第7話:『ユゥルの世界』と『アゥルの世界』

 腹ごしらえをすませると、サドンは古びた本を持ってきた。


「キリ、まずはこの本を見てほしい」


 受け取ってページをめくり、目を見張った。……読める。


「やっぱり。君は、この文字が読めるんだね?」

「え、サドンさん達は?」


 不思議に思って伺うと、サドンは首を振った。


「僕たちはこの本が……というより、この文字が読めない。この本は、僕らの知らない文字で書かれているんだ。僕は『これ』について研究している身だから少しは解読もできたけど、それでも完全には無理だった」


 私は肩を落とした。通じる言葉があったと期待したのに、それは『ここで使われていない文字』だったのだ。

 でも、それなら何故「この本はここに在るのだろう?」


 軽く目を走らせて読んでみると、どうやら日記のようだった。日付と覚え書きのようなものが、ちょっと癖のある字でつづられている。


「何が書かれているかはわかるかい? あ、この文字だけど……」

「日記……ですよね。あ、『猫もどき』えっと……『メテと呼ばれる猫もどきはとても愛らしい。猫に似ているが果物が好物というのは驚いた』……?」


 サドンは納得したように頷いて、そして神妙な面持ちで口を開いた。


「この本は、別の世界からやってきた男が書いた、として伝わっている」

「え……?」


「キリ、君はおそらく、この世界の人間じゃない。アゥルの世界の人間だと思う」


「アゥルの、世界?」


 聞きなれない言葉に、私は首をかしげる。


「そういう神話があるの。『一つ柱は退する世界を憂いてアゥルへと旅立った。そしてアゥルの術を持ち帰り、ユゥルを栄へと導いた。されどアゥルは異なる世界、ただ人には渡ることかなわず。神の一族と鍵石のみが資格を有する』っていう一節よ。ここには存在しないような技術がたくさんあって、行くことのできない世界だとされているわ。……神話ではね」


 リーンがそう説明してくれ、サドンは続けた。


「そう、神話に出てくるいわゆる『別の世界』のことだ。でもね、実のところ数は少ないものの、二つの世界には人や物の行き来があると、僕は考えている。君はきっと、その数少ない一例だよ、キリ」


 あまりのスケールの大きさに、私はフリーズしてしまう。


「ちょっと兄さん。それはただの推測でしょ? 現実味がないわ」


 反論する妹に、サドンは鼻を鳴らして先ほどの本を指した。


「キリはこの本が読める。ということは、少なくともこれを書いた人間と同じ文化圏から来た、ってことだ。何よりキリ自身が、違う場所にいたのに突然オルト鹿の森に来てしまった、と言っているんだ。なら、キリがアゥルの世界からユゥルの世界に迷い込んでしまった、と考えるのは、別に不自然じゃないだろう?」

「それは、そうかもだけど……キリは?どう思うの?」


 私は少し考えて、思ったことを口にした。


「……ユゥルの世界、アゥルの世界という言葉を聞いたことはないです。でも、転移魔法……よりは現実味があるかも」

「そうなの?!」


 リーイが意外だとばかりに声をあげる。


「私のいた世界に『魔法』はなかったから……それこそお伽噺のなかに出てくる空想だった。でもこの本は、確かに私と同じ文字を使う人が書いたってことはわかる。サドンさん、この本を貸してくれませんか? あと、村を見てみたいんですが、いいですか?」


 正直すべてを信じられたわけではなかったが、他にすがるものもない。


「本は構わないんだけど、村は……」


 サドンは口を濁した。リーイが引き継ぎ説明してくれる。


「キリ、よく聞いてね。この村は今、ちょっと難しいことになってるの」


 リーイの話によると、テベの村はリンデンという一族の領地にあるらしい。ただ、元々はトランという王が治めていた土地だった。リンデン卿の重税への反発もあり、トラン王への村人の人気は未だ高い。そのためリンデン卿は何かと反抗的なテベの村を警戒していて、『よそ者』である私の存在は、彼から因縁をつけられるキッカケになってしまうかもしれない、というのだ。


 青くなった私に、リーンは慌てて弁明する。


「追い出したりしないわ。でもしばらくの間、この家から出ないで欲しいの」

 彼女たちに迷惑はかけたくなかった。もうひとつの心当たりも探したかったが、そういうことならしかたがない。


「わかった。この家からは出ない。ただ、村のこととか人のこと教えてほしいです」

「いいわよ。そういえば、人を探していたわね……」

「そうなのかい? もしかしてアゥルの世界から一緒に?」

「わからないんです。確かに同じ場所には居たけれど……彼の名前すら知りません。でも彼なら、何か知っているかもしれないと思って……」

「そうなの……どんな人?」

「ええっと、私と同い年くらいの男子で、背は私より頭一つ分くらい高くて、珍しい、金色の瞳をしていて……」


「「 金色の瞳!? 」」


 兄妹の声が重なった。どうしたのだろう。


「待って、キリ。その人は金色の瞳をしていたの?」

「え、うん。金色に瞳が光っていたの。ラムみたいに……」

「なんてこと……」

「これは……どうしたものかな」

「どうするも何も……長に相談するしかないでしょ」

「あ、あの……?」


 何かまずかっただろうか? 二人の様子に、私は身をすくませる。


「キリ、今から村の長に会いに行きましょう」

「探している少年が金の瞳をしていたというなら、ちょっと厄介なことになる」

「それって……」


 私が聞き言い返そうした時、地響きと共に大きな音がした。何かが壊れるような、崩れるような、恐ろしい音だ。


 あわててリーイが戸を開け外へとび出すと、村に炎が広がっていた。

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