第7話 川越で知った、おたねの素性

(一)おたねの実家


源内の居宅がある秩父の源流から江戸は、大人の足で3日かかる。


まずは秩父巡礼の起点町である小川町まで戻って、そこで宿をとり、翌日は川越宿で泊まる。


川越宿から江戸までは1日で歩けてしまうが、宇七は川越でなんとか半日ひねり出し、おたねが働いている団子屋を探し当てたかった。


秩父からの帰途は重苦しい雰囲気だった。宇七が源内にずけずけと言い過ぎたので、新之丞は腹を立てたらしく、ほとんど口をきかない。福助も黙ったままだ。とても川越で半日、遊んで行こうとは言い出せない雰囲気である。


どうしたものか―と思っていたが、幸いにも新之丞が川越宿を出立する朝に、腹の具合が悪いと言い出した。これ幸いと新之丞を休ませて、宇七は宿を飛び出した。



くだんの茶屋に菓子桶を持って現れた配達の老人に、宇七は声をかける。


「すまない、その団子を作った御仁ごじんに会いたい。」

「はい?お店はこの先を行った横丁にございます。団子になにか不都合でもございましたか、お侍さま。」

「いやいや、あまりの美味に、土産に買うて帰ろうと思うてな。」

「…ありがとうございます…」


老人は頭を下げると、店を出て行った。



教えてもらった横丁は川越の城下町からそれほど遠くないところにあり、料理屋や茶屋に仕出しをする職人が何軒も店を連ねるたいへん活気のある町並みだった。のちの川越菓子屋横丁と呼ばれるあたりである。


借金で作った掘っ立て小屋のような菓子屋を想像していた宇七は、なかなか立派な料理屋町に拍子抜けしたが、店の中を一軒づつ覗き込んでは大きな牡丹餅を作っていないか探す。


