第16話 鴻池家の娘

(一)御嬢様の家出


「…宇七どの。つぎは銅を精錬する銅吹所を、偵察していただけませぬか?」

「わかりました。そろそろ夜が明けまする…穴をふさぐ時間も必要ですから、新之丞どのはお戻りくだされ。」

「そういたしましょう。」


新之丞が来た道を戻っていくのを見届けて、宇七はまず、帳簿部屋の穴をきれいに塞いだ。それから銅座の裏に偽の入り口を掘って、賊がそこから帳簿部屋に忍び込んだようにしつらえた。万が一、誰かが忍び込んだのがばれたときのためだ。


仕事を終えた宇七も急いで地下道を帰っていく。来た道をちょうど中ほどまで戻ったところで、それは起きた。


ーからり。


…土の崩れる嫌な音がする…と、目の前の土天井がどっと崩れ落ち、白い片足がにょきっと落ちてきた。


「きゃっ!」

「うわっ⁉」


どうやら女だ。どうしてこんなところに…?宇七は下から足を支えて押し上げた。


「おおきに…どなたさん?」

「えぇ…その…」


困った。



宇七の帰りを待っていた新之丞は目を疑った。宇七の後ろから贅沢な身なりをした若い娘がとことこ付いて来る。


「宇七どの…その娘御は⁉」


宇七はさきほど起きたことを決まり悪そうに話した。


「なんですと…」

「そ…そうなのだ…兄上によって地下牢に閉じ込められた…助けてくれと、そう言うのだ…俺が掘っていた深さからいって、庭やら土間から落ちてくるということはありえんので、この娘がいたのは本当に地下牢ではないかと。」


娘に名前を聞いても、そっぽを向いたまま答えない。


「…地下に隠しむろを持ちそうな商売といえば、金庫を持つ両替商など…?」


新之丞は付近の地図を見廻して、ある屋敷を指さした。鴻池こうのいけ家…東の三井、西の鴻池と並び称され、泣く子も黙る西日本一の両替商だ…銅座の帳簿荒らしも厳罰だろうが、両替商に忍び込んだとあれば、もう盗賊扱いだ…晒し首もまぬがれまい。


「…まさか…これは困りましたな…大阪一の両替商の娘を拉致したとあらば、ただではすみませんぞ…!」

「わかってはおるのだが、いまさら地下道を埋めても、この娘が口を開けばすぐにばれてしまうし…」


宇七はしどろもどろだが、娘はけろりとしたもので、何か食べるものはないか、と聞く。


「たいしたものはございませんが…」


恐縮して新之丞が差し出した干し柿を頬張ると、ようやく娘は話し出した。


「うちは家出して駆け落ちすんの。」

「えぇーーーっ…」



(二)金毘羅さんの蛸八長者


娘の実家への愚痴は止まらない。


「うちの兄さまは、勝手なおひとや。ごっつい金貸しやから、大名さまや旗本さまにちやほやされて、接待三昧、なんでも思い通り、ほんまにいい気なことばかり。こないだは金毘羅さんにお参りに行って、気がおうたっちう田舎の金持ちと、うちの縁談を勝手に決めてきたんやわ。」


「その縁談が嫌だったのですね?」

「ちゃうのん、ええひとやったんよ。お金はないけど、毎日海に出てタコを採らはる、蛸八さんいう人やねん。」


娘はぽっと赤くなった。日焼けした海の男が好みらしい…


「あぁ、良い縁談だったのですな。」

宇七がほっとしたように言った。


「そやけどな、あほな手代がよう調べもせんと、蛸八さんは島持ちや、大金持ちや、いうて、すごい嫁入り道具を用意させよった。ほんまは蛸八さんはただの蛸採りやってん。そいで兄さんが騙されたいうて、嫁入りはなかったことにする、嫁も、嫁入り道具も、全部返せ言うてな。うちも大阪に連れ戻されたんや…そやけど、うちにはもうあの人以外、いいひんのや。」


娘はもぐもぐとふたつめの柿を頬張りながら言った。


「もともと、うちんとこは惚れっぽい家系や。兄さまもじつは、お嫁はんをとれ、とれ、言われて、なかなかとらんかったのに、鳥取の三朝ちう村から流れてきた女中に一目ぼれたんや。片恋して寝込みはって。そいでお医者さまに、どの娘かわからんが、好きなのと添わせてやらんと、死んでまう、って言われて、父様もしぶしぶ嫁にさせたんやわ。」


新之丞が首を傾げる。


「その話は、どこかで聞いたかも知れませんな。」

「そやろ?みんな面白おかしゅう話すわな。そやけど、うちに言わせれば義姉さまは三国一の嫁さまや。あれ以来、兄さまの夜遊び、芝居、花街通い、すべてぴたーっとおさまって、いまは風流ごとはお茶だけ、きれいなもんや。もともと田舎で有名な物持ちのお嬢さんやったらしいから、家のこともちゃんとできるしな。」


「…で、御嬢様は家出して、どうなさろうと…?」

「蛸八さんが迎えに来ますんや。約束してますのん。」

「…」

「兄さまも分かっとるはずや。好き同士で一緒になるのがいちばん。うちが本気やとわかれば、もう一度あの蛸採りの村に嫁にやってくれるはずや。」


新之丞と宇七が顔を見合わせる。


「よく考えてくだされ、本当に蛸採りと暮らせるのですか?」

「なんでできひんねん。」

「…蛸採りの蛸八さんの、どこがそれほど良いのだろうか…?」


宇七が遠慮がちに聞く。


「海辺の田舎なんてありえへん思うてたよ。そやけど、あのひとにこの世で一番の宝もんみたいに見つめられたとき、あぁ、このひとや、って。誰よりもうちを大事にしてくれる、って。おっきなタコ見つけたときみたいな、きらきらした目ぇやったわ。」


「…そうは言っても、都育ちでいらっしゃる。きっとすぐに海に飽きてしまうのでは?」

「海辺の田舎暮らしは、慣れればいいもんですよ。」


新之丞の説得中に、宇七が気の利かない言葉をさしはさむ。煽ってどうするのだ…。


「飽きたらまた考えるわ。でも飽きひんと思うで。まいにちあの人に、蛸みたいに可愛がってもらうん。」


娘はうっとりとした。



(三)福助の説得


部屋の端で何も言わずに話を聞いていた福助が口を開いた。


「すぐにお戻りにならないと…もし御嬢様がいないと分かれば、蛸八さんがまっさきに疑われてしまいます。」

「それはそうだ。捕まればひどい目にあうだろう。」


宇七が相槌を打つ。


「わたくしが屋敷の近くで蛸八さんを見張っておきますので、まずはおとなしく地下牢にお戻りくださいませ。」


福助の真剣な顔に、娘も少し事の重大さに気付いたようだ。


「そやけど…」

「こういたしましょう。穴は塞がずにおきますので、蛸八さんがもし見つかったら、一緒にお逃げなさいませ。御嬢様だけ先にいなくなれば、必ず蛸八さんに迷惑がかかります。」

「そうかなぁ…」


娘はぶつぶつ言いながら、宇七と地下道を戻っていった。新之丞と福助が相談を始める。


「地下牢とはひどい話です。」

「駆け落ちして逃げ出そうとしたのは、これが初めてではないのでしょう。…まずは蛸八さんを探さなくては。」

「金毘羅さんの近くの島といえば、四国讃岐のどこかでしょうか?」

「そのようですね…もう御嬢様を追って大阪に来ているかもしれません。わたくしが鴻池の屋敷の周りでしばらく様子を見てまいりましょう。」

「会ったこともないのに、蛸八さんがわかりますか?」

「漁師さんですから、全身日焼けした精悍な若者かと…このあたりにはいない風貌ですから、すぐに見つかりますでしょう。」


新之丞がふと思い出したように言う。


「そういえばこたびは、お七さんが暴れませんねぇ…」

「御嬢様は蛸八さんに夢中ですし、宇七どのも御嬢様にのでは…?」


福助の言葉に新之丞が返す。


「わたくしは、心配しておるのです。近頃の宇七どのは、みょうに行儀が良い。」

「…ありがたいことでは?お七さんが暴れるよりは。」

「そうはいっても、宇七どのがだんだんお七さんのうつわになってるのではないかと心配です。聖人君子面した宇七どのなど、宇七どのでない…」

「新之丞さまが思っているよりも、宇七どのは真面目な男なのかも知れませんよ…」


新之丞のなかに、宇七には多少やんちゃで不真面目で不品行でいてほしい、という気持ちがあるのだ…新之丞が自分ではできないことをやってのけるのが、宇七らしさのように感じる。


福助は目立たないように物売りの四十親爺の姿になると、鴻池の屋敷のあたりに出掛けて行った。



一方、宇七はなんとか御嬢様を説き伏せて地下牢に連れ帰り、入り口を仮塞ぎすると、ぼやきながら地下道を戻っていた。


ー俺はなぜか家出娘と縁があるー


お七も、おたねも、今回の御嬢様も、みな恋人と一緒になりたくて家を飛び出した娘ばかり。ここまでいくと前世のごうさえ感じる。


ー前世でどっかのお姫様でもさらったのかな?



(四)蛸八登場


その日の夕方、福助が若い男を連れて屋敷に戻ってきた。


「さすが福助どの…よく蛸八さんを見つけられましたな。」

「日焼けした讃岐訛りの若い男を知らないか、と港で尋ねました。」


福助が見つけ出した蛸八は、背の高い、日焼けした肌に白い歯がまぶしい若者だった。頭をつるりと剃り上げているのが蛸っぽいといえば、そうかもしれない…


「わしはや。蛸採りの甚八じゃけん、蛸八とも呼ばれとる。」

「甚八さん…蛸八はあだ名だったのですね?」

「当たり前や。ほんとに蛸八やったら、親恨むじゃろう。」


讃岐訛りのせいか、漁師町育ちのせいか、なかなかの威勢だ。


「そういえば源内どのも讃岐、高松藩の出でしたな。」


上方の役者のように話す源内が、讃岐訛りで話す姿は想像がつかなかった…が、福助がくすっと笑った。ということは、ときおり出てしまうのかもしれない…


新之丞は鼻の上で眼鏡を押し上げながら、甚八の顔を穴があくほど見つめる。不審そうな甚八に、福助がかるく説明をする。


「新之丞どのは人相見をなさいます。」


新之丞は強い口調で言い放った。


「…お会いしたばかりで差し出がましい真似をお許しください。しかし、甚八どの、このまま駆け落ちして日陰で暮らしてはなりません。甚八どのと御嬢様の未来には、金銀財宝と、たくさんの可愛らしい子や孫が見えます。」

「どうしろ言うんか?」

「きちんと婿取りしてもらうのです。正々堂々と、もう一度、御嬢様をもらいなさいませ。結婚に反対する兄上を説得するのです。」


新之丞の眼鏡の千里眼は、当たる。とはいえ、蛸八、いや甚八が御嬢様を正式に嫁に迎えるのは難しそうだが…


「甚八どのは、たいへん働き者で、賢いお方とお見受けいたします。こたびも大阪に船で漕ぎ寄せるにあたり、商売のたねを持ち込まれたのでは?」

「見とらんのに、ようわかるわい。煎海鼠いりなまこを俵一杯に詰めてきた。高う売れると聞いたんや。」


甚八が懐から包みを取り出した。中にはじゃらりと銀貨が入っている。煎海鼠は内臓を抜いて煮干したナマコで、讃岐名物の珍味だ。清との貿易でもアワビやフカヒレと共に扱われるたいへんな貴重品だ。


「甚八どのの島では、ナマコがたくさん採れるのですか?」

「採れるどころの話じゃない。なんぼでも転がっとらい。食べるのも限度があるけん、みんな見向きもせん。周りは島だらけじゃけん、なんぼでも持ってこられるわい。」


新之丞がうんうん、と頷きながら言った。


「甚八さんが大金持ちになれる理由がわかりました。鴻池の兄上を説得する方法もね。」



(五)蛸八、海鼠長者になる


「どうするんじゃ?」

「まずは島に戻って、出来るだけたくさんの煎海鼠いりなまこをつくり、俵に詰めてください。それを鴻池の屋敷に毎日送りつけるのです。」

「おう。どれぐらいじゃろうか?」

「最初は一俵から、7日間かけて、最後は大八車にいっぱい送り付けてやりましょう。」

「わしからの贈りもん、受け取ってくれるじゃろうか?」


甚八が不安そうな顔をするが、新之丞は自信たっぷりだ。


「ですから、最初は甚八さんからと分からぬように贈るのです。…そうですね、海鼠なまこ長者より、6代目鴻池善右衛門さまへ、とでも書いてお送りください。」

「おう、わかった。海鼠長者な。良いひびきじゃ。」

「最後の7日目の贈り物には、わたくしの村にはこれほどの海の幸があるが船がなくて難儀している、ぜひとも大きな船をお貸し頂きたい、と手紙を添えるのです。商売に聡い若旦那のことです、どんな方からの贈り物か興味津々になることでしょう。会いたいと言ってくるはずですから、それを待つのです。」


福助が新之丞の提案を後押しするように言う。


「贈り物を運んだり、手紙をお渡しするのはわたくしどもがお役に立ちます。」

「ありがたい。迷惑かけるわい。」


甚八は大喜びで港に帰っていった。宇七が心配して新之丞に聞く。


「新之丞どの、本当にこれで大丈夫だろうか?」

「はい。ほんとうに蛸八さんは大金持ちになります。そのために海鼠なまこは大阪ではなく、長崎の商人に買い取ってもらったほうが実入りが良いのです。鴻池家に商い船を都合してもらえれば、商才のある蛸八どののことです、近隣の島々から海の幸をいろいろ買い付けて、しっかり稼がれることでしょう。」


「あとは鴻池の若旦那が、蛸八どのと御嬢様は良縁だということを、分かってくださればいいのですな。」

「さようでございます。金毘羅さんのお引き合わせどおりにうまくいくことでしょう。」

「それにしても、新之丞どのの人相見はすごい。易者にでもなられてはいかがか?」

「ははは…上様からお暇を出されたら、人相を見て、経をあげて暮らしまする。」

「羨ましい多芸ぶりだ。」


宇七が感心している。すると、新之丞は福助のほうを見て切り出した。


「そういえば…福助どの、火消しのが、芝居小屋で狼藉をしたことはありますか?」

「わたくしの知る限り、ございませんね。先代の昔話でも出てきませんでした。め組は増上寺中門や芝神明宮など、大きな寺社仏閣をまかされた火消組で鼻息も荒いと聞きますが、芝居小屋で狼藉を働いたことはないかと。」

「…ということは、過去の話ではないのですね…」


新之丞は大山参詣でめ組と出会い、芝居小屋での乱闘騒ぎが眼鏡に浮かび上がってきたことを話す。


「未来に起こるのやも知れませんね。」

「不思議な眼鏡ですな。他に何か見えるのですか?」

「宇七どのの右肩に、ときおりお七さんが見えるのですがー」


宇七が少し気味悪そうな顔をして身体を左に傾ける。


「不思議と福助どのには、何も見せませぬ。あとは、眼鏡をかけて鏡を見ぬよう、心がけております。」

「なぜですか?」

「自分の未来など、知りたくないからでございます。」



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