第3話 美しい心の男の場合

 あの来島告白事件と心の中で自分が呼んでいる日を境に、来島の雰囲気が変わった。他の同期に聞いてもわからないと言われたが、絶対に前と違う。弱々しいというか、何かに怯えているというか。以前にも増して、人を寄せ付けないオーラを出しているのだ。

 

「おかしい……絶対におかしいんです!」

「うーん。そう熱弁されても、本人は何でもないって言うてるんやったらどうしようもないやろ?」

 

 何か悩んでいるなら、力になってやりたい。ライバルには常に、元気でいてもらわないと。現に、来島は最近体調も悪い日が多く、声が掠れていたり、目が腫れていたり、営業成績もじわじわ落ちてきているようなのだ。本人は夏バテだと言い張っているが、恐らく違う理由があると踏んでいる。

 でも、なまじ理由かもしれない現場を確認している身としては何と声をかけてやるべきかと尻込んでしまう。そしてフワッとした聞き方になって、

 

「何でもない、他人のことより自分のこと心配せぇよ」

 

と、空元気な嫌みと笑みを頂戴することになるのだ。このままではいけないと、田ノ上さんに相談してみたが、あまり良いアドバイスは貰えなかった。

 

「そう言えば、来島と田ノ上さんて同じ大学でサークルも同じの先輩後輩なんですよね?」


 確か映画サークルでしたっけ、と田ノ上さんを見ればびっくりした顔をしていて、

 

「来島に聞いたん?」


と言われたので、素直に頷いた。

 

 先日、来島が呟いた「恵さん」というあの声が、どうしても忘れられなくて、気になって、

 

「来島って、田ノ上さんと特別仲良いの?」


と聞いてしまったのだ。そうしたら、少し慌てたように

 

「なんで?」


なんて来島が言うものだから、正直に

 

「この前、恵さんて呼んでんの、聞いてしもて」

 

と答えた。目に見えて動揺する来島にばつが悪くなって、やっぱり聞いたら駄目なやつだったんだと後悔した。

 そうしたら来島が言ったのだ。

 

「その、田ノ上さんとは同じ大学出身で、映画研究会、俺のサークルのOBやって。皆、恵さんて呼んではったからさ」

「そやったんか」

 

 それ以上は踏み込むこともできず、そそくさと話題を変えた。

 しかし、一つの仮説が自分の中で生まれてしまった。あの日、来島が熱烈な告白をしていたのは、田ノ上さんだったんじゃないだろうか。

 何の確証もないけれど、そうじゃないかって。

 そう思っていた矢先の、この田ノ上さんの反応は、ますます自分の確信の根拠となった。しかも、来島にとって良くない方向に向かっているということも。

 

 田ノ上さんは、頷いた自分に、すっと目を細めて

 

「ふぅん」

 

と、気のない相槌をした。

 どこか、怒っているような、悲しんでいるような、そんな感じだった。

 

「あの……たまたま俺がそうかなと思ってしつこく聞いたら来島、教えてくれて……その怒らないでやってください」

「え? ああ、いや怒ってないって。ただ、変な噂というか、色々言われてるやろ? 来島。俺のお気に入りやから裏でなんかしてるて。だからあんまり言わんように来島にも言うてたから、ちょっとびっくりしただけ」

 

 にこりと微笑んだ顔は相変わらず綺麗で、男の自分でもドキリとするものだった。でも、やっぱりどこか、冷たい雰囲気が漂っていたのが心配になった。

 

 

 

 翌日、来島はまたもや掠れた声と、腫れた目で出勤してきた。しかも真夏なのに長袖のカッターシャツを着て。

 

「いや、半袖のシャツの洗濯が追いついてなかったんで、苦肉の策です」

 

 口々に心配の言葉をかけてくる同僚や先輩に、来島はそう言い訳のように言っていた。

 その日も仲良く二人揃って来島と残業するはめになったが、その長い袖が気になって、気になって仕方なくて、集中力もくそもなかった。

 

「おい、手止まってる。あとこっち見すぎ」

「……すまん」

「……こないだから、なんか心配してくれてるみたいやけど、大丈夫やから」

 

 ありがとう、と、微かな感謝の言葉が聞こえた瞬間、我慢が効かなくなった。

 

「大丈夫? ほんならその袖捲ってみせてや」

「え?」

「シャツ、長袖しかなくて仕方なく着てきたなら、腕捲りくらいしたらいいやろ。なんでそんな暑苦しいままにしてんの」

 

 それは、と目を伏せてシャツの袖口を押さえる来島に、やっぱり何かあったんだと焦燥感に駆られて、嫌がる来島の袖を無理矢理捲り上げた。

 

「なに、これ……なんで」


 来島の白い腕に無数にあった大きさはバラバラな赤い痣は、暴力的なものから、性的なもの、中には縛られたような跡もあって。

 

「か、川本には、関係ない」

「関係なくても! こんな、こんなことされるなんて、お前がこんな目に遭う必要ないやろ!」

 

 誰にやられたんやと聞いても、目線を合わさずに何も答えないで、俯いたままだった。

 

「……田ノ上さんじゃないんか」

 

 静かな声でそう問えば、ばっと顔を上げた。それは紛れもない肯定で、驚きで見開かれた目は、綺麗だと思った。

 

「田ノ上さんなんやな、やっぱり」

「……俺が悪いねん、あの人が嫌がることしてしまってばっかりで」

「だからってお前を傷付けていい理由になるわけないやろ!」

「俺は! 俺は、あの人に、恵さんに嫌われたくない……あの人と、一緒にいるだけで幸せやねん」

 

 その綺麗な目から、零れ落ちた涙が悲しくて、胸が締め付けられるような感覚だ。

 俺は、お前が幸せなんだと言い張ったって、こんな状況、絶対に幸せだなんて認めない。お前はもっと、普通に幸せになれるはずだから。

 このままでは、お前も田ノ上さんも、二人を見ている俺だって、不幸せなままじゃないか。

 

 

 無理矢理、来島を家まで送り届けてすぐ、田ノ上さんに連絡を入れた。

 

「来島のことで話があります」

 

とメッセージを送ったら、すぐに

 

「ええよ、いつもの居酒屋で待ってて」

 

なんて返ってきた。

 居酒屋にやってきた田ノ上さんは、何も知らない風で

 

「よお、相変わらず来島のことになると熱心やなあ、川本は」

 

と、いつものように柔らかい口調で揶揄うように言ってきた。でも、今なら気が付ける。口元は笑みを湛えているが、目はまったく笑っていないことを。

 

「来島から無理矢理聞き出しました。なんであいつにあんなことするんですか」

「あんなことって?」

「来島に、暴力振るってるでしょう」

 

 その一言で、田ノ上さんから笑みは消えて、

 

「それが何? 川本に関係ある?」


と、来島と同じ台詞を吐いた。

 俺は一つ息を吐いて、

 

「あります。あいつは、俺にとって大切な同期なんで」

 

と答えれば、今度はあからさまに悪意のある笑みを浮かべて

 

「さすが、心の美しい男は違うなあ、言うことが」

 

なんて、馬鹿にしたようにそう言った。

 そして、そのまま

 

「じゃあちょっと付き合ってもらおうかな、来島と俺の馴れ初めの話から」

 

と、目の前にあるビールを一口呷ったのだった。

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