一緒だ。

 一番戦死者が多かったのも、一番勇敢に戦ったのもファルクマン軍だ。おまけにちょっとおっとりとしたビョルン・ファルクマン公まで戦死した。

 名将ファルクマン元帥なくして勝利はなかっただろうに。

 燦然と輝いたファルクマン元帥は軍務を解かれて、公爵から伯爵に落っこちた。


 不満だ。


 ろくに戦場に行かなかった俺ですら不満なんだから、伯爵の戦友たちならもっとだろう。


 ペールの店は、めちゃくちゃだ。

 店主ひとりに、給仕にアンナがいるだけの小さい店の中に、十人近い、体の大きな男たちが暴れるのだ。


「このやさ男め!女に色目を使いやがって!」


 毛むくじゃらの酔っ払いがひとり、少し小柄な金髪の男を殴った。

 小柄な男は体をテーブルにぶつけて、テーブルが壊れた。


 暴れっぷりは見かけだけは派手だが、殴り合いに慣れた者が見れば、わざと体をテーブルや椅子にぶつけて壊していることがわかる。その割には壊れた椅子などを振り上げても相手の体にぶつけない。その代わりに別のテーブルや椅子にぶつけ、皿を割る。

 もう、姿をとどめたテーブルや椅子はどこにもない。


 アンナはオロオロして、ペールは「憲兵を呼んでくれ!」と何度も叫ぶのだが、酒の壺を抱きかかえて床に寝転んだ酔っ払いの一人が返事をした。


「おう、憲兵だとぉ?ここにいるぞぉ!」


 そして、テーブルの上にドスンと体を投げ出せば、三本足でかろうじて立っていたテーブルは壊れる。

 いっちょまえに石造りだが、こんなド田舎に何人憲兵がいてたまるかよ。


 俺は気が向かないが、約束通り中に割って入った。


「こいつめ!アンナに色目を使いやがったのか!?」


 俺が殴ったのは例の「やさ男」だ。

 他の男が仲間を殴りやがったなと俺に掴みかかってくるが、力は入っていない。俺はそいつも殴った。

 お次は誰だ?

 俺は向かってくる男たちを殴り、蹴り、投げ飛ばした。


「酔いは覚ましとけ!」


 そして、ペールの方を見た。


「……あんた、大丈夫かい?」


 後ろの方でオロオロしていたアンナが俺に飛びついた。


「ニルス!ニルス!私のニルス!」


 ペールが吐き出すように言った。


「アンナを店に出してからろくなことがない。言い値でくれてやる!」


 俺は伯爵に言われたように、銀を入れた袋をチャリンと鳴らした。

 そして、ペールは銀を入れた袋の中身を確認して、アンナを俺に手渡した。


「くれてやる!お前たち、以降この女が欲しけりゃ、この男のところに行くがいい!」


 これで一つ終わった。

 次へ行かねば。


 酔っ払いたちはすでに起き上がり、俺に拍手をした。

 俺は知らないふりをして、アンナを後ろに隠した。

 さっきの金髪の「やさ男」が頭をふりながら俺に言う。


「私だってば、ニルス」

「か、か、か、閣下!?」


 ここからは伯爵の独壇場だ。

 

 ペールは俺たちの方にやってくる。

 その顔は土気色だ。


「ス、ストールション伯爵?」


 伯爵は機嫌よく答えた。


「そうとも、カーリン・フォルクマンだとも。カッレの結婚式のついでに、ヘルシンボリの戦友たちに会ったときに、ニルスが惚れ込んだ女がいるって話になって、見に行こうぜって話になったんだが、みんなすっかり酔っぱらっちまった」


 そしてまた懐から金貨を三枚出した。


「すっかりやっちまったようだな。戦場じゃこんなもんじゃなかったんだよな、足りるな」


 ペールは不機嫌ながらも受け取らざるを得ない。

 というのも、公爵領では、自由民以上は損害賠償をすればそれ以上は訴えることはできないのだ。


「りんご酒がうまかったぞ。カーリン・フォルクマンのお墨付きって書いて構わん。戦友たちよ、今日はここで解散!」


 真顔で大男たちが地響きのように答えた。


「はっ!」


 帰り道、俺たち三人はウォード荘へと歩く。

 アンナは終始機嫌が良さそうだ。

 だが、不満なのは、アンナがチラチラと後ろを振り向いて、伯爵を見ることだ。

 伯爵は鼻で笑う。


「私の顔を見ても、何も出てこないぞ。ニルス、金を出したのは誰だ?」

「閣下です」

「アンナ、買ったのは私だぞ。その分を働いて返してくれたら農奴から解放する。あと、ウォード荘にいる侍女テレサにはあまり構わないでくれ。肺病で髪の毛も抜けてるので頭巾をかぶってる」


 ウォード荘では、俺たちは森番小屋に住む。


「新婚さんを邪魔しちゃ悪いだろ?」


 森番小屋はアルフレッドとテレサが掃除をしていた。

 ウォードで青く染めた頭巾をかぶったテレサがドアを開けて、俺たちを迎えてくれた。

 テレサは色白だったのに、すっかり真っ黒になっている。あまり太さがないのだが。

 埃をかぶっていたテーブルや椅子は、時間を見て俺が修理していたのだが、それがきれいに磨かれていた。

 テーブルの上には、青いテーブルクロスまでかかっている。

 

「新しくはないがな、清潔なものを選んだ。これが私からの結婚祝いだ」


 伯爵がそう言うと、テレサは伯爵の口が切れていることに気づいた。


「カーリン!」


 伯爵はちょっと嬉しそうにテレサに手を引かれていった。

 テレサは心配そうに伯爵を見上げて、傷口を確認しようとしていた。

 

 入れ替わりに母がやってきて、テーブルにリスを煮たものを置いてくれた。


「伯爵さまが明日一日は二人ともお休みにしていいっておっしゃってたからね」


 そして、アルフレッドを連れて出ていった。


 俺は夢見心地の新婚初夜のはずだ。

 目の前に、アンナがいる。

 なのに、アンナときたら、伯爵さま、伯爵さまなのだ。

 その次に、テス夫人。


 カーリン・フォルクマン公爵が都の公爵邸に置く、「テス夫人」とは、俺の妹のテレサのことだった。だが、今の青い頭巾のテレサは、俺の妹のテレサじゃない。

 その話なんかできるわけもなく、俺は放置を食らった。

 翌日からも、アンナときたら理由をつけてウォード荘に入ろうとする。


「駄目だぞ」


 アンナが台所に入り込むので、青い頭巾のテレサはなかなか下の階に降りて来ないし、降りたら降りたで、伯爵のそばを離れない。

 

「なあ、アンナ。頼むからテレサの邪魔をしないでやってくれよ」

「うるさいわねえ。私は都の話が聞きたいだけよ」


 アンナはしだいに俺を邪険に扱うようになった。

 俺は仕方なく、言わないとならない。


「アンナ、お前は伯爵さま所有の、農奴だぞ。テレサにあまり構うなって言われたじゃないか。テレサを追いかけ回すと、伯爵さまがお怒りになる。解放してもらえないぞ」


 アンナは何を考えているのか、俺の話を聞かない。

 どうなることやら、俺は不安だ。

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