第3話 ドーナッツから覗いた世界

「なあ、お前甘いもの好きで有名な藤堂だよな、良かったら今から俺とドーナッツ食べに行こうぜ」

「お前誰だよ」


 そう威嚇してきたのは、声をかけた藤堂ではなく、隣にいた名取だった。

 うちの大学には有名人が二人いた。

 まずは、藤堂要、こちらは良き有名人。女受けの良さそうな整った顔立ちに、温和でフレンドリーな性格。おまけに家はお金持ちらしい。そして、男のくせに甘いものに目がないという、所謂ギャップ萌えと母性本能をくすぐる、まさにモテる男の権化だと思う。


 そして、もう一人の有名人が名取泉。こちらは残念ながら、悪い意味での有名人だ。その見た目通りの堅さと真面目一辺倒な性格で、女子受けが抜群に悪い。その上、何故か藤堂要と仲が良く、風の噂では一緒に暮らしているという。藤堂に近付く女を蝿か何か見るような顔で睨み付けるらしく、その被害にあった女の子たちが


「僻み根性甚だしい」

「いつも要くんに付きまとってストーカーみたい」


などなど、勝手に悪評を流し、ますます悪い意味で有名になっていくという寸法だ。


 女の子と仲良くしたい派の自分としては、藤堂の連絡先を知りたいけど、名取が邪魔すると泣きついてきた女の子に良い格好をしたくて、あとは興味本位も多少含んでいるが、


「任せて、俺が藤堂に連絡先を聞いて、名取にがつんと言ってくるよ」


と、同居先へ仲良く帰っている二人に突撃をかました次第だ。


「まあまあ、泉。とっても魅力的なお誘いだけど、確かに君、誰? 俺とどっかで話したことあったかな」

「俺、必修の教育概論一緒だった千村。喋ったことはないが、これから喋って行きたいと思って君みたいな有名人に勇気振り絞って声かけたわけさ。邪険にしないでよ」


 にこやかに警戒する藤堂と、あからさまに警戒心を丸出しにする名取に、ピッと紙切れ二枚を突き出した。


「これ、近所の女の子たちに大人気のドーナッツ屋の無料券、ドーナッツどれでも二つ無料。甘いもの好きにはお得な条件じゃない? ちょっとお話するだけでドーナッツ二個無料」


 そう言うと、藤堂の今までの警戒が薄れ、キラキラとした瞳で


「ここ! 駅前の!」


なんて、紙切れに釘付けになってしまった。伊達に女の子たちとつるんでない、お前の今気になってるスイーツなんてリサーチ済みだ。すると、反対にますます警戒の色を濃くした名取が


「おい、要。その店なら今度一緒に行ってやるから」


と、藤堂に訴えかけていた。


「あ、ちなみに名取くんは誘ってないからね。俺と藤堂のやり取りだから、もしついてきたいなら自腹きってね」

「お前、嫌な奴だな」


 お前もな、と名取に返しそうになった言葉を飲み込み、藤堂にどうするか問いかければ、


「いずみぃ」


と、情けない顔と声で名取を見詰めていた。お前、その面女の子に見せてやりたいわ。

 しかし、名取には効果てき面だったようで、はあ、と大きな溜め息を吐いた名取は


「ただし、俺もついてくからな」


と俺を睨み付けてきたのだった。

 



「俺さあ、実はこういう穴覗くの好きなんだよね。穴があったら覗きたい派」


 ドーナッツを掲げて穴から名取を覗けば、狭い視界につまらなさそうな顔が映った。


「変な奴だな」


 目の前で吐き捨てるように言いながら、ストローでアイスコーヒーを啜る名取に、またもやお前の方がな、と返したくなったのを押さえた。

 ちょっと気を遣って話しかけてやったのにこの対応。ドーナッツの穴覗きたいわけないだろ、場を和ませようとしたんだよ。

 いや、ちょっとした覗き見根性というか、何か小さい穴とかあったらついつい好奇心で覗きたくなってしまうけれども。それが隠されているものなら、尚更こっそり覗き見たくなるものだ。

 例えば、藤堂と名取の関係性とか。


 ちなみに藤堂は入ってすぐコーヒーだけ頼んだ名取と、適当に二つドーナッツを選んだ俺に対して信じられないものを見るような目で


「なんでこんなたくさんの中から即決できるわけ? 迷ったりしないの?」


と、かれこれ十分弱店員のお姉さんにおすすめなど聞きながら、うんうんと唸って悩んでいる。女子に聞きたい、あれ、好きになる部分どこかある?

 そうして、この名取泉と二人きりという耐え難い環境を耐えている俺を誰か褒めてくれてもバチはあたらないだろう。


「なあ、藤堂ってどんな女の子好きなの?」

「知らない」

「知らないわけないだろ、あんなにベッタリのくせに。勿体ぶらずに教えてよ」


 最初からないに等しい話題も尽き、せっかくの機会だからこいつから情報を聞き出してやると話しかけても、


「どうせお前、大学の女に要の連絡先でも聞いて来いって言われたんだろ。誰が教えるか」


などと、こちらの意図を正しく読み取って牽制されてはぐうの音もでない。そこで趣向を変えて


「なら名取は? 好きなタイプってどんなの?」


と、質問をぶつけた。案の定、こういう話に免疫がないらしい名取は、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。その顔に少し胸がすく思いがして、


「あ、もしかして藤堂のこと好きなの?」


なんて、からかうように言ってやった。すると、名取は想像以上に取り乱し、


「変なこと言うなよ!」


と、顔を真っ赤にして怒鳴ってきた。

 まるで、はいそうです、と言ってるも同然に、図星を突かれたという顔をして。

 思わぬ穴を見つけて、中を覗き見た気分だったが、不思議と不愉快さはなくて、むしろもう少し突っついてやろうと悪戯心が湧いてきた。


「だから、藤堂に近付いてきた女の子に対してああいう態度なんだろ。あれはモテる藤堂に対して僻んでるんじゃなくて、藤堂に堂々とアタックできる女の子が羨ましいんだろ」

「やめろってば!」


 泣き出すんじゃないかってくらいの勢いで俺の言葉を拒絶する名取に、いよいよ引っ込みがつかなくなって


「俺から藤堂に言ってやろうか」


と、とどめを刺してやろうとした時だった。


「なになに、泉えらく興奮してるじゃん。どうしたの?」


 あんなに長考していたくせ、同じドーナッツを二つトレーに乗せた藤堂がやってきた。


「要、僕は」

「好みのタイプの話してたんだよ。な、名取」


 ぎっと睨み付けてきた名取の視線を軽くいなして、当初の目的を果たすべく


「藤堂のさ、連絡先を知りたいって女の子がいるんだけど、ちなみに藤堂のタイプってどんな子? って聞いても名取が教えてくれないからさ。代わりに名取の好みの子を聞いてたわけ」


と、流れるように喋れば、ふうんと気のない返事をした藤堂が名取の隣に腰を降ろした。


「悪いけど、俺、女の子とお付き合いする気、今はないんだよね。その子に無駄な期待も持たせたくないから、君から上手いこと断っておいてよ」


 顔はにっこり笑っているが、目は全く笑っていない、むしろ怒っていると思えるくらいだ。そんな藤堂をチラチラ見ている名取になんとなく、また悪戯心が刺激され


「もしかして、藤堂、男が好きなんじゃない? だから女の子とは付き合えないんじゃないの」


と、問いかけた。やはり、名取の顔は強ばり、けれどこの場で何と言えば話題が変えられるかわからないようで、ぱくぱく口を開閉してそのまま俯いた。


 俺としては、その答えがイエスでもノーでもどちらでも良かった。

 イエスなら、そこの名取ととっととくっついてもらって、ライバルが減ってめでたしめでたし。

 ノーなら、きっと、名取がこの上ない絶望を感じて、もしかしたら泣き出してしまうかもしれない、それを見るのは一興だ。どっちに転んでも俺においしい質問に、藤堂はのほほんと


「千村くんはさ、甘いものは好き?」


と聞いてきた。望む答えではなかったのに少し拍子抜けして、


「まあ普通かな」


なんて返せば、


「例えばさ、今の君の状態を見た初対面の女の子が『あなたは男三人でドーナッツを食べるくらいなんだから、甘党に違いない。だから私が好意で作った甘いクッキーも食べてください』って持ってきたら迷わず食べられる?」

「普通に考えて食べないね、何入ってるかわからないし」


 訝しげに思いながらも普通に返答すれば、藤堂はそうだね、と目を細め続けて言った。


「なら、その女の子から『なんで甘党じゃないのに、ドーナッツ食べてるの? わかった、女の子にモテたくて女の子に合わせようとしてるんでしょ、そうに違いないわ』って言われたら、気分悪くない?」

「まあ、初めましての君に俺の何がわかるんだよって思うかな」


 そう答えた俺に、藤堂はさらに口元の笑みを深めて


「なんだ、わかるんだね。俺も今、そういう気持ちだよ」


と言った。

 どうやら藤堂は、俺の先の質問にイエスもノーも、答えたくなかったらしい。藤堂をこれ以上怒らせるのはけして本位ではない。

 諦めて、悪かったよと謝れば、


「わかってくれたらいいよ」


と、ドーナッツを一つ手に取り、当然のようにもう一つドーナッツが乗ったトレーを名取の前に置いた。

 ずっと固唾を飲んで藤堂の返答を見守っていた名取は、へなへなとソファーの背もたれにもたれ掛かっていたが、はっとなって立ち上がった。


「僕、トイレ行ってくるけど、お前要にこれ以上変なこと言うなよ」


と釘をさして。

 気持ちを落ち着けにでも行ったのだろうか。いじらしいというか、何というかまあ。


「名取って可愛い奴だな」

「だからって、君に泉をいじめる権利はない」


 ぽろっと零れた本音に、突き刺すような敵意を向けられて、ああ、名取の藤堂への執着より、断然藤堂からの執着心のが強いんだなと実感した。


 この二人は、とても狭くて、そして、閉鎖している、まるでドーナッツの穴から覗いたような世界で、お互い知らないふりをしながら生きているようだった。

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