第15話 今橋の銅座
(一)銅座に潜入
堺に着いた翌日から、新之丞が動き出した。
まずは薬草問屋に顔を出し、江戸藩邸でも役に立ちそうな漢方などを見つくろいつつ、なかなか手に入らぬ季節外れの苗を揃えろと無理難題をふっかけた。
「いまどきそれが生えとるのは、薩摩か琉球ぐらいで…お約束はできまへん。」
「時間がかかってもかまいませぬ。」
同時に新之丞は大阪の銅座へ挨拶に出掛けた。
「たのもう…水野家中の者でござる。殿のたっての御意向により、こたび上方へ本草の御買付けに参りましたが、家中の御同輩さまに挨拶をいたしたく、参りました。」
「おお…それはそれは…」
新之丞を迎え入れたのは、人のよさそうな若侍だった。
「よくぞ江戸から参られた。ささ、
「かたじけない…」
水野宗家の家中はみな、水野家が大名家からいち旗本に改易された経験をしている。旧臣の子息同士が集まると、何代も前の水野の殿様と先祖との逸話、先祖の手柄話や、もともとはどの時代のどの辺りでご奉公にあがって…など、お互いに話はつきない。
「久石どのはご出家なさっていたのですか…ご苦労をなさいましたな。悟りの境地に至られたことは?」
「悟りに入る前に、還俗となりましたので…お恥ずかしながら。」
ふと、暗い穴を掘っていて蝋燭に照らされた宇七と出会った瞬間を思い出す。
暗闇のなかを手探りで行くのが修行なら、目の前の土壁が取り払われて仏様が現れたのは、悟りかもしれない…
「久石どのは、東海道にていらしたか?」
「藤枝宿までは東海道、その後は田沼街道を通りまして相良湊より廻船で参りました。」
「それはめずらしい旅路ですな。中山道でも東海道でもなく、田沼街道から廻船とは。」
新之丞も、なぜ仁左衛門が海路を取らせたか真意をわかりかねていた。廻船はとくに速いというわけではなく、乗り心地もそれほど良くはない。だがその話をするわけにもいかないだろう。
「あの…せっかく音に聞く銅座に参りましたので、できましたら、少しばかり、内見をと…」
「あぁ、もちろんでございます。上様につつがなく勤めておりますことを、ぜひともご報告いただければと。」
若侍は新之丞を連れて、銅座の中を案内し始めた。
「こちらが商人どもから上がってきた見本棚、こちらが買い付けた銅鉱石や荒銅の置き場となっております。」
「ほうほう、きちんと仕分けがされており、どこの銅山からどれが来たのか、素性がわかるのですね。」
「はい。」
そしてこちらがーと若侍が言いかけた。帳簿部屋だろう。しかし、そのまま何を思ったか言葉を呑んで別の棟へと新之丞を連れ出した。
(二)平賀源内の恩師
「間違いありませぬ、一部屋だけ案内しなかった間があります。そこが帳簿部屋でございましょう。」
新之丞が興奮した口調で話しながら、銅座の指図を書き起こした。宇七はどう掘るべきか思案する。
「…これは難しいですなぁ…掘り始めの場所が、てんで思いつきませぬ…そして地盤が悪い。長い回廊は掘れませぬ。」
銅座は土佐堀川の脇、淀屋橋近くだが、もともと大阪市中は遠浅の海を埋め立てた地盤なので、土質がゆるい。宇七の見立てでは、一刻も早く掘り上げてしまわないと水が染み出すという。銅座に近いところから掘り始めるのが理想だが、銅座周辺には宿屋がない。
「このあたりは役所や両替商などが多いので、音などにも気を付けないと大変なことになります。」
宇七の言葉に、新之丞が腕を組んで考えこむ。
「事情を汲んでくれる定宿を探さないときびしいですね。福助どの、源内どのに大阪の定宿はございませんか?」
しばらく思案していた福助が顔をあげた。
「それなら、戸田
「えぇっ⁉戸田旭山先生は上方の本草学の大家ではありませんか!」
新之丞が偶然に驚いて目を剝く。地図で確かめると銅座と戸田旭山の私設薬園である百卉園は一直線、しかも目と鼻の先だ。
「源内さまと戸田旭山先生は、関西いちの本草見本市と謳われた、薬品会をご一緒に興されました。本草学を通して長年の子弟であり、同志ですから、あの世からでもお力を貸して頂けるのでは…」
福助が言うと、新之丞も頷いた。
(三)戸田旭山の百卉園
「あぁ、源内先生のお弟子さんでっか。旭山先生が亡くなられたあとも、遠くの患者は知らんと問い合わせてまいりますんで。すんません。」
「そうでしょうね、戸田旭山先生のご高名は、江戸でも鳴り響いておりますから…」
「きょうび江戸では源内どののほうがご高名でっしゃろ。」
「いえ、やはり香川秀庵先生の薬選、戸田旭山先生の非薬選は、医書の双璧でございます。」
新之丞の言葉に、弟子たちは誇らしげに微笑んだ。
「大阪のどこにお泊りで?」
「まだ宿を決めておりませぬ。」
「よろしければお屋敷の客間をお使いなはれ。旭山先生も源内どののお身内をお泊めするんは、きっと喜ばれはります。宿とちごうて銭などいらんですわ。わたしらは二日に一度ほど、交代でお屋敷に泊まって薬草園の番をしとりますが、往診で出ることも多いさかい…もしお泊り頂けるなら、そのあいだ御庭番もお願いできまへんか?」
「…もちろんです。」
宇七は心の中で小躍りした。屋敷から人がいなくなれば、地下道を掘りやすい。もう願ったり、叶ったりだ。いっぽうで新之丞は本草学の大家の薬園が気になって仕方ないようだ。
「まずは御薬園を拝見できませんでしょうか。」
「もちろんです。先生は銭には興味があれへんかったさけすが、珍しい薬草を集めることにはむっちゃ熱心やったさかい、ぜひに。」
弟子のひとりが新之丞と薬園に出向いていく。宇七と福助は客間に通されて、年長の弟子と世間話などをしていた。
「風に乗ってふわりと香るのは、薬草ですかな?」
「えぇ、この時期はもう刈り取って軒下で干しとるぶんですな。そらそうと、宇七郎さまは源内どののお弟子やないようやけども…?」
「ああ、それがしは蘭学者でも本草学者でもございませんが、源内どのと水野の上様のお指図で上方にて御用をいたします。」
「あぁそうでっか。いろいろとお忙しい方やからね。」
弟子たちは暮れになると出て行った。弟子たちがいなくなると同時に、宇七が穴の掘り始めの起点になりそうなところを探し始めた。薬園はほどよく茂みがあり、人目もそれほどないが、熱心に手入れする弟子たちに見つからない場所でないとまずい…
「宇七どの、この道具小屋がよろしいのでは…」
昼間に薬園を見てまわった新之丞が、薬園の外れにある掘っ立て小屋に宇七を連れて行った。
「おお、外から中も見えず、鍬やら鋤やら、道具がみな揃っておりますな。」
宇七は小屋にあった鍬から柄の棒を取り外し、持ってきた愛用のつるはしの頭に挿げ替えた。
「新之丞どの、ここからはお任せくだされ。」
(四)戸田旭山の後悔
翌日の昼、源内の弟子が江戸から来た、と聞きつけた
「旭山先生は、変わったお召し物を好んでいらっしゃいましたか?」
「あぁ、ようご存知でんな。先生は唐風のホイチン着て、肩から大きい
「神農さんといえば…
「そうそう。あそこは唐の薬の神さまを祀ってましてな。本草学は流派はさまざまあるんやけど、どれも元をただせば唐から伝わった書物や薬草ですねん。うちの先生はとくに唐風好きで有名やった。」
新之丞に向かって弟子たちが、会うたこともないのによう知ってますな、江戸でもホイチンさんはそんなに有名やったか、と嬉しそうにはやす。新之丞はそれには答えず、ただ微笑んでいるが、もしかすると屋敷のどこかで戸田旭山の幽霊を見たのではないか、と宇七は思った。あの不思議な眼鏡ならば、ありそうな話だ…
「もし…もしですが、先生がこの世に仕掛かりのままだったことは、ないでしょうか?」
「仕掛かり…?あったかいな?」
「心残りのことなど…」
新之丞の言葉に、弟子たちは急に静かになった。
「なんでそないなことを言うのん?」
「なんとなくですが…源内先生がお手伝いできることもあろうかと…」
いちばん年長の弟子が、話し出した。
「先生は、最期に、もっとたくさん患者を診ればよかった、いうて亡くなりはった。」
「というと…?」
「先生はな、一日に十人と患者の数を決めとってん。それはなまけ心でもなく、先生が診らはる患者は
