第6話 ビターチョコを溶かして、飲み干して
『日曜日、藤堂と女の子が歩いてた話の詳細を知っている』
絵本のあらすじが書いてあると渡された紙に書いてあったのは、僕がどうしても知りたくて、どうやっても知れない話だった。
「どう? 名取」
勝ち誇ったように言ってくる千村に苛立ちながらも、
「……好きにすればいいだろ」
と答えるしか、自分の中には選択肢がなかった。
どうして要が、僕にあんなことをしたのか、あの日何があったか知ることで理解できるのではないかと。けれど、隣で僕の返答に驚いている要に何があったか聞いたって、絶対に教えてくれない。否、そもそも僕に勇気がないのだ。要に、あの日曜日、何があったか聞く勇気が。
「決まりね」
そう言って、両手で握り締めていた紙切れを僕から取り上げて、千村は、
「連絡先は、藤堂のは教えてくれないだろ? 名取の教えてよ」
と、連絡先の交換画面を開いた。渋々僕も画面を開いて連絡先を交換すると、軽やかに去っていった。
次の講義室へ移動するために要と二人して立ち上がったが、なんとなく要に悪い気がして視線が合わないように俯いた。
「悪いね、講義サボらせて。でもなるべく早く聞きたいかと思って」
「御託はいいから、知ってることさっさと話せ」
二限の講義がある教室に着く手前で、スマホの通知音が鳴って確認したら、先ほど連絡先を交換した千村からだった。
『桜桃館喫茶にて待つ。日曜の話、早く聞きたいだろ?』
桜桃館は、うちの大学のメインホールがある建物で、体育館や講師控室、多目的ホールが階ごとにあるところだ。そこの一階がカフェテリアになっているのだ。
アルバイトの学生が数名で回している喫茶は、コーヒー、紅茶だけでなく、こ洒落た飲み物や軽食も提供していて、休憩時間は大変込み合う。
そこへ要から逃げるようにして向かった。
さすがにまだ二限の講義時間中とあって人がまばらだ。この時間帯にいるのは一限と三限で講義を取ってしまい、家に帰るのも面倒ですることもない人くらいだろう。
奥のテーブルに一人座っている千村に近付けば、相変わらず軽い感じで話しかけられてムッとしながら向かいの席に腰かけた。
「まあそう慌てなさんなって。なんか飲みながらゆっくり話そうぜ。急にサボらせたお詫びに奢るよ、何がいい?」
「いらない」
「本当に頑なだな、お前は。コーヒーでいいよな」
「……ホットチョコレートがいい」
せっかく買ってもらうなら好きなものにしようという、悲しい貧乏性がでてしまった。ここのコーヒーは、安物なのか、はたまた本格的なのか、自分にとっては砂糖とミルクを入れても苦すぎる。
「お前も藤堂といい勝負で甘党だな」
と、千村に言われて、少し恥ずかしくなった。
「ホットチョコレートなんて甘そうなもんの上に、ホイップクリームまで乗せるんだな」
「ここのはビターチョコで作ってるから、クリームでちょうど甘くなるんだよ」
千村が運んできたホットチョコレートを受け取りながら、ありがとうと小声で礼を言えば、心なしかニヤニヤしながら
「どういたしまして」
と言われた。
なんでこいつは一挙一動が自分の神経を逆撫でしてくるのかとうんざりしながら、ホットチョコレートに罪はないと口をつける。苦味と甘味が混ざっていて美味しい。
「そろそろ本題を話そうか。日曜、女の子と歩いてる藤堂を見かけて、その子と喋った話」
「要はお前の知り合いの女の子と会ってたのか」
「いいや。うちの大学のダンスサークルの子達と遊びに行っててな。そしたらその内の一人が『あっ、藤堂くんが女と歩いてる!』って気付いたわけ。そしたらもう一人の子が『私、あの子知ってる! 南大のダンスサークルの子の友達でどっかの社長令嬢だって言ってた』ってなったんだよ」
