最終話 プリンにカラメルソースは少なめで
僕が、要と知り合ったのは高校の時だった。同じクラスでいつもヘラヘラしている綺麗な顔の奴。そんな印象で、自分とはまったく別世界の人間だと、いつも人に囲まれている人気者の要を、遠くから見ていた。
要は、勿論、もって生まれたその容姿も美しかったわけだが、それよりも「良い奴」であろうとしている、内面の美しさが目についた。怒らない、見捨てない、譲り合い、なんて聖人君子かと思うような行動が、無理しているように見えて、
「人気者は大変だなあ」
と、正直やや馬鹿にした気持ちを抱いていた。人に好かれる為に、自分を押し殺す馬鹿な奴。
そんな馬鹿な男の秘密を、僕はひょんなことから知ることになる。
僕らの高校から、一駅先に小さなケーキ屋があった。夫婦でやっているこじんまりとした店で、ケーキは勿論、プリンがこの上なく美味しい店だった。このプリンは平日限定三十個販売で、毎日十四時、つまり午後二時から販売開始になる。一瞬でなくなることはないものの、やはり六限まである通常の日だと学校が終わるの自体が十五時だったから、そこから電車に乗って行っても間に合わず売り切れてしまっていた。
そんな僕が、唯一プリンをゲットできるのが木曜日だ。木曜日だけ、うちの高校は五限で授業が終了して、そこから走って駅まで行けば、ギリギリ買えるか買えないか、というような時間に店に到着するのだった。
そんな風に、僕が木曜日だけ常連客になったある日。
「あら、泉ちゃん今日はお友達と?」
奥さんに支払いをしてプリンを受け取る時に、不思議なことを聞かれて首を傾げた。
そんな僕の様子に今度は奥さんが首を傾げながら、
「同じ制服だけど、お友達じゃないのかしら」
なんて言ったので、僕はそっと後ろを振り返った。
そこには、汗だくになった要が立っていたのだった。
「あれ、お前おんなじクラスの名取じゃん、なんでここに?」
「……こっちの台詞だわ」
クラス一の人気者、藤堂要ともあろう男が、ぐずぐずに相好を崩した様子で、プリンを買っている姿は、なかなかに衝撃的だった。
いつも僕は、店の隣にある公園のベンチに座ってプリンを食べて、そして帰宅するのだが、乗ってきたのであろう自転車に跨がりながら付いてくる要に業を煮やして
「ついてくるなよ」
と睨み付けながら言った。
普段ちやほやされている分、そんな僕の反応が新鮮だったのか、面白がって
「えー、いいじゃん。せっかくプリン仲間ができたからには語らいたいじゃん」
なんて、とうとうベンチに座る僕の隣に腰かけて、二人仲良く並んでプリンを食べるはめになった。
「でも、意外だったなあ。名取が甘いもの好きなんて」
「そっくりそのまま返すよ」
そんな状況でもプリンはやっぱり美味しくて、いつもならシカトを決め込んだかもしれないが、要に喋りかけられたことに必要最低限の返答をしていた。
あっという間にプリンはなくなって、もうここにとどまる理由がなくなった僕は、喋っていた所為でまだプリンを食べている要を置いて帰ることにした。要はぶつくさ言って引き留めようとしてきたけど、
「しつこいな」
と、改めて睨み付けたら、渋々
「わかったよ、また明日学校で」
なんて、笑みを浮かべて言った。
「また一緒にプリン食べようぜ」
「……気が向いたらな」
これが、「クラスの人気者」という空っぽな外側部分だけしか知らなかった要の、思いもよらぬ中身を知って、ほんの少し興味を持ったきっかけだった。
そうして、僕たちは木曜日だけ、たまに一緒にプリンを食べる不思議な関係にもなった。ちなみに僕は、毎回電車なので到着する時間帯も同じだけれど、要は自転車で、しかも学校で友人たちに離してもらえないこともしばしばあったので、限定三十個に間に合わない日もあった。僕は、頑なに自分の分しか購入せず、いつもの公園でプリンを食べ続けた。
そこに、プリンをゲットしていたり、できていなかったりする要が、いたりいなかったりする。要はプリンをゲットできなかった日でも、お店に来た時は必ず公園へやって来て、僕ととりとめもない話をするのだった。
「藤堂くんって変な奴だよね。こんな無愛想な僕と何の面白みもない会話に興じるなんて」
珍しく、僕の方から要にそう問いかけたら、要は大きな目をぱちくりさせてから破顔して
「要って呼んでよ、藤堂くんなんて他人行儀じゃん」
と言った。
「やだ」
「いいじゃん! 俺も泉って呼ぶからさ」
「もっと嫌だ」
その日から、要は僕のことを泉と呼ぶようになったけど、僕は、相変わらず藤堂くんって他人行儀に呼んだ。
