第4話 金平糖の降る夜に

「今日は俺、晩御飯もいらないよ」

 

 いつも日曜日は昼まで寝こけている要が、朝早くに起きてきて昼御飯をいらないと告げた後、更に珍しいことを言うものだから、思わずコーヒーの入っているマグカップを落としかけた。


「どっか行くのか?」

「うん」

 

 多くを語らない時は都合が悪いことがある時だ。僕に、マカロンが嫌いな理由を誤魔化した時みたいに。

 

「いつ帰って来るの?」

「今日中には帰ってくると思うけど、遅くなるかもしれないから先寝ててね」

 

 要はたまに、こうやって露骨に僕を遠ざけることがある。それは、推測でしかないが、要の家族に関わる事柄だ。

 もちろん、確認なんてできやしない。踏み込まれたくないと予防線を張っている領域へ足を踏み入れる勇気もなければ、踏み込んで拒絶される覚悟もない。どうすることもできない僕は、なるべく不自然な態度にならないように、

 

「いってらっしゃい」 


なんて、当たり障りのないよう送り出して、

 

「行ってきます」

 

と言った、いつもより元気のない要の背中を、扉が閉まるまで見つめるしかなかった。

 

 

 一人では昼御飯を食べる気にもならず、読みかけの本を読んだり、スマホを触ったり、ただただ無益に時間を過ごしていた。要から連絡が来るわけでもないのに、そわそわとメッセージアプリを開いて、そんな自分の女々しい行動に嫌気がさして。

 晩御飯はさすがに食べたけれど、何だか味がしないような、わからないような、本当に空腹を満たすだけの行為でしかなかった。

 そんな寂しい晩餐を終え、風呂に入り、自分の部屋に布団を敷き、後は寝るだけという準備を整えた。

 ちなみに、うちのマンションの部屋の間取りは古さと引き換えにわりと広くて、僕の部屋、要の部屋、そして共用のリビングがある。キッチンは部屋の中にあるタイプで、僕が料理をする姿を、腹を空かせた要が急かしながら見守るというのがいつもの光景だ。今日は、一人きりだったが。

 三階の角部屋だが家賃は懐に優しく、僕はここでの暮らしを、要との生活を気に入っていた。いや、愛していたと言ってもいいくらいだ。

 だからこそ、何かいつもの暮らしと違うことが起こると、胸の奥がざわざわしてしまう。先日、千村とかいうデリカシーの欠片もない奴に絡まれた日なんて、ざわざわでは足りず、どっかーんって感じだったけど。

 そんな風にもやもや、ざわざわした心境で要の帰りを待っていたら、

 

「ただいま~」

 

と、先に寝ておけと言った口と同じなのかというくらい、大きく陽気な声が響いたのだった。

 

「近所迷惑だから声のボリューム落とせ、っていうか酒くさいな!」

「うぇへへ~。あ、これ泉におみやげ~」

 

 ほい、と渡されたのは青いのと水色と白いのがいりまじった金平糖の瓶だった。

 面食らっている僕に、要はご機嫌な酔っ払った口調で、

 

「飴の専門店みたいな小綺麗な店に入ってさ。それ、泉っぽいと思ったんだよね~」

 

と、言った。何も考えずに、当たり前のことを言うような口振りで。僕がどんなにその言葉で馬鹿みたいに舞い上がってしまうか、知りもしないで。

 

「そんな、あからさまに女子向けのところに男一人って、凄い浮きそうだな」

 

 精一杯、本心を隠した照れ隠しだった。すると、要はへらへらしながら、

 

「その辺はだいじょうぶ! ちゃんと女の子と入ったからね」

 

なんて、数秒前まで浮き足だっていた僕の心を粉々に打ち砕いた。

 そっか、今日、要はデートだったんだ、女の子と。そんな飴の専門店なんて、こ洒落た店に入って、こんなへべれけになるまで飲んで。

 すうっと胸の奥が冷えて、思わず要に金平糖の瓶を突き返した。

 

「悪いけど、僕、金平糖嫌いだから」

 