南大と言えば、うちの大学と同じ市内にある私立大学だ。要の交遊関係で、思い当たる知り合いはいない。
「それで、そのツテを使って、後日直接、社長令嬢に会って喋ってきたわけだ」
「はっ?」
何故そこまでして、という訝しい気持ちで、つい千村を睨んでしまったが、奴は涼しい顔で話を続ける。
「そしたら、藤堂の父親と社長令嬢の父親が、お互いに取引関係を結ぶために見合いを取り付けたんだとさ」
「要が、見合い」
頭を鈍器で殴られて、ずきずきとこめかみが痛むような感覚だった。要は、その女とお見合いをして、帰って来て、僕に口付けたのか。
見合いと言えば、結婚を前提に行うものだ。社長と社長が自分の子供を通して取引関係を結ぶなんて、そんなドラマか漫画のようなことが本当にあるとは。
千村はそんな僕の様子を黙って見ていたけど、呆れたように笑って
「ごめん、まさかそこまで深刻になるとは。ちょっとした悪戯心というか、名取ってつい虐めたくなるというか」
「なんだよ、それ」
じわじわと視界が滲み始めて、こんな奴の前で泣いてたまるかと必死で堪えた。ますます千村は苦笑して、相変わらず軽く
「ごめんごめん」
と言った。そして、ついに零れてしまった僕の頬の涙を指で拭って
「泣くことないだろ、ごめん。意地悪が過ぎたよ、続きがあるんだ」
「続き?」
「お嬢さんと話した時に、もう彼女には彼氏がいるらしくてさ、親だけが盛り上がった話だったんだと」
惚けたように千村を見れば、ばつが悪そうに頬を掻いて
「彼女、言ってたよ。二人でデート行ってこいって親に追い出されて入った飴屋で、藤堂が可愛らしい金平糖買ってるのを見て『彼女にあげるんでしょ』って聞いたら、苦笑いした藤堂が『彼女じゃないですけど、大事な人にお土産です』って」
お前、貰ったんじゃないのか。その金平糖。
淡々と吐き出された言葉が、脳を震わせた。要は確かに、僕にお土産だと言って、あの金平糖を渡した。僕っぽいと思って買ったとも言っていた。
「なんで、そんなこと、僕に教えてくれたんだ。お前、僕のこと、嫌いだろう。お前がそこまでして聞き出した意味もわからないし、それに」
「俺、名取のこと嫌いじゃないよ。意地悪はしたくなるけど。あと、とっととお前と藤堂がくっついてくれたら、藤堂が俺の敵じゃなくなるからね」
混乱して次から次へ疑問が湧く僕の言葉を遮って、千村はそう言った。
「要がなんでお前の敵なんだよ」
と聞いたら、
「女心も男心もわからないお前にはわからないよ」
なんて笑って言われた。
女心はともかく、男心はわかる、僕だって男なんだから。そしたら千村は、そういう意味じゃないよ、とますます笑みを濃くしながら、コーヒーを啜った。
つられて僕も、残っているホットチョコレートを口に含めば、すっかり溶けたクリームと混じって、ビターチョコレートは殆ど苦味を失い、甘くなっていた。
「この報酬は、水曜一限の単位で返してくれよ。正直あの課題、俺の力じゃこなせそうにないからさ」
照れ隠しなのか、揶揄うようにそう言った千村に、ぶっきらぼうに「おう」と返した。だから、一緒にやろうなんて言ってきたんだな、こいつ。
「まあ、当たって砕けてみなよ。万が一砕けたら、慰めくらいはしてあげる。またこうやって、ホットチョコレート、奢ってやるよ」
「ごめんだね、僕はお前が嫌いだ」
そう言って立ち上がり、去ろうとする僕に向かって、
「さっきも言ったけど、俺は名取のこと好きだよ。そういう揶揄い甲斐があるところ」
と、意地悪そうに笑ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます