第2話 粉々に砕けたマカロンの欠片

「お前、ああいうのは興味ないわけ?」


 泉とちょっと遠くまで買い物に出掛けて、そろそろ家に帰ろうかとしていたら、かわいらしいメルヘンな様相のお店を指差して泉がそう言った。

 ケーキ屋かな、と思ったら「マカロン専門店」とファンシーな色使いの看板が掲げられていた。


「あー、俺マカロン苦手なんだよ」

「甘いのにか?」


 とびきり驚いた顔をする泉に不服げな顔を向ける。泉は俺のことを五歳児か、あるいは蟻か何かと間違えてる節がある。別に甘いものなら何でも見境なく好きなわけではない。大体の甘いものが好きなだけで。

 マカロンだって味は甘いだろうけど、あの見た目が駄目だった。


「泉はマカロン好きなの?」

「普通、ていうか生活の中でマカロンを意識をしたことは良くも悪くもない」 


 あっけらかんと興味なさそうに言うから、多分泉は本当にマカロンが好きなわけではなさそうだ。ただ、俺が好きだろうと思って、目に留まった店を俺に教えてくれたのだろう。俺が喜ぶと思って。


 可愛いやつ。目論みがはずれたからちょっと拗ねた顔をしてるんだろうな。泉のこういう感情が顔に出てしまう素直なところに、たまらなく安心する。


「なんでマカロン、苦手なんだよ」


 そう、泉に問いかけられて、返答に困ってしまった。

  



 俺は「綺麗なもの」が苦手だ。マカロンもただのお菓子の癖に妙にこ洒落ているところが気にくわなかったので、綺麗なものとして分類していた。


 そう言えば昔、付き合った女の子から手作りのマカロンを貰ったことがあった。手作りなので見た目もそんなに綺麗じゃなかったし、興味本位で食べてみたら、ねちょねちょしていて、思わず


「これ、ぬれ煎餅ばりにねっとりしてるね?」


と、素直な感想を漏らしてしまった記憶がある。勿論、彼女は憤慨していたが。閑話休題。

 綺麗なものを嫌悪するようになったのは、恐らく母親が関係している。家の父親は、見た目も中身も悲しくなるくらい醜く汚い男だった。金儲けのことばかり考え、そのおかげで金だけはある、そんな父親に引っかかったのが母親だった。母の見目はとても美しく、父はそんな母にベタ惚れだった。 


 子供の頃、そんな醜く汚い父親が嫌いで、母とばかり一緒にいたが、その中で俺は気づいてしまう。母も中身は、父にひけを取らないくらい醜くくて汚い女だということに。


 いつしか、俺は父を嫌悪する以上の憎しみを母に抱くようになっていた。父は元から駄目だとすぐわかり、そのまま駄目な奴だ。しかし、母は大丈夫そうだと思って近づくと実は駄目な奴だ。これは父より母の方が、駄目な奴だ。

 綺麗な見た目で、汚いなんてそんなの裏切りだ。狡くて、卑怯だ。そんな裏切られた気分にさせる母を、女を、綺麗なものを、俺は嫌悪するようになってしまった。

 醜いものが好きなわけではないが、綺麗なものに近づいてまた裏切られるくらいなら、汚いものや醜いものは自分を騙したり裏切ったりしないと、安心するようになったのだ。


 そんな自分の本性を、泉に対してはひた隠しにしていた。泉は、俺のことを恋愛対象として好いてくれているようで、本人はそれを完全にばれていないと思っている。泉は、素直で純粋なやつだから、好きだという好意も、汚い感情も醜い心も、それらを晒すのに抵抗がない。無意識のうちにやってしまってると言ってもいい。俺はそんな泉に、安心感を抱いているのだろう。こいつは、俺を裏切らないだろうと。

 だから、俺は泉が俺の本性を知って、呆れて離れてしまわないように、あいつが好きになった俺を演じるのだ。本当に醜い、自分の本性を押し殺して。

 



「要?」

「あー、実は元カノが作ってくれたやつがなんかぬれ煎餅みたいでさ」


 なかなか返事をしない俺に、どうかしたのかと心配そうに覗き込んできた泉に、慌てて適当な理由をつけて返した。嘘は吐いていない。

 誤魔化すように、へらりと笑えば、あからさまにむっとした顔をする泉に、心の中で苦笑する。彼女の話をしたから、嫉妬したのか。いくらなんでも、わかりやすすぎる。

 すると、泉はずんずんマカロン専門店の方へ近づいて行って、呆然と見ている俺の元へしばらくして戻ってきた。手に一つ、ピンク色のマカロンを持って。


「そんなの、プロの味をもってしたら克服できるだろ」

「えー、俺いらないって、苦手なんだってば」


 彼女が作ってくれたマカロンより、販売されているものだからか、少し大きめで綺麗な見た目のそれの、包装ナイロンを外すと


「誰がお前に買ってきたって言った。これは僕のだ」


と言いながら、マカロンを無理矢理半分に割った。まあるい形を半月に割って、サクサクしてるだろう表面部分はボロボロと欠片が落ち、中に挟まってるチョコレートらしきものは粘度が高いのかチーズのように伸びて、マカロンの表面と泉の手を汚した。

 そのまま、割った片方をぱくりと一口で食べ、


「ぬれ煎餅ではないな」


と、もう片方を俺に突きつけた。泉の手にあるマカロンは、綺麗なものではなくなっていた。


「野蛮だな、泉は」


 渋々受け取ったボロボロのマカロンを口に入れると、イチゴ味でとても甘い。


「ねっとりしてるのはチョコレートに水飴を混ぜるからよ」


 ぬれ煎餅みたいなマカロンをくれた子が言い訳をするようにそう言ってたのを思い出して、だからチョコレートが伸びてたのかななんて思いながら、ねっとりしたチョコレート味わった。


「ありがと、泉。俺、泉とならマカロン食べられるよ」

「なんだそれ」


 泉がこうやって、綺麗なマカロンをぐちゃぐちゃにして、醜い嫉妬心を剥き出しにして渡してくれたから。


「マカロンも、悪くないね」


 指についたマカロンの欠片の残骸を、払い落とすのが躊躇われて、そのまま舌で舐めとった。微かな甘さに、胸を締め付けられた気がした。

 

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