って。何か言いたそうな要を着替えて来いと部屋に押し込み、

 

「水持っていってやるから待ってろ」

 

と、扉を些か乱暴に閉めた。

 シンクの蛇口を捻ると水が出て、続いて瞬きしたら僕の眼からも水滴が落ちた。馬鹿みたいだな、いや、本当に馬鹿だな。

 要が言った

 

「女の子とお付き合いする気、今はないんだよね」

 

という言葉を鵜呑みにして、そんな可能性考えもしなかった。本当に、自分自身が嫌になる、女々しくて、馬鹿な奴だ。

 そんな自己嫌悪に浸っていたら、要の部屋から派手な音が聞こえた。バラバラと、何かを蒔いたような音が。

 慌てて、すでにコップから溢れていた水を止め、要の部屋の扉を開けると、中は真っ暗だった。

 要は部屋の奥にある大きな窓を全開にして、その縁に腰を掛けながら、僕へのお土産だった金平糖を一粒、指で摘まんで眺めていた。

 

「要……?」

「金平糖ってさ、ちょっとお星さまみたいだよね」

 

 薄ぼんやりと、月明かりに照らされている要は、このままいなくなってしまうのではないかと思うくらいに、悲しそうにそう言った。

 僕は要に近寄ろうと、部屋に足を踏み入れた瞬間、足の裏に小さな痛みを感じた。

 慌てて足をどけると、暗闇の中に粉々に砕けた金平糖を認めた。よく見たら、床に金平糖が散らばっていて、先ほどの音の正体を理解した。

 要の金平糖を摘まんでいない方の手には、中身が半分になった金平糖の瓶があった。

 なんだかわからない焦燥感に駆られながら、僕は要を窓から離そうと声をかけた。

 

「な、にしてるんだよ。掃除大変だろ、とりあえずこっち来て拾うの手伝えよ」


 泉は僕の声が聞こえていないかのように、その場から微動だにしないくせ、僕のことをじっと見詰めていた。

 僕はますます焦って、せめて窓を閉めなくては、要がそのまま、窓から飛び降りてしまうのではないかという恐怖に襲われた。

 

「なあ、要、窓閉めてよ。寒いだろ」

「寒くなんてないよ」

「それはお前が酔ってるからだろ。早く閉めろよ」

 

 今度は返事があったことに少し安心して、そのまま要が窓を閉めたことに心底安堵した。そして、一刻も早く窓から離すため、自分自身で散らばった金平糖をしゃがんで拾いながら、

 

「ほら、お前も手伝えってば」

 

と、要に呼びかけた。すると、ゆっくり、要がこちらに近付いて来たので、良かったと心の中で安堵の溜め息を吐いた時だった。

 パラパラと、青、白、水色の金平糖が、自分に降り注いだのは。

 

「え?」

「泉、寒いんだろ。暖めてやるよ」

 

 呆然と見上げた先の、要の顔は暗がりでよく分からないが、もしかしたら泣いてるのかもしれないと思った。

 瓶の中身は空っぽで、要はそれを床に転がして、僕を金平糖だらけの床に引き倒した。

 

「痛っ」

「泉、顔歪んでる」

 

 背中に金平糖のごりごりした感じがあって、砕けたのとまだ砕けてないのがあるな、と冷静な自分が分析する。

 上に覆い被さってきた要は、僕が痛みに顔を歪めたのを、嬉しそうに指摘して僕の唇に一粒持っていた金平糖を押し付けた。

 

「ね、泉。俺は泉が、女の子と俺が喋ってるの見て顔歪めたり、嫉妬心剥き出しにしたりするの、嬉しいよ。泉が俺に、汚い感情を向けるのが、嬉しい」

 

 口の中に甘い味が広がっているのに、苦い思いでいっぱいだった。

 僕の、要への思いが、ばれてしまっていて、しかも、汚いと思われていたなんて。でも、だったら、どうして、お前はそんな優しい顔をしているの。

 

 口の中の金平糖が溶けきった時、次に降ってきたのは、要の唇だった。

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