第5話:知らない場所

 気がつくと、そこは森の中だった。


 あのまま庭で寝てしまったのだろうか。私の身体には薄い布がかけられている。あの少年がかけてくれたのか……いや、それなら起こしてくれればいいのに。

 そう思って周囲を見渡した私は、愕然とした。

 

 『お化けレンガ屋敷じゃない――』


 どう見てもここは、『あの庭』ではなかった。

 同じように樹々が生い茂る場所ではあったが、植物の大きさや朽ち具合、緑の深さがまるで違う。何より周囲に建物がないのはそもそも変だ。『お化けレンガ屋敷』も『隣の自分の家』も影も形も見あたらないのだから……

 「自分の知らない、どこか奥深い森の中にいる」としか思えなかった。

 

 『ここ』はどこなのだろう。あの少年も一緒なのだろうか。

 そもそも一体何が起こって、私は知らない場所にいるんだろう?


 混乱する頭でそんなことを考えていると、木の向こう側で人の気配がした。



「あら、起きたのね。体はどう?」


 それは若い女の人だった。心配そうに、話しかけてくる。

 猟師のような、とでも言うのだろうか、身軽だが肌を見せないごってりとした服に、肩から弓を腰には矢筒を下げている。故郷の山で、鹿を撃っていたおじいさんのような恰好だ。 

 彼女は少なくとも、ボシアの街の人間には見えなかった。


「あ、えっと、体は平気、です」

「ふうん。言葉はわかるみたいね。この辺りじゃあんまり見ない髪の色だったから、ちょっと心配だったのよ。よかったわ。汁を作るけど……食べられそう?」


 女の人はけらりと笑い、近くに残る焚き火の跡に火を入れた。


 どうやら悪い人ではないようだ。察するに、私を介抱してくれたらしい。


 彼女は液体を入れた花瓶のような筒を、火の上へ直に置いた。歴史の教科書に載っていた、大昔の料理みたいだ。キャンプめしだとしても、やはり何かおかしい。


「あたしはリーイ。テべの村の狩人よ。あなたは?」

「キリ、です」

「キリね。……ねえ、どうして森の中なんかで倒れていたの?」


 私は首を振るしかない。


「その、何がどうなっているのか、わからなくて。あの、ここはどこですか?」

「ここはオルト鹿の森だけど……テべの村の北山の」

「オルト鹿の森……テべの村……?」


 どちらも聞いたことのない地名だった。頭が混乱する。わけがわからない。


 黙り込んでしまった私に、リーイは困惑顔で話しかけた。


「もしかして、何があったのか思い出せないの?」

「……そう、みたいです」


 そうだ、もしかしたら。私はひとつの可能性に思いいたる。


「あの、他に人がいませんでしたか? 私と同じくらいの歳で、背の高い……」

「他にも人が居たのかい?」

「そのはず、なんですけど……」


 リーイは記憶をさぐっているようだったが、やがて首を横に振った。


「あ、でも……」


 肩を落とす私にそう言って、彼女は後ろのほうから麻袋をとりだした。

 中から例の猫もどきが姿を現す。


「あ、あんたは!」


 私は自分の知っているモノの登場に喜んだが、そいつときたら何食わぬ顔で袋から出てくると私の膝に乗り、ぷすぷすと鼻を鳴らした。


「なるほど。そのメテはキリのツレだったんだね。人馴れしてるし、あんたが倒れてた辺りから動かなかったから、不思議だったんだ」

「あの、メテって?」


 私が尋ねると、リーイは微妙な顔をした。


「メテはメテでしょ? その生き物の名前だよ。……知らないの?」

「………」

「もしかして、それも思い出せないの?」

(違う!)(でも、わからない……)

「そう、みた、い……」


 ぼろぼろと涙があふれてきた。


 説明できない現状と、意味のわからない心細さに頭が混乱する。声にならない嗚咽を漏らしてうずくまり、私は涙を流し続けた。

 背中にリーイの手の、腕とお腹にラムの体温を感じる。それが妙に暖かった。

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