第3章 ふっかつのじゅもんがちがいます
翌朝。
さっそく今日から授業が始まるので、俺は教科書をカバンに詰めた。
そして黙って朝飯を食べる。母さんと喋らずに済むように、なんとなく朝は眠いから機嫌が悪いみたいな小芝居をしてみたりする。我ながら情けない。
すると母さんが俺に弁当箱を手渡した。
「これ、ちゃんと忘れずに持ってくのよ」
「はい」
「なんか急に大人しくなったと思ったら妙に素直で気持ち悪いわね。例の叔父さんのゲーム売ったお金をお小遣いにしたいんでしょ? そしたらもっと家事を手伝って、あたし達におねだりした方がいいんじゃない?」
「はい」
せっかくの冗談だったみたいなのだが、それしか言えない俺にいささか呆れながら母さんはパートに出る準備をし始めた。
さて、飯も食ったし弁当箱をカバンに入れよう。
と思ったが、チャックを開けて大きく口をあけたカバンに弁当箱が入らない。
明らかにスカスカなのに。
『おい、どういうことだ?』
弁当箱が頑なにカバンに入るのを拒んでるようでもあるし、中身に余裕のあるくせにカバンが弁当箱が入る余地が無いくらいに何かが詰まっているみたいでもある。
俺は慌ててスマホを取り出した。
叔父さんの幽霊が言ってたレトロゲームの情報をすぐに調べた。
どうやら持ち物は八個まで。
装備品はまず学生服。持ち物にスマホ、六科目の教科書。
これで八個。
弁当箱を持つ余裕はない。
いや、カバンにはあるけど。
持ち物として持てないってことみたいだ。
財布や定期入れ、生徒手帳、筆記具みたいな小物はいちいちカウントされないようだ。そりゃそうだろうな。本物のRPGだって財布まで一個と数えられたらどうやって金貨を持つんだって話だ。
とはいえ、このままではどうしようもない。遅刻する。
俺は弁当箱のフタを開けて中身を口の中に掻きこみだした。
当然ながらビビったのは母さんだろう。
目を丸めて俺に駆け寄って来る。
「あんた、なにやってるのよ! 今食べちゃったらお昼はどうするの!?」
電話のそばにあったメモ用紙をペンを持つと、勢いに任せて文字を書いた。
『はらが へつた とりあえ
ずたべ るから ひるめし
はこう ばいで かう』
朝食の直後なのにさらに弁当を食べたせいかほとんど喉を通らず、このまま永遠に続くのではないかというくらいの咀嚼をしながら玄関を出る。
『あぁ、そういえばなんかよくわからないけど、文字が書けたな。もしかして呪いが解除されたのかも』
未だもぐもぐと嚙みながら再び生徒手帳の後ろのメモ欄に文字を書こうとするが、やっぱりスラスラと文章を書くことはできない。
何らかの縛りや呪いが残っているのは確かだろう。
でも短文が書けるのは間違いなかった。
『きよう ははれ できもち
がいい ですね』
『あまが えるが ないてる
のはき つとあ めがちか
いせい ですよ』
中原中也というよりは萩原朔太郎みたいなシュールな詩人になった気分だが、なんとか文字が書けたのは収穫だ。
オマケに文字が変な風に分断されちゃうし。
自分で文字間を入れてるつもりはない。
勝手に三・三・四の文字列になっちゃうんだ。
しかもその文字数の上限があるのも判明した。
全部で五十二文字までだということを。
まるで叔父さんがプレイしてたレトロゲームの復活の呪文みたいだ。
要するにゲームデータメモリーをバックアップするために生成された文字の乱数の上限が五十二文字だというのもスマホで調べてわかった。
とんでもない時代だ。セーブする、ロードするで簡単にゲームの続きが出来ないなんてどんだけドMで根性あったんだ、昔の人は。
そうやって生徒手帳とスマホを交互に見ながら、未だに飲み込めない弁当を口の中でもぐもぐさせて歩いていると、公園で先に待ってた桃花が声を掛けてきた。
「秀ちゃんったらまだマスク着けてて風邪気味なのに、予習までしてずいぶん真面目じゃない。どうしたの? もう熱は無いの?」
「はい」
どうしてこんだけ咀嚼してるのに、はい、いいえだけ綺麗に声が出せるんだか。
「でもすごい。エライよ。あたしも秀ちゃんみたいに勉強を見習わないとね」
「はい」
それだと皮肉っぽく聞こえるだろが。せめて俺の言葉で喋らせてくれよ。
しかもあいつの方が成績が良いってのに。やっかみみたいだろ。
今日も教室ではマスクを頼りに言葉少なに過ごした。
朝飯と弁当を食べたというのに、ちゃんと昼には腹が減るから怖い。
だから休み時間には購買部に駆け込んだ。
それ以外はごく普通に過ごせたが、今日授業のあった科目の教科書やノートは全てロッカーの中に置き勉した。
だって持ち物が八個しか無いのに、六限ぶんの教科書を用意したらカバンが満杯になってしまうからだ。いや、もちろん視覚的にではなく、物理的に持てなくなるという意味でだ。
なんとか帰宅すると、もはや身心ともに疲れ切っていた。
まるで本当の風邪みたいだ。
なので親にもそれだとアピールして早めにベッドに入ることにした。
それからどれくらい時間が経っただろうか。
俺はヘンな夢を見たようだ。
全身が薄いシーツみたいな白い衣を着て、背中には鳥の羽根を付けた天使というか女神みたいな人の姿が見えた。
その女神は祈っている。
するとなにか脳内に響く声がする。
ブツブツと念仏みたいに、細かく区切った言葉を何度も繰り返す。
その奇妙な夢が鬱陶しくて、俺は頭の先まで掛け布団の中に潜り込むと、必死に耳を枕に押しつけて、女神の念仏が聞こえないように堪え続けた。
それからさらに時間を経た。ずいぶんと寝たみたいで首も背中も折り曲げた寝相でいたが、朝とも夜中とも言えない微妙な頃合いだと体感時計が訴えてくる。
ところが窓の外がまるで寝坊した春休みの午前みたいに明るい。
いや、この部屋全体が明るいみたいで、瞼の裏が赤い火で焼けているようだ。
うっすらと瞼を開くと、さっきのシーツの女神が居る。
女神は俺の耳元に、いや、寝ぼけた頭の中に向けて何かを喋っていた。
それから何かを催促する。とにかく何かを入れろと言っている。
途端になんだか五十音や濁音の文字列が脳内に溢れてくるが、今の俺は疲れていてそれどころじゃない。
神々しい女神様の光に晒されたまま穏やかな眠りを続けていた。
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