「あっ、ここではないか?」


店の入り口には “川越菓子 名物芋菓子 牡丹餅” と書いてある。宇七は中に足を踏み入れた。


「…いらっしゃい。」


出てきた若い男の顔を見て、宇七はあっと声を呑んだ。おたねそっくりである。兄か弟に違いない。


「たのもう、この店に、おたねという娘はおらんか?」

「おたね?そんなのおりませんが。」

「おぬしにそっくりの、若い娘だ。」

「まさかお駒かなぁ…」


そのとき、奥から大きな怒鳴り声がした。


「宗次郎、引っ込みな!おかしなのは追い払え。」

「お父っさん、だって、お侍様だぜ。」


バタバタと奥から男が現れた。おたねの父だと、見てわかった。


「お侍様、あのが何かしでかしまいたかい?」

「己の娘を、す、すべたとは…親父のおぬしの借金を身体で返しておるのであろうが…」


宇七は娘に借金の肩代わりをさせている父親の、あまりの口ぶりに憤激した。


「うちに借金などありませんよ。見てのとおり、まっとうな商売をしてそこそこやらせて頂いております。」


たしかに、見たところ繁盛している菓子屋だ。娘を借金のかたにして身体を売らせているとは到底思えない。…人違いか?だがこの親子の姿かたちは、おたねにそっくりだ。


「お取り改めでなければ、こちらにも商売がございますんで。へぇ。失礼をいたします。」


宇七は狐につままれたような気持ちで店を出た。



(二)お七と契った夢


宇七はがっかりして川越の宿に戻った。会えると思っていた意気込みが大きかったぶん、落胆もひどい。


その夜、宇七の寝床に温かい女の身体が忍び込んできた。


「おたね?おたねではないか?」

「会いたかった…探してくれてたんだ?」


二人はあっという間に裸になって睦みあう。この感触だ、この肌の柔らかさ、乳房の重み…


「あぁ、おたね…!」


しかし、ぱっとおたねの顔を見上げた宇七の上で絶頂を極めていたのは、見知らぬ若い娘だった。


「…おたね?誰だ?」

「…お七だよ…」


女の肌にはボっと炎が灯り、赤く燃え上がった。


「うわぁぁぁぁぁぁ!」


叫んで逃げようとする宇七だが、声が出ない。声を出しているはずなのに、喉から空気が出て行かない。


ーしちどの、宇七どの。


目を開けると福助が宇七に寄り添っていた。


「どうなされた?うなされていましたぞ。」

「あ、あぁ、うるさくしてすまん。」

「…お七を見たのですね?」


気が付くと福助はぴったりと身体を寄せて、宇七の胸元に手を這わせている。


「福助どの、もういい。」


福助はじっと宇七の目を見て言った。


「ざんねん、わたくしではだめのようですね。」

「?」


そういえば平賀源内殿は、衆道を公言し、ご内儀を持たず、歌舞伎の女形役者と浮名を流しているとか聞いた…ということは、身の回りを取り仕切っていた福助どのは…


「い、いや、それがしは男は受け付けぬ…」

「それはざんねん…源内先生は春本もお書きになられ、わたくしもいろいろと、たくさん、お教え頂きました…」

「いや、けっこう。」

「心変わりは人の世のつねでございます。いつでも。」


福助は自分の布団に戻り、目を閉じた。


「あ、新之丞どのの腹下しは、明日には治りますでしょう。宇七どのが川越に御用がおありのようでしたので、すこぉし、半日分だけ、腹の緩くなる薬草をもっておきました。」


宇七は跳ね起き、くぅくぅと寝ている新之丞の向こう側に、枕を持って行って息をひそめた。


(こわい…)


何を考えているのかわからない福助も怖いが、この福助を思いのまま使いこなす源内も怖い。

あまり気付かなかったが、福助は整った横顔をしている。額が秀で、鼻筋が高い。



熟睡できず、げっそりして朝餉にほとんど手を付けない宇七に、新之丞が心配して声をかけた。


「宇七どの、どうなされた?」

「新之丞どの、じつは…福助どのは…」


昨晩、福助に口説かれたと相談する宇七に、新之丞は冷淡だった。さすがに新之丞に薬草をもっていた話はできなかったが…


「宇七どの、いろいろと考えすぎでは?」

「いや、みさおは大事だ。」

「私はそのようなことに頓着がないのでございます。もし源内先生が“あたしに抱かれれば蘭学の奥義を教えてやる”とおっしゃれば抱かれますし、宇七殿が“お前に抱かれたい、辛抱たまらん”とおっしゃればお抱きします。」


「…」


「そのように、いちいち躊躇なさる宇七殿を見るにつけ、自分は得な性分だと思います。」

「やめてくれ…」


宇七はまた悪夢を見そうだ。



(三)気の利いた川越土産


川越宿を出て大井宿に向かう宇七たちに、後ろから、おーい、と声を掛けるものがいた。


振り返ると、昨日会った菓子屋の小僧だ。


「お侍様、お忘れ物です。明日の昼までには、食っちまってくださいな。まいどあり!」


若者はくるりと後ろを向くと川越宿に向かって走って戻って行った。


「…重いな。牡丹餅か?」

「これは良いお土産を手配なさった、宇七どの。」


新之丞が嬉しそうにしている。腹下しが治って、食欲が以前よりも増したようだ。


「茶屋で、食べましょうよ。」

「うむ、そうしようか。」


昨日、けんもほろろに追い払ったお詫びだろうか?福助は相変わらず、とくに何を話すでもなく飄々と後ろを歩いている。


大和田宿についた一行は、茶屋の店先で休むことにした。大和田宿は川越街道で川越に次ぐ大きな町であり、旅籠の数も周囲の宿場町よりひときわ多い。天下の美男子と謳われる在原業平が、土地の有力者の娘をさらって駆け落ちした地として知られる。


菓子屋から渡された包みを開くと、そこには懐かしい牡丹餅と芋羊羹がびっしりと並べられていた。新之丞はさっそく大喜びだ。


「これはご馳走ですね!芋羊羹は川越の名物菓子、食べ損じたと、ひそかに残念に思っておりました!」


茶屋の看板娘が駆け寄ってきて文句を言う。


「お侍さん、勝手に持ち込んじゃ困るよ。うちの団子をまず食べておくれ。」

「心配なさるな、いくらでも食べるから。焼き団子を3串、所望いたす!」


新之丞が芋菓子をほおばる。宇七もしんみりとした気持ちで牡丹餅を食べた。おたねの作っていた味にそっくりだ、あの団子屋で間違いない。なぜ父親らしい男は、実の娘をあんなにもひどく言うのだろうか…鬼親だ。


ふと見ると包みの下に文らしきものが挟んである。


「手水はいずこに?」

「あっちですよ、旦那。」

「新之丞どの、ゆっくり食べなされ、団子を喉に詰めぬよう。」



(四)おたねの弟の手紙


宇七は店の陰に隠れると、川越の菓子屋に渡された文を開いた。


―お尋ねの娘と思しき、姉のお駒のこと。お駒は長女として何不自由なく育ち許嫁もいたものの、店の若い職人と恋仲となりました。こやつは恩知らずで、世話になった父の店を出て、江戸にて店をかまえるという夢想に憑りつかれ、あげくは店の秘伝の書付けを盗み、お駒を連れて出遁したのでございます。


―父の菓子屋の借金のために、お駒が身を売っているというのは嘘です。甲斐性のないあの男のために借金をし、それを身体で返しているのでございましょう。お駒を連れ戻し、自由の身にしてやりたいと、本当は父も思っているようです。私の代になれば、外聞は悪くとも以前のように店の手伝いもさせましょう。


―もしお駒を見つけられたら、川越の家で父と弟が待っているとお伝えください。御礼もじゅうぶんにさせて頂きます。何より仲の良かった姉のことが心配でございます。なにとぞ、なにとぞ 宗次郎



あの菓子屋はやっぱりおたねの実家で、おたねの売っていた牡丹餅は、あの店で修業した男が作っているから味がそっくりなのか…


ーおたねは嘘つきだ…


父親の夢の犠牲になった可哀そうな娘どころか、駆け落ちして情夫のために身売りも辞さない女とは…もともと、自分の菓子を名物菓子だと言って売りさばいたり、張ったりの効いた女だとは思っていたが…


「悪い女だ…」


だが、これほど裏切られても、宇七はおたねがまったく嫌いになれない。むしろまた会って、抱きしめてやりたい。お前のことを本当に幸せにしてやれるのは、そいつじゃない、俺だ、と。


「悪い女ほど、美味しいものでございます。」


驚いた宇七が顔を上げると、福助が手洗いから戻っていくところだった。文面も見られてしまっただろうか、うかつだった。またあいつに弱みを握られてしまった気がする…


新之丞が立ち上がって伸びをしている。


「宇七どの、これ以上食べると歩かれませぬ。そろそろ出立いたしましょう。夕刻までに本郷追分に着かなくては、木戸門が閉まってしまいます。」



江戸が近づくにつれ、町並みは焼けたままの土地と、歯抜けに建った真新しい屋敷が交互に並び、大火の爪痕が見て取れる。


「これは、聞きしにまさる、ひどい有様でございますなぁ。」


福助がつぶやいた。そうだな、と振り返った宇七は目を疑った。源内の家で最初に見かけた、四十半ばの親爺がひょこひょこと後ろをついてくる。


「…福助どのは、いずこに?」

「てまえが福助でございますが。」

「いや、別人だろう?」

「宇七どの、何を寝ぼけておられる。福助どのではありませぬか。」


新之丞も福助の味方をする。


…なんと、福助は変わり身の使い手か?…ということは、仁左衛門様も若返れるとか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る