僕は、学校でも同じようにフレンドリーに接してくる要を疎ましく思う反面、なんだかこそばゆいようなむず痒いような心地もしていた。
僕を要が「泉」と呼ぶ声が、なんだか甘い響きを伴っているような気がして、ソワソワとしてしまうのだ。
そしてもう一点、僕は要が遠慮したり無理に優しくしようとしたりするのを見るのが、嫌になってきたのだった。今までは気にも止めず、意識したところで
「人気者は大変だなあ」
と皮肉混じりにスルーできたのに。どうしてこいつが我慢しないといけないんだ、とか。どうしてそこで他人に譲ってしまうんだ、お前はそれでいいのか、とか。そんな怒りにも似た感情が芽生えるようになって、それを自覚しては狼狽えた。
更には要がプリンを買えて喜んでいると僕も嬉しくなったし、買えずにしょんぼりしているとなんだか悲しくなった。
まさか自分が、他人のことで一喜一憂するようになるなんて。そんな自分を認めるのが、怖いことのようで、要の分のプリンを買うということはしなかった。
そんな、ある木曜日。僕はいつものようにお店に並んだ。その日は団体で買いに来た客がいたようで、プリンの減りが早く、内心僕は早く要が来るように祈ってしまっていた。すると、祈りが通じたのか、自転車を爆走させて汗だくになった要が僕の後ろに並んだ。そしてその後ろに女子大生らしき二人組が並んだ。
「泉ちゃん、ギリギリセーフだったわね。もうラスト二個だったのよ」
おばさんがニコニコしながら僕にいつも通り、プリンを一個用意している時だった。
「あのー、私たち、どうしてもここのプリン食べたくて。一個でもいいから欲しいの」
「遠くからわざわざ来たし、手ぶらで帰りたくないんだあ」
おばさんの言葉を聞いた二人組の女が、要にそう言ったのだ。なんて図々しいんだ、と呆れる僕の耳に
「あ、じゃあどうぞ。買ってください」
なんて、もっと呆れる言葉が聞こえてきた。
馬鹿か、お前、プリン食べたくて自転車ダッシュしてきたんだろ。遠くから来てるのはその女たちだけじゃないし、お前が譲る必要性がどこにあるんだ。
かっとなった僕は思わず、
「おばさん、プリン今日はもう一つ頂戴」
と、叫んだ。びっくりしたのは、おばさんと女子大生二人組と要、そして何より僕自身だった。すぐさま我に返った女子大生二人組は
「はあ? あり得なくない?」
「限定品を一人二個買うとかまじで常識ないんだけど」
なんて、僕に聞こえるように言ってきたが、僕は怯まず後ろに聞こえるように言った。
「僕と、友達の要の分で二個頂戴」
って。おばさんは優しく笑って、僕に二つプリンを渡してくれ、僕は呆然とする要を引っ張っていつもの公園に移動した。
「ん」
「なんで」
「いらないなら僕が二個食べる」
突き出したプリンを要がなかなか受け取らないのにやきもきしてそう言えば、要は慌てて
「いただきます!」
と、受け取った。
そして、嬉そうに口に運ぶ姿を見て、僕は満足感に浸りながらプリンを食べた。
僕は、要が美味しそうにお菓子を食べる姿に恋をしたのかもしれない。それをこの瞬間に気づかされたのだった。
そんな僕の長きに渡る恋は、奇跡的に成就した。その奇跡は一瞬かもしれないが、それでも僕は幸せだった。
そして、もう一度あのプリンを食べたいと思った。
僕らは大学の授業をさぼり、久々に地元に帰ることにした。あのプリンを食べるために。バスにのって、一番後ろでこっそり手を繋ぐ。
「あそこのプリン、優しい味なんだよな」
「カラメルが少ないからかな」
「なんでカラメルが少ないと優しい味なんだよ」
「苦いじゃんカラメルソースって」
「お子様だなあ。あの苦味があるから、プリンの甘さが引き立つんだろ」
「お子様でもいいから、苦い思いはあんまりしたくないな」
そんな風に今までと変わらぬ軽口を叩いて、変わってしまった関係によって生まれた、誰にも許されない幸せを噛み締めながら、僕らはバスに揺られていた。きっとこれから、たくさん苦い思いをお互いにしていくだろう。それでも、この手を離すことはできないと思った。
ふと、窓の外に目をやると、件のお店の前を通った。少しだけ改装されたのか、様変わりしている外装と、昔はなかった幟を見つけた。
「『毎月二十五日はプリンの日』なんだって。なんでだろ」
以前もこんな話をしたことがあったっけ。要もそう思ったのか、悪戯っぽい目をして、
「きっとプリン男爵の誕生日だな」
って言った。僕は笑いながら
「なんだっていいよ」
明日も、要と一緒にお菓子を食べられたら。
そう言ったら、要はニッコリ笑ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます