第4話 美しい眼の男の場合
自分で言うのは気が引けるけれど、俺は美しい顔をしている。自他共に認める美形っぷりは、人間関係を円滑したり、反対に荒立てたり、自分自身の性格を醜くひん曲げるに至った。見目に反して、醜悪な中身だと、常々自覚しながら、それをひた隠しにしてきたのだ。
そうでないと、すぐに槍玉に挙げられてしまう。あいつは、顔だけだからって、馬鹿にされる。それが我慢ならなくて、人前では汚い自分、醜い自分を、徹底的に抑え込んでいた。
「そんな隅っこ座らんと、こっち来いや」
来島に声をかけたのだって、「良い人」を演じるためだ。ああ、あんな独りぼっちの奴にも気を配る、田ノ上さんてやっぱり良い人なんだと、周りの人間にアピールするため。
長ったらしい前髪に隠された目は、驚きと怯え、そして喜びを写していて、話しかけられただけで喜ぶなんて、どんだけ人寂しいねんと、内心苦笑いした。
そんな無垢な反応が物珍しくて、少し揶揄ってやろうと、
「こんな前髪長くて鬱陶しくないの?」
なんて言って、来島の隠れた前髪をかき上げれば
「う、え? いや、あの」
と、動揺した声をあげる来島と、真正面から視線があった。
その眼が、あまりに汚れを知らないものだったから、瞬間、俺は思ったのだ。
「狡い、こんな綺麗な無垢なまま、人の悪意に晒されたことのない眼は。俺が、汚して濁らせてやろう」
と。
再三言うが、自分は性格が悪い。そんな俺は、綺麗なものを見るとむしゃくしゃしてしまって、真っ白な新雪には真っ黒の足跡を残してやりたいし、美しい絵があれば引き裂いてやりたくなった。
来島の目は、そんな破壊衝動にも似た感情を掻き立てるものだった。
その日から、事あるごとに来島に絡み、その度に来島の目を確認した。俺に話しかけられて、キラキラ輝いた瞳が、俺が後輩と楽しそうに話すと曇る、そんな風にころころと変わる様に
「よしよし、ちょっとずつ、汚れを知ってきたな」
などと、こっそりほくそ笑み、悦に入っていた。
嫉妬や羨望、自分を責め立てるなんて醜い感情を顕にする来島に満足していたはずが、ある時に気がついてしまった。
そんな醜い気持ちだけでなく、話して楽しい、会えて嬉しいなんて、明るく美しい気持ちにさせていることに対しても、喜びを感じるようになっていると。つまりは、支配欲だ。この男の感情を、自分が、自分だけが左右できるのだという優越感。
元来の来島が無垢であったのを知っていて、なおかつ自分の手垢にまみれさせているという背徳感。ある種の光源氏計画やん、と大学時代主役をはった映画のプレイボーイを思い浮かべた。あの頃は、自分好みに幼女を育てて頂いてしまおうなんて、犯罪紛いな愛情に、ドン引いてしまったが、今ならわかる。誰かを自分の思うままにできるのが、こんなにも気持ちのいいことだなんて。
だから、来島に映画のナレーションをお願いしたなどと、後輩から連絡が来た時は、思わず顔を顰めた。自分のものを、無断で良いようにされたような不快感を覚え、同時に
「いつの間に、来島は俺のものになってん」
と、呆れたように笑った。
「くーるーしーまくん! 映画出演デビューおめでとう!」
「出演言うても、声だけですけどね」
何でもないようにお祝いの言葉を述べた俺に、来島は、はにかんで言った。眼をキラキラと煌めかせながら。
その瞬間、すっと心が冷たくなって、ああ、醜い自分が出てしまうと、慌てて抑え込んで微笑んだ。とびきり、美しい笑みになるように、
「やっと、お前の良さが伝わってきてるみたいで嬉しいわ」
と、思ってもない台詞を吐いた。
「お前にそんな顔、させるようにしたんは誰やと思てんねん」
とか、
「その目を向けていいのは俺にだけやぞ」
とか。理不尽で、自己中心的な醜い思いが、吹き出してしまわぬように。
そうして、来島には美しい自分を前面に押し出して接していたら、何もわからない来島はころっと騙されてくれたようで、自分に好意を抱くようになっていた。
段々と自分以外にも心を開き始め、キラキラした目を向けるようになっていた来島を、不服に思っていたこんな男の何が良いのかと思ってしまうが。しかし、再び、来島の「特別」に舞い戻ったことは素直に嬉しくて、
「やっぱり俺の言った通り、前髪が短い方が悟志くんは可愛いねぇ」
なんて額に触れて、わざとスキンシップを増やしたら、面白い程反応する来島が可愛くて。
「そうや、お前はやっぱり、俺に、俺だけに夢中になってたらいいねん」
屑みたいなエゴは肥大化して、抑えも効かなくなってしまった。なんとしても、この子を手元に置いておきたい。そんな風に思い上がった俺は言った。
「ほんまに、うちの会社に営業として来るつもりはないか?」
すでに別のところに内定をもらっているのは知っていた。けれど、恐らく来島は自分を選ぶだろうと、自信過剰ともいえる自意識を、押さえられなかった。結局、来島は戸惑いながらも思惑通り、自分と同じ会社の選考を受け、晴れて採用されたのだった。こうして、まんまと手元に置いてから、最低な自分は困り始めた。
可愛くて仕方ない弟分ではあるが、自分は来島が自分に向ける種類の好意は持ち合わせていないのだ。あいつの好意が劣情を孕んだものだと、どんよりと暗く、熱っぽい眼を向けるようになってすぐにわかった。
手離したくない、でも応えるつもりもない。このまま行けるところまで、今のぬるま湯のような幸せを楽しむつもりだった。
「そこに登場したのが、お前」
ずっと、俺と来島の昔話を、食い千切るつもりなのかというくらいに唇を噛んで聞いている、川本、お前や。
川本は来島と正反対で、俺が一番苦手とする人種だった。元気で、無邪気で、何者にも染まらない我の強さ。そして、見返りの要求も打算もない、純粋な優しさだ。
俺は怖くなった。本物の優しさに触れた来島が、あの子が自分から離れてしまうんじゃないか、偽物の優しさだったことに気付くんじゃないか。
「しかもタイミング悪く、部署異動とか、嫌がらせとしか思われへんわ」
焦った俺は、来島に言わせた。隠して、触れられたくないとしている感情を、逃げられないようにして引き摺りだした。今まで千度、無視して、気付かないふり、見ないふりをした、来島の想いを、自分の為だけに白日の下に晒させた。
「堪らんかったわ、捕食獣が獲物をとった時みたいな、ああ、これは俺のもんなんやなって、これならもっと早くからこうしておけば良かったと思たわ」
「あなたは、田ノ上さんは、来島のことどうしたいんですか……!」
真っ直ぐとこっちを睨み付けてくる川本は、うっすら涙ぐんでいるように見えた。悔しいんやろか。こんな屑みたいな男に、良いようにされる来島を思って?
どこまでも美しい心の持ち主なんやな、頭下がるわ。
「俺のもんを、俺がどうしたいかなんて、お前に教える必要、ある?」
本物の優しさを持てない俺は、そのまま思った通りの言葉を吐き出して、それがあまりに悪役が過ぎることに失望した。
来島には、俺しかいない。そんな状況に一番救われていたのは、他でもない俺自身だったのだ。
もうあの子を手離してやれない。けれど、大切にしてやることもできない。
「じゃあ、そういうことで。もう人のもんにちょっかい出すの、やめてな」
そう言ってまだ何か言いたそうな川本を残して、勘定を済まして店を後にした。
さて、帰ったらきっちり悟志くんにも落とし前つけてもらわんとな、と連絡をするべく取り出したスマホの真っ黒の画面に反射した自分の顔は、濁りきって汚い眼をしていた。
不意に、来島のあの美しい瞳を、最近見ていないなあと思った。
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