ひとりが言葉に詰まり、もうひとりが続けた。
「最後に行った往診でな、おばあさんがな。」
「そうなんや…死んだ孫を抱いたおばあさんが、こないだあんたが診てくれへんから死んだんや、なんで十人とか言うとんねん、て…」
「先生もあれには参って、そのあとすぐに病床に寝つかれて、もっとたくさんの人を診てやらなんだは、医者として恥ずかしいことやった、言うて…それはそれは嘆かれてな…気ぃの強い先生やったけど、やっさしいとこもあったからな。」
「先生はどんな大金持ちを診察しても、貧乏人を診ても、同じ銭しか取らへん。そやけど、このお屋敷の場所から分かるやろうけど、一日十人しか診てくれへん先生のとこには、幕府の役人や大阪いちの金持ち連中がいつも一番に駆け込んでくるさかい、貧乏人やら庶民はなかなか順番がこなんだな…」
新之丞はそれを聞きながら、涙を流していた。
「ご無念だったでしょうね…」
「ありがとうな、わかってくれて。先生もあんたみたいな孫弟子がいてくれて嬉しい思うで。」
「痢病に効く薬草の調合を、ぜひ教えてくださいませ。」
「ええよ。どこでも栽培できる草やけど、生薬やないと効かんものもあるからね。」
新之丞と弟子たちがあれこれと話すのを、宇七と福助は見守っていた。
(五)銅座の秘密
ひとり、またひとりと門弟が去ったあと、ひとりで薬園を眺める新之丞に福助が声をかけた。
「新之丞どの、旭山先生が見えるのですね?」
「ええ。御薬園の同じ場所にずっと、不思議な唐風の恰好をした、小さなご老人が立っておられるのです。とても悲しいお顔をして、足元の薬草を見つめておられます。しかし今日、門下の皆様のお話を聞いて、そのお気持ちがはっきりとわかりました。」
新之丞は薬園の一角を指さした。
「旭山先生が佇むあのあたりは、痢病に効く本草が植えられています。…先生は飲むだけで、医者いらずで治療ができる御薬を作りたがっていらっしゃいます。医者も人であり、奉仕に限りがございます。いつなんどきでも、飲むだけで患者を癒すお薬を、先生は望んでおられるのです。」
「医者いらずで…治せる薬ですか?」
宇七が思わず聞き返す。
「生薬でないと効かぬ、となれば、やはり調合できる医者が必要では?」
「そこは悩ましいところです…どうやったらいいかは、まだわかりません。」
新之丞はほっと溜息をつくと、宇七に質問を返した。
「穴掘りのほうは、いかがですか?宇七どの。」
「それがです。こちらも不思議が起こっておるようで…」
宇七の話によると、以前に江戸を掘ったときよりも、はるかに進みが速い、という。
「大阪は土質が柔らかいためか、思っていたよりもはかどるのです。つるはしを振り下ろすとぽっと明るくなるのも、とても掘りやすくて…」
新之丞と福助が顔を見合わせた。
「…お七さんが手伝ってくれているのでは…?」
「2人で掘っている、ちょうどそんな感じのはやさ…ですかな。」
宇七がぞっとしないな、という顔をして肩をすくめた。
その後も、宇七の地下道掘りはちゃくちゃくと進み、その間も新之丞は薬草問屋に顔を出し、ときおり訪ねてくる戸田門下生と交流し、本草学の知識を増やしていった。
「新之丞どの、そろそろ今晩あたり、銅座の帳簿部屋に辿り着きますぞ。」
「…とうとうですね。」
その夜、寝静まった大阪の銅座に新之丞が忍び込んだ。
「…これだ…これです。」
「どうなさる?丸ごと持ち去るわけにもいきますまい?」
「時間の許す限り、地下で書き写すしかございませんね。」
新之丞は蝋燭の灯りを使い、必死に帳簿を複製した。
「銅座の大きな取引先は、日光の足尾銅山、伊予の別子銅山、水戸の赤沢銅山、加賀石川の尾小屋銅山、吉備の吹屋銅山…」
いずれも天下に知れた銅の名産地ばかり。宇七でも知っている。
「しかし、なぜか産出量が少なく、銅吹き後の
「歩留まりが悪いとは、銅鉱石に混じり物が多いということですか?」
「はい。銅吹きしても、出来上がりの
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