第3話

そして、もう一人は・・・下働きの男である。

 長田信綱は使用人の一人として働いている。美知が言っていたように、結構な歳で、もうこの家の下働きとしては年齢的に大した働きは出来ないように見受けられた。ほとんどが大久保武と乙美が石坂の家の主だった家事や庭の雑用、外回りなどを切り盛りしていたのだろう。

 小菊はどうしても信綱という老人に会って、その風貌を確かめておく必要があったのだが、会えなかった。小菊はなぜか気になって仕方がなかった。

 (ああ、何処へ・・・行ったのかしら?)

 小菊の足が止まる。聞くにも、誰に聴けばいいのか分からなかった。警備をしている警官に分かるはずがない。

「まあ、いいか・・・」

 この家にいる限り、会えるだろう、と小菊は思った。だが、これが後々まで尾を引くことになる。


 小菊はもう少し、この家の中を歩きたかった。そこで、彼女は家の外に出た。

 (小原警視正に会うのは、その後でも・・・いいえ、その途中で会ってもかまわない)

 構わないわね、と小菊は決めた。

 静かな住宅が連なっていた。古い家が多い。六月の爽やかな風が小菊の髪を揺らせ、心地よい。旧甲州街道から逸れているが、おそらく石坂家のもとの敷地は街道沿いまであったのかもしれない。明治維新の頃、ここまで兵士が紛れ込んで来ることはあったのか・・・想像は出来る。ある程度資料とそれなりの証言もあるのだろうが、もう百年以上経ているのだから。それは現代人の心地よい単なる空想でしかない。

 しばらくの間、そんな散策をし、想像をめぐらした。

 「うふっ・・・」

 意味不明な小菊の笑みであった。

 「そろそろ小原警視正に会うに行こうかしら・・・」

 (驚くかな・・・それとも、私、誰だか分かるかしら?)


 座敷には警視正がいた。

「ああ、警視正。この人は娘の知り合いで、ええと・・・」

小原はこの女の名前を思い出そうとするが、思い出せない。

「新藤小菊といいます。小原警視正・・・お名前だけはうかがっております。お会い出来て、喜んでいます」

小菊は頭を下げたが、その眼は小原からそらしていない。笑みを浮かべているが、可愛い娘というより、美しい女に見えた。

「私の名前を?何処で・・・」

「新聞などマスコミを通じてですよ」

小菊は声を立てて笑った。

小原警視正は首を傾げた。この娘が・・・なぜか気になるようだ。

 (何処かで見たような・・・)

 気がしたが、この女は若い・・・彼の記憶にある奴とは奇妙な違和感があった。記憶にある奴は男である。この人は・・・女性、しかも若かった。しばらく腕を組み考えた後、小原警視正は小菊に、

 「まあ・・・いいです。警備の邪魔だけはしないで下さい」

 といった。

 黄金の兎文鎮は一旦奥の部屋にしまい込まれていた。ところで、このガラスケースを持って仕舞い込んだのは、誰なのか・・・そう、何と・・・新藤小菊である。

 「ここに置いておいて、監視した方がいいんでは・・・」

 主税は主張したが、小原は、だめです、と拒否した。

 「そうですね。警視正の言われる通りだと思います」

 小菊も賛成をした。警視正は小菊を睨んだが、何も言わなかった。この後、小菊は座敷から退去した。

 「あいつが、どういう策略に出て来るのか分かりませんが、こんな無防備な場所はいけません。今はとにかく隠しておきましょう」

 「分かりました。仰せの通りにしましょう」

 美知はどうしたらいいのか分からないから、主税と小原警視正のやり取りを聞いているしかなかった。美知は小菊の後について行きたかったが、大切な用事でもあるのか、さっさいなくなった。

 この時、外の方が騒がしかった。

 白い煙のようなものが見えた。

 「どうしたんでしょう?」

 石坂主税は廊下から外に眼をやったのだが、何があったのか、ここから見える訳がない。

 「見て来ます」

 小原警視正は外に向かった。庭にいた警備の警察官も走り出した。

 ここには・・・誰もいなくなった。どうやら、みんなの注意が外に向かったようだった。

 美知はちょっぴり怖くなった。と同時に、何があったのか分からないが、もし九鬼龍作が現れたのなら、会って見たい気がした。

 「お父様・・・私も、行って見ます」

 「美知!お前は、いい」

 主税がこう言った時には、美知はもう走り出していた。

 「困った奴だ」

 座敷にはこの屋敷の主である石坂主税だけが残った。

 一瞬、主税は祖父の玉四郎が気になったが、

 (あいつの目的は、ここにある黄金の兎文鎮だ・・・)

 何も起こるまい・・・と、かつてに安堵していた。

 だが・・・

 新藤小菊は何処に行ったかというと、また邸宅の周りをぶら付いていた。何をやりたいのか、何かを観察しているのか、彼女は警備に立つ警官ににこりと笑い、愛想を振りまいたりしていた。私服の刑事なのか、彼女の眼とその刑事の眼が合う。一瞬、互いの眼が頷きあった・・・のか、男の方は薄い笑みを浮かべる・・・そのように見えないでもなかった。棟方靖男警部である。小菊が連絡したのは、この棟方靖男警部である。 

午後四時を過ぎたころである。九鬼龍作の指定した時間にはまだ七時間もあった。

下働きの長田清秀は、その頃石坂の家の溝周りの落ち葉を、町内のごみ袋を持ち、溝に落ちた葉っぱやごみを拾い集めていた。まだ腰は曲がっていないようだが、屈むのがつらそうに見えた。

その様子を、小菊は口を歪めながら凝視していた。だが、この時には小菊はまだ長田清秀に会っていない。

(この老人は・・・!)

今の小菊に、これ以上の考えはない。

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